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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第4章 幽霊騒動
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4-4.謎解き

「あっちだっ」

「追えっ」

 人より夜目が利くフィルは、視界の端を駆け抜ける影をいち早く捉えて、それを追って走り出した。先ほど仲間が一人斬られたらしく、その返り血の臭いが闇に囚われがちな視覚の不備を補ってくれる。

 

 盗賊の危険性が証明されたことに、屋敷は緊張に包まれていた。

 

「フィルっ!」

「こっちです、アレックス」

 馴染んだ剣の感触、後ろから自分を追ってくる慣れ親しんだ足音と声に、自分とアレックスだ、負けるわけはないという自信が湧いてくる。

(しめた、この先は袋小路だ)

 剣を握りしめたまま、上質な絨毯を踏みしめて勢いよくその角を曲がった瞬間、フィルはその男の姿を視界に捉えた。中肉中背で、鍛えられた筋肉でびっしりと全身を覆ったその姿は、案の定返り血でほのかに染まっている。

「っ」

 灰色の布で下半分を覆った顔。髪とその布の合い間から覗く水色の瞳と目が合って、フィルはなぜか息を止めた。同時に体の内面をかき回されるような感覚がして、フィルはぶるりと身を震わせる。

 追われているはずのその男の目が、不自然なまでにゆっくりと見開かれ、フィルを凝視する。そして、マスクの下でなにやら唇が動いた。

「……シャ」

(シャ? なんだ、この感覚……? それよりあの目……)

 動けなくなってしまったフィルの背後に、足音が近づいてくる。同じようにその音を耳にしているはずの男は、それでもフィルから視線を離さず、唐突にすっと下方を指差した。そして――。

「……え」

 ふっ、とフィルの目の前で掻き消えた。

(消え、た……? だって、今の今までそこ、に……)

 全身の血が音を立てて引いていく。

「フィルっ」

「っ、アレック……っ」

 その声に勝手に身体が動いた。

「っ、と、フィル、どうし――」

「アアアレックス、ででででで出ました、ほほんとに……おおお、おばけ……き、消え……」

 追いついてきた彼に無我夢中でしがみ付き、隠れるように顔を彼の胸に押し付ける。

「うぅー」

「…………大丈夫だ」

 落ち着いた声、温かい体温、背に廻し返された腕の感触、耳に響く心臓の音、鼻腔に届く匂い。それらと共に全身を包み込むように抱きしめられて、動揺が鎮まっていく。

(ダイジョウブ――)

 原始的な部分が理屈以外のものでそう判断しているような、不思議な感覚が体を満たし始める。

『大丈夫、フィル。ほら、布が枝に引っかかっているだけ』

(……ああ、そうだ、あの時アレクもこんな風にぎゅっと抱きしめてくれて、ゆっくり背を撫でてくれた……)

 そして、祖母の話に時々出てくるお化けを見たと思って、薄暗い森の中で一緒にいたアレクに抱きついた時のことをなぜか思い出した。


「アレックスっ、フィルっ、どこだっ」

「っ、あ……すみませ……」

 仲間の声にフィルはやっと我に返った。慌ててアレックスから離れようとして、なのに身じろぎ一つ出来ないことに気付き、目の前の彼を目だけで見上げた。

「フィル」

 薄明りに浮かぶ瞳の色はやはりアレクと同じ、深く透き通った青。あの時と同じように物言いたげな色を湛えている。

(…………ひょっと、して)

「アレック、ス……」

 声が掠れてしまい、それを収めようと彼の上着をぎゅっと握る。

 まさか、とも思うのに、気付いたら口を開いていた。

「も、お化け怖いんですか」

 

 遅れて駆けつけた他の面子が袋小路のその場所で見つけたのは、呆然と座り込むフィルとその前で肩を震わせて笑い崩れているアレックスの姿だった。



 * * *


 

