7-8.ヘンリック観察記4
(まただ……)
鍛錬場の一角、かなり上の先輩に剣の切っ先を突きつけているフィルを眺め、ヘンリックはしみじみと溜息をついた。
剣の刃は潰してあるというのに、先輩の顔は真っ青――ヘンリックにはその気持ちがものすごくよく分かった。そう問題は剣じゃない。間合いに入った瞬間に切り殺されそうな感じがするあの空気だ。
(ああ、うん、またなんかあったんだね。で、思い詰めてるんだね、フィル。はた迷惑なくらいわかりやすいよ。いや、正確にははた迷惑だからわかるんだけどさ)
ヘンリックは彼らのすぐ横にいた五十期生が引きつった顔でフィルから距離をとるのを見、「根性の無い」という気持ちと「だよね」という気持ち、半々で複雑になる。
「何があったんだか」
そうぼやいて、ヘンリックは頭の後ろをがしかしとかいた。
フィルの扱いに関して皆が頼みにし、ここのところすごくいい感じに見えたアレックスとも、フィルはものすごくぎこちなくなっている。
(でも、どちらかというとフィルが一方的に不自然で、アレックスも困ってるって感じ……となると原因はそのアレックスか)
ヘンリックの観察の先のフィルは、肌を刺すような空気のまま、ウェズ第1小隊長目指して歩いていく。稽古相手を頼むつもりだろう。行く手の彼の顔が微妙に引きつったのは気のせいではないと思う。
(あーあ、気の毒に。確か事務処理が溜まっていて、昨日あまり寝ていないと言っていたのに……)
そこに訓練終了を知らせる鐘が鳴り、ウェズも周囲の人間も明らかな安堵を顔に浮かべた。
「……よし」
ヘンリックは気合を入れてフィルに近寄る。途中複雑そうな顔をしたアレックスと目が合って、『親友の出番ってことで』的な目配せを返してから、彼女に話しかけた。
「フィル。ちょっと付き合って欲しいんだけど」
今晩はメアリーとデート(と自分では思っている)の予定だったけど、フィルも一緒に連れて行こう。恋も大事だけど友情も大事、気分転換に付き合うのは親友の務めだ。ましてやそれが尊敬する人の役に立つならなおさらということで。
* * *
「ごめんね、待った?」
メアリーと会うのだから、と洗濯したばかりの制服に着替えて正門に向かうと、そこには既にフィルがいた。
初夏の日は長い。夕方といえども日差しはまた金色を帯びていて、フィルはその光の中、足を組んで門柱にもたれている。その足がうらやましいくらい長い上に、無造作にかき上げられている洗いざらしの髪も妙にかっこいい。男女問わず道行く人が皆彼女を見ているのに一切気に留めていないところが、いかにも見られ慣れてます、という感じ。
「いや、私もさっき来たところ」
落ち着いた声で微かに笑ってくれる顔は、見慣れているヘンリックでも一瞬赤面しそうになるぐらいに整っている。
(外観は相変わらず僕の理想の騎士像……。あーあ、僕がこんな風だったらすぐにでもメアリーを射止めていたはずなのに)
内心でそうぼやいたところで、でも身長はこの半年で平均は越したし、そのうちフィルも抜かせるはず、とヘンリックは自分を慰める。
「行こう」
気を取り直して、フィルと連れ立って歩き出すと、フィルの奇麗な金髪が傾いた日差しに光った。メアリーがこの前フィルと会った時、真っ赤になりながら髪に触って良いか、と聞いていたのをふと思い出す。
(また今日もメアリーの興味はフィルに集中する……。まあ、いいか、メアリーはまだ気がついていないけど、フィルは女の子だし、メアリーが幸せなら僕もそれで幸せだし)
「……」
それに、と思いながら、ヘンリックは並んで歩くフィルを横目に窺った。
(フィルもメアリーと話すの、楽しそうだし)
同じ年頃の女の子の友達がいないらしいからかもしれない、フィルはメアリーと話をしている時ちょっと嬉しそうに見える。だからこそ、ヘンリックが仕事で都合が付かなくなった時に、2人で『デート』していたことも大目に見てやったのだ。
