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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第6章 花祭り
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6-16.暴露

 フィルとの婚約の話が進んでいるという、ロンデール公爵家の嫡男、アンドリュー・バロック・ロンデールについては噂を集めるまでもなかった。

 近衛騎士団の副団長を務める優秀な、それでいて現公爵に似ない、感じのいい男で、今年26になるはずだ。いつだったかの夜会で出会ったことがあり、その際彼は騎士団とアレックスのそこでの働きを如才なく褒め、近衛に入って欲しかったのに、と冗談めかして笑っていた。

 際立って整っていると言うほどではないが、バランスの悪くない顔立ち。そこに浮かぶ笑顔に嫌味がなくて、アレックスの実家と激しく対立する家の跡継ぎだというのに、妙に親しみを覚えた記憶がある。

 剣の腕は最上と言っていい。四年に一度の建国を記念する御前試合で、前回騎士団のウェズ第一小隊長と優勝を競っていた。ウェズにはさすがに及ばなかったが、騎士団でも十分通用する腕前で、その実力ゆえに王太子であるフェルドリックの身辺警護は彼に委ねられている。

 同じく彼の家と対立しているフェルドリックら王后派が、そうと承知で彼を身近に置いていることからも明らかなように、人格者でもあるのだろう。歳に相応しい大人の落ち着きと包容力がある。

 焦る。多分あの人との結婚はフィルを幸せにする。でも、渡したくない、絶対に――。


「……」

 祭りの最後の夜を楽しむ周囲の喧騒が、異世界の出来事のように感じられた。

 フィルの顔をすぐに見たくて、実家で夕飯を済ませるなり、足早に宿舎へと向かったというのに、今顔を合わせるのもまずい気がして、アレックスは歩速を徐々に鈍らせる。

 朝、彼女に避けられたことが蘇って、自然と眉根が寄った。自分が動揺しているのは明らかで、こんな状態で彼女に会えば、ろくなことにならないのではないか――。

 そして最後には引き寄せられるように、若者達で賑わっているだろう馴染みの酒場に足が向かった。



 * * *



 騎士団宿舎、自室の窓から北東の方向に赤い光が見えた。その場所から明るく輝く炎の花びらが上空に舞い上がり、暗い夜空に吸い込まれるように消えていく。

(そういえば、祭りの最後にナシュアナシスを祀る神殿前の広場で篝火が焚かれるって話だっけ)

 フィルは立ち上る火の粉を目で追いながら、ヘンリックがそう教えてくれたことをぼんやりと思い出した。

 神殿の周辺以外からは、対照的に賑わいが薄れていく。代わりに物寂しい、けれどどこか愛しい日常の空気が色濃く漂い始める。

 祭りが終わる――フィルはそっと視線を伏せた。


 女だということ。勘当されて、家名を名乗れなくなったということ。兄は話せることを話してみたらいい、やってごらん、多分大丈夫と言っていた。

 でも大丈夫じゃないかもしれない。男の人しかアレックスが好きじゃなかったら? 実の父に勘当されたような人間だと知られたら?

 大体、嘘つきだと思われたら? 嫌われるどころか、軽蔑されてもおかしくない。

 嘘はいけないと祖父母が言っていたから、男だとも貴族の出じゃないともできるだけ言わないようにしていたけれど、他の人から見たらそんなのは嘘と変わりないはずだ。

「でも、すべきことをしなきゃ前に進めない」

 フィルは確かめるようにつぶやくと、右の拳を胸の前でぐっと握り締め、それに左手も添えて深呼吸した。


 顔を見たい、けれど見たくない。

 ――フィルが相反する想いを抱えているアレックスはまだ帰ってこない。



 日付はとうに変わっていた。今晩の警備を担当する者が酔って門をくぐるアレックスを珍しいものを見る目つきで見ているが、露骨に無視して自室へと向かう。

(フィルはロンデール家との話を知っているだろうか? その話を知ったら? 俺から離れていく……? そのつもりだから、今朝俺を避けた……?)

 深夜の闇のせいか酔いのせいか、欠片も論理的でない思考に全身が暗く染まっている。

 フィルはもう寝ていてくれるだろう。でなければ、きっとろくでもない質問を向けてしまう。

 そう知っていたからこそ、音を立てないようにドアを開いた。だが、暗がりの向こうに窓に寄りかかるフィルの姿が見えて、息が止まった。こっちに気付いている。

「お帰りなさい、アレックス」

 いつも幸せに感じる出迎えの言葉と微笑に、顔が歪んだ。

 ――ソノセリフヲ、イツカオレイガイノオトコノタメニイウ……?

