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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第6章 花祭り
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6-8.勝利

 対戦相手の硬い顔が見える。

(ジュリアン・セント・ミレイヌ、だったか)

 あの時セルナディア第一王女と共に、散々騎士団を馬鹿にしてくれた近衛騎士の一人だ。その彼が決勝の相手――これ以上ありがたい状況があるだろうか。


「決勝では三本先制した者が勝者となります。続行が不可能となった場合は……」

 審判の傍らに立つ係員が決勝戦のルール説明に声を張り上げるが、聞く気がないのか、既に知っているのか、観客の喚声はますます熱を帯びていく。


「……」

 握る剣の感触を起点に、自らの体に神経を向けた。自分を包んでいた喚声が不意に無と化す。代わって体内をめぐる血液の音が鮮明に聞こえ出した。相手の若干早めの呼吸と、体の微かな振動が空気の揺れを通じて伝わってくる。

 慣れ親しんだ、戦いを前にした高揚感に身を委ねつつ、フィルはミレイヌと目を合わせる。そして、睨みつけてくる彼に、唇の端を上げて挑発するように笑ってみせた。


「はじめ」

 相手が動いた。目線、呼気、発汗、筋肉の動き、歩幅と足摺り、五感に入ってくるすべての情報をもとに、フィルは自分の動きを決定する。

 こちらから仕掛けてもいいが、それでは気が収まらない。

(奴の手を徹底的に降し、その上で勝つ。そうしてあの下らないプライドを粉々に砕いてやる――生まれゆえに誰かを見下すような神経の持ち主に剣は相応しくない)

 彼の渾身と思われる一撃を、軽く剣をあわせて横に受け流し、体勢を崩す。

 信じられないとでも言うように見開かれた目と心音のせいで、彼の焦りが手に取るようにわかって、フィルは小さく笑った。戦闘の最中に相手に感情を読ませることは、最もやってはいけないことの一つだ。まずいと思っても余裕のある顔をしておかなくては余計不利になる。

(そう、こんな風に――)

 フィルは生じた隙を逃さず、彼の頭上へと勢いよく模擬剣を振り下ろし……当たる紙一枚手前で寸止めた。

 いくら刃が潰してあると言っても金属の塊だ。頭に当たれば大怪我どころではすまないから、フィルは普段は絶対にこんなことはしない。

「……ぁ」

 思惑通り露骨な恐怖と動揺を顔に浮かべたミレイヌに、フィルは「自業自得だ」と内心で舌を出した。


「い、一本」

 審判の声のみが異様に大きく響く。

 フィルの早業に観衆の反応が追いつく前の静寂の中、金切り声がとどろいた。

「ジュリアンっ、そのような者に負けるようであれば、私の護衛から外しましてよっ」

 その声に彼の顔はいっそ哀れなほど白くなる。

「……」

 少しだけ気の毒に感じて、声の方向に白けた目を向ければ、案の定王族用の貴賓席に立つセルナディア王女の姿があった。



(――馬鹿が)

 第一王子フェルドリックは、金と緑の混じった瞳を不機嫌に眇めた。その原因、父王の向こうで闘技場へと金切り声を飛ばしている異母妹を見、嫌悪と軽蔑を顔に載せる。

 勘違いも甚だしい上に、そんなことを大衆の面前で口にすればどれほどの反感を買うか、十七にもなってわからない――これが妹かと思うと吐き気がする。


 旧王朝の腐敗し切った貴族政治が国民の反感を買い、それに押された祖父が反旗を翻したのが五十八年前、その後四年の内戦の末にカザック王朝は開かれた。

 だが、旧王朝の貴族勢力は一掃されたわけではない。時勢を見極めるに長けた者は旧王家に早々に見切りを付けて、保身と引き換えに新王朝へ協力を試み、今なお権力の中枢に居座っている。

 それを快く思わない国民は未だ多く、貴族と彼らからなる近衛騎士団への反感は少なくないのだ。

 対照的に平民出の内戦の英雄が作り上げた『国民のため』の騎士団の人気はひどく高い――その騎士を大衆の面前で貶める危険性がわからないのか。

 眉を顰めるだけで彼女を咎めない父王にも、妹に高慢さを植えつけた第二夫人にも苛立った。臆病だろうと存在感がなかろうと、事の重大さに気付いて青くなっているナシュアナの方がよほどましだ。


(まったく余計な仕事を増やしてくれる)

 案の定不穏な空気が漂い出した会場の様子に、内心で舌打ちを零した後、フェルドリックは取り巻きの一人が自分へと怪訝な視線を注ぐのを察知した。即座に余裕のある、毒のない笑みを顔に貼り付ける。同時に、大衆の不満を解消するための策について頭をめぐらし始めた。

「……」

 見るともなしに会場へと目を遣れば、ヒステリックな異母妹の声援にも関わらず、ミレイヌ侯爵の次男は二本目もあっけなく落としたようだ。

 日頃身分を根拠に思いあがっている彼からすれば、相当な屈辱だろうな、と気絶しそうな様相の彼を冷静に観察する。

(だが、彼はそれなりに剣技に長けているという話ではなかったか……?)

