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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第6章 花祭り
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6-13.歯車

(爺さま、ごめんなさい。孫は剣士にあるまじきことをしてしまいました……)

 

 祭りの最終日は、本来なら嬉しいことにお休み。

 今日も外は爽やかに晴れ渡っていて、人々は祭り最後の日を心ゆくまで楽しもうと街と共に陽気に賑わっている。

 そんな中で眉をひそめて俯いたまま、とぼとぼと一人通りを歩いているフィルの姿ははっきりきっぱり周囲から浮いていた。

 

 その原因となっている、あるまじき事とは即ち……逃げ。剣士の恥辱である。

 

 昨夜あれから部屋に大きく響いたのはノックの音。

 鳴り止まないその音に舌打ちをしたアレックスが応対に出て、フィルもなんとなくその後ろについていって、様子をうかがってみた。

 彼の向こうに見えたのは、アレックスの同期で、彼とあまり仲の良くなかったスワットソンさんと、ウェズ小隊長をはじめとする我らが仲間、第一小隊員達だった。

 そしてなぜかアレックスは、これまたなぜか泣いているスワットソンさんに抱きつかれていた。

 アレックスが、彼には珍しく露骨に嫌そうな顔をして彼らを追い返そうとしていたというのに、なんとなく彼らに居てもらったほうがいいような気がして、「フィル、いいよな、一緒に飲もうぜ」とオッズに言われた瞬間、即頷いてしまった。

 仲間達が爆笑していた気がしなくもないが、その直後のアレックスの顔は見てはいけない気がしたので、フィルは見ていない。

 そのまま部屋は宴会場になって、それまでの緊張が解けたフィルはすっぽり毛布に包まって寝入ってしまった。

 

 なんだかやっぱりよくわからないが、自分の一連の行動は逃避の固まりだったような気がする。ちなみに何から逃げたのか、それもよくわからないが、剣士の勘が『危険』と言っていたから、きっと自分はそれを回避したのだろう。この辺の感性はありがたいと言えなくもないのだが……。

 

 で、今日の朝――。

 フィルはアレックスと目が合うなり、今度は疑いの余地はどこにもないままに逃げ出した。

 なんだろう、彼の顔を見た瞬間にそうしなくてはいけない気がした。だって、あんな目で見られたらどんな顔をしたらいいかわからないし、仕方のないことだ……と思いたい。

 そして部屋に戻るに戻れなくて困っていたところに、タイミングよく事務の人に声をかけられた。「あんたの兄さんって人から外で会えないかって連絡があったよ」と。

 「兄さまから?」と一瞬頭が真っ白になったが、受け取ったメモの字は確かに手紙のやり取りを通じて親しんだ彼のものだった。

(兄さまが私に会うことを許した? あの父が……)

 逡巡はしたけれど、できれば彼には会いたい。このままアレックスと一緒にいてもおかしくなるだけという気もして、フィルは結局メモに記されていた場所に向かっている。


「兄さまに相談してみようか……」

 何かが最近おかしいんだ、と。六つも年上の、賢くて優しい彼なら自分の混乱を上手く説明してくれるかもしれない。

「……うん、そうしよう」

 そう決めたら少しだけ余裕が出てきてフィルは大きく息を吸い込み、周囲へと今日初めて意識を向けた。

 街は昨日までと変わらずに華やか。けれど賑わいの中に祭りの終焉が見え隠れするような気がする。

 そしてはしゃいでいる人々もどこかでそれを意識しているのだろう。陽気さの他に一抹のもの悲しさが漂っているように思う。こうして祭りは終わりに向かい、人々は日常へ戻っていくのかもしれない。

 

 ふと視線を向けた路地に、体を寄せ合う男女の姿が見えた。

 潤んだ瞳で青年の顔を見上げているのは、フィルと同じくらいの年の女性で、色づいたその唇に男性のキスが落ちる。

「っ」

 ……寸前で、フィルはその場を全力で走り去った。していた本人たちより絶対に赤い顔で。

 せっかく取り戻した落ち着きが台無しになった、それもまた確かだった。

 

 兄との待ち合わせ場所である中央広場に息を切らせてたどり着いた。肩で息をするうちに脳裏に思い浮かんできたのは、逃げ出したはずのさきほどの光景。

(あれってそういうキス、なのかな……となると、昨日のは……)

