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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第8章 魔物退治
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8-1.任務

「全員整列せよ」

 朝一番の鍛錬場、普段なら各々が思い思いに訓練前の準備に励む時間に、ポトマック副団長の低くて渋い声が響いた。


「なに?」

「さあ。珍しいよね」

 フィルは一緒にいたヘンリックと顔を見合わせて同時に首をひねると、それぞれの所属小隊の列へと向かった。

 頬を撫でる朝の空気は、六月とはいえまだ冷たい。

 アレックスの隣に並び、最前列にいるウェズ小隊長に視線を移すと、その顔はいつになく引き締まっているように見えた。


「タンタール国境警備隊からの応援要請に応じ、本日午後、騎士団から人員を派遣する」

 ポトマック副団長の落ち着いた声音とは対照的に、集まった騎士たちの中から小さなざわめきが起こった。それを無視し、ポトマックは続ける。

「要請の内容はグリフィス約五匹の駆除。派遣人数は十名とする」

 基本ふてぶてしい騎士たちには珍しいことに、囁きがどよめきにまでなった。フィルも『この季節に?』と首を傾げる。

 グリフィスは最強種の魔物のひとつだ。成人男性の二倍の身の丈に、四十倍の体重というサイズの彼らは、当然のように人を獲物とみなす。実際、口から吐き出される強酸性の毒や、熊すら比較にならない強力な前肢と鋭い爪、棘に覆われた、大人の胴ほどの太さの尾は、無防備な人間に簡単に致命傷を与える。気性はごく攻撃的。加えて幼生の餌として人を好むなど、ドラゴン亡き今、人類がもっとも忌み嫌う種であるといって過言ではないだろう。

「グリフィスを始末した経験のある者は前へ進み出よ」

(だけど、タンタール種のグリフィスは滅んだはずでは? それに五匹……?)

「フィル、行くぞ」

 先に歩み出していたアレックスが考え込むフィルを振り返り、声をかけてきた。

「あ、はい」

 フィルは慌てて列の前に走り出た。どうも考えごとをしながら何か――剣を振るう以外のこと――をするのは苦手だ。


 右へと視線を向ければ、そこかしこの列から出てきた二十名程度が見渡せた。普段とあまり顔色の変わらない者、蒼褪めている者、得意げな者、苦虫を噛み潰したような顔をしている者、様々な様相だ。

「次にザルアもしくはメノフト地方出身者」

 最後にメノフトの出身だというフィルの一期上の者が一名、列前の集団に加わった。

「諸君らはこの後、第三会議室に集合せよ」



* * *



(なんか変だ……でも、何が変なんだろう……)

 考えてその原因を探るようにしろ、というアレックスの言葉は正しいのだろうけれど、やはり難しい。

 アレックスとウェズ小隊長と共に会議室へと向かう途上で、フィルは眉を寄せる。


「そういえば、アレックス、おまえ王都の出身だろう? なんだってグリフィスなんかの経験があるんだ?」

「実践の経験に良いからと昔、師にメノフト東部の生息域へ連れて行かれた時に。まあ、一匹しかお目にかかれませんでしたが」

「俺も昔、隣国で傭兵をしていた時とザルアの国境警備隊にいた時に、一回ずつ経験があるだけだけどなあ。普通そんな程度だろうな」

 そうだよね、普通は一匹だ、とフィルは眉間の皺を深くする。


「フィルは?」

「うゎっ」

 考えごとの最中に、突然名を呼ばれて飛び上がった。しかも間抜けな返事で二人の視線を集めてしまったことに気付き、フィルは赤くなる。

「えーと、お、覚えてないです。うちの家、生息域のど真ん中だったので」

 別邸の側に出没する場合もあれば、近隣の村々から駆除を頼まれて祖父や弟弟子と共に、グリフィスの活動が活発になる秋の終わりには、一人で方々を回ることもあった。

「お前、本気でとんでもないど田舎に住んでたんだな……」

 ウェズが呆れを交えて、しみじみと呟いた。


「フィル、さっきから何を考えている?」

(またばれた……。アレックス、鋭い)

 何も言っていないのに、とフィルは情けなさに顔半分をしかめる。

「ええと、少し、変かな、と」

「変?」

「何がだ?」

 もごもごと口にすれば、アレックスもウェズもひどく真剣な顔になって、さらに居心地が悪くなった。

「その、グリフィスは、単独性、のはずです。あと、炎に向かってくる習性があって、ええと、それを利用すれば国境警備隊でも対応できるんじゃ、とか。ああ、でも知らないのかも」

 無言でいる二人の視線が続きを促すものであることを感じ、フィルはぼそぼそと話を続ける。

「それに、その、タンタールのグリフィスは既に滅んだって聞いたような……それと、グリフィスが人を襲うのはほとんど秋だったと……」

 言えば言うほど、ウェズとアレックスの顔が険しくなっていく。

(な、何かおかしなことをまた言った……? それともやっぱり上手く理解してもらえない? ……もっと筋道立てて、上手く話せればいいのに)

 顔をこわばらせたフィルに気付いたのだろう、アレックスが眉を跳ね上げた後、ふっと表情を緩めてくれた。直後に左手が頭をぽんと落ち、やっと息を吐き出すことができた。

「変、か……」

 目を眇めたウェズがフィルの言葉を繰り返す中、そうして三人は会議室へと入っていった。



 * * *



 検討の結果、フィルもアレックスも派遣隊に加わることとなった。

 経験があって、グリフィスに対峙するのに必要な剣の正確性と身のこなしの早さのある者。加えて、単身者――今朝の話で、今日午後出発というのは家庭のある者にとってはきつかろうという配慮らしい――が優先して選ばれたのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、アレックスが一緒だと思うと嬉しい。

