4-2.疑念
その日、副団長室に呼ばれて明日からの任務について説明を受けた後、アレックスはフィルを含む小隊の仲間たちと一緒に、騎士団本営の廊下を鍛錬場に向かって歩いていた。
「ゆ、幽霊……?」
そう呟いて頬を引きつらせたフィルの横顔を見てアレックスは悟る。
(……なるほど、“お化け嫌い”は相変わらずらしい)
熊や蛇、暗闇はおろか、魔物だって殺人犯だって平気なくせに、と笑ってしまいそうになるのを必死で堪える。
「おう、四番街あたりな、有名だぜ」
「しかもその中心が今回の対象だろう?」
第一小隊の約半数が明日から派遣されることになった“緑の屋敷”。まだカザレナが田園に囲まれていた頃から存在していたという大きな屋敷は、今や王都の一等地となった街の中で一際目を引く豊かな緑に囲まれている。
再び「ゆうれい……」と呟いて呆然としているフィルを見て、ザルクがオッズを肘でつつき、それにオッズは笑いを噛み殺しながら頷いた。あれは絶対にフィルの反応を見て楽しんでいる。
「当主の息子の非業の死! ますます信憑性が増すよなあ」
「で、ですが、被害者は強盗に襲われて……」
「ああ。けど、あそこの主、かなりの確率でそんな死に方をするんだ。王都の怪異の一つって評判だぞ」
フィルがごくりと唾を飲み込んだ。挙動不審気味にこちらを窺ってきた彼女と目が合って、アレックスは苦笑しつつ口を開く。
「その強盗、手口が例の盗賊団に似ていませんか?」
話の流れがまともなものに戻る気配にだろう、横のフィルがこっそり息を吐いた。
「……甘いよなあ、アレックス」
そうミルトさんが呟いている時点で皆にはばればれなのに、きっと本人は隠し通したつもりでいるのだろう。
フィルが唯一、怖れるもの――それは魔物でも雷でも暗闇でも高い所でもなく、“お化け”。
『何が怖いかって、実体がない(らしい)っていうところが駄目』
引きつった顔でそう力説していたな、と思い出す。その理由が『剣が効かないってことだから』というのが、実に彼女らしいと思ったことも。だから剣で斬れる魔物は怖くないらしい。
「侵入を気付かせないって意味ではな。例の奴らは今までこんな形で誰かを襲ったことはないだろう」
「一撃で首が胴から切り離されたって話だからなあ。よっぽどの使い手だろうな」
「当主の方は危うく難を逃れたらしいが、『また来る。必ず殺す』ってわざわざ宣言してから消えたって話だろ?」
それが第一小隊が派遣される理由だ。作戦を立て、各小隊に割り振る責を担っている第二十小隊が「殺人狂の可能性のある手練の相手だぞ。第一以外のどこに割り振れってんだ」と言っていたという。それもそうかと思う一方で、自分もその中に入っていることにアレックスは悲しみを覚える。
(それにしても、人を襲ったという点を除けば、やはり例の盗賊団と似ている気がする。全く家人に気付かれることなく屋敷に侵入したという点、奪った物が足のつきにくい現金と金塊だけという点。当主の息子をそんな形で切り殺しさえしなければ、賊が侵入したということにすら、しばらく気が付かなかったはずだ。他の被害者との共通点も多い……)
アレックスが眉を顰めて考え込む間に、終業を知らせる鐘が鳴った。
「?」
並んで歩んでいたフィルがふと立ち止まり、目を眇める。
「……今日は居る、かな」
「フィル?」
「失礼します」
アレックスが怪訝な顔を向けたことにも気付かず、フィルは勢いよく頭を下げ、駆け出していってしまった。
(……笑っていた)
その顔が楽しそうに綻んでいたことに気付いてしまった。
“また”、だ。最近フィルは夕方、ああしていなくなる。一体、どこでなにをしているのだろう。
「おー、デートか、あんな慌てて」
「嬉しそうでしたからねえ」
「あれだけモテてるんだから、恋人の一人や二人いたって不思議はないが」
小隊の仲間の間から響いてきた何気ない言葉に、アレックスは顔を歪めた。
(デート? そんなはずは……)
――ないと言い切れるか?
自問の挙げ句、アレックスは拳をぎゅっと握りしめる。
よく目が合っているとは思う。懐かれてもいる。先日だって「愛想を尽かさないで欲しい」と赤くなりながら言っていた。だが、逆に言えば、それだけの話でしかない。
いつだったか、はっきり「アレックスに彼女が出来るように手伝う」と言っていたじゃないか――もしあれがフィルの本音だったら?