視線に気づいたのかもしれない、ヘンリックを見つめ返してきたフィルが、訝しげに首を傾げた。
「ヘンリック、今日はメアリーとデートだろう。なぜ私を呼び出したんだ?」
呆れて思わず天を仰いだ。デートに備えるヘンリックの気合の入れようがわかるのに、なぜ呼び出されたかわからない、その感性のアンバランスさもどうかと思う。
「あのねえ、フィル、あんだけピリピリした空気出しておいて、僕が気付かないとでも思ったの? 何か悩み事があるなら相談に乗るし、相談できないなら気晴らしにぐらいは付き合うし」
ヘンリックは一気にまくし立てて、最後に「親友だろ」とフィルの顔を睨んだ。
そんなヘンリックを呆然と見ていたフィルが、ほのかに顔を染め、心底嬉しそうににっこりと笑った。さっきまでの凛々しい顔とのギャップがあって、ちょっとかわいい。
「ちょっとっ」
直後、フィルとの間に赤い髪――夕日のせいで元々赤みがかった茶色は、今は奇麗な赤色だ――が飛び込んできて、その主がなぜかヘンリックを睨んだ。もちろんそんな顔もものすごくめちゃくちゃ可愛い。
「久しぶり、メアリー」
クスリと笑ってフィルが挨拶した瞬間、そのメアリーは先ほどの睨み顔を一気に消し去り、よそ行きの声と極上の笑顔でフィルに向き直った。
「久しぶりね、フィル、元気だった?」
その変わり身の速さに思う。
(女の子ってすごい。けど、フィル、やっぱちょっと気に入らない)
* * *
「フィル、好きな人はいる?」
――ずばり核心を突く質問だ。
(……やっぱり女の子ってすごい。いや、メアリーがすごいだけか。同じく女の子のフィルは固まってるんだから)
夕飯を取るために3人で入った店は、物珍しい異国料理とあって若者達で賑わっている。
窓際のテーブル席に座るヘンリックたちに食事を運んできた給仕の女の子が、興味津々という顔でフィルの返答を待っているのがわかる。妙に給仕の手が遅い上に過剰に親切だ。グラスを口元に当てたまま固まっていたフィルが、目だけをこちらに動かして様子をうかがっているのもわかる。
(助けるべきか、助けざるべきか……)
個人的にはアレックスとの話を聞いてみたい気がする。きっとフィルが思いつめている原因もその辺だろうし。それに、アレックスとはとてもそんな話が出来る気がしないけれど、彼がどうやってこの鈍いフィルに迫っているかわかれば、メアリーを口説くのに役に立ちそうな気がする。
――よし、ここは見捨てよう。友情も大事だけど恋も大事。
ヘンリックはフィルの視線に気づかないふりをして、大皿料理を小皿へと取り分けた。
「いるのね……?」
目線で給仕の女性を追っ払ったメアリーが声のトーンを落とした。ちらっと視線を左に向ければ、フィルは硬直している。その反応にメアリーの目がキラーンと光って、ヘンリックは今更ながら罪悪感を覚えた。が、引き続き介入はしない。
――親友は大事だけど、我が身はもっと大事。
(こうなったメアリーを止めるなんて不可能だって経験が言っているんだ、ごめん、フィル、僕の為に諦めて)
「――ヘンリック」
そこに響いた思わぬ一撃に、口にしていた海老を吹き出す。
「じゃ、ないわよね。うふふ、でも騎士団の人よね?」
そう可愛く笑う声がかなり怖い。フィルはフィルで青くなる。
(ああ、フィル、君のそういう反応が彼女に情報を与えているんだよ……)
が、口には出さない。巻き込まれたくない。
メアリーはテーブルに身を乗り出すと、フィルの襟元を引っ張って顔を近づけた。
「アレクサンダーさま、でしょ」
「「っ」」
さすが親友、息を飲んだタイミングがばっちり同じだ。って、問題はそこじゃなかった。
(あれ? メアリーはフィルが女の子だと知ってる……?)
