6-11.誤解
剣技大会でのフィルの優勝、しかも圧勝は言わずもがな、その他の出場者も例年に無い勝率――フィル他五名が一回戦を制し、そのうちエドが二勝、カイトにいたっては準決勝でジュリアン・セント・ミレイヌ相手に判定に持ち込んだ――を見せたとあって、花祭り六日目の夜の騎士団の宿舎は、いつにもましてにぎやかだ。
中心はやはり優勝者のフィルで、試合の完勝ぶりやナシュアナ第二王女への忠誠の儀をネタに、酔っ払った騎士たちに囲まれている。
幹部も咎める気が無いらしく、日勤を終えて戻ってきた者を含めて、宿舎は日が変わろうとする今でも陽気にざわついていた。
「なあ、おい、あれ……逆戻りしてないか、アレックス」
第一小隊員の一人が、人垣から外れ、談話室の端で一人グラスを手にしているアレックスを見て、仲間の袖を引いた。
「いや、前よりひどいだろ。めっちゃ不機嫌じゃん。イオニア補佐、声かけてやってくださいよ、元相方でしょ?」
「い、や、あの雰囲気は俺にはちょっと……オッズ、お前行け」
「あー、さっきちょっとからかったらマジで殺されそうな視線が返ってきて……あれは俺でも洒落にならない」
「……フィルだ、あいつならいける」
「あほか、そもそもアレックスがああなったのは、フィルが原因だろ? それ以外であいつがあんなふうになるわけねえよ」
「喧嘩でもしたのかねえ、迷惑な……」
――唯一、ピリピリとしたアレックスの周囲だけが例外であるが。
(完全に避けられている)
フィルを見つめていたアレックスは、そう確信して目を眇めた。
大会で優勝したフィルが最初に喜びを見せたのが自分だったことは、アレックスにとってこの上なく幸せなことだった。
寸前のザルアナック伯爵とのやりとりでささくれ立っていた気分は、「嬉しい!」と書いてある顔を彼女に向けられた瞬間、嘘のように和らいだ。
その顔のまま自分へと走ってくる彼女に、ザルアでの日々を思い出し、自然に笑顔がこぼれた。昔とまったく同じように抱きつかれた瞬間は、さすがに「やっぱり意識されてない……」と複雑になったが、抱きしめ返したところをヘンリックとカイトを見られたのも上々だった。
同性を好むと噂されようと、相手がフィルであれば一向に構わない。九年前、最初に恋心を自覚した時にはフィルを男だと思っていたから、常識ある少年らしく悩んだが、最終的にはそれでもかまわないと思い切った。幸いにその後女性だと知ったわけだが、自分のフィルへの執着振りを客観的に考えると苦笑するより他にない。
(……まただ)
またも人垣の向こうのフィルと目が合った。だが、今を含めた数え切れないほどの視線の交差は、いつも彼女が逸らして終わる。
表彰式を待つ控室で、フィルの同期たちが去年までのことを話し始めてから、彼女は微妙に落ち着きをなくした。決定打は恐らくエドワード。一瞬だけこちらを見た彼はフィルと小声で何かを話して、そこからフィルの空気が変わったような気がする。
怪訝に思って話しかけようとした瞬間に、彼女は礼装用の制服に着替えると言って部屋を出て行ってしまった。それでも表彰式では相変わらずだったから気のせいかと思っていたのに、戻ってきたフィルはアレックスを見るなり一切の表情をなくし……それからだ。アレックスは完全に彼女に避けられている。
(エドワードが例の噂を鵜呑みにしてフィルに吹き込んだか……)
だとすれば、まずい。初日のことがあった後だ。誤解を招いている可能性が高い。
「……」
酒を盛られて騒ぎ飲むエドワードを横目で睨み、アレックスは苛々と前髪をかき上げた。
よりにもよってあのセルナディアだ。そんな噂が出ていることは知っていたが、政治的にも個人的にもありえない話だったから、馬鹿馬鹿しいと放置していたのが裏目に出ているらしい。初日にあれが自分に寄って来たのをフィルに見られて逃げられ、その後何とか修復したところだったのに。
