4.変幻の蕾
フィルはそりゃあ変わった奴だった。
近寄りがたいほど整った容姿も、強さとそれへの執着もアレックスと同じ。貴族の血を引いているらしいところもまあ、似ている。だが、フィルはやたらと人好きのする奴だった。
まずあのアレックスにあっさりべったり馴染んだ。
周囲の怪訝そうな顔も遠巻きにする視線も一切お構いなしに、まるで雛のようにアレックスについて歩き、アレックスを見つけると嬉しそうにすっとんでいく。アレックスの言うことをほぼ無条件に信用し、困った時は必ずアレックスを見てその表情を確認、対処の参考にしている。
「俺は時々フィルに子犬の尻尾が付いていないことを不思議に思うことがあるんだ」
「上手い表現だな、それ」
「そ、そうか、俺、騎士辞めて作家になろうかな?」
「馬鹿」
はたから見ていてそれは子犬のようで、あのアレックスがフィルには表情を緩める理由を理解した。
旧王権で結構な権勢を誇り、けれどしたたかに内戦後も存在している侯爵家の領地の出であるスワットソンは、嫌な思い出が多いらしく、貴族であるアレックスを激しく嫌っている。
「お前らは別に訓練なんかしなくったっていいだろう? ちっさい頃から金に物を言わせて、稽古だってし放題だったんだろうが? 腕がいいのは当たり前だよな」
アレックスが危惧していた通り、彼の相方となったフィルも、彼をはじめとする者たちに絡まれるようになった。
「? 確かに三つの時から習ってましたけど、教えてくれたのは祖父です」
だが、どれだけ嫌な絡み方をされようと、奴は持ち前の能天気な空気を崩さない。
「……じゃあ、“血筋”とやらがいいんだろ」
「血筋……でも私の兄は鈍いですよ。一度本棚の上から落ちてくる本をじぃっと凝視したまま、額に角を直撃させているのを見ました」
痛そうでしたよ、ついでにめちゃくちゃ不思議でした、と眉まで顰めて答えて、彼らの毒気を抜いた後。
「だから努力しているからです、強いのは。だからまだまだ上達します」
そう胸を張った。
「とりあえず目標は打倒ウェズ小隊長!」
ちなみに、うちの小隊長はああ見えて前回の御前試合の優勝者で、今やこの国最強の騎士として外国にまで名を知られている人だ、あんな中身だが。
「その次はポトマック副団長!!」
さらにちなみに、彼は彼で御前試合を五連覇した伝説の人。しかもあの“剣聖”アル・ド・ザルアナックの一番弟子だ。
側で聞いていたオッズですらさすがに呆れたし、一緒にいたアレックスはスワットソンに悟られないように俯いてはいたが、その肩が震えていた。
「だから一緒に練習しましょう!」
だが、フィルは大真面目。そうしてひねくれたスワットソンをも面食らわせると、にこっと笑い、手合わせに誘う。そしていつの間にか彼にすら馴染んでいった。
騎士の誰もが恐れる、そのポトマック副団長が鍛錬場に現れた時には、言葉どおり真っ先にすっとんでいって、稽古相手を頼む。ボロボロにされても懲りずにまた。
あの鉄面皮がその都度緩んでいるのは気のせいではないと思う。
同期たちと仲がいいようで、今年の新人たちが中々脱落しない原因の一つになっている。
自身おかしな失敗をしょっちゅうしでかして、その度にひどく落ち込むくせに、負けず嫌いで必ず這い上がってくる。あれを見て皆自分もまだやれる、と思うのだろう。
気取らない性格で、街の人たちともすぐに仲良くなった。
見た目も手伝ってか、すぐに少女達の視線をアレックスと同様に集めるようになる。だが、アレックスと違い、そんな子達とも陽気に笑い合っている。
そんなフィルはやったらめったら強い奴だった。
稽古の時だけかと思っていたらそうではなく、フィルの強みはむしろ実戦にある。背があるばかりで非力な体格を補うためなのだろうが、実戦でフィルが見せるのは稽古とはまったく違う空気で、得意なのは剣の討ち合いではなく、一瞬での急所攻撃――つまり殺すか重症を負わせるかして攻撃力を奪うもの――だった。
真剣を扱って、命のやりとりをするような場面にも慣れているようだ。
「あいつ、普段かなり抑えてるよな」
「あー、時々ヤバい気配出すって話だろ?」