(うれしい、って……)

 隣を歩くアレックスの横顔を思わず見、直後に顔を赤らめたフィルは、頬の熱を冷まそうと慌てて顔を振る。最近ずっとこんな感じでちょっと困っている。


「どうかしたのか、フィル?」

「え、あ、どうかしたというか、その、も、持っていく必要のある物って何かあるのかなって……」

 彼本人に見咎められたことに心臓を跳ね上げながら、慌てて言い繕った。

「必要なものは団で用意されるはずだ。部屋に帰って私物を適当にまとめるといい。俺は武器庫に行ってくる」

 我ながら挙動不審だと思うのに、そんな自分に目元を緩めてくれる深い青の瞳と、穏やかな話し声――やっぱりアレクに似ている。それでほんわかして、ちょっとだけ落ち着くことができるのも最近のいつものことだ。

「はい、じゃあ、先に戻ってます」

 そう返しておきながら、フィルは遠ざかっていく彼の姿が廊下の角の向こうに消えるまで、こっそり見守った。


「……こっちもそっくり」

 目線を移した先、窓の向こうに見える青空は、親友の彼女と遊んだ大事な日々を髣髴とさせる色をしている。

(ねえ、アレク、私、好きな人が出来たよ、アレクにすごく似てる人なんだ、もしかしたら知り合いかも。それでね、私、アレクに思ったみたいに、その人の側にずっと居たいみたい)

「……会えたら話したいことがいっぱいあるよ、アレク」

 ――そんな話をしたら、彼女はなんと言ってくれるだろう?

 それからふと眉尻を下げた。

「って、話せないこともあるんだけどさ……。アレクとなら普通にしてたんだけどなあ……」

 それが目下の悩みだ。

 

『アレックスに厄介に思われたくないなら、君が「元」ザルアナックと知られないほうがいい』――先日フェルドリックに言われた言葉に、フィルは今なおつきまとわれている。

 昼間はいいのだ。気晴らしに付き合ってくれたり、くだらないことを言って笑わせてくれるヘンリックや、「私も頑張るから」と励ましてくれたメアリーのおかげで、日中は『私は私のやり方で頑張ろう、それでいい』と思っていられるようになった。

 だが、夜は駄目だ。家のこととか自分の今後とか、さらにはそれらをアレックスに絡めて考え出してしまって、中々寝付けなくなる。夜の静けさと暗がりに否応なしに嫌な記憶が呼び起こされて、良くない想像ばかりが頭の中を這い出し始める。

 父の顔を思い出して情けなくなって、フェルドリックの真意が気になって不安で仕方がなくなって、『アレックスだけじゃない、ここの誰も本当は私を知らない。知ってここに居ていいとは言ってくれてない』とまで考え出すと泣きそうになる。

 そんな晩の翌朝、アレックスのベッドで目が覚める――これが問題なのだ。

 最初はかなりぎょっとした。覚醒と半覚醒の合間でうにゃうにゃしている間にもぐりこんでしまっているようなのだが、いくらなんでも駄目だろう、それ、というようなことだ。

 救いは夜アレックスが先に寝付いて、朝自分の方が先に目覚めるのでアレックスにはばれていなさそうだということぐらい。


「婆さまにばれたら、一日木に吊るされるかも。ご飯もきっと抜きだ……」

『相手を物のように扱う人間は男性にも女性にもいるわ。でも、体格や力で上回っている分、そういう男性の危険性は上積みされやすい――簡単に近寄らせては絶っ対に駄目よ』と低い声音で言っていた、今思うと「相当な男嫌いだったんじゃ?」という祖母を思い出して身を震わせた直後、

(……あれ、アレックス? 危険?)

と首をひねった。

 彼に危険性を感じたことは一度もない。そもそもアレックスが人を物扱いするとか、まったく想像できない。

「実際、安心できてよく寝られる……ってこれこそ甘えてる証拠じゃないか……」

 思わず呻き声をあげ、フィルは右手で髪をがしがしとかきむしった。これではいけない。


『一生懸命恋がしたい』

 前に会った時、メアリーはそう言っていた。

 その後、彼女がヘンリックに向けた目に、なんとなくだが、彼女もヘンリックを好きなのではないか、と感じた。

 とても意外だったけれど、好きな人がいて、その人の側にいるために彼女も頑張ろうとしている――。

 フィルが彼女の事情をよく知らないように、彼女もフィルのことを詳しくは知らないだろう。でも、好きな人に相応しい自分になりたいと思うのはフィルだけではないのだと思わせてくれて、さらには『応援する』とまで言ってくれる彼女を前に、それなら私も頑張ってみよう、と思うことができた。

 アレックスの側にいたい。そのためにもっともっと強くなりたい。そうしたら、すべて話しても彼は私を選んでくれるかもしれない。剣を持ち続けていようと決めた自分でもいいと言ってくれるかもしれない。

 ――その可能性に賭けてみたい。


「とりあえずの目標は……潜り込むのをやめる?」

 言いつけに背いて、人に甘えてしまうような者では駄目なはずだ。

(そうだ、大きな進歩だって些細な一歩から始まるんだから)


 そう決心してフィルは自室の扉を開いた。


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