 「……っ」

 昨晩のことを思い出して、今度は指先まで朱に染めた。

「もうやだ……」

 情けない顔で思わず愚痴る。

 最近アレックスが絡むと本当におかしい。目が合うと心臓が跳ねる。手を握られて緊張して汗をかく。名を呼ばれれば顔が赤くなるし、側に立たれると居心地が悪くなる。抱きしめられるとおかしいんじゃないかと思うくらいドキドキして、何も考えられなくなる。

 なのに……なのに、離れたくない。側にいたい。いて欲しい。

 昨日だってセルナディア王女とアレックスのことを考えてしまって彼を避けていたはずなのに、結局ふらふらと彼に会いに行ったし……。

「いつか死ぬかもしれない……」

 思い出してまた恥ずかしくなって、フィルは一人呻き声を上げた。


 寝ていたアレックスに不用意に近づいて――剣士にそんなことをしてはいけないと祖父に言われていたのに――触ろうとした時から既に自分はおかしかった、と思う。

 抑えられた腕もその気になれば振り払えたと思うけど、その発想がまったくなかったように思う。

 落とされる唇も避けようと思えば避けられたのに、結局自分はそうはしなかった。

 「……」

 でも……嬉しかったのも本当だ。

 アレックスに『フィルだけだ』と言われて、あんなに感動するとは、安心するとは思わなかった。彼の視線に、すぐ近くで響く呼吸の音に、触れ合う唇の、肌の温もりに、全身が痺れた。

 気付けば何が起きているのかを考えることすらままならなくなっていて、誰にも触れられたことのない、というより触れられることがあるなんて想像すらしていなかった口内へアレックスが……。

「……っ」

 思い返すうちにあの時と同じ、鳥肌が立つような感覚を覚えてフィルは無意識に腕をさすった。

 あの後、髪から漂ってきたアレックスの香りに包まれて、首に吐息と共に彼の唇が落ちて……あの時、何を感じた?

 あの後すぐスワットソンさんが部屋をノックして、アレックスが舌打ちしながら自分から離れた時、何を思った?

(離れて欲しくないと思って、それから、もっと……)

「……もっ、と……?」

(も、もっと? っ、もっとってなにっ!?)

 そこにポンッと肩を叩かれて、「ぎゃあ!」と叫んだのは剣士として失格だと言っていい。祖父なら今度こそこめかみに青筋を立てて怒っていたことだろう……。



* * *



 相変わらず顔の赤いフィルの目の前で、春の優しい風に真っ直ぐな金色の髪を揺らせて、美しい青年がくすくすと笑っている。

「変わったのか変わってないのか。相変わらず楽しいね、フィル」

「それ、褒めてないと思う……」

 今フィルたちのいるカフェは、デラウェール王立図書館のほど近く、古本屋が立ち並ぶ裏通りにひっそりとある。

 そこのテラスのテーブルに兄と共に座ったフィルの耳に、祭りの喧騒が遠く響いてきた。

 こちらを見つめている目の形は自分とそっくりだと思うのに、何となく気恥ずかしいのは、彼があまりに奇麗だからだろう。抜けるように白い肌と紫色の神秘的な瞳、それを縁取る、けぶるような長くて密な金色の睫。鼻筋はちゃんと通っているのに無骨な感じはまったくなくて、その下の唇は紅を落としでもしたかのように鮮やかに色づいている。

「そう? 僕は好きだけどな」

 変わっていないのは兄のほうだった。穏やかな声で、そんな嬉しくなるようなことを言ってくれる。卵形の白い顔には柔らかい微笑が湛えられていて、向けられる目もすごく優しい。

 背こそフィルより少し高いものの、全体的に華奢な体格でどこか儚げ。一年ほど前に別れた時よりさらに美人度に拍車をかかっている。

 喰いつかれるのではないかという強さで周囲から注がれる視線が気にならないと言えば嘘になるが、常々自分より絶対に圧倒的に美人だと思っている彼を久しぶりに前にして、フィルはにっこり微笑んだ。カザレナの街中で、こんな風に彼とお茶が出来る日が来るなんて思ってもみなかった。

 

「にいさ、……ラーナックさま、体の具合は……」

「大丈夫だよ」

 関わりを悟られるなと父に言い渡されたことを思い出してそう声をかけると、兄は女神のように美しい顔を一瞬悲しそうに歪ませた。

「西の大陸から伝わってきた薬のお陰でね、今はすっかり良くなったんだ。昨日の大会も父さまと見に行こうとしたのだけれど、彼に止められてね」

 「とう、……あの人、が昨日の試合を……」

 ラーナックは「本当に過保護だよね」と苦笑したが、フィルのほうは血の気が引いた。

(いた、のか、あの場に、あの人が……?)

