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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第7章 カザック王宮
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7-1.思惑

 その日ヘンリックは、騎士団長室に呼び出されたフィルとアレックスが戻るのを待って、彼らと共に遅い夕飯を取りに食堂に向かった。

 半分は心配、半分は野次馬根性だった。副団長に呼び出されることは騎士にとって珍しくないけれど、普段政治に関わるような裏方の仕事をしている騎士団長に呼び出される騎士は滅多にいなかったから。


「護衛? ナシュアナ王女の?」

「うん。彼女の護衛のアーサー……じゃなかった、ジオール、さま? が休みを取られる日だけ」

「……大変そうじゃない?」

 王宮は騎士団と対立する近衛騎士たちが常時たむろする場所だ。しかもフィルは先日の剣技大会でその近衛騎士たちに圧勝している。

(表彰式でも目立ちまくったし、風当たり、きついんじゃないかな。王宮は色々作法にもうるさいって言うし……)

 食事の載ったトレーを持って席に座りつつ、ヘンリックは向かいに座ったフィルを心配と共に見つめた。

「んー、どうだろう。でもナシアに会えるのは嬉しい」

 人の気も知らないで、能天気に返してくるフィルは相変わらず。彼女の左隣に着席したアレックスも苦笑している。

「俺も一緒に行くことになった」

(で、また代わりに苦労するんだ……)

 ヘンリックが思わず同情の視線を送れば、その笑いはますます深まった。


 突然背中をバンっと叩かれて、フィルは口に運んでいたスープをふき出した。恨めしそうに背後――スワットソンだ――を見上げるフィルの顔は、まるっきり少年だ。

 彼は夕食を終えて部屋に戻る途中のようだった。

「聞いたぞ、お前ら」

 そう言いながら、彼はアレックスの横に腰かける。


 剣技大会を境に、スワットソンはアレックスへの態度を一変させた。

 大会の打ち上げの晩、例によって近衛騎士と貴族の悪口を言っていたスワットソンに、「貴族と言ったって色々だと思いますよ」と、フィルがセルナディア王女とアレックスのやりとりを漏らして彼を鼻白ませた。じゃあ、ついでに、と、ヘンリックも「アレックスの実家は、建国王をお支えした文官の家系らしいですよ」と便乗してみた。

 根っから悪い人ではなさそうと思っていたけど、効果は劇的だった。酔いもあってか、自己嫌悪に落ち込んでいたスワットソンは、悪乗りした第一小隊員たちに焚き付けられ、悲壮な顔でアレックスたちの部屋に行き、泣きながらアレックスに抱きついて謝罪したという。

 ちなみにスワットソンだけじゃない。彼ほど攻撃的ではないにしても、アレックスを敬遠して遠巻きにしていた騎士たちとの距離も縮まってきている。

 四年間、団から浮いていたというアレックスを結果的に周囲に馴染ませたフィルは、自分のふきこぼしたスープを片付けるために、ブツブツ言いながら布巾を取りに行ってしまったけれど。

「しっかりやってこいよ、フォルデリーク」

 スワットソンがかしっとアレックスと肩を掴み、彼の顔をずいっと覗き込んだ。アレックスが小さく顔を引き攣らせたことに気づいたが、巻き込まれたくないヘンリックは末っ子の要領の良さを発揮し、上手く見ない振りをする。

「いいか、ナシュアナ殿下は我々の王女だ。平民出身のご母堂を持たれたが故に王宮で大変な苦労をなさっていると聞く。騎士団を代表してしっかりお守りしてこい」

「苦労?」

 王女に?という素朴な疑問が浮かんで、つい聞き返してしまったヘンリックにスワットソンは身を乗り出してきた。

 しまった、と思った時には遅かった――彼は拳を握り締めると、体躯に見合った大きな声で憤りを口にした。

「そうだとも。あのいけ好かない近衛の連中、ナシュアナ王女の護衛にはどいつもこいつも就きたがらんそうだ!」

 そうしてスワットソンの演説は始まった。


 ちなみに、その輪の外ではフィルが近寄るに近寄れず、眉を顰めて布巾を片手に立っている。顔におなか空いた、困った、と書いてあるように見えるのはきっとヘンリックの気のせいじゃない。



* * *



 宿舎の東棟三階、廊下の突き当たりの場所――自室の目の前までフィルと並んで帰って、部屋に着く直前に半歩前に出、ドアを開ける。先に彼女に入るよう、いつものように促した後アレックスが続き、後ろ手にドアを閉め……

「……」

「っ」

 鍵をかけるのとほぼ同時に、フィルを両腕の中に閉じ込めた。

 赤くなって少し戸惑ってもフィルが抵抗なく自分の胸に収まってくれる、その度にほっとする。


 一番緊張したのは多分花祭りの翌日の朝だ。一度目のキスも二度目も勢いに助けられていたから、それがない状態、しかも明るい中でフィルが見せる反応が気になった。

 その前の晩に怯えさせるようなことをしたのは完全に失敗だった。だが、その後、抱きしめた時には特に嫌がっていた様子はなかったし、触れてもいいということだとは思うが、などと考えながら、アレックスはベッドに横たわったまま、横のフィルの様子を慎重にうかがっていた。


