2.変位の根
オッズの同期であり、同じ小隊の仲間でもあるアレックスは、彼と同じ年のオッズの弟と比べてはるかに大人びていたが、別の意味で手がかかった。そして、可愛くはないが、気のいいガキだった。
「あまり俺と関わらない方がいい」
同期が敬遠する自分と親しくすることで、オッズが迷惑を被るとでも思ったのだろう、入団からしばらくしてそう言った。
「ガキ」
「……っ」
「俺は俺のしたいようにするんだ、指図すんな」
「……」
ふてぶてしく断じれば、アレックスは言葉を詰まらせた後、息を吐き出しながら小さく笑った。その表情がどうしようもなく幼くて、オッズはその日の午前に彼と手合わせして負けたことをひどく悔しく思った。
「そういや、なんだって近衛じゃないんだ?」
「強くなるために相応の場所にいる」
周囲がうるさく「貴族なら貴族らしく近衛に行けばいいのに」と影口を叩いているのにむかついて、一度そいつらの目の前でアレックスに訊ねた。
案の定というか、アレックスはなんでもないことのように、ただし真剣そのものにそう答えて、奴らを鼻白ませた。
「おい、試験のヤマ教えろ」
「ヤマなど張ったことはない」
「嘘付け、いっつも満点じゃねえか」
「前に一度読んだことのある本だ。できなきゃおかしい」
「いっやな奴っ。じゃあ、俺のために張れ」
嫌そうな顔をしながらも結局やる辺り、アレックスは実は押しに弱い。
そんな感じで勉強に関してはムカつくやつだったが、基本は「……頭おかしいんじゃね」と言いたくなるくらいに努力家。
いいところの貴族の出で、騎士団での生活なんざ、わからないことだらけだっただろうに、知らないことは知らないと言って誰にでも教えを請い、もくもくと取り組む。
箒の使い方をジィッと見ていたアレックスが、陰でそのまねをしていた時は悪いとは思ったが、笑ってしまった。
中でも剣技に関しては、特に執着しているようだった。
「おい、飯食いに行こうぜ」
「後で」
鍛錬場で一人黙々と剣を振っているのは珍しいことではなかった。誰か自分より強い者と対戦した後は特にそうだった。負けた相手が副団長だろうと小隊長達だろうと、負けた後は悔しそうな顔を隠そうともしない。
剣の腕は新人の中でも群を抜いていた。加えてまだ身体が出来上がっていないことを考えればさらに伸びるだろうと誰もが言っているのにも関わらず、だ。その貪欲なまでの強さへの執着は鬼気迫るものがあった。
アレックスが足を踏み入れた瞬間、期生別講義の部屋の空気が敵意と敬遠に満ちて凍るのはいつものこと。
「おーおー、いつもながら空気わりいなあ」
敢えてそう声に出してやると、多くの者が視線を逸らして俯く。
オッズはそういう奴らが一番嫌いだが、アレックスは意に介した様子もなく、いつもオッズを呆れたように見ている。さしずめ「よく飽きないな」とでも思っているのだろう。
気は強いが、他者には向けられない。
「おい、おまえポトマック副団長の弟子なんだって? 汚ねえよなあ、どんな手でここに入ったんだか」
「ここはそれが許されるような場所ではないはずだ」
謂れのない嫌がらせにも激昂しているのを見たことがない、すかした十四歳。
そんな態度が余計反感をかっているとわかっているのだろうに、絶対に媚びないし、自分のあり方を曲げない――まあ、そういうところが気に入っているのだが。
冷静沈着で感情の起伏は驚くほど少なく、偶に見せるそれも慣れていないと気付かないことが多い。
「あいつ、何やったんです?」
そのアレックスが一度だけ殴り合いの喧嘩をして、鬼の副団長に呼び出されたのは入団から二ヵ月後のことだった。有り得ないことだと思っていたから、興味津々に尋ねたオッズに小隊の皆は笑った。
「オッズ・イゼアは保身のために貴族に媚びる奴だ、と言った奴と殴り合いになったらしい」
