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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第6章 花祭り
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6-9.看取

(あのように笑うのか、あの娘は)

 ああして笑うと、亡き妻シンディの面影が漂う。

 ぎこちない笑い顔と涙を堪えて自分を睨みつける顔しか見たことのなかったステファン・ド・ザルアナックは、驚きを覚えた自分に失笑を漏らした。

「……」

 熱狂する観衆から目を逸らした娘の視線を辿り、先ほど自分に強い視線を向けてきた青年の姿を見つける。あの彼が十年前、病のために外に出ることもままならなかった少年とは、本人が言い出すまでまったくわからなかった。


(すべて諦めるか、すべて手に入れるか――)

 ステファンは長く重々しい息を吐き出す。

 アレクサンダー・エル・フォルデリークの持つ視線は、ステファンが最も尊敬し、同時に畏怖して嫌悪した父、アル・ド・ザルアナックのものとよく似ていた。

 こちらの心の底まで見透かすように隙がなく、こちらに言い訳をする気を失わせる程に強い瞳――そこに息づく、己をまっすぐ貫く者の持つ真摯さと正直さが、自分のような者には忌々しい。

 

 娘はその青年の下へと、やはり自分には決して見せたことのない顔と足取りで走っていく。

「……」

(たった一つだ。あの時、ただ一つだけ歯車が異なったように噛んでいれば、自分にもあの娘にもあるいは――)

「……馬鹿馬鹿しい」

 それを繰り言でしかないと飲み込むと、ステファンは冷えた視線のまま、静かに席を立った。



 * * *



 剣技大会の表彰式を待つ王族のための広間には、当初の予想に反してまばらにしか人が見当たらない。

 昨年までのように優勝者が貴族ゆかりの者であれば、表彰式を待つこの場も社交の場となるが、平民ではあまり意味がない。それゆえ、ほとんどの貴族は騎士団所属の者の優勝が決まると同時に会場を引き上げていった。

 しかもカザック国王は人払いしてコレクト騎士団長とともに別室にいて、残っているのは太子フェルドリックと彼に近づこうという物好き、第一王女セルナディアとその取り巻き、第二王女であるナシュアナとその騎士アーサーぐらいだ。

 

「耐えられないわ。あんな身の上の卑しい者に近寄るなど」

 その控えの間の中央で、セルナディアが顔を顰めている。

 剣技大会では、王女が優勝者に花冠と祝福のキスを授けるという習慣がある。大会前セルナディアはナシュアナの存在を完全に無視し、その役目を当然のように自分の物として、張り切って衣装やらなにやらに散財し尽くしていたというのに。

 離れた場所で異母妹の声を耳にして、フェルドリックは内心で唾棄する。が、自分を囲む者たちにそれを悟らせるような下手はもちろん打たない。

「お気持ちお察しいたしますわ、セルナディアさま。でも……あの方、少し、少しだけですけど、素敵じゃありません?」

 彼女の取り巻きの一人である侯爵家の次女が口火を切った。

「ええ、平民のわりに優雅でしたし、礼儀もきちんとしていらして」

「それに顔立ちも姿も……」

 顔を赤くしながら口々に語り出す同じ年頃の少女たちに、同席する少年たちは不満の色を浮かべ、セルナディアは動揺したように視線を揺らした。

 心中で思っていたことを言い当てられた、というところだろう。彼女の性格からして本当に嫌であれば、今頃義務も何もかも無視して城に引き上げている。

 それでもセルナディアは矜持――それ自体勘違いも甚だしいのだが――を崩すまい、と渋っているふりをする。

「ま、まあ、花冠を授けるくらいならば。でもキスはできないわ。どう考えても彼には不相応です」

 それはそうですね、などと頷く連中を見て、フェルドリックはついに視線を尖らせた。

(あの騎士の人気を見ていなかったのか、あの発言に続いてそんなことをしてみろ、民衆がどう反応すると思っているんだ)

 そろそろ釘を刺さなくては、とそちらに顔を向けたところで、アーサーと二人、窓際にいたはずのナシュアナがセルナディアに歩み寄るのが見えた。


 ナシュアナの母は平民の出だ。内気な美しい人だったと記憶しているが、それゆえ正后であるフェルドリックの母と、特に旧王朝から続く大貴族出身である第二夫人との競合に耐えられなかったのだろう、ナシュアナを産んで早々に亡くなった。

