表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして君は前を向く  作者: ユキノト
第7章 カザック王宮
84/299

7-5.氷炭

「この先は私の意志です。私がそうしたいと、そうありたいと願った在り方です。それをあなたが愚かだと、不幸だと決め付けて蔑むことはできない」

 正直驚いた。五年前は泣くのを堪えて睨みつけるだけがせいぜいだったのに、変わったのは背丈だけではないということか、と。


 フェルドリックはカザック国王の第一王子として生まれた。立太子されたのは物心つく前だったように記憶している。

 疎まれていたわけではなかったが、父ともその正后でもある母ともかなり疎遠だった。何かの祝いなどの際には、心のこもった手紙と共にフェルドリックの趣味や興味に合うものがちゃんと届くし、教育にも安全にもきめ細やかに気を使ってもらっていた。だが、公式な場を除いて、フェルドリックには彼らと共に過ごした記憶がほとんどない。長じた今はその理由も理解しているが、幼いフェルドリックの中には不満がくすぶっていた。優しそうな人たちだったからなおさら、なぜ、といつも思っていた。

 代わりのように、国民から半ば神のように崇拝される祖父、建国王アドリオットが目に入れても痛くないという表現そのままにフェルドリックを慈しんでくれた。

 彼の友人で、英雄と呼ばれてやはり人々に慕われたアル・ド・ザルアナックもそれは同じで、フェルドリックが王宮を離れてどこかに行くという時は、もう引退したというのに必ず遠くからやって来て、本当の祖父と孫のように接してくれた。それが護衛のためだったというのは後で知ったのだが、当時は彼が自分を連れて街や村を歩く度に、すべての人が向けてくる好意の視線を無邪気に嬉しく思ったものだった。

 フェルドリックが容姿にも頭脳にも恵まれていたことも大きかったのだろう。王宮であろうと市井であろうと、誰もが自分を一目見るなり、目を輝かせて「美しい」と褒め称えた。口を開けば、そこに驚きと感嘆が加わった。

 幼いフェルドリックに、そうすることが当たり前であるかのように誰もがかしずき、細心の注意と最大の緊張を持って接してくる。鼻で笑ってしまいたくなるような見え透いた気遣いと追従を利用して望む物すべてを享受することを、フェルドリックは早々に覚えた。

 次第に白けてもいった。生まれも見た目もフェルドリックが努力して得た物ではない。ふるまいは意識してのものだが、すべて計算してのことだ。なのに、誰もそれに気付かない。彼らの目には一体何が映っているのだろう、愚鈍すぎる、と。


 一方で、フェルドリックの存在を快く思わない者たちも確かに存在した。筆頭は旧王家に近かった貴族たちで、現王権になって力をつけたフェルドリックの母の実家、フォルデリーク家と鋭く対立していた。つい先ほどまで笑顔を振りまいていた人間に殺されそうになったことも珍しくはないし、極めつきは父の妾妃である第二夫人だった。子供だからと侮っていたのだろう。彼女本人がフェルドリックの目の前で呪詛を吐き出すのを聞いたこともあるし、その実家が自分を亡き者にしようと今なお画策していることも知っている。

 馬鹿なくせに野心だけはある、憐れなことだ――最初は恐怖を感じていたのに、いつしかそんなふうにしか思えなくなっていった。

 

 与えられるものも奪われようとするものも、すべて将来フェルドリックが手にするだろう権力に付随する――フェルドリック本人がそれをまったく望んでいないというのが、最大の皮肉だった。

 そのくせそれを手放す決断もできなかった。人々の苦しみを見かねて自ら権力をとることを選んだ祖父や、彼を支えたアルをがっかりさせたくなかった。自分が逃げれば、権力は第二夫人の娘に、つまりまたあの醜悪な旧王権派に戻る――今なお貧しいくせに「建国王さまのおかげで幸せになった」と笑う人々の顔を曇らせては悪いような気がした。

 置かれた状況に不満しかもっていないくせに、それを手放す決断もできない――。

 人々は皆愚かだ、フェルドリックの本性にも本音にも気付かない。けれど、一番愚かなのもそれゆえ醜いのも自分――そうしてフェルドリックは自分を嫌うようになった。

 

 鬱屈した日々の中で、父親であるフォルデリーク公爵に連れられて宮廷にやってきた、半年ほど年下の従弟アレクサンダー・エル・フォルデリークが、フェルドリックのお気に入りとなる。他の人間のようにおべっかも使わず、ご機嫌取りもしないのに、そのくせちゃんとこちらの考えていることをわかって尊重してくれる。フェルドリックと同じくらい頭がいいのに、人が良くて裏切らないし、フェルドリックがいくら性格の悪さや真っ黒な内心を晒しても、苦笑するか呆れたようにため息をつくだけで引いたりもしない。彼はそんな居心地のいい相手だった。