可愛くないガキだと思ったけれど、その晩顔を少し腫らしたその十四歳を飲みに連れ出した。
そんなこんなで実に変わった奴ではあったが、加えてアレックスは人離れして整っていた。男女問わず注目を引くほどに。
オッズや小隊の皆の危惧どおり騎士団でも何度か襲われそうになったようだが、それも溜め息をつくぐらいで周到にかわしていた。
入団後三ヶ月経って巡回に出るようになってからは、出自とあわせてその容貌で街中の話題と注目をさらうようになる。
「外に出るたびに、建物の影とかから年頃の女の子たちが顔真っ赤にしてアレックスを眺めてんだぞ。やりにくいったらねえよ」
「貴族って言ったって、手が届きそうな気がすんのかねえ。俺らに混ざって騎士なんかやってるし、次男だし」
奴の相方のイオニア補佐が苦笑交じりにぼやくほどに。
ちなみにその硬い空気が災いしてか、皆遠巻きに見るだけ。「もったいねえ」と呟くと、不思議そうな顔をする点だけは、年齢にふさわしくちゃんとお子さまだった。
「結構だ」
オッズがこっちに出てきて最初に出来た彼女が、そんなアレックスを自分の友達に紹介して欲しいと頼んできた時、試しに声を掛ければ、あまりにきっぱりと断られた。
「彼女欲しくないのか? 俺も見たけど可愛い子だったぞ」
「遠慮する」
「一つ年上ってぐらい気にすることはないだろ」
「そういう問題じゃない」
珍しく押しても引いても駄目で、ついに思い当たる。
「好きな子がいるのか?」
「っ」
そう言った瞬間、アレックスは真っ赤になった。初めて年相応の動揺を見せた彼に、オッズは思わず目を丸くした。
「誰だ?」
「……」
「金髪の子?」
「っ」
何回か、はっとしたようにアレックスが視線を向けたのを見たことがあったな、と思って適当に言ってみれば、意外にもアレックスはあっさり引っかかった。
「お前、面白いガキだなあ、他の時は完全に表情消せんのに」
「……」
「それだけその子が特別ってことかあ」
「……っ」
「ぶっ、わはははははっ」
「……オッズ、覚えてろよ」
「なあなあ、年下なのか」
「……」
「あ、逃げんなこら」
耳まで赤くしたアレックスは、その後は押しても引いても宥めても脅しても貝のようになって頑として口を割らなかった。
「恒例の正騎士昇格記念だ」
「不要です」
「そう言わずに。皆が経験する道だぞ」
「結構です」
ウェズ小隊長らに花街に連れて行かれるとなった日。氷のような表情のまま頑なに拒否する姿に、『ああ、なるほど、例の子か』と思ってつい笑うと、奴は頬を染めた。二回目だった。
たったそれだけのことで全て読んでしまうのが、我が第一小隊が第一小隊たる所以。ははーんと皆がにやりと笑った。
「純情なのはいいがな、アレックス。その大事な子を前にして恥をかいてもいいのか」
「……っ」
「リードできるようになっておいた方がいいんじゃないか。上手いにこしたことはないし、もう十五だろう」
「……」
「下手で嫌われることだってあるぞ」
「……―――は、そんなことは……」
名前は聞き取り損ねたが、露骨に動揺するアレックスを初めて見て、皆で必死になって驚きと笑いを堪えた。『嫌われる』が効いたらしく、結局連れていかれていたが。
「いつかその子にばらしてやる」
そうからかったら、盛大に顔を引きつらせてから、刺し殺す気じゃないかという目で睨んできた。
「では、もう試験の手助けはしてやらない」
背に腹は代えられないので、忘れると約束させられた。ただでさえ可愛くないアレックスの背は既にオッズを追い越していて、ますます可愛げを失っていた。
花祭りに開かれる剣技大会では、当然のように騎士団の代表に選ばれ、やはり当たり前に優勝した。
表彰式での恒例の儀式を境に、第一王女とアレックスが付き合っているという噂が流れる。
