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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第6章 花祭り
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6-14.火種

 久しぶりに帰った実家のフォルデリーク公爵家。庭を臨む大きな窓の広がる部屋のソファに、アレックスはふてくされたように身を預けた。

 父は急用が入ったとかで、実家に足を踏み入れたアレックスと入れ違いに出て行き、母は久しぶりに帰った自分の好物を夕飯に用意させると言って調理場に下りて行っている。今頃、料理長に苦笑されながらメニューの相談をしている頃だろう。

「お帰り、アレックス……って、なんでそんな不機嫌なんだ?」

 使用人の誰かが知らせたのか、兄のスペリオスが部屋に入ってくるなり、「ようやく帰ってきたと思えば」と呆れたように呟いた。

「別に」

 そう応えたものの、アレックスに不機嫌さを隠す気にはなれない。原因は当然フィルとのことだ。


 昨晩、九年越しの想いがようやく彼女に通じた。その喜びのまま、さらに距離を縮めようとしていたのに、部屋に泣きながらなだれ込んできたスワットソンたちに邪魔された。

 どうやら彼は、騎士団を貶めるセルナディア王女に、アレックスが「同輩を愚弄するな」と言ったというのを人伝(と言っても一人しかいない……)に聞いたらしい。

 思わず天を仰いだ。本音には違いないが、まさかこんなことになるとは、と。やはり老伯爵のフィルへの加護の賜物なのだろうか……。

 酒が入って泣き上戸になったスワットソンに、今まで大人げなかったと抱きつかれたのも、嫌気に拍車をかけた。彼の出身地を考えればわからない話ではなかったし、差し迫った害を被った覚えもない。

 気にしていないから帰れと彼を引きはがそうとしていたところに、フィルが戸口から顔をのぞかせ、本気で焦った。なのに、彼女はスワットソンに抱き付かれたアレックスを見て目を丸くした後、にっこり嬉しそうに笑った……。

 仲良くなったとでも思って喜んでくれたのだろうが、複雑以外の表現ができず脱力した瞬間、気付いたのだ――いつもいつもこうやってフィルのペースに戻されている。

 まずい、さっさと追い返して続きを、と急いたところへ、それまで黙ってスワットソンの背後にいたウェズ小隊長ら第一小隊員たちが酒瓶を取り出して見せ……彼らの顔に浮かんだ笑みにすべてを察した。絶対にわざとだ、スワットソンを焚き付けたのも絶対こいつらだ、と。

 中でも腹立たしかったのは、あの中で一番事情を知っているはずのオッズだ。 「フィル、いいよな、一緒に飲もうぜ」とよりにもよって言いやがった。

 さらに何が残酷かといって、当のフィルがそれに迷いゼロで即頷いたことだろう。その後、不思議そうに首を傾げているのを見て、アレックスは悲しくも悟った――逃げられた、しかもまた無意識だ、と。

 彼女がそれほどまでのことをいまいち理解していないのは予想できた。だが、同時に、体感で受け入れてくれることも確かめた。その差異に本人が気付いて深く考え出す前のあんな時間、率直に言ってしまえば、好機はもう二度とこない。

 自分にフィルを手に入れる資格があるとは、確かにまだ思っていないが、フィルを欲しいとずっと切実に望んできたのだ。彼女が受け入れてくれるなら、と密かに願ってきたのに、せっかくの機会がみすみす……。

 なんせ宴会場と化した部屋で酒を飲みながら、オッズを手酷く酔いつぶしてやったことぐらい当然だと主張する。最終日にケーキ屋の彼女とデートだと言っていたから、せいぜい彼女に白い目で見られて呆れられればいい。

 

 そうして迎えた明け方、やっと帰っていった彼らを見送った後、少しの期待を持って部屋に戻れば、フィルは抱きしめることもキスすることも出来ないくらい、毛布にすっぽりきっちり蓑虫のように包まってうつ伏せに寝ていた。

 人がいる時は彼女の寝顔を他の男に見せなくて済むことに安堵していたのだが、声をかけても揺り動かしても頭をつついても起きない彼女に思ってしまった――……わざとか?と。

