【未来】
「少し厳しくないか……? まだ子供だろうに」
アドリオットの目線の先では、まだあどけない小さな少女が、必死に涙を堪えて唇を噛み締めている。
嗚咽を抑えるためか、胸の辺りを細かく震わせ、それでも溢れてきた涙を落とさぬようにか、その子は顔を天に向けてそのまま静止した。
駄目だと言われている古い森の中に入ってしまって、迷子になった彼女。
親友アル・ド・ザルアナック夫妻と屋敷の管理人夫妻とその家族、数日前から滞在しているアドリオットとその護衛たちが総出で探して少女を見つけたのが、丸一日後の今朝。
無事をひどく喜んだ夫妻は涙ながらにその少女を抱きしめ、それからまだ五つの彼女をひどく厳しく叱った。涙を零した彼女は「泣いて謝罪を誤魔化してはいけない」とさらに咎められ、さらには探してくれた者全てに自分で謝罪と礼をして来いと夫妻から言い渡された。「自分のしたことの責任は自分でとりなさい」と。
そうしてその子は泣きもせずに、一人一人を訪ねて回って、まるで大人がするように頭を下げている。「かってなことしてごめんなさい、あと、さがしてくれてありがとう」と。
アルもその妻エレーニナも、孫娘であるその少女をひどく慈しんでいる。それは知っている。
少女が笑うと彼らは破顔し、愛しくて仕方がないというように彼女を抱きしめる。けれどその半面、厳しい時には驚くほど厳しい。
生まれるとほぼ同時に母を失い、父に疎まれたその娘は、客観的に見ても可憐で可愛らしい。同情もあって自分などは甘やかしたくて仕方がなくなるのに、親友達は決してそうはしない。
「あの子に必要なことだ」
そう淡々と返してくるアルの顔は、声とは裏腹に少し沈んでいる。
「まだ五つだぞ」
今回だけではない。あの子は「自分で出来ることは全てやれ」と常に言われ、小さな体を使い、頭を目一杯捻ってその通りにしようとする。身を守れるようにと祖父から剣を習い、祖母からは護身術を習っているという。身の回りのことを自分で整え、こうして時々上手くいかなくなるものの、自分のすべきことと、してはいけないことを小さな頭なりに一生懸命考える。
それは一種異様な光景に見えた。
「お前は息子のステファンにだってそう厳しくなかっただろう?」
「……」
つい非難がましい口調になってしまったアドリオットに、アルは「いつまでもついていてやれない」と今度ははっきり顔を歪めた。
「恐らく自分達は、あの子が大人として安定するまで見届けてやれない」
そう悲しそうに呟いたアルの声に、アドリオットも顔を歪めた。
「一人でも生きていけるようにしてやりたいんだ。自分の幸せを自分でつかめるように」
そうエレンと話し合ったのだと呟いて、アルは少女へと視線を移した。
涙を納めたらしい少女はこちらへと顔を向けると、とことこと歩いてきて、今度はアドリオットの前に立った。
「アドじいさま、めいわくかけてごめんなさい。あと、さがしてくれて、あと、見つけてくれてありがとう」
泣きそうなのにやはり泣かないことに胸が詰まり、思わず頭を撫でると少女は眉と口をへの字に曲げた。気分を害した訳ではなく、泣くのを堪えるため、そうわかる表情がいじらしい。
「なに、俺も久しぶりに冒険出来て面白かった。フィルのおかげだな」
そう言いながら抱き上げると、目を丸くした少女は小さな顔に満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。
「アドじいさまもぼうけん好き? 一緒にいく?」
「いいな。怒られないようにこっそり、な」
にっと笑うと、にっと笑い返してくる――隣のアルが苦笑した気配がした。
少女を地に降ろすと、彼女はアルに真っ直ぐ向き合った。
「みんなにあやまってきた。ちゃんとした」
胸を張ってそう言うと、勢い良くアルへと抱きついた。
「ああ、よくやったな、フィル」