 残された彼女には後ろ盾も財もなく、一年前にアーサーを付けてやるまで護衛すらいない有り様だった。彼女付きの侍女の数などセルナディアの十分の一以下、今なおおよそ王女とは思えない扱いが続いている。

 そういうフェルドリックも彼女とは縁が薄い。存在を認識してはいるが、敢えて接触しないようしてきた。頭は悪くなく、優しい性格でもあるようだが、いかんせん気が弱すぎる。怯えるようにこちらをうかがい、自分を守るだけの気力すらない者と親しくしても、お互い百害あって一利なしだ、と。


 そんなナシュアナは、これまで剣技大会のような公式の場に姿を現すことも稀だった。しかも今この場に残り、さらには苦手にしているはずのセルナディアたちに近づいている。

 驚きを隠しきれずにその様子を見つめていたフェルドリックは、セルナディアの前で立ち止まった彼女に我に返る。

「――ナシュアナ」

(馬鹿か、これまでさんざんな嫌がらせを受けてきただろう)

 フェルドリックは舌打ちを零すと、下の妹を呼び戻そうと鋭く名を呼んだ。

 

「では、お姉さま、その役目、私がいたします」

 気弱なはずの妹が声を震わせながら発した言葉に、セルナディアもアーサーもちょうど別室から出てきた父までもが驚き、息をのんだのがわかった。

「な、何を言っているの」

「あの騎士、は、わ、私の知り合い、です。出自ゆえに悪く言われるのも、不当な扱いを受けるのも我慢出来ません」

 良く見れば、体も細かく震えている。

「お、前のような者が出ていったって、誰も喜ばないわ! 身の程を知りなさい……っ」

 “下賎”な者に近づきたくはない、だが、あの騎士は人気があり格好が良い。誰もが羨む役を他者に渡す気はないが、仕方がなく『してやった』のだという体裁を保ちたい。そんなセルナディアの思惑が見え隠れする。

 ヒステリックな怒鳴り声に、下の妹の小さな体が一瞬びくりと動き、泣き出しそうな気配が漂った瞬間、

「よい。来なさい、ナシュアナ」

 いち早く正気に戻ったらしい父王が、短く下の妹を呼んだ。青くなるセルナディアには一瞥もくれず、広間の出口に向かって踵を返す。

 束の間呆けていたナシュアナは、慌てて異母姉に一礼するとその跡を追っていった。

 

「…………くくっ」

 一連の出来事に、しばらく思考を停止させていたフェルドリックは、短く息を吐き出すと、笑い声を漏らした。

 内気なナシュアナにあれほどの影響を与えるのはあの騎士――金の髪に緑の瞳、長い手足、何よりあの動き……。

「……ザルアに戻ったって話だったのに」

 そんなところこそ本当に相変わらずと言っていいのだろう。

 

 未だに衝撃から立ち直れないらしい周囲を置き去りに、フェルドリックは笑いを納めぬまま椅子から立ち上がった。

「フォースンを至急執務室に」

 側仕えの侍従に自らの執務補佐官を呼ぶよう告げると、広間を後にする。

 

 闘技場の出口へと歩きながら、フェルドリックは窓の外、新緑に沸く庭園に目を向けた。

(初めて出会ったのもこんな庭だったな)

 フェルドリックはもう十年以上前、夏の終わりの離宮の記憶を引っ張り出す。

『君がフィル?』

『え、ええと、フェルド、リック……?』

 唯一の人だ。仮面を付けたまま微笑んでみせたフェルドリックの本性に気づき、それでいてなお一切媚びなかった、

「――フィリシア」

 その人の本当の名を口にして、フェルドリックは口元に笑みを湛える。


「僕の大事な、大事な“婚約者”殿……」

 そう、間違えようがない。あの騎士はザルアナック伯爵家の一人娘、フィリシア・フェーナ・ザルアナックだ。

「それにしてもアレックスの側にいたとはね」

 独り言を呟きながら、フェルドリックは眉を寄せた。

「……実に面白くない」

 これはこれで状況を探って、策を練らなくてはならないだろう。



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