 さらに、三時間後珍しく寝坊して起きたフィルは、アレックスと目が合うなり、後方へ飛び上がった。

 そして、「あ、朝練したくなりましたっ」と言い訳にもならないようなことを言って、顔も洗わずに部屋を飛び出していき……戻ってこなかった。

 ……どこまで理解しているかはともかく、故意でないわけはないと思う。単純に照れているだけならいいのだが、フィルの考えることはわからないから、どこまでも恐ろしい……。


「お茶をお持ちいたしました」

 茶を運んできた、馴染みのない侍女が顔を真っ赤にして、兄と自分の前に茶器を並べていくのを見て、アレックスは自分付きの侍女だったシェリーを懐かしく思い出す。

 ザルアにまで一緒に行ってくれた面倒見と気のいい彼女は、代々フォルデリーク家の執事を務めてくれている家の息子と結婚して、フィルがカザレナに戻ってくるのと入れ違いで、海岸地方の領地に行ってしまった。

 ザルアで彼女はフィルを怒りまくっていたけれど、こっちに帰ってからも「あの子、今頃死んでないかしら、無茶ばかりするから」とずっと心配していた。会わせてやれたら、きっと二人とも喜んだだろうに。

 

(その上、これだからな……)

 アレックスはソファの上で身を起こすと茶に手を伸ばし、とことん間が悪い、とため息を零した。

 フィルの実家について訊ねようと、ザルアナック伯爵と親交のあった父を訪ねたのに、その父すらも捕まえられない。

 

「そういえばアレックス、お前、ザルアナック伯爵の娘の、ええとフィル、だっけ? と面識があるだろう?」

 自分の思考を占めている人の名が、対面のソファに座った兄の口から出て、息が止まった。手に持った茶のカップを取り落としそうになる。

「ある、が……なぜ?」

「ほら、昨日のザルアナック伯爵との会話で思い出したんだけど、あそこの妹も体が弱くてずっとザルアにいるって話だろ? お前、そういえばザルアに行ってから毎年夏に贈り物を届けていたなって」

 フィルの兄はともかく、フィルが病弱ということは絶対に無い。

 魔物が出る森の中を駆け回り、服を着たまま湖に飛び込み、大人が躊躇する山の中に日常的に入り浸っては、嬉々として怪しげなキノコやら毒蛇やらを集めていた。

 ただ、社交の場に一切姿を見せない彼女を世間が適当にそう言っているのだ。最初に聞いた時は呆れ、笑いを堪えるのにひどく苦労したものだったが……。

(なぜ今更話題に……)

 アレックスはそれとなく兄の様子を窺う。

 フィルの母は今でも人の口の端にのぼるほど美しい人だったらしく、娘である彼女は一昔前まで社交界の話題の中心だった。しかも彼女の実家は政治・経済共に相当な力を持っている。先代アル・ド・ザルアナックが建国王アドリオットと近しかったこともあって、彼女は王太子であるフェルドリックの最有力の后がねと取り沙汰されていた。だが、いつまで経っても姿を顕さないために最近ではみなの興味も冷めてきていて、噂の的になる機会など滅多に無かったはずなのに。

「それが?」

 疑問と同時に生じた動揺を隠し、アレックスは平静を装った。

 フィルの置かれた立場がわからなければ、兄にも手のうちを見せてはいけない。アレックスを含めた家族にだけは甘いものの、彼は敵に回ればこれほど厄介な相手はいないと断言できる性質だ。父母が親友の娘であるフィルを気にしていて好意的なのは知っているが、兄はわからないし、特に最近の彼は自分にも理解できないことが増えた。

 アレックスは彼に不審に思われないよう、自然さを取り繕いながら茶のカップを口へと運ぶ。兄はそんなアレックスに気を払うことなく、肩を竦めた。

「ロンデール公爵家の跡継ぎと縁談が持ち上がっていると噂になっているから。誰も見たことのない建国の英雄の孫、母親のシンディ殿は美の女神の再来とまで言われた方だし、話題性は十分さ」