 フィルが身を起こした気配に目を開き、ベッドから降りるとその跡を追った。それからキッチンで茶を淹れている彼女の様子を入り口から観察し、意を決して踏み出した。

「あ、おはようござ……っ」

 振り返ろうとした彼女の腹部に後ろから両腕を回して、自分へと抱き寄せた。そのまま右側の首筋に顔を埋める。びっくりしたらしいフィルが茶の容器を取り落として立った音にひやりとした。

「……」

(大丈夫、だよな……? 戸惑っているだけで……)

「フィル、おはよう」

 数拍後に希望を込めてそう判断し、彼女の名と朝の挨拶を金の髪の合い間から覗く耳へと囁きかける。

 それから、右手を彼女の顎に掛け、横から覗き込むように、艶やかな桜色の唇に自分のそれを寄せた。冷静を装っていたが、内心では拒絶されるのではないかと冷や汗を流していた。

 フィルはそれを避けないでいてくれる。唇に彼女の柔らかさを感じた瞬間、全身が歓喜に包まれた。

 彼女の左肩を引き寄せて正面に向き合い、腰に腕を添えたまま続いて二度三度と落とした口づけも受け入れられた。

 触れ合う場所から甘さが生まれていって、さらに離れ難くなり、フィルへと全神経が向かう。そうして、結局かなり長い間、何度も角度を変えては彼女の唇を啄ばんだ。

「……え、と……お、はよう、ございます……」

 キスの後、腕の中に閉じ込めたままにして見つめていたフィルが、真っ赤になって俯きながら小声で呟く。

「……っ」

「ひゃっ」

 安堵と愛しさ、喜び、全てが綯い交ぜになって声なんて出なかった。体の芯から湧き起こる衝動のまま思いっきりフィルを抱きしめる。硬直した彼女はその後、アレックスの耳元でかすかな笑い声を漏らした。それで一緒に笑って……その事実にどれだけ安堵したかわからない。


 あれからもう半月。

 フィルが自分を受け入れてくれていることを実感したくて、彼女の腰に手を添えて自分へと引き寄せ、髪の合間に指を梳き込み、緩くその頭部を拘束する。そして、体の芯から生じてくる彼女への愛しさに促されて、何度も何度も軽いキスを繰り返す。

 唇がフィルの体温を捉える度に身体に甘い痺れが走って、ますます彼女に嵌っていく。

「アレックス」

 キスの後に淡く色づいた唇から自分の名を呼ぶ声が響き、緑色の双瞳がじっと見上げてくる。

「……どうした、フィル?」

 ただ呼んでみただけだとわかっているが、だからこそ愛しい。それ故にいつもそう返す。その度にフィルが照れながら微笑むのがひどく嬉しい。

 九年思い続けてようやく手に入った――ようやく彼女に男として触れる権利を手にした、この泣きたくなるような感慨はきっとフィルには理解できないだろう。


 もちろん本音を言えば、もっと……つまりフィルの全てが欲しい。

 抱きしめたい、キスをしたい、もうそれだけじゃ足りない――こうして触れ合えば、触れ合うほどそう思うようになっていく。彼女の吐息が胸をくすぐってくる感触に、触れた場所から伝わる熱に、体の柔らかさに、漂う香りの甘さに、体の奥から原始的な衝動がすぐに湧き上がってくる。

「……お茶にするか?」

「あ、素敵です」

 またも首をもたげたそれを誤魔化そうとフィルに声をかければ、腕の中の彼女はにっこり微笑んだ。こちらの欲望に全く気付いていない――やめてくれとは思うが、もしかしたら存在自体知らないかもしれない……――というその表情に少しだけ脱力する。

 それでも、いつかのように衝動のままに求めて泣かせることはしたくないし、怯えさせたくもない。焦りそうになる度に、欲望が頭を掠める度に、アレックスはそう自制を利かせてフィルを腕の檻から解放する。

(大丈夫、フィルはここにいる。彼女に相応しくなるために、もっと努力をしなくては……)


「それにしてもナシアの人気は最近すごいですね」

 夕方、特にすることがない時はよくするように、窓際のテーブルで一緒に茶を囲む。夕刻の風が緩く吹き込む中、フィルがそう言って笑った。

「誰かさんが剣技大会で派手なことをしたせいだろう」

 にやっと笑って返せば、フィルは照れたような顔になった。


 今まで存在すらほとんど知られていなかった、平民出身の母を持つナシュアナ第二王女は、大会の表彰式で騎士団の騎士フィル・ディランに派手に忠誠を誓われ、一気の世間の耳目を集めた。

