8-3.緊張
「そのグリフィスの知識、やっぱり君の師から仕入れたのかい? 魔物退治でも有名な方だからねえ」
「ぅぐ」
夕食の席で騎士団の先輩たちに訊かれるまま、グリフィスを含む魔物について話していたフィルは、王太子フェルドリックの突然の質問に匙を取り落とした。食器がガチャリと派手な音を立てる。
フェルドリックが同席するためだろう、嫌々同じテーブルについている近衛騎士たちが、一様に蔑むような顔でこちらを見てくる。中でも今フィルの横に座っている、ジュリアン・セント・ミレイヌ――剣技大会の決勝戦で戦ったあいつだ――は後で、ぐちぐち言ってくるのだろう。
が、そんなことはこの際大した問題ではない。
「……」
ちらりとアレックスをうかがい、目の合った彼がいつも通り目の端を少し緩めてくれたことに気力をもらうと、フィルは質問の主に視線を向けた。
返ってきたのは輝かしい笑顔――その美しさと言い、無邪気に見せているところと言い、相変わらず絶好調に胡散臭い。
募る嫌気に片頬を歪めれば、奴は笑みを深める。こっちが嫌がれば嫌がるほど喜ぶ――悪魔だってあそこまで性格が悪くないんじゃないかと真剣に思う。
魔物退治のためにタンタールに向かう旅は、六日目を無事(?)終えた。
辿っている街道が市街地を抜けて久しい。一定の距離ごとに現れる賑やかな宿場町の他は、森や林が続き、その合間に田畑と小さな村が点在するのどかな光景が広がっている。今のところ天候などにも恵まれ、旅程に狂いや問題は起きてない。
対照的に、騎士団員十名と王太子フェルドリック、そして彼の護衛の近衛騎士五名からなる一団の空気は、平穏とは言い難い。
騎士団のほうは、最強種の魔物グリフィスに対峙するだけの実力と経験を持った精鋭……と言えば聞こえはいいけれど、ようは癖だらけで攻撃的な気性の主ばかりだ。
対する近衛騎士団のほうは、やたらと生まれを鼻にかける、実力不相応にえらそうな人間が多い。
そんな両者が上手くいくはずもないのだから、当然と言えば当然だろう。
だが、フィルにとって、そんなことはどうでもいいのだ。揉め事が起きたって、自分がやられることもアレックスがやられることもない。
そう、問題は悪魔、もとい魔王、これも違った、フェルドリックの存在だ――。
「殿下は、フィ、ディランの師をご存知なのですか?」
(げ)
ウェズが驚いたようにフェルドリックに訊き返したことで、フィルは顔から血の気を失った。
以前ウェズに剣の師について聞かれた時、フィルは実の祖父から教わったと話した。その師がアル・ド・ザルアナックだとばれたら?
アル・ド・ザルアナックがフィルの実の祖父だとばれ、結果フィルがザルアナック家の出身だということもばれ、父に勘当されたこともばれるだろう。
(まずい、まずすぎる。騎士団のみんなにも知られたくないし、特に今アレックスに知られることだけは絶対に避けたい……)
「……」
ゴクリと唾を飲み込めば、フェルドリックの目の端が邪悪に弧を描いた。確信する。
(わざとだ、あの人、私がアレックスはおろか、皆にも知られたくないと知っていて、わざと師について話題に出した……)
「……違います」
何事も無かったかのようなふりでスプーンを拾い、フィルは話を続ける。
顔が引き攣らないようにするのに必死も必死。祖母に叩き込まれた『完璧』な笑顔(男の子仕様)を作って、誤魔化そうと試みる。
「ザルアの山守の老人から聞いたのです。昔からザルア山脈には、東西全ての魔物が集まると言われていましたから、その彼が色々話をしてくれました。彼は1028年のドラゴン退治にも参加していたそうです」
祖母の死後、祖父と共に国内をまわるようになって初めて知ったことだったが、山守の彼は祖父以上の有名人だった。
その彼が中心となっておよそ八十年前に行われた、最後まで生き延びた最強のドラゴンと人間の壮絶な戦いは、今なお史実として、詩として、吟遊詩人の口ずさむ歌として、人々に愛され続けている。
「ドラゴン退治?」
思惑通り騎士団のフォトンが食いついてきた。
ヘンリックの相方で、今年三十三になるという腕のいいこの騎士は、伝承や昔語りが何より好きなロマンチスト――結婚願望があるのに、それが過ぎて未だに独身なんだと前にウェズが言っていた――でもある。