「アレックス、その、お話があります」

 フィルがゆっくり寄ってくる。

 ――イツカハナレテシマウ? ソレナライッソ……。



「っ」

(帰ってきた)

 玄関扉の向こうに気配を感じた。把手が静かに動くのがわかって、フィルはゴクリと唾を飲み込むと、緊張のまま部屋の入り口に顔を向けた。

 部屋に入ってきたアレックスの青い瞳と視線が絡んで胸が苦しくなる。なのになぜか安心もしてしまった。

(……ああ、こういうことなんだ、ほんとに好きなんだ)

「お帰りなさい、アレックス」

 そう思うともなしに思ったら、自然と笑うことができた。いつもの言葉が口から零れ出てくる。それから大きく息を吸い込んだ。

(なら、なおのことちゃんとしていこう。性別のことから話して、実家、のこともできれば)

「アレックス、その、お話があります」

 意を決して口を開いた。無言のまま彼が近寄ってくるのを、息を殺して見つめる。


「あの、私……」

 手を伸ばせば届くところまでアレックスが来て、違和感に首を捻った。

(あれ、何かが……え?)

 こっちを見つめるアレックスに表情らしい表情が見当たらない。今まで見たことがない顔に思考が奪われる。気付いたら腕をとられて彼の胸に顔を押し付けていた。

(……え、ええと)

 聞こえてくる拍動が自分のものか彼のものなのか混乱する。

「……抵抗、しないのか」

「え、あ」

 聞いたことのない暗い声音に頭が真っ白になった。背から腰へと温かくて力強い腕が巻きつき、さらに強くアレックスへと抱き寄せられて、肌が粟立った。それに戸惑う間もなく、顎に彼の長い指がかかり……唇が重なった。

 そこから熱い何かが侵入してきて、体が硬直する。今まで経験したことない感覚が全身に広がっていく。


 絡められた舌と呼気から伝わる酒の香り――まるで違う生き物のように自分の中で動く熱い舌に、勝手に体が震えだした。戸惑う余裕すらない。

(話さ、なくちゃ……)

 そう思うのに与えられる刺激と彼から伝わってくる熱に、思考が麻痺する。まるで頭の中を何かに浸食されているかのように、体と意思が切り離される。呼吸すらままならない。

 結びつきがわずかに緩くなる瞬間を見つけては距離をとろうと彼の胸を押してみるも、その度に努力は挫かれた。体の中心がじくじくと熱くなっていく。

「フィル」

 熱に浮かされたような声で名を呼ばれ、後頭部を、腰を、緩やかに、でも力強くアレックスへと引き寄せられて拘束される。その感触にますます体が痺れる。

 足にも力が入らなくなり、知らずアレックスの腕に掴まった。

「逃がさない。どこにもやらない。誰にも渡さない」

 そんな言葉が鼓膜を打った直後に音を立てて耳朶を啄まれた。びくりと体を震わせれば、直近からまるで獲物であるかのように見つめられる――いつもの優しい目じゃない、知っているはずなのに知らない視線。それに恐怖を覚えた。なのに、どこかで幸福を感じてしまった自分に気付いてさらに怯える。


「アレッ……」

 いっぱいいっぱいになって、少しだけ時間と距離が欲しいと頼もうとして、結局それすら口づけで封じられた。

 感じるのは自分の内にいる彼の感触と熱、自分のものではないかのように響く荒い呼吸となぜか艶めかしく響く水音。それらに応じるように、体を奇妙な恍惚感が満たしていく。

 立っていることが出来なくなって、崩れそうになった瞬間、アレックスが支えてくれた。それに不思議なほどの安堵を覚えて思わず彼に縋ると、ますます抵抗することが出来なくなっていった。

 不意に横抱きに抱え上げられた。が、口づけはやまない。呼吸するのがやっとで、他に何かを考える余裕はなかった。

 軽い衝撃と共に背に何かが触れて、アレックスが離れた。乱れた息のままようやく目を開ければ、昨晩のように彼が自分の体の上にまたがっていた。闇の中、青い目にじっと見つめられている。

 肉食獣のような目に焦りを覚えて、慌てて身を起こそうとすれば、頭に大きな手が落ちた。いつもと同じように柔らかく宥めるように髪を梳きあげられ、昨日と同様に顔中にキスが降る。

 優しいその感触に安堵の息を吐き出したのも束の間、アレックスが覆いかぶさってきて、左耳に温かいものが当たった。執拗にそこを舐められ、体が小刻みに痙攣し出す。

 混乱に拍車がかかる。

「ま、待ってくだ……」

「駄目だ」

 いつも聞いている甘やかしてくれるような声なのに、返ってきたのはそれと反する内容。

(……え、今駄目って……)

