4-11.運と努力
「第一小隊十名弱であの凶悪な奴ら四十人だろ、やっぱあの集団おかしいよなあ」
「あそこに盗賊が出るんじゃないかって見立てたのも、第一のフォルデリークだそうだ」
「あいつ、貴族のくせに腕も良けりゃ頭も切れるんだよなあ、どこまでも嫌な奴」
一夜開けて騎士団の昼の食堂は、『悪魔憑き』と呼ばれた盗賊団の逮捕に沸き返っている。
「そういやその中の例の殺人狂を仕留めたの、フィル・ディランだとさ」
「罠を抜けて逃げようとした連中を捕まえたってのも奴だろう」
「まじかよ、新人だってのに」
噂の彼らは昨晩のその件ゆえに、今日の午前中は特別休暇だ。
同期と一緒に食堂の一角に座ったヘンリックは、周囲の噂話に耳をすませながら、昼食のシチューのニンジンをつついている。
「かっこいいよなあ」
憧れの色を隠そうともしないで呟いたのはロデルセンだ。第二十小隊に所属する彼は、昨日その貴族の屋敷にいたという。ただ、『まだ危ないから』と戦闘になった場面からは遠ざけられていて、結局フィルやアレックスたちの活躍は見逃したらしい。
「さすがだよなあ」
「ちくしょー、俺も活躍してえ」
口々にそんな台詞を発する同期たちとは対照的に、ヘンリックの気は重い。
親友であるフィルの活躍は誇らしい。その相方の、ヘンリックの憧れの人でもあるアレックスの活躍も嬉しい。未だにしつこく彼を悪く言う奴に指を突きつけて、『見たか』と罵ってやりたいくらいだ。
「……」
だが、ヘンリックは昨日、宿舎に戻ってきたフィルたちを偶然見てしまった。全身血まみれで無表情にアレックスの後ろを歩いていたフィル――。
(一見普通に見えたけれど、あれ……)
匙でニンジンをすくって口にし、ヘンリックは大きく顔をしかめた。
食堂のざわつきが一際大きくなった。
皆が見ている方向に顔を向ければ、今まさに噂されていたアレックスとフィルがいる。アレックスはいつもの無表情だけど、フィルは皆の視線に嫌そうに顔を歪めていた。
珍しいと思った。よく衆人の注目の的になるフィルが、そんな表情を表すことは滅多にない。
「……」
それでも少しほっとした。アレックスがそんなフィルになにか話しかけて、それで彼女は少し笑ったから。
「おい、フィル聞いたぞ、盗賊六人!」
昼食のトレーを持って歩き出したフィルにどこからともなく声がかかり、フィルはそれにぎこちなく笑い返した。
「お前、体術も習ってたのか?」
「ええ、まあ……」
律儀に答えるフィルを、横のアレックスが心配そうに見た。そして皆の視線からフィルを遮るように何気なく立ち位置を変える。
「おーい、フィル、アレックス、こっちこい」
「来んのがおせえよ」
「おう、ありがたく座れ、席取っといてやったんだ」
そう二人を呼んだのはウェズ小隊長を始めとする第一小隊の面子だ。その彼らを見て、アレックスがほっとしたように息を吐き出した。
(やっぱ何かあったんだな)
ヘンリックはそう確信する。アレックスがフィルに甘いのをはじめ、第一小隊の皆がフィルを可愛がっている(遊ばれているとも言う)のはいつものことだけれど、それでも彼らのフィルに対する仕草はいつもとちょっと違う。
「そういや例の殺人狂……」
そんな第一小隊のバリアにもめげず、誰かがそう言った瞬間だった。
「……」
ぴたりと動きを止めたフィルを中心に、食堂全体の気温が下がったような気がした。
恐る恐るヘンリックが第一小隊を見ると、全員があちゃあという顔をし、アレックスにいたっては天を仰いでいる。
「犯罪者は犯罪者ですが……」
地を這うような声に肌があわ立った。
「二度とそのようには呼ばないでいただきたい」
