6-6.不慮
「対戦は勝ち抜き方式」
――心を水鏡のように平らに。
「勝負が続行不能となった時点で勝敗を決する」
――体に気力を、髪の先々まで、指の端々にまで行き渡らせる。
剣技大会の開会式。円形の闘技場の中央、審判団の両脇に騎士団と近衛騎士団の出場者が一列に並ぶ。
周囲は階段状の観客席に取り囲まれ、最上段は首を傾けて仰ぎ見なくてはならないほどだ。席には一つの空きもなく、そこから生まれる騒音に負けまいと、審判長が声を張り上げている。
「……」
衆人から耳目が注ぐ中、フィルは列の一番端に立ち、祖父から教わった通り自らの内に神経を巡らせていく。
「制限時間は四半刻。その間に勝敗が付かない場合は判定とする」
精神が高揚し、肌があわ立つ。
「諸君らにはカザックの騎士の名に恥じない活躍を期待する」
群集のざわめきが次第に意識から遠ざかっていった。
* * *
「……なんていうか、フィルはどこまでもフィルだな」
初戦及びその次の出場選手を残して戻った控室で、カイトの横にいたエドワードが呆れたようにつぶやいた。
「……」
つられてフィルを見れば、彼は剣を膝の上に置き、目を閉じてじっとしている。緊張するわけでも気負うわけでもなく、ただ静かに。
以前憑かれたように訓練を繰り返していた時も目にしたが、今のフィルは周囲の出来事がすべて意識の外にあるのだろう。
(そういや、戦闘に入る時は生き死にに関すること以外どうでもよくなるし、それでこそ正しいって真顔で言ってたっけな)
周りを見渡せば、苦笑する騎士団の他の出場選手たちの中で、ポトマック副団長だけが面白がるように口角を上げていた。
開会式の後、いつのまにか知り合っていたらしい近衛騎士たちの聞くに堪えないような中傷を見事に無視し、その中でも一際しつこく食い下がった一名を射殺すような視線で黙らせると、フィルはさっさと控え室に戻った。それからずっとあの調子だ。
(……人のことどころじゃないだろ、集中しろよ)
そんな姿に見惚れてしまったことを自覚して、カイトは眉を顰めた。
カイトの出場は第五試合でもうすぐだ。相手は去年も出場した某伯爵の息子。才能で劣るとは思わないけれど、現時点では修練時間も期間も貴族の子息である近衛騎士たちの方が、庶民育ちの騎士たちより圧倒的に多いはずだ。油断が許される状況じゃない。
カイトは王都カザレナの出だ。例年剣技大会を観戦し、人々が騎士たちに熱狂するのを直に見てきた。出場者が若年者に限られるようになってからは騎士団がいけ好かない貴族どもに負けることが増えて、皆が憤るようになったのも、昨年までのアレクサンダー・エル・フォルデリークの四連続優勝に複雑な顔をしていたのも知っている。結局貴族じゃなきゃ勝てないのか、と。
せっかく騎士団に入ったのだ。あの晴れ舞台に立って自分こそが優勝する。そして平民出の騎士団の若手も貴族ごときに遅れは取らないと証明する――。
(フィルなんかに気を取られてる場合じゃない)
そう決意しているはずなのに、意識が勝手に彼に向いてしまって、カイトはいらいらと髪をかき上げた。
カイトには同性を望む性向はない。物心付く頃から彼女がいたし、その子たちとずっと楽しくやってきた。
だが、ここにきてどうだ。長年の努力が実って、王都の少年少女たちの憧れである騎士団に入団を許され、今まで以上に人目を惹くようになったと浮かれたのも束の間、付き合う彼女たちと長続きしなくなった。認めたくはないが、同僚であるこのフィル・ディランが気になって仕方がないせいだ。
「……そうだな、フィルはフィルだ」
(――同期で二つ年下で、男、だ)
幼馴染で兄弟弟子でもあるエドワードに、カイトは確かめるように同意を返した。
あのアレクサンダー・エル・フォルデリークの相方だと噂になっていた彼は、入団式に集まった時から目立ちに目立っていた。カイトが気後れするぐらい整った容姿もさることながら、空気も気配も研ぎ澄まされていて近寄りがたい。
だが、彼は大貴族であるアレクサンダー・エル・フォルデリークを目の前に一切気後れすることなく、あっけらかんと言い放った。「見た目だけは確かに貴族っぽい」と。
華やかな見た目やぱっと見の雰囲気とは裏腹にかなり妙な奴らしいと知って、カイトは安堵と共に笑った。そして、その後始まった訓練で腕の良さに呆気にとられ、続いた期生別の講義で人の良さを気に入る。
面白い、気のいい奴が同期でラッキーだと、最初はそれぐらいにしか考えていなかった。フィルと仲のいいヘンリック、ロデルセン、そして最初から知り合いだったカイトとエドワード。同期の中でもよくつるむようになって、どんどん楽しくなっていって、それで十分だったのに――。
