4-7.新たな謎
あれから十日ほど過ぎた。別れ方が別れ方だったので、フィルは気になって毎日あの場所に通っているのだが、その間一度もサーシャと会えていない。
日に日に沈んでいくフィルを見かねてか、その日は仕事が終わった後、アレックスが同行してくれていた。
「……いない」
いつもの時間帯、いつもの場所――でも、正直に言えば会える気もしていない。
やっぱりという気持ちとそれを不思議に思う気持ち半々に、フィルは眉をひそめる。
アレックスがフィルの肩をポンと叩いて、「その辺の人に訊いてみよう」と励ますように言ってくれたことで少し救われた。
フィルは彼と共に、いつもサーシャが消えていくさらに奥の路地へと足を踏み入れる。
「どうせどっかからかっぱらってきたんだろう。だったら今日もやって来いっ」
「うるせえ、違うっつってんだろうっ」
「馬鹿か、どこの誰があんな上等なもん、恵んでくれんだ。何でもいいからとにかく食いもん持って来いよっ」
薄暗く、すえた臭いを放つ路地から響いてきたのは、子供同士の怒鳴り声だった。
汚れた服装の、訛りの強い子供三人が、頭一つ以上低い男の子を壁際に追い詰めて取り囲んでいる。
(あの子――茶色の癖毛、水色の目、そばかす……)
「何をしている?」
アレックスが声を掛けると、子供たちは全員ぎょっとした顔をして逃げ出した。
「あっ、ちょっと待ってっ」
咄嗟にフィルはその茶色の髪の子を追った。
「待って、なにもしない、話が聞きたいだけ」
そう言いながら走り続けること数区画分。やっとその子に追いついて、問い質した内容――
『誰かが、俺が寝てる間に食べ物を置いていくんだよ』
『パンに入ったシチュー? なんだよ、返せってったってもう無理だぞ、入って出てっちまった』
『……サーシャ? 誰だそれ?』
『コーダなんて名前じゃねえよ。俺はサミだ。はあ、兄弟? 知るかそんなもん。生まれもここじゃねえよ、ミーズだ。くそ叔父んちに引き取られてきたけど、うぜぇからその辺で寝てんだよ、文句あっか』
* * *
「フィル、大丈夫か?」
「……アレックス」
あの後フィルは呆然としたまま、アレックスに連れられて宿舎へと戻ってきた。ベッドに腰掛け、頭を真っ白にしてただ床を見つめていたフィルは、呼びかけてきたアレックスへとのろのろと顔を向ける。
「……」
彼の青い目を見つめるうちに、少しだけ落ち着いてきた。透き通った深い青色――親友と同じ瞳の持ち主は、フィルの目の前まで来て床に膝をつくと、彼女と同じように頭を撫でてくれて、フィルが落ち着いて話すことが出来るようになるまで待ってくれる。
「……サーシャ、可愛いんです」
アレックスがフィルのすぐ横に腰掛けた。マットがたわんで、フィルは意識しないまま、彼の肩口に頭をもたれかける形となる。彼から伝わってくる温もりがひどくありがたい。
「コーダのためにって、渡した食事をいつも大切そうに嬉しそうに抱きしめていて……」
でも受け取ったのはコーダじゃなかった? あの子、サミはサーシャを知らないと……。では嘘だったのだろうか? でも何のために……。
アレックスが背後から回した手で、フィルの背を宥めるように軽く叩き続ける、その振動に救われる。
「大事な子を、守りたいのだと……」
あの日、コーダのことを話しながらサーシャは本当に幸せそうに笑ってくれて……一体、何がどうなっているのだろう。
「フィルはどう思うんだ?」
ゆっくりと穏やかにアレックスがつぶやいた。目を瞬かせるフィルに、「その子をどう思う?」ともう一度。
「どうって……」
『コーダが好きなの』
(あの顔が嘘……?)
フィルはしばらく考えて、首をゆっくりと横に振った。何度思い返してみてもフィルにはそうは思えない。
「何がどうなっているのか、俺にもフィルにもわからない」
落ち着いた声に顔を横に向ければ、アレックスの青い瞳が自分を見つめている。
「だが、その人に会っていない時に、周囲から得た情報だけでその人を判断することはよしたほうがいい。特に良くない情報でその人を悪く判断することは」
そう言って、アレックスは「往々にそうしてしまいそうになるが」と苦笑を零した。
「何か事情があるのかもしれない。聞いてみたら、「何だ、そんなことか」ですむ話かもしれないだろう?」
「……事情」
『あいつはずっと会いに来ないじゃないか。お前のことなんてもう忘れてんだよっ』
アレクのことをそんなふうに言う幼馴染のティムの台詞にフィルはずいぶん傷ついた。その度にそんなことはないと必死で思おうとして……。
でも八年間アレクに会いに行かなかったのは、フィルも同じだ。その時一緒にいられることがただただ嬉しくて、考えが回らなくて、アレクがどこの誰かなんて気にしていなかった。別れてからそれに気付いたけれど、祖父母も他の誰も彼女がどこの誰か教えてくれず、そのまま何年も過ごしてしまった。
(その間にアレクが『フィルがアレクを忘れた』と思っていたら……)
――それはとても悲しい。
頷いて再び顔をあげれば、アレックスは穏やかに笑いかけてくれた。その表情と瞳がずっと会っていない親友に重なって、フィルは彼にぎゅっと抱きつく。
「っ」
それからその顔を見上げ、「ありがとう、アレックス」とにっこり笑い返した。
信じてみよう――そう決めてベッドから飛び下りると、フィルは「気分転換にお茶、淹れてきます」と水場へと踏み出した。
「しんらい……いや、大事だが……」
「? あの、」
「……なんでもない。お茶、よろしく」
呻くような独り言に振り返れば、アレックスはベッドに腰かけたまま、肩も首も落として脱力していた。
(ああ、そうか、今日も引っ張り回したし、挙げ句慰めさせちゃったし……)
迷惑かけ通しだ。お礼だけじゃない、お詫びも兼ねて飛び切りのお茶をアレックスに用意しなくては。




