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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第6章 花祭り
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6-5.肩車

「殿下、勝手に城を、しかもこの時期に護衛も無しに抜けるなど、一体何を考えておいでですか」


 デラウェール図書館裏口。落ち着いた建物の裏通りは、その場所に相応しく祭りの喧騒が薄れている。


 ナシュアナ王女は俯いたまま、護衛騎士アーサー・ベル・ジオールの小言を黙って聞いていたが、しばらくして窺うようにフィルを見上げた。

「貴殿は……?」

「申し遅れました。フィル・ディランと申します」

 その視線を追ったアーサーに露骨に睨みつけられたというのに、フィルは気にした様子もない。

「…………失礼した。私はアーサー・ベル・ジオール。近衛騎士団にて、ナシュアナ第二王女殿下の護衛を務めている」

 一瞬面くらったような顔をしたアーサーも律儀に名乗ったが、フィルが何の気なしに王女の頭に手を置き、宥めるようにそこを叩いた瞬間、再び視線を尖らせた。


(護衛騎士としての義務? にしては……)

 アレックスは彼の様子に目を瞬かせた。大人っぽく分別があり、落ち着いていると言われるジオール子爵家の嫡男の姿とはとても思えない。

「貴殿、殿下がお世話になったことについてはお礼申し上げる。だが、先ほどから殿下に対して慣れなれし――」

「アーサー、フィルに失礼なことを言わないで」

 泣きそうになりながらもフィルを庇ったナシュアナの姿に、彼は判りにくいながらも結構なショックを受けたようだ。

 だが、例によってアーサーの小言を聞き流し、不思議そうな顔で二人を眺めていたフィルは、彼の様子に一切構わないままぼそりと呟いた。

「ひょっとして彼とかいう……」

「…………フィル」

 真っ赤になって絶句する王女とその近衛騎士の姿など、一生に一度として見られるものではない気がした。



 * * *



(ああ、またやってしまった……)

 周囲に下りる沈黙と、アレックスのなんとも言えない微妙な顔は、何がまずいことを言った証拠だとこの半年で学んだ。

 案の定というか、絶句していたアーサーなる近衛騎士は気を取り直すなり、「殿下に失礼なことを申し上げるな」と睨んできた。

(つまり違う、と。けど……じゃあ、一体何なんだ、この人)

 そのアーサーを片目を眇めて見、フィルは首を傾げた。

 二人は兄妹や身内というふうには見えない。かといって、仕事上の心配というには度を越している気がするし、何より空気がやはり妙だ。忠誠心ゆえなら彼女を保護していた形のフィルは感謝されるはずだし。

 だから、ヘンリックが「大事な彼女(彼女ではないがメアリーだ、彼の場合はもちろん)を守るのは男の責務であり冥利だ」と言い、四六時中彼女を案じているように、彼氏彼女というものなのかも、と思っただけなのだが……。


「……」

 いつもの習性で、フィルは得体の知れないアーサーを検分する。

(王族の護衛……うん、よく鍛えられている。俊敏さはいまいちかな。でも人並み外れて頑健なタイプかも。剣を持ってるけど、多分最得手じゃない。……槍?)

 貴族には珍しいんじゃないか、と思ったところで、そうだった、この人も近衛騎士団員だ、と思い出した。

 黒い色の瞳に敵意は見えるがまっすぐで、表情も歪んでいない。フィルに対してもちゃんと名乗ったし、怒っていても見下している様子はない。さっき見た近衛騎士たちとは明らかに違っている。

(なんかよくわかんないけど、悪い人ではないのかな……)

 ふと傍らのナシアを見れば、彼女はフィルとアーサーを見比べて、所在なさげに視線を揺らしている。ひどくおどおどしているように見えた。

(王女、なんだよね……? あの人の妹……って彼女も別の意味でまったく違う)

 フィルは“堂々とした”としか表現しようのない知己を思い出して、目を瞬かせた。


「あー、その、すまない」

 大きく息を吐き出したアレックスがアーサーなる人物の肩を叩く。

「悪気はないんだ。ちょっと世間擦れしてなくてな」

(じ、自覚があるとはいえ、突き刺さった……)

 内心で呻きながら、フィルはもう一度ナシアを見遣った。

 自分の配慮のなさと世間知らずさゆえに、彼女にこんな顔をさせているのも確かなようだし、とさらに凹む。

(またさっきみたいに笑ってくれないかな……)

