5.変現の花
フィルは表情がくるくる変わって、からかうとおもしろい。
「オッズ」
「呼び捨てかよ」
「あ。すみません、アレックスがそう呼ぶのでつい。オッズさん」
「オッズでいい。さん付けなんて虫唾が走る」
「……さっき呼び捨てかって言ったのに」
感性が人とずれている上に、田舎者で世間知らず。戦闘に関わる部分以外は基本どうしようもなく鈍くて、陽気でお人よし。
そのせいか、からかわれてもからかわれても、呼べばいそいそと寄って来るのがつぼに嵌った。しかも、懐くほどその冷然とした美貌を緩めて笑いかけてくるのに、やはり悪い気はしない。
同じように感じたらしいうちの小隊の皆がフィルをいじり倒すようになるまでさほど時間はかからなかった。アレックスだってからかいこそしないものの、一緒になって笑っていることは珍しくない。
だから全員が危なっかしい、手のかかる弟を見るような気持ちなのだと思っていた。
「おい、アレック……」
ある日、騎士団本営三階の廊下でアレックスを見かけて声をかけようとした瞬間のことだった。何かに焦がれるかのような彼の表情に、オッズは途中で口を噤む。
(なんだ……?)
見慣れているはずの自分でさえ息を飲むような、憧憬と熱を含んだ視線をアレックスは眼下の鍛錬場に向けていた。思わずその先を辿って見つけたのは――フィル。
「オッズ? どうかしたのか?」
そのオッズに気付いて顔を向けてきた時には、いつも通りのアレックスに戻っていた。
「……そういや」
あまりの落差に思わず首を傾げた瞬間、頭に浮かんできたのは……。
「例の子、どうなってる?」
「っ」
虚を突かれたらしいアレックスは左手で顔の下半分を覆って、眉根を寄せた。これは奴が赤面を隠す時の動作だ。四年も見ていればさすがにわかるようになってきた。
(ま、見間違えだな。純情アレックスには何年も思い続けている『例の子』がいるじゃねえか)
オッズが思わずにやりと笑うと、アレックスは恐ろしい顔で睨んできたが。
「アレックスの『本命』……」
「そう、探って来い」
「補佐では無理だったが、歳の近いお前ならいける」
「あのアレックスでさえお前には甘い。必ず隙を見せるはずだ」
「隙……ええと」
「アレックスをからかうネタに……いや皆で温かく見守るために」
「あのアレックスで遊ぶ……野望だな。なんせ社会勉強だ、フィル」
「遊ぶ? 社会、勉強……?」
「常識、身につけたいだろう?」
「それって、暗に非常識だって仰ってるんですよね……?」
「いや、暗にじゃなくて、はっきり言っているんだ」
「……」
「上手く行ったらお前も友達を紹介してもらえるぞ」
「そしたら彼女持ちだ」
「はあ、彼女……」
「何だ、お前も好きな子がいる口か?」
「好きな子……あの、」
「お、恋の相談なら俺が相手してやるぞ」
「散々機会があってなお一人身の癖に」
「やっぱ真剣に恋愛するなら既婚者の俺だろう」
「年寄りは引っ込んでいてください」
「そもそも本命ってなんですか」
巡回に出るようになったフィルに告げられた裏使命――アレックスの“例の子”を探ること。
「やっぱ無理なんじゃねえ、そういうの、ほんと疎そう」
「「本命ってなんですか」ですしね」
「一番好きな子だって説明したら、「そういう好きに順番があるってことですか?」だもんなあ。俺は自分の穢れっぷりを突きつけられた気がした……」
「希少生物だよなあ」
そして、その企みがアレックスにばれた時、衝撃の事実は明るみに出た。
「だだだだから、本命を探して彼女を作るのに協力しよ、う、と……」
「――へえ」
今まで見たこともないような怒気だった。不遜と評判の第一小隊員が皆身を寄せ合って震えたほどで、オッズも小隊長も咄嗟に逃げた。要領の悪いフィルは直撃を食らって凍っていたが。
そう、アレックスの『本命』は、フィル。『弟』じゃなかった……。
理解はできる。フィルは美形だし、強いし、性格もいいし、懐いてくるところも放っておけないところも子犬のようだ。しかも、アレックスに特別に懐いていて、彼に寄って行ってはにこにこと笑う。あれは確かに可愛いだろう。
納得もする。あのアレックスがフィルを特別に可愛がっているのも、あれだけ振り回されるのも特別な感情ゆえ、と考えれば。
だが、一方で疑問は消えない。『例の子』であんな風に感情を乱すアレックス――奴がその子を諦めるとか、あるのだろうか?と。
「お、フィルだ。……ほんと、相変わらずだなあ、あいつ」