 一体あの人は自分をどのように見ていたのだろう、と体を震わせ、昨日気がつかなくて良かった、と心底思った。情けないとは思うが、あの人と対峙した後に普通に剣を振るう自信は無い。

「……」

 ラーナックは口を開きかけて、だが思い直したように再びその口を噤む。


「お待たせいたしました」

 白いレースが印象的な制服を纏った給仕の女性が緊張した面持ちで、二人の座るテラスへと茶を運んできた。

「ありがとう」

 なぜか悲しげに考え込む兄に代わって、フィルは祖母に徹底された習慣通り咄嗟に笑みを顔に浮かべ、それを受け取った。女性は真っ赤になって逃げるように奥へと入っていく。


 再び静寂が戻った。図書館近くだからだろう、祭りの喧騒は遠く、建物の間を飛び交う小鳥の声が聞こえてくる。

「僕が丈夫であれば、よかったのに」

 そっとカップを手にし、茶を一口含んでから、ラーナックが小声で呟いた。フィルは彼を凝視し、首を傾げる。

「? 今は良くなったのでしょう?」

「小さい頃、僕さえ丈夫であれば、僕が剣をお祖父さまに習っていて、フィルも今頃……そうであれば、父さまもこんな風には」

 やはり彼は優しい。その優しさは嬉しいのだけれど、とフィルはその兄へと苦笑を零した。

「あの人は気に入らないでしょうが……私はこれで良かったと思ってます」

 未だに不安はいっぱいある。性別と生まれを隠したままの自分、自分はここに居ていいのかという疑問、居たいと願った場所に本当に受け入れてもらえるのかという恐怖――そのすべてはまだ解決していない。

 でも……それでもここで頑張ってみたい。剣を握ったまま、ここで生きてみたい。

 

 昔、言われたことがある。

 女の身でありながら、英雄の孫と持ち上げられて、言われるまま剣を習って人生を無駄にしている、と。そして、それがわかっていないフィルはどうしようもなく愚かだとひどく蔑まれた。

「他とは色々違うのだろうとは思います。でも……私の幸せは私が決めます。だから、どこにどう居るかは自分で決めたい」

 あの時は泣くのをこらえて睨み返すのが精一杯だったけれど、今なら言い返せるような気がする。そうして努力を重ねていって、いつかはあの人にも。

「だから、私の幸せを兄さまが量って嘆いてくださらなくてもいいんです」

 大事な人を守れる力が欲しくて、剣を持ち続けることを決めたのは自分なのだから――。

 紫色の瞳と視線が交差して、フィルは茶化すように笑った。

「第一、十五にもなっていたのに、私のすり傷を見て失神していた人が何を仰ってるんです?」

「……それもそうだ」

 そのフィルをじっと見つめていた兄は、そう呟いてようやく少し笑った。

 

 

 

(気付いていてそうなのか、気付いていなくてもそうなのか――)

 こちらが気を使うと茶化しながら上手くかわすあたりに、変わらない妹らしさを認めてラーナックは笑った。内心でそれはすぐに苦いものに変わったが、細心の注意を払ってフィルには悟られないようにする。

 そう、彼女は知らない――小さい頃だけじゃない。今の自分も、そして未来の自分も彼女を犠牲にしうる。

 けれど、それを話すことも謝ることも出来ない。そうすれば彼女はさらに犠牲を――恐らく犠牲だとすら思わずに――自分に強いるだろうから。

 

 それでも内心の葛藤が顔に出てしまったのかもしれない。こちらの顔を覗き込み、具合が悪くなったのか、寒いのかと目の前のフィルが慌て出す。

「これ、これ着てください。大丈夫、私は頑丈ですから。って、この間久々に熱を出しました。けど、それも一晩寝たらすっかり元通りで!」

 急いで上着を脱ぎ、差し出してくる妹にラーナックは目を細めた。

 昔から優しい子だった。それは変わらない。けれど、年に数ヶ月しか会っていなかった彼女はここに来てさらに遠ざかり、大人になってしまった。

 それに引きかえ……自分はどうだ?

(何かこの子にしてやれることはないのだろうか……)


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