 時が経てば自分はカザックの王になる。次男のアレクサンダーは爵位を継げないから、その時には自分の補佐にするために側に置いてやろう。彼は体こそ弱いものの、頭も良くて信頼に足る。子供のくせにどこか諦観している節があって、自分の生にすら執着していなさそうだったけれど、とにかく人がいい。フェルドリックが自分のために生きろと言えば、きっとその通りに生き続けるだろうからそうしてやろう――日々積み重なっていく倦怠感と自己嫌悪を持て余しながらも、フェルドリックは将来はそうなると思って疑っていなかった。


 それなのにそのアレックスは、ある夏のザルアでの療養を機に剣を習い始めた。大事な子を守れるようになりたい、などと言い出して。

 続く訳がないと高をくくっていたのに、彼は地道に努力を続けた。一日一時間稽古をしては次の日寝込むような状況にめげず、フェルドリックや周囲の制止も聞かず、ただ黙々と。

 決められた人生から踏み出し、自ら掲げた目標に向かって必死に努力を続け、自分から徐々に離れていくアレックス――その彼を前にしたフェルドリックの内に芽生えたのは、同じだと思っていた存在がにわかに変わっていく恐怖、そして自分だけが取り残されるような焦燥感だった。

 彼が十四になった時、フェルドリックは焦って自分付きの執務補佐官見習いになるよう、彼に話した。だが、日に焼けて昔の可愛らしい面影をすっかりなくしたアレックスは、騎士団に入るからと断ってきた。


 だから、彼にその転機を与えた人物をよく知ってみようと思った。

 祖父が時折自分に話し、その友人のアルが目を細めて語っていたフィリシア・フェーナ・ザルアナック。アルに連れられて離宮の祖父に会いに来ていた彼女は、彼らがなぜそうも気に入るのかさっぱりわからない子供だった。

 初見はフェルドリックが八つになろうかという時だ。アルの側にいたというだけでその子が気に入らなくて、フェルドリックは確かに彼女に好意的でなかった。だが、彼女はわずかだったはずのその空気を正確に感じ取り、露骨な警戒を王太子であるフェルドリックに向けた。

『おおい、フィル?』

 怪訝そうな顔をするアルを完全に無視して、彼女は緑の瞳を眇め、フェルドリックをじっと見つめたまま、じりじりと後ろに下がっていく。恐縮しているなんて可愛らしい態度じゃないことは明らかだった。

『なんだ、どうした?』

 その場にやって来た祖父も彼女の様子に困惑を露わにし、アルと顔を見合わせた。

『君がフィル?』

 彼らの反応に焦って、いつも他の子にそうするように笑顔を取り繕って彼女に微笑みかけたのに、名前まで呼んでやったのに、その瞬間彼女は顔を盛大に引き攣らせた。

『え、ええと、初めまし、て……フェルド、リック?』

 一応挨拶はよこした。が、その顔に「なんだこれ」「寄るな」とはっきり書いてあった。そんな彼女に尊称なく、いきなり名を呼ばれたことも手伝って、フェルドリックは内心で憎悪を沸騰させる。

『そうだよ。よろしくね』

 だが、祖父たちがいるのだ。フェルドリックは全力で表情を保ち、彼女ににっこり微笑む。今度こそ完ぺきに隠しおおせると踏んでいたのに、けれど彼女は顔色を変え、ザザッと後ろに飛び後退った。

『……フィル……フィリシア・フェーナ・ザルアナック、です』

 挨拶にしてはおかし過ぎるだろうという遠い距離と、硬い声と硬い空気、何より魔物でも見るかのような表情。王太子の肩書きに恐縮する訳でも機嫌をとろうと笑う訳でもなく、二つ半ほど年下の幼い彼女は、そのまま警戒を露にじぃっとフェルドリックを見つめてきた。

『なんだ、人見知りか? フィル、俺の孫だ。前、話しただろう?』

 そして、今度はアルどころか祖父までも無視し、じりじりと後退していく。

 気に入らないというのが決定的になった瞬間だった。ちなみにそれも正確に彼女に伝わった。


 まったく賢そうな感じのしない彼女に、この僕の本性を見抜かれた――癇に障る以外のなにものでもなかった。

 必要性を感じない相手であっても、“いい王子様”のふりをする。フェルドリックにとってそれは息をするのと同じくらい簡単なことだったが、彼女にだけはそれすらもったいない。だから、他の人間がいない所では、露骨に「お前が嫌いだ」と態度に出した。

