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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第4章 幽霊騒動
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4-6.醒

 仕事を終えたフィルはサーシャに会いに行こうと、貢物の食料を手に薄闇に染まる街を歩く。

「……」

 青とも赤ともわからない色でぼやけ、行きかう人の顔形はひどく判別しにくい。そんな中、背の高い人とすれ違ったフィルは、その影にアレックスを連想し、知らず眉を寄せた。


『フィル』

 昼のあの時、彼に名を呼ばれた瞬間、心臓がトクリと音を立てた。

 真っ直ぐな視線と深い、落ち着いた声、陰のない微笑、髪に触れる大きな手の感触に意識を奪われ、フィルはただただ目の前のアレックスを見つめてしまった。

『どんな子なんだ?』

『っ』

 そう訊ねられて、初めて自分が息を止めていたことに気付き、慌てて彼から視線を逸らしたけれど、落ち着かない気分はそのまま。

『え、ええと、自分で言うのもなんですけど、妹がいたらこんな感じかなっていうくらい似ているんです』

『それは一度会ってみたいな』

『あ、はい、も、もう少し慣れたら紹介します』

 何とか答えを返したフィルに、アレックスがいつものように笑ってくれて、何とか緊張を解くことができたけれど……。


「……」

 雑踏の中で足を止めると、やっぱり何かがおかしい、とフィルはため息を吐いた。

(アレックスは大事で、大好きな人だ。優しくて親切。その人に笑いかけられて、緊張するって一体なんなんだ。いや、嫌なわけじゃなくて、むしろ嬉しいんだけど、だからこそ余計訳がわからない……)



 * * *



 目的の場所に着く頃には、辺りはかなり暗くなっていた。寂れたその界隈の街灯に火を入れる者はおらず、少し離れた場所にある倉庫から漏れる光が頼りなく運河の水面を照らしている。

「サーシャ」

 積み上げられた古い木箱の黒い陰から、少女が顔をのぞかせた。フィルが満面の笑みで近寄っていけば、サーシャも笑顔を返してくれて、その上こちらへ駆けて来る。

 その距離一歩分――ついにここまで、と感動しながらフィルはサーシャに笑いかける。

「サーシャ、とってもかわいくなってきたね」

 髪はところどころ奇麗な艶を放つようになり、煤が落ちた白い顔が闇の中で浮きあがって見える。一瞬目をみはった彼女は少し複雑そうな顔をした後、フィルをじっと見上げた。

「……フィルは、いいの」

「私?」

「うん」

 よくわからないが、信用されてきたということかもしれない。気恥ずかしくも嬉しい気分で、フィルはサーシャと並んで廃倉庫の前に腰を降ろした。


 膝の上で持ってきた紙包みを開く。

「今日のはちょっと珍しいよ。はい、パン入りシチュー」

 くりぬいた中にシチューがなみなみに注がれている大きなパンを取り出し、蓋となっている部分をとると、そこから空腹を誘う香りと湯気が飛び出した。サーシャは目を丸くしてそれを見つめ、それからフィルに笑いかけてくる。

「シチューの中にゆで卵を入れてもらったから。サーシャ好きでしょう、卵?」

「……コーダが好きなの」

 そう言って微笑んだ彼女にフィルはある確信を持つ。コーダ、その子がサーシャの大事な子なのだろう。

「弟?」

 ううん、そう首を振った。そして、幸せそうにシチューの入った紙袋を抱えながら、聞こえるか聞こえないかぐらいの小声だったけれど、ぽつぽつと話し始めた。

「一つ下なの。とってもきれいな水色の目の、泣き虫な子なの。でもすごく優しいの。だから、頑張って大事にするの」

「……そっか。いつもコーダに分けてあげてるんだ」

 大事な子を守りたくてこんな小さな体で頑張っている――こくりと頷いたサーシャに、胸が詰まった。保護するならの子も一緒に、と決める。

「頭、撫でていい?」

「……」

 何なら抱きしめたいんだけど、と思いながら口にしたフィルに、サーシャは目をみはった後、困った顔で首を横に振った。

 まだちょっと早かったか、と苦笑すれば、サーシャは同じ色の目で、そのフィルをじっと見つめてきた。

「私に、お兄さん、がいたら……きっと、フィルみたいな感じ、だった、かも……」

「私も妹がいたらサーシャみたいだったのかなと思っているよ」

 一生懸命に言ってくれているのがわかって、温かい気持ちが広がっていく。

「ほんと、う……? 嫌じゃない?」

「本当。嫌なわけないよ。それどころかすごく嬉しい」

 微笑んだフィルに、サーシャが安心したように笑ってくれて、ますます幸せな気分になりなった。


 あらためて彼女と並んで座り、もう二つ買っていたシチューを取り出して一つをサーシャに差し出し、もう一つを食べ始めた。やはり彼女は一口も食べないけれど、「一緒に食べよう」とフィルが言うたびにとても幸せそうに笑うので、それでいいと思っている。


 食事の間もその後もサーシャはコーダのことになるとよく話をした。

 この辺でいつも一緒にいること。フィルの思ったとおり、卵とイチゴ、木の実の入った焼き菓子が好きなこと。茶色の癖毛がいつも寝癖ではねていること。そばかすがあって、笑うと右頬にえくぼが出来て可愛いこと。泣き虫なのにいつか騎士になると言っていること。とても優しい子で、一緒にいれるだけで嬉しくなれること。コーダのためなら、なんだってできるような気がすること。

 彼女の話しぶりにもその内容にも既視感を覚えた。きっと彼女にとってのコーダは、フィルにとってのアレクのような存在なのだろう。

(アレクは好き嫌いなかったな。髪はいつもきれいに整っていた。冷たく見えるくらい綺麗なのに、笑うと優しくて、驚くとめちゃくちゃかわいかったっけ。そういえば、将来のこととか話したことなかった……って、いいところの令嬢だとしたらそんなものかも。ひょっとしてもう結婚してたり……幸せにしてるかなあ、アレク)

 コーダについて語るサーシャの本当に幸せそうな様子を見ていると、アレクに会いたいという気持ちが殊更に湧き上がってきて、フィルも誘われるように口に出した。

「私にも大事な親友がいるよ」

「そう、なの」

「会いたくてずっと探しているんだ。会えたらサーシャにも紹介するね」

 けれど、その瞬間、サーシャは最初に会った時のような完全な無表情となった。

 

 冬にしては驚くような生暖かい風が運河から流れてきて、フィルとサーシャの間を通り抜けていった。

 

「サーシャ、どうかし」

「――どうしよう」

「え?」

「遠く……やっと……のに、違う、かも……」

「サーシャ?」

 行かなきゃ、そうサーシャの口が動いた気がする。彼女は袋を抱えると、いつもの道を走って路地裏へと消えていく。

 ただいつもと違うことに、その日彼女はフィルを一度も振り返らなかった。



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