「なんという名前だった、その人は?」
「地元ではロギア老と呼ばれていました」
ウィル・ロギアか、と全員が歓声を上げて、話題はそちらに流れていった。
(ロギア爺、また助けられたよ、本当に、本当にありがとう……)
既に亡くなった、髭もじゃの厳つい老人に心の中で礼を述べて、フィルは周囲にばれないようこっそり息を吐き出した。
旅を始めてからというもの、フェルドリックは事あるごとにこうして嫌がらせをしかけてくる。騎士たちに実家や家族の話を仕向け、性別に関わる話題を持ち出し、それらに絡めてフィルの心臓を縮ませるような言葉を投げかけてくるのだ。
それも六日目となれば、いかに鈍いフィルといえども、遊ばれているということくらいなんとなくわかってきた。
ただ、と思ったところで、フィルは片眉を顰める。
(前みたいなどろどろした感じがないのは救いかも……)
この旅の前、王宮で出会ったのは剣技大会後のことだ。あの時確かにあった執拗さと、何より淀んだ暗さがないように思う。
それはそれでおかしい気がして、警戒と共に探るようにフェルドリックを見れば、ニヤリと笑われた。
(…………ああ、うん、邪悪さには変わりがないや)
さっさととっととあれと別れたい。そして、清浄な空気を吸いたい。
もちろん、祖父は王太子をあれ呼ばわりしているフィルをきっと嘆くだろう。
祖父は物好きにも彼をものすごく可愛がっていたし、と思って、心の中で何度目か知れない謝罪を彼に向けるが、フェルドリックその人への罪悪感は一生回復することがないと断言できる。
(一緒に居る近衛の連中も一人を除いてあまり感じが良くないし、全部まとめてどこかに行ってくれないかな)
そう心の中でぼやきつつ、フィルは食事を再開する。
いや、ミレイヌは悪いなりに馴染んできているのだが、その他の三人にいたってはまるっきりこちらを無視、もっと率直に言えば、見下しているように思う。
揉め事になる前にさりげなく介入しているアレックスと、感じのいいその一人がいなかったら、とっくに大事になっている気がする。
騎士団員は精鋭ぞろいだけど、お世辞にも気が長いと言える人たちではないし、騎士団側を率いているウェズ小隊長はそういうことにあまり気を払わない人だ。
一番立場が上のフェルドリックに至っては、ニコニコ無害を装っているけれど、あれは揉め事を面白がっているような気がする。本当にどこまでも性格が悪い。
「……」
フィルは斜め前に座るアレックスをこっそり盗み見た。
(……よし、不自然に思われている感じはない)
また一つ胸をなでおろす。
アレックスはすぐ隣に座る、近衛騎士の中でも一際物腰の柔らかいその人と話をしている。
旅を始めてもう六日、明日にはタンタール地方に入るが、これまでの食事の席は大抵アレックスが彼の隣だった。
(私が隣に座れないのはちょっとつまらないけど、仕方がないか)
なにせ他の騎士と近衛騎士は誰一人お互いが接する場所に座ろうとはしないのだから。
(そういえば知り合いみたいだったし、近衛騎士団の副団長とか言っていたような気もするし、その辺の事情があるのかも)
ちなみに、彼らの逆側、テーブルを挟んで向かいの列の騎士と近衛の接点は、不思議なことにフィルとミレイヌだ。
旅を始めた時は我ながら考えられない組み合わせだったけれど、ミレイヌはそんなに根の悪い奴ではなかった。未だに何かとつっかかってこられるけど。
(今晩もまた稽古に参加してくるかな)
フィルは自分の横、ミレイヌを見遣る。
始まりは、旅の初日の晩に宿の中庭で稽古を始めたアレックスとフィルを、ミレイヌが建物の影から覗いていたことだった。
気配が全く消えていなかったから、闇討ちしようとしている訳でもなさそうだった。そもそもそれをするには力量に不足があり過ぎる。
困ってアレックスを見れば苦笑しているから、なんとなく大丈夫なんだなと思って、そちらに歩いていって彼に声を掛けてみた。そのフィルに真っ赤になって、「覗いていたわけじゃない」と言い募る彼を宥めて、稽古に誘って……それから毎晩一緒に鍛錬している。
その場に次第に他の騎士団員が集まるようになって、気後れしながらもミレイヌはその中に馴染むようになってきた。