冬の寒さの厳しい日だった。その日の期生別の講義の帰り、鍛錬場で第三小隊長のカーランと手合わせしているフィルを見つけて、オッズは呆れまじりにつぶやいた。押されまくっていて防戦一方、必死な顔をしているくせになぜか楽しそうにも見える。
「……」
だが、横のアレックスはオッズが苦笑する同じ光景を前に、いつかと同じ顔を見せた。
「…………お前、ひょっとしてフィルと昔から知り合いなのか?」
「っ!」
本当になんとなく、だった。だが、その瞬間アレックスは音を立てるかのように固まり、顔から血の気を失わせた。オッズは目を見開く。
「……マジで?」
(ってことは、フィルが『例の子』……? そういえば、フィルも金髪だ……)
となると、いつだったかオッズがフィルの家族のことを聞いた時、アレックスがフィルに声をかけて連れ出したのも偶然じゃなかったということになる……。
「……違う」
「今更だろう」
「……うるさい」
「フィルは知らないのか」
「……」
「へえ、そうなんだ」
そう言って笑い出せば、アレックスは悲愴な顔をした。
「……」
こいつ、こんな顔すんのか、と一瞬呆けた。
「……言わねえよ。誰にも、本人にも」
思わずそう口にすれば、アレックスは安堵を浮かべながらも頼りなげな顔をした。その表情に、そういやこいつ四つも年下だったな、と久しぶりに思い出す。
「からかうけどな、こっそり」
「……っ」
(こいつのすかした顔を歪ませられるのって貴重だよなあ)
* * *
ちなみに、フィルが女だとオッズが気付いたのは、そんなに後のことじゃなかった。
始めはなんとなく、どことなく空気が違う、って程度に。確信したのは、フィルが自分の殺した相手をそりゃあ大事そうに抱えて、殺気を流したまま血の中に佇んでいたあの晩だ。普通じゃ有りえない話だけど、それにこいつは男じゃないと感じた。
時間が経つにつれて、同じように気付く奴が増えていって、それぞれがこっそり胸を撫で下ろしていたのを知っている。ああ見えて世話好きの我が小隊員たちは、かなり心配していたから。いくらアレックスでも、同性でその気がない相手だと少し厳しいかもしれない。フィルゆえにあれほど変わったんだ、そうなったらいつか壊れるんじゃないか、と結構な奴が思ってたはずだ。
付け加えるならフィルが女だってのは、誰も問題にしなかった。文句なしに強いし、その辺の男よりよっぽど紳士で性格だって騎士そのもの、しかも色気とかいっそ見事なまでに皆無だし。
「まあ、万が一気付いてなんか仕掛けて来る奴がいたら、今までみたいに“手合わせ”願うとするかあ。骨の一、二本折れても訓練中の不幸な事故だ」
「取り囲んで、国境警備隊や地方警護隊の魅力について“お話しする”というのも至極平和でいいですけどね。異動願いを書きたくなっちゃうかもしれませんが」
「うちからおもちゃを取り上げようというんだ、相応の覚悟をしてるだろ」
そう示し合わせて、皆で人悪く笑う。
そのフィルがアレックスを好いていると気付いたのも結構すぐだった。
フィルはアレックスが関わる瞬間だけ、思わず唖然とするような、男では有りえない類の表情を見せる。
「賭けしようぜ、上手くいくかどうか」
「じゃあ……」
「上手くいくに」
「俺も」
「当然」
「……賭けになんねえじゃねえか」
「じゃあ、時期にしましょう。一ヶ月以内、それ以上二ヶ月以内、それ以上三ヶ月以内……」
「うわ、それ難しいな。アレックスは明らかだけど、フィル、絶対それに気付いてないぜ」
「それどころか自覚もないだろ。」
「お子さまで常識なし、女友達なんかからその手の話を聞く環境にもない、生命に関わること以外究極に鈍い、楽観的で深く考えない――絶望的だな」
「楽しいよなあ、“苦労するアレックス”なんて想像したことすらなかった、俺」
「長生きはするもんだ、こんなおもろいもんが見れるなんて……」
「とにかくルールは三つ。フィルに自覚を促さないこと。面白くないからな。それからアレックスを煽らないこと。奴がそんなのに乗るとは全く思わんが、「押し倒せ」とか厳禁だぞ。ただし、邪魔しそうな奴がいたら妨害すること」
「過保護は良くないが、全員「上手くいく」だからな、最後は利害の一致だ。過保護なわけじゃない」
そう言って皆でにやにや笑い合う。
本当に、四年前には想像もしなかった。
うちの小隊は“異質”なおもちゃを増やして今日も楽しい。