それを抱き留めて抱えあげた彼の腕の中で、ゆっくりと背を撫でられた少女はびくりと体を揺らし、やっと小さく泣き出した。
苦しそうな顔をしたアルがその頭を撫でる――ひどく丁寧な、ゆっくりとした仕草で。それを受けながら少女は声もなく体を震わせた。
先を見据えて強くあれと孫に望む彼ら。それに何とか応えようとする少女。思い合っているその様子が微笑ましくも少し悲しい。
しばらく静かに泣いていた彼女が顔を上げた。アドリオットはその睫毛が濡れていることに気付き、心を痛める。
「でも、じいさま、おこられるのいやだけど、あの森、またいきたい」
「……」
思わず目を点にする。
「まものがいた。でっかい青いやつ。強そうだった」
「フィル……だから危なくて、だから入ってはいけないんだ……」
顔を引き攣らせたアルに、少女はむっとした顔を返す。
「じぶんにできることならいいって」
「あー……確かに、自分で出来る事をやれとは言ってはいるが、出来るなら何でもやっていいという意味では……」
「人にめいわくかけるなって、めいわくじゃないならいいんじゃないの? それってみんなが心配しないくらい強くなって、さがさなくてもよくなったらいいってことじゃないの?」
「……」
ますます顔を引き攣らせたアルの前で、妖精のように愛らしい少女がにっこり笑う。
「そうと決まったらもっと強くならなきゃ」
勝手にそう決めて、彼女はアルに下ろすよう促すと、屋敷へと元気に駆けていった。
「ばあさまーっ、あやまってきたよー、れんしゅうしよー、あの森またいくのー」
「……反省、しているのか、あれ」
「反省していてあれなんだ……」
「……逞しいな」
「……まあな」
「……望みどおりじゃないか」
「まあな」
次第にアルは楽しくて仕方がないという風に笑い出す。
戦場でも内心を見せない腹の探り合いがなされる王宮でも、いつも彼はそうだった。こちらまで楽しくなってしまう、そんな彼の陽気な空気に促されて、明るい話題が口をついて出た。
「まあ、そんなに必死にならなくたって大丈夫だ。あの子はフェルドリックの后になるだろうし」
「は? なんだ、それは?」
「ちょうど三つ差だし、いいと思わないか? どっちも可愛いし性格もいい」
「それはまあそう、だが……フィルに王后なんて向いているとは思えないぞ」
「今お転婆でも成長すればわからないだろう」
「そう、か……? なんにせよ、フェルドリックとフィルにその気があれば、だぞ」
「よし、同意したな。早速引き合わせて婚約の手はずを整えるとするか」
「……アドリオット、お前、人の話聞いていたか?」
眉をひそめて自分を呆れたように見るアルの向こう、フィルが屋敷から剣を片手に飛び出してきた。
「フィル、剣の稽古するのか?」
「うん、ばあさま、今いそがしいって」
「相手してやろうか?」
「ううん、お話のじゃましちゃだめだって」
そう言うと少女はアドリオットについている近衛騎士に近づいて、にっこり声をかけた。
「おにいさん、あいてしてください」
そうして目を白黒させている彼の手を引いて屋敷の裏へと駆けていった。
「アル、二ヶ月後にフィルを連れて離宮に来い。フェルドリックと一緒に待っているから」
「早速か」
苦笑しつつも頷く親友に笑い返す。
高原の冷涼な夏の風の合い間に、子供の甲高い笑い声が響く――そこにはアドリオットたちが愛して止まない未来の輝きがある。
親との縁が限りなく薄くなってしまったその少女は、 いずれ一人になってしまうだろう。それゆえ厳しく育てられている。
けれど、彼女はその日、結局楽しそうに笑っていた。そして今日も、多分明日も、そんな風に生きていくのだろう。
願うのは親友の孫のそんな彼女と、その手をとることになるだろう、私の大切な、大切な孫の幸せだ。
そしてこの国に生きるすべての子供たちの――。
五十年前のあの血塗られた日々はそれでこそ報われる。




