7-2.嫉妬
(肌がピリピリする。殺気に近いけど、攻撃してくるわけではなさそうだ。でも友好的では絶対にない――)
アレックスと共にカザック王城を訪れたフィルは、護衛対象のナシアの部屋、普通の家でいえば、応接室にあたる場所にいる。
仕事や誰かと会う際などに使う部屋のようで、護衛である限りここへの入室は基本自由だそうだ。ちなみに、私的な空間はここから別室に繋がっており、そちらは当然のことながら立ち入り不可だという。
不遇と言われていてもさすがは王女さまと言っていいのだろうか。部屋の規模から家財の質、調度品、装飾品、何から何までフィルがこれまで見てきたものとは質が違うような気がする。そう、つまりは壊さないよう気をつけなくてはいけないということ――……緊張する。
ちなみに、この部屋の主であるナシアは勉強の時間ということで、王宮の一角にある図書館に行ってしまっている。
残されたフィルはアレックスと並んで、王族の警護にあたっての注意事項などをアーサー・ベル・ジオールから説明されているわけだが……。
(一体全体なんなんだろう……? そもそもアーサーのこの妙な気配は一体いつから始まったんだっけ?)
フィルは片眉を顰め、ナシアの唯一の護衛であるという近衛騎士を見つめる。
『フィル!』
『ナシア!』
今朝、まだ日も低いうちにアレックスとと共にくぐった王宮通用門の内には、茶色の目をキラキラさせたナシアがアーサーと共に待っていてくれた。フィルに目を留めるなり、彼女は顔を輝かせ、満面の笑顔で駆け寄ってきて抱きついてきた。ほんっとうに可愛かった。
お返しに、とぎゅっと抱きしめてから、フィルは彼女を抱え上げて……。
「……」
(そういえば、その時にはアーサーから既にこんな気配が漂っていたような)
いっそ殺気であってくれれば、悩む必要もないのに、だからっていきなり切り捨てたりしないくらいの常識は私にだってあるし、とフィルは息を吐き出した。
(いや、待てよ。花祭りの初日に初めて会った時も彼はこんな風だったっけ。あの時はナシアを心配して気が立っているのだと思っていたけど…………? 心配? そうか、心配、か)
「ディラン殿、なにか?」
凝視していたせいだろう、アーサーの目が剣呑な光を湛えたままフィルに向いた。黒に近い焦げ茶の癖のある髪、深い茶の瞳、きりっと引き締まった眉と顎はその人となりを象徴しているのだろう。
「何かナシア……殿下にありましたか?」
質問に質問を返してしまった。ちなみに、“殿下”と咄嗟に尊称をつけたのは、例のおかしな気配が強まった気がしたから。剣士の直感というやつだ。
「なぜ?」
一瞬目をみはったアーサーはすぐに平静を取り戻すと、落ち着いた、だが探る口調でさらに訊ね返してきた。
(なぜと訊かれても……なんとなく、じゃ、すまないよな)
フィルは横に座るアレックスをちらっと窺った。その彼に目だけですっと微笑まれて、フィルは肩を落とすと自分の直感の理由を考え始める。
状況判断を勘だけに頼るな、と、それを信じるのはかまわないが違和感を覚えたら情報を整理し、その理由を考える訓練をしろ、とアレックスに言われたのは先日のことだ。……暗に『考えなしだ』と言われたのはよくわかった。かなり落ち込んだ。
「ええと、まずあなたは私が嫌いで、」
思いつく事実から述べてみる。これは間違いない。
アーサーが鼻白み、横でアレックスがわずかに吹き出したのがわかったけど、とりあえず両方とも無視。経験上、別のことを考えたらフィルの頭は止まってしまう。
「ナシアの警護をしたがる近衛騎士はアーサー殿しかいない、と」
そうスワットソンが言っていて、アレックスもナシアは王宮では不遇だと言っていた。そんな状況で……。
「ええと、つまり、嫌いな私でも護衛に呼ばざるを得ない状況が生まれた、から?」
アレックスを見れば、苦笑しつつも頷いてくれた。及第点と言われているみたいだ。なんだか子ども扱いされている気がする。
結局、フィルの努力はアレックスによって補完された。
彼が「警備を厳重にせざるを得ないような事態もしくは懸念があれば具体的に教えて欲しい」と言い直し、それにアーサーが歯切れ悪く、「注目を浴びるようになれば、暗い感情を持つ者がいつ出てきてもおかしくない。万一に備えて、ということで理解してほしい」と答えて、それで終了となった。
二人のやり取りに、大人っぽい物言いとはこうするのか、と学習したが、先は長いとこれまたかなり落ち込んだ。
(爺さま、孫はまだまだ努力が必要なようです。でも、爺さまもあんまり考えない人だったような……)
「……」
その祖父に似ていると散々言われていた自分の将来を、フィルは思わず真剣に祖母に祈った。
* * *
それからフィルは王宮での作法を教わるために侍女頭のところに行くことになった。
ちなみに、フィルだけ――なんでも、作法などを今更学ぶ必要はアレックスにはまったくないからだそうだ。
彼は子供の頃からここに出入りしていて、そういうのが「生まれついて」身についているのだそうだ。
だから、フィルがマナーを教わっている間、彼は貴族の女の子達とお茶を楽しむそうだ。“楽しむ”、そうだ……。
ナシアの部屋を出たら、着飾った少女たちが“アレックスを”待っていて、そう言って彼を取り囲み、連れて行ってしまった。律儀なアーサーが「ああ、彼女たちはウリケル子爵の令嬢と……」と呆然とするフィルに説明してくれていたような気がするが、あいにくとまったく記憶に残っていない。残っているのは、話しかけてくる女の子たちに微笑み返すアレックスの紳士な横顔だけだ。
「……?」
肌がちりちりする感じがして、はたと立ち止まったフィルに、案内をしてくれているナシア付きの侍女のジェシーさんが「フィルさま?」と怪訝な顔を向けてきた。
(この感覚はアーサーの気配と同じ。でもこれは外側じゃなくて内側から……)
つまり、この感情はアーサーのと同じ……? そういえば、前にもどこかで似たような感じを覚えたような……。
「あの、どうかなさいましたか?」
心配そうな顔をするジェシーと目が合って、フィルは咄嗟に微笑んだ。
彼女に「すみません、なんでもないです」と謝り、他愛無い世間話を始めながら、天井の高い宮殿の廊下を進んでいく。今度アーサーとちゃんと話をしてみよう、そうすればもっと自分のことも彼のことも分かるかも、と思いながら。