 それに衝撃を覚えて気付いた。今までアレックスが自分の頼みを聞いてくれなかったことはなかった、と。

 いつもと違う彼の様子に動揺する一方で、体はうなじを啄む柔らかい感触と、続いた激しい口付けをそのまま受け入れ、刺激の都度打ち震える――。

 心と体の乖離に急速に不安が広がっていく。混乱して距離をとろうとした両腕すら拘束されて、半泣きになった。

 ――コワイ。

 アレックスのことを初めてそう思った。

「っ!」

 顔にアレックスの黒髪が触れた。舌が首を這いながら徐々に下におりていく。上衣の裾から侵入してきた指が脇腹に触れた。全身に甘さに似た震えが走り、勝手に声が零れ、背がのけぞった。

(っ、だめだ)

 刺激にいちいち反応してしまう体とは裏腹に、夜着の下、徐々に上がってくる熱い手の感触に一つの事実を思い出して青ざめた。――ばれてしまう。

(それ、はいやだ、どうせ知られてしまうなら自分でちゃんと言いたい……)

「っ」

 アレックスの指が胸の膨らみを抑えている下着にかかったところで、涙が零れ落ちた。

(やだ――)

「っ、アレ、クス……」

(そんなのは嫌だ……っ)



「っ、アレ、クス……」

「っ」

 突如響いた涙声に、アレックスは跳ね上げるように顔を離した。

「……」

 視界に入ったのは闇の中でなおわかる緑の瞳。そこからポロポロと零れる液体に一気に酔いが覚めた。流れ落ちる滴に、自分のしていることの非道さを何より雄弁に詰られている気がして、顔から血の気が引いていく。

「……フィル」

(今、何をしようとしていた……? 誰より大事にしたいはずの彼女に、するべき彼女に……)

「ごめん」

 はらはらと零れ続ける涙にぎゅっと拳を握り締めて謝罪を口にすると、その滴へと唇を寄せた。だが、目尻に触れた瞬間、フィルがびくっと全身を震わせたことで、否応なく悟った。

(――怯えさせた)

 自身をぶん殴ってやりたい衝動でいっぱいになる。

「は、話、きいてくだ、さ……」

 止まることのない涙と、ベッドに横たわったまま震えて自分を見上げてくる彼女の顔に胸が掻き毟られる。

「ごめん、フィル……」

 払いのけられるのではないか、触れた瞬間にその身が強張るのではないか。

 自業自得でしかないとはいえ、その可能性に緊張しながら、アレックスは恐る恐るフィルへと手を伸ばす。

 だから抱え起こそうと背に差し込んだ腕に彼女が身を任せてくれた瞬間、安堵の息が零れ落ちた。

「本当に悪かった」

 もう一度謝りながら、そのままフィルの上半身を自らの胸へともたれかからせた。

 勝手に焦って不安になって、挙げ句フィルを怖がらせて、一体何をやっているのだろう……。


「……」

 無言のままフィルの後頭部と背を撫でながら、アレックスは自分の不安を宥める。

 フィルは自分の意思でここにいたいと言っていたじゃないか、ザルアナックとも名乗っていない、だから消えたりはしないはずだ、と。

「アレックス、」

 どれぐらいそうしていたのだろう、同様に黙ってアレックスの胸の辺りのシャツを握り締めていたフィルが、妙に硬い声音を出した。

(家の事情がどうあれ、結婚する気はフィルにはない)

「ああ」

 返事をしながら、強く抱きしめて再確認する。

(万が一そのつもりになるようなら何をしてでも止めてやる。今更俺から逃れさせてなどやらない)

「私、その、」

(フィルは俺のものだ、誰にも渡さない、絶対に――)

「女……です、よ?」

(誰にも…………ん?)

 耳が奇妙な言葉を拾った気がして、アレックスは目を瞬かせた。フィルを自分から引き離し、思わず顔を覗き込む。

「フィル?」

「だ、だめでしたか、やっぱり?」

 やっぱりとはなんだ? と思うものの、再びポロポロと流れ始めた涙を見て不覚にも笑ってしまった。フィル、未だにばれていないつもりだったのか、と。

 それを見てますます情けなさそうな顔をするフィルの額に笑ったまま口付けると、アレックスは流れ落ちた涙を再び舌と唇ですくった。

「知っている」

「…………え゛? 知って、って……え? え? い、いつから……」

 丸くなった瞳の上の目蓋にもキスを落とす。

「秘密だ」

 今はまだ、だ。だが、遠くない将来に必ず、フィルに相応しくなる。そして、彼女の思考の一片でさえ、自分を欲しがらずにいられないようにしてみせる――。

 混乱して固まったままになっている彼女を抱きしめて、その髪に顔を埋め、それから音を立ててこめかみに口付けた。

 だから、いま少しの辛抱だ。そうしたら――二重の意味で今度こそ絶対に逃がさない。



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