ヘンリックは目を瞬かせる。
「わかるわ、お似合いだもの。みんなも言ってるわ。彼なら良いって。それにアレクサンダーさまのファンの子達もフィルなら良いって言ってるし」
フィルは真っ白な顔で、頬を引きつらせてメアリーを見つめている。
「ちょっ、ちょっと待って、メアリー」
慌てて身を乗り出して、メアリーに顔を近づけると――あ、そばかす。小さい頃になくなったと思ってたのに――ヘンリックは小声で話しかけた。
テーブルの中央に顔を寄せている僕ら三人は傍から見ればきっと異様だろうな、と思いつつ、彼女にカマを掛けてみる。まっすぐなメアリーはきっと簡単に引っかかって、何をどこまで知っているのか話してくれるはずだ。
「だってアレックスは男で……」
「だからどうだって言うのよ。ついでに言うなら、アレクサンダーさまが貴族だってことだって承知よ。だから何よ? アレクサンダーさまとフィルよ。どこにこれ以上完璧な組み合わせがあるのよ。そりゃあ、ナシュアナ王女には気の毒だけれど、性別を越えた愛よ、究極よ、究極!」
このロマンがわからないの!と、これまた小声で、だが怒られた。
「せいべつ、をこえた……」
一瞬気が遠くなった。
(あれだ、昔次姉が言っていた、女の子が一度は憧れるかもっていう、禁断の愛……)
ちらっと横を見遣ると、唖然としたままのフィル。彼女がそんなことを知っているとは思えないけど、と同情する。現にその恋がいかに尊いものであるかを僕に力説するメアリーを前に、完全に停止している。
「可愛いヘンリックとカッコいいフィルも捨て難い組み合わせなんだけど」
――我が身も可愛いけど、親友も大事。
真っ白になったフィルがぼろを出さないですむなら、大好きな彼女にまたもや可愛いと言われる苦行にも耐えようと思う。
「あ、でもヘンリックが真剣にその気なら、私は味方するけど?」
「!? あり得ないってばっ、大体何でそうなるのさ!?」
「じゃ、なしで」
僕はメアリーが、と叫んで、ついでにもう何度目かわからない告白をするつもりだったのに、『ぼ』という音すら出せないままさらっと流されて涙目になった。
(ちくしょう、親友、後で奢りやがれ)
内心で八つ当たりながら、コップの水を自棄気味に一気飲みする。
「え、ええと……」
微妙に正気を取り戻したらしいフィルに、メアリーがとっておきの笑顔を向けた。
「私は応援するわ、フィル」
フィルの手を両手で握り締めたメアリーが真剣にそう言った瞬間、フィルは目を見開いた。
「だってこの間見かけたもの、二人が一緒のところ。すごくいい雰囲気で……良いな、って思ったの。なんか大事にされて、してるなあって感じで……」
ちょっとショックだったけど、と照れたように笑ってメアリーが言った。その顔に少し胸が痛んだ。
メアリーがフィルに真剣に憧れているってことを、本当は知っていた。嬉しそうにフィルにケーキを作ったり、ヘンリックと二人で会っている時にもよくフィルの事を話したりしていたから。
悔しいから見ないふりをしていた、何で一緒にいる僕じゃないのかって。そのくせフィルが本当は女の子だって知っていたから、余裕だけはあって……。
自己嫌悪が広がって、ヘンリックは唇を引き結ぶ。
「私……、私もちゃんと恋がしたいの。フィルみたいに身分とか性別とかじゃないけど、やっぱり家柄とか、他にも釣り合うとか合わないとか……」
ちらりとメアリーがこちらを見た気がして、ヘンリックは思わず目を見開いた。
「色々考えちゃうけど、難しいのはわかるけど、でも、一生懸命恋したいの。その上で私を見てもらいたいの。そして、選んで、欲しい」
心臓がドキリと音を立てた。そう言って上気した頬のままフィルを見つめるメアリーの横顔は今までに見たことのないもので……そう、とても奇麗、だったんだ――。
「だから、フィルも色々余計なこと考えちゃ駄目よ」
「大事なのは中身だわ」
「フィルはフィルらしくしてればいいのよ」
「それがわからない相手ならそれまでってことよね」
「捨てて次探したら良いわ。まあ、あのアレクサンダーさまなら大丈夫でしょうけど」
……まあ、その次の瞬間にはいつものメアリーに戻っていたけれど。
無言のままそのメアリーを見返していたフィルが、泣き笑いのような顔で、それからここのところ見てなかった本当に嬉しそうな顔で微笑んだ。
(……まいった、大人になっていっているのは僕だけじゃないらしい)
そのまま小さく笑い合う二人の女の子の顔はやっぱりすごく奇麗で、知らず呆けたように魅入ってしまった。
「い゛っ」
……うん、テーブルの下で思いっきり蹴り上げられた脛の痛みに、すぐに我に返らされたんだけどね。
「? どうした、ヘンリック?」
(元気になったみたいなのはいいけど、やっぱりいつもどおり鈍いよね、フィル……)
「ふふ、フィルと私の友情に感動してるだけよね?」
「……う、ん、まあね……」
にっこり笑うメアリーの顔が可愛いのもいつものことだ。けど、
(メアリー、僕にもちょっと、もうちょっとだけでいいから、優しくしてくんない……?)
と思わないでもない。
だから、『お互い先は長そうですよね、頑張りましょうね、アレックス』ってこっそり思うことぐらい許されると思うんだ。本人には口が裂けても言えないけどね。