言葉はいつものように丁寧に、ただ空気で『殺すぞ』と言わんばかりに脅して、フィルはトレーを持ったまま踵を返すと外へと歩いていく。
そして、食堂は戸惑いをいっぱいに含んだ沈黙に覆われた。
* * *
食堂から出て行ってしまったフィルを追い、アレックスは中庭へと足を踏み入れた。予想通り彼女はそこで一番大きな木の根元のベンチに、ぼんやりと腰かけている。
「フィル」
声を掛ければ、彼女は気まずそうに視線をそらした。膝の上の昼食に全く手がつけられていないことを確かめて苦笑すると、アレックスは彼女の横に腰をおろし、持ってきた昼食のトレーを膝に置いた。
「一緒の方が美味しいだろう?」
昔そう言ったのはフィルだった――。
まずい、いい加減俺があの『アレク』だと気付かれるかもしれない、と一瞬焦ったが、微かに笑ったフィルの顔に、それでもまあいいか、と思ってしまう。
「一緒に食べようと言われて嬉しかったんじゃないか、サーシャも」
そう続ければ、目をみはった彼女はそれから泣き笑いを顔に浮かべた。
「……そうだったらいいな」
そして、ようやく冷え切ったスープに手をつけ始めた。
冬の冷たい空気が緩やかに動いて、昼の日の温かみを指先から奪っていく。自分の体温で温められている金属製のスプーン、その感触がやけに生暖かい。
二人並んで無言のまま食事をとるうちに、アレックスの頭に浮かんできたのは、フィルが昨日ポツリポツリと話した、何十年も昔の少年と少女の不思議で悲しい話。
『幽霊』なるものが本当にいるのかわからない。フィルの言うサーシャが本当にあの男のサーシャだったのかもアレックスには判断が付かない。
だが、幽霊を信じて怖がるくせに、痛そうに、だが大事そうに少女のことを話したフィルを見ていて、そして血の海に沈んだあの男の顔に浮かんでいた笑みを思い返して思う。
誰かを想う気持ちが、生も死も越えて存在したとしても不思議はないのかもしれない、と。
「……誰かを守りたいとどれだけ強く願っても、報われないことだってありますよね」
動かしていた手を止めて、フィルがふと呟いた。感情の篭らないその言葉に、心臓がドクリと音を立てた。まるで自分のことを言われているように感じる。
「サーシャもコーダも一生懸命だったのに……」
歯車が噛みあわない、そんな時。めぐり合わせの悪い時。運のない時――それは確かにあるのだろう……。
冷たく乾いた風が、緩やかに後ろから吹いてきて、彼女の金の横髪を揺らした。それがどこか遠くを見つめている緑の瞳をアレックスから隠す。
「……っ」
焦燥を覚えた。
(報われない? こんなに想っていても――)
「でも、」
その風が落ち着いた時、フィルはにっと笑ってアレックスを見た。思わず目をみはる。
「諦めません。みっともなくても、絶対に。大事なものだから、最後には自分の手で守って笑わせてみせる」
そして、「それで自分も笑う、できると信じて前に進みます」と言い切った。
「その為にまずここで、居場所を作らないと」
元気に言って立ち上がり、フィルは大きく息を吸い込んで、アレックスへとにっこり笑った。
「行きましょう、アレックス」
「……」
(ああ、フィルはこうだった。いつだって信じられないくらい前向きで、いつだってこうして俺をひっぱりあげる――)
「……俺も諦める気はない――絶対に」
決意を込めて笑い返したアレックスに、フィルは目を丸くし、それから小さく声を立てて笑った。
背後から冬にしてはやけに生温かい空気が吹き付けてきた。二枚の落ち葉を巻き込んだその風は、フィルの周囲をくるりと一周した後、天へと吹き上がっていく。その色は青く澄み、冬の終わりが近いことを感じさせるものだった。




