4-8.錯誤
夜の帳にすっかり覆われた閑静な高級住宅街の一画、とある貴族の屋敷。
フィルたち第一小隊は、罠が張られているとも知らずのこのことやってきた『悪魔憑き盗賊団』を追い詰めている真っ最中だ。
既に面子のほとんどは捕まっていて、腕と機転の利く、幹部格と思しき連中ばかりが逃走を図ったのを、咄嗟に追ってきたわけだが。
(……囲まれた)
それぞれの得物を持った盗賊六人に周囲を固められたフィルは、彼らから露骨な殺気を向けられて眉を顰める。
「逃がすな、殺すな、ディランっ」
「証人だぞっ、しくじんな、新人っ」
そんなフィルに向かって、建物の上階から声をかけてきたのは、第二十小隊長とその補佐だ。頷きはしたものの、結構ひどい要求をされている気がする。騎士団の頭脳と言われる第二十小隊は人使いが荒いと評判だが、噂どおりのようだ。
盗賊の一人のブーツがジャリっと音を立てた。攻撃の間合いを計り始めたと悟って、フィルは意識を彼らに戻す。体系だった正規の訓練を受けたわけではなさそうだが、盗賊たちはそれぞれの武器を扱いなれている。
「なあ、見逃してくんねえ? 俺たちが殺ったのは庶民を食い物にしてる奴らばっかだぜ?」
「ただの使用人も殺しているだろう」
「そこは不可抗力ってやつよ。こっちも捕まりたくねえからな」
「これまではそうじゃなかったと聞いている」
「悠長なことやってんの、馬鹿らしくなったんだよ。頭もうるさく言わなくなったからな。これが終わったらカザレナからはさよならするからさあ」
「なら、なおのこと逃がす訳にはいかない」
フィルは勝手に体が動いてしまうことを恐れ、愛用の剣をしまった。
神経を研ぎ澄ましていく。相手の呼吸、血の巡る音、些細な体の動きが空気を動かして生まれる振動――それらが視界に入らない相手の動きをフィルに伝えてくる。
背後の盗賊が「舐めやがって」と口を動かしたようだ。フィルは唇の端に笑みを浮かべる。舐めていたのがどちらか、後で思い知るだろう。
同時にかかってきた二人の内、短刀を振り下ろしてきた男へと間合いを詰めると、内側からその腕を受け、同時に顎を掌底で打ち上げた。受け手をずらして短刀を握る手首をつかみ、関節を決めると、体勢を崩してもう一方に激突させる。咄嗟の動きを封じられたその男の側部へとざっと回り込むなり、後頭部へと手刀を打ち下ろした。背後から振り下ろされる刃物を右に避け、逆から体を捻り、回し蹴りで下顎を斜め上へと蹴り上げる。残りの三人の動きをやはり急所への打撃で止めると、フィルは息を吐き出した。
駆け寄ってきた第一小隊と、第二十小隊の面子を見遣る。
「動きは止めました……こんなふうではありますけど」
相手が相手、人数が人数だった。綺麗に失神させることができず、盗賊の内数名は吐き、その他は獣のように呻いている。
そこに、「どんな新人だ」とイオニア補佐が唸りながらやってきて、
「い゛っ」
いきなりフィルの頭に拳骨を落とした。
「この馬鹿っ、気付いたからって先に先に走って突っ込んでいくなっ。何回言えばわかるんだっ」
「えー…………だってアレックスだって」
盗賊たちが縛り上げられるのを横目にイオニアに涙目で抗議してみたが、ぎろっと睨み返されて、顔を引き攣らせる。
しかしそこはそれ、怒られなれているフィルだ。頑張ったのに理不尽すぎるという不満にも後押しされて、この場にやはりいないアレックスを引き合いに出し、儚い抵抗を試みた。
「あいつはいいんだ、何するか的確に告げてからいなくなるし、無茶はしない。一太刀浴びせた上で逃げた主犯を追った。ウェズも一緒だ」
イオニアは淡々とそのフィルに告げ、「大体おまえみたいな考えなしじゃない」と止めを刺す。
痛い指摘を食らって口を噤んだ後、フィルは顔を曇らせた。
「主犯……」
この場にいないあの男だ。空ろな水色の目の、恐ろしく腕のいい、そして、恐らくどこかを狂わせている男。
いくら腕がいいと言っても多分アレックスには、ましてウェズには敵わないだろう、そう思うのに、なぜかひどく落ち着かなくなってきた。
(……なんだろう、この感覚)
何かに呼ばれているような感じがして、フィルは屋敷の左方、濃い緑の方角へと顔を向ける。
「……追います」
「おい、フィルっ、お前、言ったそばから……っ」
そう叫んだイオニアの声は、走り出したフィルの意識を素通りしていった。
* * *
「っ」
先ほどまで捕り物をしていた屋敷を出た瞬間、目が影を捕らえた。心臓が大きく跳ねる。
今宵は新月――広大な敷地の屋敷ばかりが立ち並ぶこのあたりに街灯などはまばらで、周囲はさほど明るくない。なのに、二つ向こうの角から覗くその影が、フィルにはサーシャだとわかった。顔も判別出来ないと理性は冷静に告げるのに、その瞳の色が緑だとわかった。なぜこんなところに彼女が、と思う一方で、納得してもいた。
(……呼んでる)
声を聞いたわけでもないのに、動き出した影に今度はそう確信する。背後から数名の足音が聞こえるが、そちらに気を払うことも出来ないまま、フィルは暗闇の中その影を追う。
「ここ、は……」
そうしていくつかの裏路地や空き家を抜けて辿り着いた先は、フィルが嫌な感覚を持ち続けたあの『緑の屋敷』だった。今は無人のはずだ。
『おう、四番街あたりな、有名だぜ』
仲間の言葉を思い出し、背筋に冷たい汗が流れる。
フィルは顔を歪めつつも、固く閉まった門扉を飛び越え、人気のないその屋敷に足を踏み入れる。「あっちだ」とでもいうように勝手に動く足に引き摺られて。
「……」
古い木々の立ち並ぶ庭の中でも、一際大きな木。青い闇の中で黒々とした影を生み出すその木の根元で、ほのかな光を自ら生み出す金の髪が、土の湿り気を帯びた風にふわりとふわりと舞っている。その間からのぞく、自分と同じ色の瞳――そこに年に似つかわしくない深い悲しみが見えて、フィルは出会った頃の無表情とどっちがいいのだろう、とぼんやり思った。
「サーシャ」
フィルに呼ばれた少女は、「間違えちゃったの」と泣き笑いを返し、力なく左方を指差した。
「呼ばれた、のに、あんなになってたなんて、知らなかった……きっとだから呼んでたのに……」
「……サーシャ?」
「卵もイチゴも木の実のお菓子ももう喜ばないの、笑わないの……」
彼女の存在が急に空ろになった気がした。
「……助けて……フィル……」
草の匂いを含んだ風と共に、悲しげな声が微かに響いた。それがフィルの後方へと吹き抜けていくにつれて、少女の気配が遠ざかる。
「……」
フィルは早まったままの心臓を抱え、サーシャの指した方向へと顔を向けた。
(この先だ)
そう確信してしまう。
「サーシャ……やっぱり生きてたんだな……」
そして数十秒後、それが現実となったことに悲しみを覚えた。