王女が“例の子”ならそりゃあ話もしないないはずだ、と思っていたある日、アレックスと一緒に街を歩いていたオッズは、偶然を装う彼女に出くわした。が、近衛騎士を引き連れたそいつは、汚いものでも見るかのようにオッズを扱う、ひどくいけ好かない女だった。
長く付き合ってなきゃわからない程度ではあったが、アレックスは彼女の態度にいらだちを顔に載せる。
「失礼、任務の中途です」
仕事をでっち上げてそいつを突き放し、オッズの肩を叩いて歩き出したその様子に、王女が例の子ではないことを知った。
「危うくあれがおまえの例の子かと思うところだった」
自分のことじゃ怒らないくせに人のためには怒る可愛くないガキを照れ隠しにからかった。
「一緒にするな」
心底嫌そうに眉を顰めたアレックスは、思わずという感じでとボソリと呟く。
「ふーん、性格いい子なのか」
そうニヤッと笑ったオッズにすぐ顔を引きつらせていたが。
声変わりも完全に終わって、少年そのものだった体格も充実していく。当然女にますます人気が出て、反比例するように騎士団ではますます浮いていった。
街中でも同じで、誰もが遠巻きにアレックスを見る。イオニア補佐曰く、「たとえ殴り合いの喧嘩があっても、アレックスを視界に入れた瞬間に皆動きを止める」のだそうだ。
それでも本人は相変わらずだった。
周囲から取られる距離を当たり前に思っているようで、特に気にしている様子もない。第一小隊員たちとの距離は比較的近いと思うが、それもそれ以上縮まる気配がなくて、オッズはいつしかそれが奴の人との距離なのだと思うようになった。
そうして、時はそのまま過ぎていく。
カザレナの街中での事件を共にこなし、国境紛争などで大きな遠征も何度か経験。
アレックスはやはり嫌味なくらい優秀で、ごく一部から絶大な信頼を得るのと引き換えに、その他大勢からますます孤立していく。
オッズと変わらなかった身長は伸びに伸びて、成人男性の平均をゆうに頭一つ越した。 少年らしさが全くなくなり、精悍にすらなって、今度は同性のオッズですら見惚れるような色気まで出てきた。純情なのから色っぽいのまで、当然その手のお誘いはひっきり無し。
「一人ぐらいまわしてくれ」
入団からもうすぐ四年という初夏のある日、一緒に出かけた街で声をかけてきた女の子の告白を断ってきたアレックスにそう言うと、思いっきり嫌そうな顔をされた。
「しっかし、一途も一途、純情だよなあ」
懲りずにニヤッと笑えば、アレックスは例の凍るような視線で睨んでくる。それでも他の奴らと違ってオッズが凍らないのは、四年の修行の賜物だ。
「でもさ、少しぐらい他の子にふらついたりしないのか」
ふと疑問に思ってアレックスに訊いてみた。一生懸命な告白はいじらしくて、傍で見ていたってそりゃあ可愛らしい。
その質問にアレックスは不思議そうな顔をした。
「考えたことも比べたこともない。彼女は彼女だけだ」
その子しか意味がないと淡々と口にしたアレックスに、呆気に取られた。
まあ、俺だってこの女って決めたら他はありえなくなるけど、こいつの場合、まだ彼女って訳じゃ、と思ってから気付く。
「ひょっとしてもう両思い……まさか婚約済みか?」
そういやこいつ貴族だったなと思い出して訊ねると、アレックスは顔を歪めた。
「……違う」
苦々しく呟いた顔はもうガキじゃなかった。
呆れたくなるくらいずっと“例の子”を想っているようなのに、その子がアレックスの側に現れる気配がないことをオッズはひどく怪訝に思っていた。
(ひょっとして、その子に対してもこんな距離で接してんじゃねえだろうな。浮ついた子じゃないみてえだし、それならいくらこいつでも上手くいかねえのは、しゃあねえのかなあ)
――そんなことを考え始めていた時だった。違う、と気付いたのは。