 そうなると噂はいくらでも広まる。

 曰く、貴族出身の母を持つセルナディア王女とは対照的に慎ましやかで、侍女などにも優しい。

 曰く、セルナディア王女とは対照的に大人しく、本を好む知的な王女である。

 曰く、平民である騎士への表彰を嫌がったセルナディア王女の代わりに、ナシュアナ王女がその役目を買って出た。

 曰く、その騎士に初恋中で、身分差に悩んでいる。

 一番目と二番目はいい。事実だ。四番目も気に入らないといえば気に入らないが、あまり大人気ないのもどうかと思うし、まあいい。罪はあまりない。

 問題は三番目だ。噂というにはあまりに具体的で、噂というにはあまりに罪、というより意図が透けて見える――性質ではなく具体的な言動をとりあげ、セルナディア王女を落とし、ナシュアナ王女を上げている。


「は、大事なものを忘れていた……!」

 信じられない、という顔をして、フィルは昼休みにオッズの彼女の店で買ったというケーキを取りにキッチンに戻っていった。

 騎士団で暮らし始めてしばらくした後、ケーキに凝り始めたフィルのお気に入りは相変わらずチョコレートだ。

 最初の休みの日のデート(フィルはそう思っていなかったと思うが)の際に立ち寄ったカフェで、チョコレートケーキを指差して「食べものですか?」と聞かれた時はさすがに驚いたが、それを気味悪がっているフィルに食べさせてみた時の顔は、自分だけではなく周囲も息を飲むほど可愛かった。

(そういえば九年前、別れ際に差し入れた木苺のパイにもひどく喜んでいたな)

 それらの光景を思い出してアレックスは一人笑い……ふと我に返った。左手で自分の口元を覆う。最近少し、いやかなり怪しいかもしれない。

「初夏の新作も買ってみました! アレックス、どれにします?」

 それでも顔をにこにこさせてフィルが戻ってくるのを見て、やはり笑ってしまった。


 彼女から目を離して、手にしたカップの中で微かに揺れる液体に視線を移す。

 先ほど呼び出された団長室で、アレックスとフィルは『明日王宮に上がり、ナシュアナ第二王女の警備についてアーサー・ベル・ジオールと打ち合わせを行え』と騎士団長から告げられた。

 ナシュアナが注目を浴びるようになり、護衛の必要が出てきた。だが、近衛騎士には希望者がいないから騎士団から、というところまでは理解できる。問題はなぜ自分たち、いや、フィルが指名されているか、だ。

(ナシュアナを信奉するあのアーサー・ベル・ジオールがなぜこの話を受け入れたのか……)

 アレックスの観察が正しければ、歳の差や身分はともかく、ジオールはナシュアナ王女に忠誠以外の感情を抱いているはずだ。世間で想い人と噂される男――実際にはフィルは女だが――が、彼女に近づくのを喜ぶとは思えない。

 加えて、ナシュアナがいかにフィルに懐いたと言っても、さらにはフィルが女性だと知っている(とフィルは言う)と言っても、我慢になれたあの王女が波風を起こして、フィルに警備に来いと言い出すとは思えない。


『ジュリアン、そのような者に負けるようであれば……』

 剣技大会でのセルナディア第一王女の様子を思い起こし、アレックスは目を眇めた。

(これはフェルドリックの目論見だな)

 となると、次の問題は彼がフィルをザルアナック家の娘だと気付いてのことなのかどうか、だ。

 彼がフィルを指す時は、いつだって『アルの孫娘』か『ザルアナック伯爵の娘』。知り合いだという話も一度も聞いたことがないし、アレックスも彼の興味を惹くのが嫌で、彼の前でフィルを話題にしたことはなかった。

(知っていて何らかの思惑があってのことか、知らないでただセルナディアとの関係で利用するつもりなのか……)

 考え込むアレックスの横で、フィルは行儀悪くフォークを口にしたまま、睨むように三つ目のケーキを見つめている。

 フィルの甘い物好きをよく知るジルベールに、食べすぎると太ると教えられて気にしているらしく、この前真剣な顔で「太るとどの程度体捌きが鈍ると思いますか?」とウェズ小隊長に聞いていた。溜め息をついた彼に「気にする所はそこか」と言われて、不思議そうな顔をしていたが。

 彼女の頭の中身が手に取るようにわかって、アレックスは小さく笑いを零した。フィルはこんなふうだ。フェルドリックのすることに巻き込まれないよう、重々気を払わなくては。


 アレックスはフィルが見つめていた先の小さなケーキをさっと奪って、口に放り込む。

「……」

 口を開けたフィルが情けない顔でアレックスを見てきて、思わずふき出した。

(次の休み、今奪ったケーキのお詫びを口実にフィルをデートに誘い出そう)

 そう次の休みを思い描いて笑うと、彼女を引き寄せて再び口付ける。

「!」

 ケーキより数段甘いその感触にさらに口元が緩んだ。

 幾度繰り返しても真っ赤になるのがかわいらしくて、睨まれたところで笑いは止まらないのだが。



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