「あんだけ嬉しそうにすっ飛んでいくんだから、よっぽどなんじゃねえ?」
イオニアの発言とそれに口々に同意する声にからかいが含まれていることに、アレックスは冷静であればきっと気付いただろう。
だが、幸か不幸か、アレックスは冷静ではなかったし、これまでにからかわれるなんて経験はなかったから――。
「う゛」
直撃を食らったイオニアは言わずもがな、周囲丸ごと凍らせる空気を醸し出し、アレックスは無言で自室へと歩き出した。
「……やばすぎる」
「からかうつもりでこっちが寿命縮めてどうするんだよ……」
「怯むな。四年越しにようやくアレックスで遊べるようになったんだぞ? 栄えあるカザック騎士たるもの、挑む以外選択はない、たとえ凍えようと……!」
「てか思ったより余裕、なくね? フィルが誰より懐いているのはどう見たって自分だって判りそうなのに」
「懐いているか恋人になるかはまた別の話だからだろ……」
「たとえ同性でもアレックスなら落とせる気がする……」
「不憫だなあ、フィル。今のうちに彼女作って短い青春を謳歌していればいいけど……」
彼らが去った後、そんな会話が交わされていると当人たちは露知らず、日は暮れていく。
* * *
フィルがあの子によく出会う場所は、宿舎から走って二十分ほどの場所、寂れた運河のほとりだ。
途中でサンドイッチと果物を買って、それからお菓子屋さんに寄って、あの子が特に嬉しそうにする甘い焼き菓子を買った。
二週間くらい前だろうか、それはまったくの偶然だった。見回りの最中に視線を感じて振り返った先にあの子がいて、彼女は目が合って少し驚いたような顔をした(気がした)。
踵を返してやはり逃げたあの子を、フィルはなぜかまた追いかけてしまって、そして先日と同じ場所、運河近くに行き着く。
そこで、持っていた飴を前と同じやり方で差し出すと、彼女はそれをぎゅっと胸元で握り締めて微笑み、やはり同じように駆け出していってしまった。
その後に一度フィルを振り返ったのも同じだったけれど、ただその時は少し笑ったように見えたのだ。
追いついてきたアレックスにまたも謝る羽目になったのだけれど、それでもどこか幸せな気分になって、以来フィルは暇を見つけては食べ物を持ってその場所を訪ねている。
(……いた。予想通りだ)
「こんばんは、サーシャ」
辺りが黄昏の紫に染まる中、笑いながら近づいていくフィルに、その子もぎこちないながら笑い返してくれた。
彼女から大人の足で五歩分の距離に腰を下ろすと、彼女はおずおずと近寄ってきて、フィルまで二歩分の距離にやはり腰を下ろした。少しずつ縮まって来たこの距離が嬉しい。
「はい、おみやげ」
フィルが食べ物の入った袋を横へと差し出すと、その子は目を輝かせてそれを手にした。
「ハムと卵のサンドイッチ、あとは揚げ魚のと、燻製肉と卵のと……」
中身を順に説明していくと、特定のところで彼女の顔が綻ぶ。
好きな物は卵とイチゴ、それから木の実の入った焼き菓子――次も買おう、そう決める。
「はい」
フィルが差し出したもう一つの袋に、彼女は首を傾げた。その仕草が可愛くて思わず微笑むと、フィルは袋を開いて中からサンドイッチを取り出した。
「一緒に食べない?」
こうして何度か会っているけれど、彼女はもらったものをその場で食べたりはしない。気になって「食べないの?」と聞いたら、首を横に振って「大丈夫」とだけ答えた。そこで初めて彼女はしゃべれない訳ではないらしいと知った。おそらく住まいはなく、汚れた服や煤のついた顔を見る限り、身の周りの世話をしてくれる人もいない。もう少し打ち解けられたら、孤児院に行くよう、説得しようと思っているのだが……。
「……」
サーシャは目をみはって、フィルの顔と差し出したサンドイッチを見比べ、それから本当に幸せそうに笑った。
(可愛い……)
その顔に見惚れるフィルから、サーシャはサンドイッチをおずおずと受け取る。
「あ……りが、と……フィル」
結局彼女はサンドイッチを見つめたまま、一口も食べなかったけれど、終始とても嬉しそうだったので、まあいいか、と思うことにした。
別れ際、いつものように駆けて行った先で振り返り、サーシャはフィルに手を振った。笑って応じれば、再び身を翻し路地へと消えていく。瞬間、彼女の髪が金に光り、フィルはふと目を眇めた。
(……あんな色、だったっけ……)
何だろう、今何かが引っかかった。
そうして違和感に首をひねりながら、フィルが宿舎に帰り着いた時には、日はすっかり暮れていた。
「あれ、いたんですか」
明かりのついていない部屋に戻ったフィルは、いないのかと思ったアレックスがベッドに寝転がっているのを見て、目を丸くする。
「お帰り」
寝ているのかと思えばそうではないらしい。だが、そう呟いたきり、彼は室内のランプに明かりを灯していくフィルを無表情に見ている。
「あの、どうかしましたか」
「……いや。夕飯は食べたのか?」
怪訝に思いつつもフィルは質問に頷き、それから小さなサーシャを思い出して微笑んだ。
「アレックス?」
彼の顔が歪んだような気がした。いつにない様子になんとなくフィルは彼へと近づく。
「何でもない。明日の準備、しておけよ」
けれど、彼はそう言いながら立ち上がるとフィルの頭に手を置き、一度も目を合わせないまま部屋を出て行った。
「なんか、元気なかったような……って、こっちも謎だ」
呆然と彼の後ろ姿を見送った後で、自分の頭の役立たずっぷりに、フィルはがっくりと肩を落とした。