「お?」

 そうだ、と思いついて、フィルは目の前のナシアの脇に両手をやり、抱き抱えた。

「きゃっ……フィ、フィル?」

 十二歳だと言っていたナシアは思ったよりずっと軽くて、簡単に肩の上に納まる。


 昔、短い夏に少しだけ別邸を訪れた父が何を思ったのか、してくれたことがある――恥ずかしくて、でもとても嬉しかった。

 父の頭上から見た光景はいつもと全然違っていて、一気に世界が広がった気がして、ドキドキした。

 いつもより近くなった高く青く澄んだ夏の空には、はっきりした形の白い入道雲が浮かんでいて、強い夏の日差しにキラキラ光る。

 一際高いその場所で正面から吹いてきた高原の風に自分の前髪が踊り、それが額に触れる度にくすぐったくてフィルはくすくすと笑った。

 フィルがつかんでいた父の頭の髪は自分と同じ色で、同じ手触り。それが嬉しくて思わず何度もそこを撫でたら、父の肩が微かに揺れた。

 笑ってくれたんだ、そう思って嬉しくて、そんな体験を出来る自分は特別な存在なのだ、と言われた気がした。

「……」

 結局、それは自分の勘違いだったと後で思い知ったのだけれど――。


「……ん?」

 過去に思考を囚われて沈みそうになったのを引き戻してくれたのは、傍らから漂ってきた不思議な空気。

(……殺気に似てるけど、やっぱちょっと違うよなあ、これ)

 そんな空気の源、自分と同じくらいの背の黒髪の近衛騎士アーサーの口から漏れ出たのは、

「貴、貴様っ」

(おお、ついに貴様呼ばわり……)

「あ、あの、フィル?」

 顔を赤くした頭上のナシアと目が合い、彼女が泣きそうな顔ではなくなったことにフィルは顔を綻ばせた。

「ナシア、本通りに花車が出るんですって。図書館もいいけれど、せっかくですし一緒に見に行きませんか?」

「で、殿下に、」

 この際、アーサーなる人物は無視でいこう。いつだって優先すべきは女性の笑顔、しかも友達となったナシアなら尚更だ。


「ジオール殿」

 溜め息をついたアレックスが、こちらへと掴みかかってきそうな勢いのアーサーを制してくれた。

「心配は理解できるが、この場で“それ”をむやみに口にしない方がいい」

 アーサーは「うぐっ」と妙な音を立てて口を噤んだけれど、相変わらずこちらを刺すように睨んではいる。

(……結構しつこい?)

 そう思ってしまったフィルの前で、アレックスは疲れたように彼の名をもう一度呼び、こちらには聞こえない声で何事かを耳打ちした。凛々しい顔の色が鮮やかに赤から青へと変わり、また赤くなる。

「わ、わかった。ただし、王……ナシュアナさまは私にお渡しいただきたい」

「?」

 いきなり軟化したアーサーにフィルは目をみはる。一体何を言ったのだろう。時々アレックスはこういう、フィルには魔法にしか思えないことをする。

(って今はそうじゃなかった)

 もう一度頭上のナシアを見上げれば、再び目が合った彼女は、初めて子どもらしい笑顔を見せた。

(……うん、悪くなさそうだ)

 直後にふっとフィルの首周りが軽くなって、彼女は今度はアーサーの左肩に納まる。


「アーサー、あっち」

 ナシアの表情に無邪気さが現れた。違うとわかっていてなお、フィルは自分の父との特別な日を思い出す。

(あんなふうに笑ってたのかな……)

 そのナシアに強面のアーサーがやはり微かに笑って、胸が締め付けられた。

(あの時あの人はどんな顔をしていたんだろう……)

 思い出す父の顔は、いつも憎しみや蔑みに満ちている。私は私に向けられた彼の笑った顔を見たことがない、とフィルは今更に気付いた。

(あの時ただはしゃいでいないでちゃんとあの人を見ていれば、今頃何かが違っていたのかな……)


「俺たちも行くか」

「……え、あ、はい」

 再び沈みかかったフィルを引き戻したのは、すっかり馴染んだ低い、落ち着いた声。それに救われて、別の意味で泣きそうになった。


 ――のに。


「っ」

 フィルの手をアレックスが取り、さらに指に指が絡まった。

 瞬時に真っ赤になって慌てて彼の顔を見ると、真剣な目を向けられて息をのんだ。

 繋がった手を軽く引き寄せられて、アレックスとの距離が縮まる。左耳に微かな吐息がかかる。

「――もう逃げられないように」

「っ」

 静かな囁きと熱に、心臓が一瞬止まった。


「……」

 徐々に沁み込んで来る言葉の意味に、今度は壊れたように心臓の拍動と血流が増していく。

 死ぬほど恥ずかしい、そう思っているはずなのに、その言葉を結局嬉しいと思っている自分がいる。


「行こう」

 ナシアたちを追って、フィルの半歩前を歩くアレックスの手から伝わってくる体温に、彼以外の存在を見失いそうになる。

(繋いでいたらまずいよね……)

 そう思うのも確かなのに、離したくない――そう思ってしまっている。



 裏通りを一歩出ると、祭りのざわめきが耳に飛び込んできた。

 非日常の、どこか高揚した空気――自分は今、その中でも一際浮き立った空気を身においている気がする。



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