稽古中、こっちのペースで事を運んでいるつもりになっている時、フィルがスッと目を細める瞬間があって、そういう時はいつも冷や汗が出た。慌てて飛びのいてみれば、フィルは元に戻っているのだが。
「あいつが相手を殺すつもりになったら、逃げられる人間なんてそういない気がするんだが……」
「怖い怖い」
剣以外の武器もお手の物で、弓もナイフも槍も自分の体の延長のように操る。しかも、体自体が武器がわりになるようで、素手で相手を制するのも簡単なようだった。
戦闘になるような場面でのアレックスとの息はぴったり。信頼しているとわかる動きで、二人揃うと有り得ないような強さを発揮した。
アレックスがあんなに伸びやかに攻撃的に剣を振るうなんて知らなかった。彼の窮地はフィルが救い、フィルの窮地をアレックスが必ずフォローする。
そんなこんなで、どんな教育を受けてきたのかと思って一度フィルに家族や剣の師について訊ねたら、奴は表情を瞬時に凍らせ、蒼褪めた。
「フィル、巡回に出るぞ」
アレックスが声をかけてきて、それでお終いになったけれど、複雑な環境の奴らしいことをそれで知った。いつも陽気で能天気だから、余計意外な気がした。
* * *
アレックスと言えば、そんなフィルが来てからひどく変わった。正確には今まで見えていなかった部分が見えてきたというのが正しいかもしれない。
「一体、何が起きたんだ……」
「さ、さあ。フィルがなんかアレックスに話しかけて、そしたらいきなり……」
眉をひそめ、首を傾げているフィルの前に、身を折って笑っているアレックス。
それが次第に珍しいことじゃなくなっていって、イメージとは正反対にアレックスが実は結構な笑い上戸だったと知った。
「おい、アレックス、フィルが……」
「今度は何だ……」
呻くようにアレックスが呟いて、駆け出すのが日常となった。あいつが蒼褪めて慌てたり絶句したりする日が来るなんて想像すらしていなかった。
「どうした、フィル?」
「アレックス……すみません、またやってしまいました」
ひどく落ち込んだフィルが、アレックスの元に失敗の報告をしに来ることは珍しくなく、その度にアレックスが苦笑するのも。
フィルはどこか抜けていて、しょっちゅう迷子になり、頻繁に騒ぎに巻き込まれている。相方のアレックスは必然的にその巻き添えを食らわされることになって、表情に変化が増えた。
アレックスが結構過保護なのを知ったのもその頃だ。
今までは一番下だったから気付かなかったのかもしれないが、フィルの失敗を丁寧にフォローし、奴のおかしな行動を最初に予測して止めに走る。
奴が消えた時に最初に見つけ出すのも大抵アレックスだし、酒の席でも無理をしていないか、させられていないか、自分のこと以上に気にかけている。
見た目のいいフィルに付きまとっていた、見ていて胸糞の悪くなるような目線も、いつもアレックスが最初に気付き、本人が気付く前に対処していた。……いや、まあ、本人は永久に気付かないか。
一度などはフィルに実際に危害を加えようとしたやつの骨を計二本、凍れる空気と完璧な無表情――ちなみに究極に怒っている時の顔だ――で、殴り折っていた。
自分が同じ男に手を出されそうになった時は、冷めた顔でただかわして終わりにしていたくせに。
「フィルに何かあれば殺す」
とどめは壁へと倒れこんだ男の襟首を掴みあげての、凍るとしか言いようのない目線と声での脅し。
(何かすれば、じゃなく、あれば、かよ……。こいつ、マジで言ってやがる……)
証拠の有無も問わない気だと悟って、さすがのオッズもドン引きした。
「フォルデリークさん、助けてくださいっ」
「アレックス、頼みの綱なんですっ」
「……次の科目は」
アレックスは実はお人よしじゃないかとは思っていたが、あそこまで面倒見のいい奴だなんて知らなかった。フィルだけじゃない。新人たちもアレックスに懐いて、事あるごとに奴に付きまとっているのを見かけるようになる。
フィルが来て、アレックスの周囲にあった距離が急速に縮まっていく。
こちらが気にせず踏み込めば、アレックスが顔を引き攣らせたってそれに応じる奴であることを知り、それが面白くてうちの小隊はますます楽しくなっていった。