ふとした瞬間、整った顔を緩めて笑うフィルに、心臓が跳ねることが増えた。気付いたら目線で彼を追うようになっていた。
同期で遊ぶという話が出た時にはデートの約束を反故にするようになったし、宿舎で朝食や夕食時にフィルと話す機会があるとなると、外出する気そのものが減ってしまう。
彼女と一緒に街を歩いていたって、フィルに似た後ろ姿を見かけるとつい目で追ってしまうし、彼女と話をしていても、ふとフィルのことを考えて心ここにあらず、なんて状態になることも少なくない。
当然彼女たちとは疎遠になっていくのに、それを気にする気にもなれず、代わりのように鍛錬場で宿舎で食堂でいつもフィルを探している。
「……」
部屋の隅で、近寄り難い空気を漂わせているフィルを改めて見つめて、カイトは溜め息をついた。
短く切られて適当に流されてはいるが、髪の色は鮮やかな金で、その中から輝く瞳は深い緑。桜色の艶やかで柔らかそうな唇、長くて白い、しなやかな手足――カイトの理想が凝縮したような容姿だ。
だから最初は、見た目のせいで気になるだけだ、と思っていられた。仕方がないことなのだと自分に言い聞かせていたのに、次第に彼から目が離せなくなっていく。
驚くような世間知らずだから放っておけないだけと思おうとしていたのに、カイトが気にかける度に礼を言って笑顔を見せるフィルに、胸が締め付けられるようになった。
一度彼女を宿舎に招いてフィルに鉢合わせした時は、全身から汗が噴出した。そして、彼がからかうように笑って「彼女?」と聞いてきたことにショックを受けた自分に、更なる衝撃を受けた。
それだけじゃない。フィルの相方で、無償の信頼を預けられているアレックスが気に入らなくなっている。そう気付いた瞬間、全身から血の気が失せた。
アレックスがフィルに向けている熱の篭った視線と、誰が見ても明らかな好意。他者には絶対に向けられない甘い微笑みと、壊れ物を扱うかのような優しい仕草。フィルへの害意を徹底的に排除する冷徹振りと、それとひどく対照的な、甘やかすようなフィルへの気遣い。それらを受けてフィルが幸せそうに笑う度に、なぜか焦りを覚えている。
そう自覚した時には目の前が真っ暗になった。冗談じゃない、絶対に勘違いだ、友人が相方とうまくやれているんだ、喜んでやれ、と必死に自分に言い聞かせた。
なのに、それもうまく行っていない。フィルがアレックスを密かに目で追っていると察知するたびに、カイトは咄嗟に身を滑り込ませたり話しかけたりして、何気なく邪魔してしまっている。
「……」
カイトは苛立ちを抑えるべく、長く細く息を吐き出しながら、冷静にフィルを観察しようと試みる。
緊張や戦意で落ち着かない控え室の中で、彼の周りの空気だけが違っている。
平均男性を上回る上背、圧倒的な剣の技術、それを支えるバランスの良い体つき、桁違いに研ぎ澄まされた空気、まっすぐ相手を見据える意志の強さ、勝利への執念――騎士として、フィルのそういう性質に憧れているのだ、自分は。決して同性に惹かれているわけではい。
もう何度目になるかわからないが、そう言い聞かせてカイトは自分を安心させる。
(大体、自分の倍もあるような男の骨を平気でへし折るような奴だぞ。何十人もの人間を斬り殺した盗賊だって返り討ちにしてのけた。あのポトマック副団長やウェズ小隊長にすら渡り合えるような奴じゃないか。そんな男に惚れるなんて、あまつさえその相手に嫉妬するなんて気の迷い以外にあるわけがない)
「エドワード・ミュッセ。会場へ」
「は、はい」
初出場を飾るエドワードが係りに呼ばれ、緊張に声を上擦らせて慌てて出て行く。
しばらくの後にワァッと闘技場が歓声に沸くのが聞こえた。
(エドだってやってのけたんだ、俺だって負けない)
自分と同じくらいの力量の親友の勝利を確信し、カイトは知らない間に握り締めていた拳を、緊張を解きほぐすように左右に振った。
(そうだ、俺の人生は順調だ。これまでも、この先も)
花祭りに誘ったことといい、フィルのことは一時の気の迷いだ。ここで騎士として成功し、相応しい彼女を見つけて幸せに一生を送る、その予定を変更する必要はない。
「カイト・エルデート、入場を」
呼ばれて気を引き締める。さあ、そのために自分のすべきことをしなくては。
ちらりとフィルを見れば、気配を察したのだろう。彼は目を開いて、カイトへとにっと笑いかけてきた。同様に笑い返して、息を吸い込むと一歩踏み出す。
そう、自分のフィルへの感情がなんであろうと、一つだけはっきりしていることがある。――絶対に、後れを取る訳にはいかない。