「……縁談? フィル、と、ロンデール家?」

 演技も忘れ、愕然とした。

「ロンデール公爵家は王権交代の際にうまく立ち回ったお陰で今なお存在しているけれど、王家からも国民からも信頼されていなくて権勢は陰り気味」

 兄はさほど面白くもなさそうに話しながら茶を口にすると、おそらくはその中身の熱さに眉を顰めた。早く話せと続きを促しそうになって、何とかそれを飲み込む。

「対するザルアナック伯爵家は新興の貴族で、先代アル・ド・サルアナックは現王朝建国王の親友かつ平民出の英雄だからね。しかも現伯爵は先代とは違って財の形成にも政治にも熱心だし、事実有能ときてる。ロンデールはなんとしてもこの縁談をまとめたがっているようだよ」

「正式な話なのか」

 抑えなくては、と思っているのに、声が尖ったことを自覚する。

「直接確認した訳じゃないけど、打診は既にあるらしい。ロンデール家ともなれば、彼女とフェルドリック殿下との婚約話だって、牽制の意味を成さない……というより、むしろ邪魔しにかかるだろうね。お互いに都合がいいからって噂を放置してきたのが裏目に出てきてるのかな」

「お互いにというより完全にリックの都合だ」

 綻び一つない完璧な微笑みを湛えて、フィルとの婚約話の真偽を上手くかわしていた従兄の顔を思い浮かべ、アレックスは強く眉を寄せた。

(あいつはおそらく知っている。その上で手を打っていないとなると、何か考えがあるということか……)

 次いでフィルを指して「価値があると思うか」と笑った彼女の父を思い出した。奥歯がギリっ音を立てる。

「ザルアナック伯爵は……?」

(まさか、それを受けた上でのあの発言なのか……?)

「さあ。まあ、普通、娘の相手が公爵家の跡取りとなったら反対する理由は無いだろうけど。しかも、ロンデールをこちら側に取り込めるとなれば尚更、ね。彼女にだって悪い話じゃないだろう?」

 兄の言葉にアレックスはついに顔を歪めた。

 自分の実家と肩を並べる公爵家の嫡男――政治的にも悪い話ではないどころではないだろう。何より……、

(フィルにとって、悪い話ではないのかもしれない――)

 その発想にアレックスは思わず左手で口元を押さえ、床へと視線を落とした。

(この先フィルはどうする気なのだろう? 女性だと隠したまま、ザルアナックの出身だと隠したまま、ずっと俺の側に……? そうあって欲しいと思うが、この話を聞いたら彼女はどう考えるのだろう……?)

 居場所がないと言って泣いた彼女の顔がまたもや脳裏にちらついて、アレックスは唇を引き結んだ。




 ソファの背もたれへと身を沈めたスペリオスは、カップを手にして考え込む弟の姿をじっくり観察する。彼の空気がビリビリと張り詰め始めたのを見てとり、思惑通りに事が運んでいることを確信する。

 表情どころか感情さえもコントロールすることに長けている弟だが、昔から彼女に関わる時だけはその沈着さを失う。

 妹としか思えなかった病弱な彼は十年経った今、その面影をほとんど無くした。穏やかで、すべてを悟ったかのように何もかを諦めていたのに、今でははっきり自己主張し、その通りにしようと行動するようになった。彼女はそれほどの影響を彼に与えた。

 今となっては姿形だけはスぺリオスに似るようになったが、内面は全く異なっている。自分にも他者にも嘘を許さない強い目線、己の意志をまっすぐ貫く芯の強さと、他者の気持ちを推し量り、なるべくそれを尊重しようとする優しさは自分にはない。

 すまないな、と思いつつ、スペリオスは弟を見つめた。

 自分の予想が正しければ、自分がしようとしていることは、彼をより困難な状況に引き込むことになるだろう。彼は兄である自分と、あの彼女のためにきっとそうする。

 彼の優しさに付け込む自分の卑劣さに苦笑して、スペリオスはそっと息を吐き出した。

 だが、これが自分の生き方だ。自分にも欲する人がいる。自分もまたその彼女のためならば、手段を選ぶ気は無いのだから。



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