「消えた?」

「はい」

 ただいま第一小隊は緑の屋敷の客間で打ち合わせ中だ。フィルはこの場の指揮を取っているイオニア補佐にさきほどの事情を訊かれている。

 あの男に斬られた仲間は幸い大した怪我ではないようだが、念のため本営へと戻された。 別室にあらかじめ移動して貰っていた当主に被害がないのは、それこそ幸いというべきだろう。

「……なんだそりゃ」

「さあ」

 眉を顰めて見られたって、フィルからするとそれが事実なのだ。

「じっとこっちを見て、こう、すっと床を指差して、ぱっと消えたんです」

「……」

 イオニア補佐が困った顔で、足と腕を組んで横の壁にもたれているアレックスを見遣った。

「フィルの通訳だな、あれ」

「あいつの言動、ずれ過ぎてて理解し難いからなあ」

 仲間たちの言いようはあんまりなんじゃないかと思う。

(そりゃ、さっきだって醜態をさらしたばかりだけど……)

「……」

 気まずい思いでフィルはちらりとアレックスを窺った。


 彼にはばれてしまったフィルのお化け嫌い――爺さま、ごめんなさい。だってここ変な気配がするし、本当にあれ、目の前で消えたのです。びっくりしたし、怖かったし、それでアレックスが来て少し気が緩んでしまったのです、と心の中で祖父に謝罪する。

 ちなみに、アレックスはお化けを「怖い訳がない」のだそうだ。そう言いながら目に涙まで溜めて笑っていた。……少し落ち込む。


(まあ、アレックスなら人をからかうことはないから、ましと言えばましなんだけど……)

「!!」

 目が合った彼が少し目元を緩めたのを見てしまった。

(わ、笑われた……)

 フィルは精神に多大なダメージを受けて、かくりと首を落とす。

 

「アザレア朝時代の建築物ですよね」

 そのアレックスはイオニア補佐に向かっていつもと変わらない、落ち着いた声で応じている。

「屋敷に仕掛けがあるかもしれません」

「仕掛け?」

 アザレア朝は治安が悪く、政変や暴動が頻発した不安定な王権だったこと、それゆえ暗殺や略奪、火災から命や財産を守るための技術が多く開発されたこと、その時代の資産家の家屋にはそういった仕掛けがよく見つかることなどをアレックスが話している。

(そういえば……)

 フィルはザルアの別邸を思い出す。祖母の趣味だというからくりがいっぱいあったあの屋敷――別に安定していない訳ではなかったが――には、消えたように見せかけて隣の部屋に行くことの出来る壁があった。

 確かめてみよう、幽霊なんかじゃないのかも、と踵を返し、客間のドアを開いたところで、廊下の薄暗さとそこに漂う不気味な気配にピタッと立ち止まる。

「仕掛けを見に行くなら俺も付き合う」

 後ろからかかった声に恐る恐る振り向けば、唇の端に笑いを湛えたアレックスと視線が合って、フィルは顔を引きつらせた。

 

 果たして――。

 アレックスの推察どおり、先ほどの場所で隠し通路が見つかった。仕掛けに加えて、錯覚を利用した物で、アレックスたちは感心したようにそれを検分している。当主も知らなかったということで、なぜあの男が知っていたのか、謎は深まるのだが……。

 その仕掛けに皆が沸く中、フィルはふと目を眇めた。

(あの男、下を指さしたな……)

『仕掛けのある周辺には結構別の仕掛けがあるのよ。一つ見つかれば、すぐそばに別のがあるとは思わないでしょう?』

 祖母の笑い顔が続いて浮かんでくる。

(隠し通路の話をした時の当主の様子もちょっと変だった……)

 フィルは膝を落とし、毛足の長い絨毯の敷かれた床を見つめる。

「……」

 そして、剣を抜くと、切っ先をゆっくりと絨毯の毛の間に差し込み、床に突き立てた。場所を少しずつ変えて同じ動作を繰り返す。

「フィル? どうした?」

「おまえ、今度はなにやってんだ?」

 気付いた仲間たちが側にやってきて、フィルの足元を覗き込んだ瞬間、それまで金属特有の高質の音を立てていた剣が、鈍い音を立てて無様に震えた。



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