 すると彼女は泣くことも機嫌をとろうとすることもなく、かといって祖父たちに泣きつくこともせず、ただただ警戒を露にフェルドリックの前から消えようとする。そして、いつしか顔を合わせても挨拶をよこすだけで、さっさといなくなってしまうようになった。


 見た目こそおそろしく整っているものの、どちらかといえば少年のようだったし、することなすことすべてが変わっている。ドレスを着ていることも一度としてなかった。フェルドリックの有力な婚約者候補だと周囲が噂しているのに、他の者と違って自分に付きまとうこともないし、顔色を窺うこともしない。

 人とは思えないと皆が口を揃えて褒めるフェルドリックの顔にも興味は一切ないらしく、年上の少女ですら赤くなる笑顔に、心底嫌そうに顔を引き攣らせる。一度は『こういうのをウサンクサイって言うのかな……』とぼそっと呟きやがった。


『……剣? 女の子、だよね?』

『ああ。でも才能があるんだ。力は劣るだろうが、素早いし、勘も働く。俺以上の剣士になるかもな』

 アルが嬉しそうにそう言ったことで、ますます彼女が嫌いになった。祖父もアルもフェルドリックには欲目だらけなのに、剣を握った時だけは無言になった。

 僕に出来ないことがあのおかしな子にはできる――そうなるともう彼女を嫌う以外の選択肢がある訳がなかった。

 彼女を馬鹿みたいだと思ったこともそれに拍車をかける。女性剣士なんて見たことも聞いたこともないのに、アルが期待するまま彼女はいつも剣を握り、訓練を重ねていた。無駄どころか、将来足を引っ張るだけなのに、それすらわからないのか、と。


 他の貴族の子と違ってつきまとってこない分鬱陶しくはないけれど、非常識で何を考えているかさっぱりわからない、どこまでも気に入らない、飛び切りおかしなアルの孫――その程度の認識だったのだ。

 それなのに、害がない限りどうでもいいかと放置していたその彼女が、アレックスにあれだけの影響を与えた。そして彼が自分から離れていくきっかけを作った。

 これが腹立たしい以外のなんだというのだろう?


 だから、もう一度こちらから近づいてみたのだ、その彼女に。

『君、本当に愚かだね』

 だがそう蔑まれても、彼女は呆然とするだけで言い返してもこない。それでますます見下した。

『唯々諾々と言われたことを、生まれをそのまま受け入れる――人生を無駄にしているとは思わない?』

 他人の期待通りに、用意された道を用意されたように生きる彼女に、自身との同一性を認めて疎んだ。

 すべて必要のない発言だったことは確かだ。だが、少なくとも自分の苛立ちを一時慰めることはできる。

『……』

 睨んではくるが、やはり反論できない彼女の姿に、フェルドリックは自分の優位を感じて束の間満たされた。彼女は自分同様、どうしようもない人間だ。気にかける価値のある相手ではない。アレックスもそのうち気付くだろう、と。

 そうして興味を失ってそのまま忘れていたのに――。


 五年経った今、昔アルが彼女に敷いた道は、貴族の娘としての安寧からすっかり外れていた。

 これで彼女が着飾ってフェルドリックの前に現れれば、ただ彼女を蔑んで終わることができたのに、彼女は剣を持ったまま騎士団にいた。それゆえに父から勘当されたらしいのに、女性の身でそれでも自分の居場所を勝ち取るために戦っていて――ひどく癇に障る光景だった。言われたことや生まれをそのまま受け入れているわけではない、そう言いたいのか、と。

(お前だけ自由になんて絶対にさせない――あそこから引きずり出して貶めてやる、その上で手駒として使い捨ててやる)

 そう決めて、再び彼女を弄し、貶めようとしたフェルドリックに、彼女は今度ははっきりと抗う姿勢を見せた。


 彼女から向けられている視線の強さに、騎士団に入ると言った日のアレックスを思い出す。自分の立場を受け入れることも捨てることもできず、ただ立ち止まったままの自分の無様さを思い知らされる。

 続いてアレックスへと動いた目に悟る。自分と同じだとずっと蔑んできた彼女は、もう動き出した。そして、フェルドリックが未だ知らない場所に向かおうとしている、アレックスと同様に――。

 再びフェルドリックへと戻ってきた彼女の目はひどく鋭い。意地で怜悧に見えるはずの仮面を保ったが、その下には確かに動揺があった。それがこの気に入らない彼女にだけは伝わらないように真剣に祈る。

「私は私のなりたい自分になれるように努力します」

「……っ」

 その言葉に、剣の切っ先を喉元につきつけられるような錯覚を覚えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