まだ傲慢な物言いをすることはあるけれど、その後すぐに自分で気付いて一人恥じている姿も見る。それで不器用に謝ってくる。おとといの晩には、剣技大会の不意討ちを真っ赤になりながら謝罪してきた。
その様子に、先日までのあの態度を『知らなかっただけなのかもしれない』と思うようになった。きっと彼は狭い貴族の世界で、そこの価値観に浸かって生きてきただけ。自分の行動や態度の意味を考えていなかっただけ。
本人は気にしているみたいだけれど、そう考えるとセルナディア王女の護衛を外されたことはきっといいことなのだろう。
「パンは手でもっと細かく千切ってから喰えっ」
「……めんどう。細かいよね、ミレイヌ」
――相変わらずフィルにはえらそうだけど。
わずらわしさから逃避しようと、なんとなくテーブルの向こうに視線を投げれば、アレックスと話していた近衛騎士と目が合った。
にこりと人好きのする微笑を向けられて、フィルはつられて笑い返す。濃い茶色の長めの髪と薄緑色の目はその表情と相まって、とても柔らかく、かつ大人な印象を与えてくる。
だが、身のこなしには隙が無い。旅の途中一度手合わせしたが、かなりの使い手で、なるほどまったく使えない人ばかりが近衛では王族もまずいのだろう、と一人納得した。フェルドリックはまったく剣に触らないようだし、と。
「……?」
視線を感じて、フィルは彼の横のアレックスへと顔を向ける。そして息を止めた。
じっと自分を見つめるアレックスの顔には、不自然なほどになんの表情も浮かんでいなかった。
* * *
田舎の宿場町、街道沿いの宿。感じのいい内装で統一された個室に、視察に旅立った王太子フェルドリックとその近衛騎士、そして途中まで彼らに帯同する騎士たちが集まり、晩餐を囲んでいる。
その席でアレックスは静かにため息をついた。
第一小隊長のウェズをはじめとする騎士団の人間と近衛騎士の間の空気は、相変わらずとげとげしい。フェルドリックはフィルをいじる暇はあるくせに、それをどうにかする気はないようだ。
(……完全に遊ばれている)
フィルの師、つまりは祖父について触れたフェルドリックと、必死にその話題を流したフィルを見ながら、アレックスは眉をひそめる。
フェルドリックはこうして彼女が嫌がる話題を出す癖に、彼女やアレックスが対応し損ねて、核心にまで至りそうな時は自ら話を逸らす。
性質の悪い人間に最悪な見込まれ方をしたフィルにアレックスは思わず同情の視線を送った。
「随分と彼に懐かれているんですね」
隣のアンドリュー・バロック・ロンデールがクスリと笑い、アレックスに話しかけてきた。
「会話の合間合間に、彼はあなたに注意を払っている。あなたはよほど信頼されているらしい」
「ええ、私としても大事な相手ですから」
貴族を相手にする時に用いる、裏側を見せない笑みを顔に貼り付けて、アレックスは彼に応じた。
口にするのは、言える限りの牽制だ。婚約者として名が挙がっているフィリシア・フェーナ・ザルアナックが、今目の前にいるフィルだと彼が認識した様子は無い。だが、万が一彼がそれに気付いた場合のことを考えるに、つけ入る気を少しでも削いでおくに越したことはない、と打算をめぐらせる。
「剣技大会の際も感じましたが、本当に美しい人ですね」
「……」
ロンデールがぼそりと呟いたことで、アレックスは仮面を失った。素に返り、彼を凝視する。
「変な意味ではないですよ、もちろん。物腰が洗練されていて、凛とした空気を備えている。あるべき剣士の姿とはああいうものか、と思わされます」
それをどう解釈したのか、ロンデールが困ったように言い足したが、アレックスの頭に警鐘が鳴り響いた。フィルに惹かれる者の大半が最初に同じ感想を抱くと知っている。
「……そうですか」
敢えて強く反応せず、無関心に見えるよう、そっけなく返して視線を自らの手元に戻した。駆け引きの常套で、相手に言葉を紡がせようとそのまま沈黙を保つが、不自然なことに彼が応じてこない。
「……?」
違和感を覚えて隣へと再び視線を馳せると、彼の横顔がやわらかく綻ぶのが目に入った。アレックスはその笑みの向けられた先を嫌な予感とともに辿って……、
「……」
その先に、はにかんだような顔を見せるフィルを認める。
時間が停まった気がした。