「……っ」

 その対戦相手を初めて意識に入れるやいなやフェルドリックは目を見開き、息を止めた。

(あの騎士、は……)

『はじめまして』

 あの日、拙い声で挨拶し、緑色の美しい瞳で自分をまっすぐ見つめた少女の姿が、会場中から注目を浴びている長身の騎士に重なった。



「……うーん」

(他人事だし、嫌いかと聞かれればはっきりきっぱり大嫌いなのだけれど、ちょっとだけ気の毒と言えなくもないかも)

 フィルは目の前の対戦相手を見、片眉を下げた。

(いや、ボロボロにしてやろうとは確かに思ったけど、まさかこんなに弱いとは思わなかったし。そりゃあ、これまで対戦した近衛騎士よりはましだけど……近衛騎士団、まずくない? って、なるほど、だからアド爺さまやあの人がどこかに行く時は爺さまがいちいち呼ばれてたのか)

 決勝戦三戦目の開始を前に、フィルは他人が聞けば「失礼な」と眉を顰めるであろうことを真面目に考える。

(けど、負けてやる気も義理も一切なければ、手加減なんて失礼なことをするのも剣士のすることじゃないし)

「うーん」

 それでも貴賓席から目の前の相手に向けられている空気の悪さに、自分がザルアの子供たちから向けられていた居心地の悪い視線を思い出して、フィルはちょっと彼に同情してしまう。

(まあでも、精進してないのが悪いんだし、気の毒がる必要もないか。やな奴であるのは確かなんだから、徹底的に痛い目に遭うほうがいいだろうし)


「はじ……」

 審判が口を開いたのを機に、意識をミレイヌに戻そうとした瞬間、その声が終わる前に彼は打ちかかってきた。

「っ」

 不意打ちだったのと考え事をしていたせいでフィルは反応に遅れる。しまった、と思った時には彼の剣が左肩にせまっていた。


『男女の圧倒的な差は筋力、力だ』

 そう祖父はいつもフィルに諭していた。だから正面からぶつかるな、と。

 その教えを受けて、フィルは普段衝撃が最大になる前に相手の剣を受けるなり逸らすなりしているのだが、ミレイヌの動きを見るなり「無理だ」と判断する。咄嗟に膝を落とし、左手を添えて正面から打撃を受け止めた。

 そして、押し合いとなった。


(……騎士の風上にも置けない)

 歴然たる力の差を前に、徐々に押し込まれてくる剣の感触にフィルは眉を寄せた。

 それで勝機を見出したのかもしれない。重なり合う剣の向こう、ミレイヌの顔にわずかに生気が戻る。

「調子に乗るな、下賎の身の上で……っ」

 押し殺したような暗い声にフィルは目をみはって、それから皮肉な笑みを零した。

(生憎っていうのはこういうことなんだろうな――)

 眼の端だけに笑いを残し、フィルは手首を一瞬手前に返す。そうして生じた隙を利用して自らの剣を斜め内へと捻り込み、彼の剣を外へと弾いた。

「誰が調子に乗っていると」

 祖父は騎士道精神を重んじ、フィルにもそれを徹底させたけれど、その精神ゆえに破れることを是とはしない人だった――この程度のことでどうこうなる訳がない。

 再び青くなったミレイヌに、フィルは凄絶に笑ってみせる。一時でも同情なんかすべきじゃなかった。

「生憎と踏んでいる場数が違うんだ」

 ガタガタと震え出した彼へと一気に間合いを詰める。一撃、二撃と続けざまに打ち込み、最後には彼の剣を白いその手から叩き落した。


 石作りの闘技盤に金属の剣がぶつかったが、その音は天を轟かすような会場からの歓声に掻き消された。

 自分に向けられているそれに応えて、先ほどウェズ小隊長に言われたようにフィルは手を振る。

『大衆の人気は組織の維持に大事な物だ。せっかくの機会なんだ、団に貢献して来い』

 珍しく幹部らしい真面目なことを言ったと驚かなくもない(嘘をついた、メチャクチャ驚いた)が、『いっつも迷惑かけまくりだろ、たまには挽回しろ』などと付け足されればフィルに拒否権はない。


(本当はさっさと報告に行きたいんだけどなあ……)

 投げ込まれてくる花や物を係員たちが拾い集めるのを見るともなしに見、フィルはうずうずしながら会場の中にアレックスの気配を探る。

 さっきも離れた場所から自分を見て笑ってくれたから、今もどこかで見ていてくれると思うのだが……。

「あ、いた」

 ふっと気配が届いて振り返れば、控え室へと続く通路の壁にもたれ、こちらを見ているアレックスの姿がある。

 フィルは満面の笑みを浮かべると、興奮冷めやらない闘技場に背を向け、彼へと急いで駆け出した。



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