競りあがってくる不快感と不安をなんとかしようと、手元のグラスを呷れば、中の氷が崩れ、澄んだ音を立てた。
(フィルのあの態度……嫉妬なら嬉しいが、修復不可能になるのは絶対に勘弁して欲しい)
アレックスは酒の匂いを含んだ呼気を長々と吐き出す。
ついでに、『お幸せに』などとでも言われようものなら――切ないことに、フィルなら言いそうな気がしなくもない――立ち直れないどころではもう絶対にすまない。今度こそ歯止めがきかなくなる。俺が愛しているのはフィルだ、なぜ理解しないと理不尽に詰ってしまうだろう。
それだけで済めばいい。もしかしたら――。
(……そんな真似を許すな)
酔った数人がフィルの肩やら頭やらを叩いていることがひどく癇に障って、つい眉を顰めた。
周り全員を押しのけて、フィルに触れるな、と告げる――そんな願望を衝動のままに実行しそうになる。
『私の居る所なんて、また無くなってしまう、ここしかない、のに……』
だが、半歩踏み出したところで、居場所がないと嘆いた泣き顔を思い出し、立ち止まった。
「……」
空いたほうの拳をぐっと握り、天井を仰いでもう一度息を吐き出す。
(……帰ろう)
酒のせいか、どうもかなり理性が弱まっている。何かしでかして彼女を悲しませる前に、とアレックスは静かにその場を離れ、自室に向かった。
どんな態度をとったらいいかわからない。いつものように側で話したいのに、実際にアレックスの顔を見るとセルナディア王女の顔がちらついて、居たたまれない気分になってしまう。
「……」
もう何度目だろう、自分に向けられたアレックスの青色の瞳から、フィルは咄嗟に顔を背けた。
アレックスは四回剣技大会で優勝して、大衆の面前で四回彼女とキスをした。王都の人たちはアレックスとセルナディア王女はだから「特別な関係」だと気付いている――花祭りの初日に王女がアレックスに抱きついた時の光景が何度も甦って、その度に呼吸が苦しくなる。
あの後、彼がいなくなったフィルを探して図書館に来てくれて、本当に嬉しかった。でもそれはただ放っておけなかっただけかもしれない。優しい人だから街に慣れていないフィルを心配した、もしくは街を案内するという約束や、リアニ亭に一緒に顔を出すという約束を守っただけのことで……。
「決勝戦の三戦目、不意打ちされたじゃん。不利になるかと思って焦ったけど、あっさり状況を変えたし、ほんとにすごかった」
「ナシュアナ王女への忠誠の後、大騒ぎだったんだぞ。女の子たちが退場口に待ち伏せててさあ。ちくしょー、お前ばっかモテやがって」
ねじれて弱っていく心と裏腹に、フィルは周囲から数え切れないほど振ってくるねぎらいに礼を述べ、ナシアへの忠誠の儀を揶揄する声に笑って答える。
(アレックスには好きな人がいるという話だった。でも、それが誰かわからないって。詳しくは知らないけど、爺さまが王さまとか王子さまのことを「この世で最もめんどくさい職業」と言っていたし、王女さまもきっと……)
だからなのだろうか? 彼女の立場を考えて付き合っていることを内緒にしている?
(それほど彼女が大事ってこと……)
「……」
自分で思いついたその考えに泣きそうになった。
(……いない。部屋に戻ったのかな)
日も変わる頃、遠くであってもずっとフィルの視界に入っていたアレックスが消えた。そう気付いた途端に心細くなる。
一緒に居たいけど、苦しいから居たくない。居たくないけど、一緒に居てくれないと苦しい。
(一体何なんだろう……)
自分でもよくわからない感情に、フィルは困惑と共に顔を歪める。
「アレックス……」
息苦しさを何とかしたくて小さく呟いてしまった彼の名が、自分の耳に入った。その音がこれまでのグダグダな物想いをなぜか押し流す。
(……顔、やっぱり見たい。それでやっぱり側に居たい……)
意識が離れた場所に居る彼だけに向いていく。
そうしてフィルは引き止める周囲に「少し疲れたから」と言い訳し、自室へと足を踏み出した。




