3-9.ヘンリック観察記2
「フィルーっ」
ヘンリックがフィルと街を歩いていると、ほんのり頬を染めた女の子たちが声をかけてくるのは珍しい光景ではなくなった。
「こんにちは、リジー、サラ」
フィルはいつもそれににっこり笑って答えて、声をかけていない方の子の名も律儀に呼ぶ。
そのフィルににこにこ笑う、積極的なリジーの顔はどこか得意気。でも自分から何か言い出す訳ではなくて、『自分から声かけてきといてどうしたんだろう』とヘンリックが思った瞬間。
「リジー、髪型変えたんだね、前のも似合っていたけれど、今回のも可愛いよ」
顔を赤くしながら、その少女はえへへへと笑った。
「髪といえば、サラはいつも奇麗に髪を結っているけれど」
「あ。うん、そういうの好きだから……」
「すごいね、器用なんだ。今日のもとても奇麗。似合ってる」
俯いていた方が目をみはりながら顔をあげて、頭一つ背の高いフィルを見上げる。そしてにっこり笑うフィルにつられたように、はにかんだ。
仲良くおしゃべりをする間に、女の子たちが通行人にぶつかられそうになると、その肩を丁寧に引き寄せて庇い、触れたことに対して「ごめんね」と紳士的に謝る。
「わ、私はリジーほど可愛くないし……」
「また、そんなことを言う」
「リジーもサラも二人ともそれぞれに素敵だよ」
終始安心させるような言葉をかけ、時間が経つうちに彼女達の顔に自信と幸せが満ちていく。
しばらく話した後、別れ際には「気をつけて帰ってね」と優しく告げて「さようなら」。
そうして再びフィルと二人で歩き始めたヘンリックは、周辺にその手の女の子がいないことを確認してフィルへと声をかけた。
「もてるのはわかるけど……なんかすごく扱い慣れているよね、女の子」
フィルだって女の子なのに、と心の中で付け足す。
なんせフィルはああいう時そつがない。
普段のフィルは常識がなくて、抜けていて、人に迷惑がかからない限り本能のまま我が道を突き進む感じだ。
なのに、憧れを抱いてフィルに寄ってくる女の子を扱う時には、そういうところが一切出ない。
甘やかに微笑み、自然な仕草で彼女たちを本当のお姫さまのように扱う。目が合えば安心させるように優しく笑い、当たり前のように丁寧に手を差し伸べ、しかも誰に対してもそれが平等。仕草にも嫌らしさが全然なくて――まあ、女の子なんだから当たり前かもしれないけど――本当に紳士的。
姉が三人いるヘンリックも女心には聡い方だと思うが、あそこまで完璧には出来ない。メアリーなんてフィルと一緒にいると完全に目がハートだ。それがちょっと悔しい。……嘘をついた、かなり悔しい。
「あー、昔から女性にデートっぽいことに付き合わされることが結構あったし、慣れてはいると思うけど……」
フィルは複雑な顔で「昔はそれでも大丈夫だったんだけどね……」と小さく呟き、溜め息を吐き出した。ヘンリックより頭半分近く上にあるその顔は悩める美少年そのものに見えて、ちょっと倒錯的……って、そうじゃなかった。
(昔? 大丈夫だった……?)
「じゃあ、小さい頃から女の子と?」
「うん、それで祖母に徹底的に躾けられたんだ。女性に対する無礼を絶対にしないようにって」
「おばあさん……?」
(待って、フィル……女の子でしょう? 違うのか? ひょっとして違うのか? 今更といえば今更、でもマジで違うのか? ああでも違うのかも、僕を含めてその辺の男なんかかすみまくりになるくらいカッコいいし……いや、でもアレックスと一緒の時は、最近ちゃんと女の子に見えなくもない……)
混乱のままにフィルを凝視すると、フィルは眉を顰めた。
「祖父がいない時はいつも彼女のエスコートをしていたしね。呼吸するのと同じくらい自然に、しかもこの上なく丁寧に優雅に接しないと容赦なく指摘されたんだ……」
そう言いながら、どこか遠い場所を見つめている。
「えーと、なんでおばあさんはそんなことを……?」
好奇心に勝てなくて発した質問にも、フィルはやはり律儀に答えてくれた。
「なんだかよくわからないままだったんだけど、理想で完璧に近いから、少女の夢を崩さないように努力してそうなりなさいって」
(『理想』に『完璧』、『少女の夢』……――あれか、『女性が女性に憧れる』というやつか。姉の一人が十二、三の時にそんな風だった……。そうか、そんなところからフィル、君の変人さは形作られてきたんだな)
少し気の毒になって、肩をぽんと叩いたら怪訝な顔をされたが。
「確かに『完璧』だよね、タラシそのもの」
「……よく言われるけど嬉しくない」
「何でさ? みんな羨ましがっているじゃない、あんなにもててさあ。僕はメアリーがいればいいけど」
特に同期は羨ましがっている。フィルへの憧れが理由でふられた奴も居るし、フィルを含めたダブルデートを付き合う条件にしてくる子だって少なくない。
もちろんもてるのはわかる。腕よし、顔よし、スタイルよし、性格よし、加えて女心もわかります。まさに完璧。
「喜んでくれるのは嬉しいけど……もし本気だったら傷付けるよね」
けれど、ヘンリックの軽口にそう返してきたフィルの顔はひどく沈んでいた。
* * *
「そういや、あいつが告白されてるの、見たことねえよな」
「もてるって言うならアレックスと同じくらいですよね」
アレックスと剣の打ち合いをするフィルを見ながら、第一小隊のミルトとザルクが話すのを小耳に挟み、ヘンリックは眉を下げた。
「アレックスは大人びた色っぽい綺麗系。二十代含む」
「守備範囲は違うよな。フィルの相手は十代の可愛い系。時々十歳未満もいるよな」
「アレックスの相手は思いつめた感じの子が多いけど、フィルのほうは軽いノリの子、多いですよね」
「やっぱり本人の持ってる色気の違いかなあ」
「フィル、お子さまですもんねえ」
「……敢えて告白されないように振るまってるから」
「らしくないと言えば、らしくないけどなあ」
思わず零すと、先ほどまで稽古相手を頼んでいたウェズ第一小隊長が横で苦笑した。
ヘンリックに続いて二人目、ウェズもフィルの性別に気付いたようだ。だが、彼はフィルに対する態度を変えたり、追い出そうとしたりはしていない。
それどころか、この間ヘンリックを呼びとめて、「お前は気付いてるな。あいつ抜けてるから、よろしくな」などと声をかけてきた。
それに「うちの大事なおもちゃなんだ」なんて言葉が続かなきゃ、「なんていい話……」と涙ぐんで終われるのだけど。
「アレックスみたいに垣根を作らないから、思いつめる前に気軽に寄っていけるんだよなあ」
「寄って行った先では、特別扱いじゃないけど、のぼせるくらい丁寧に優しく扱ってもらえるし」
「近づいてしまいさえすれば、元の性格が性格だから、恋愛感情なしで仲良くなるのは得意、と」
「そうして出来上がるのは“手が届かないくらい格好よくて、みんなが憧れる、そして自分もちょっと憧れる、仲のいい男友達”」
「そうなると、その立ち位置は中々動かないからなあ」
「……やな奴ですよねえ。言い方変えたら、その気になればいくらでも落とせるってことじゃないですか」
ヘンリックは軽口のように悪態をつきつつ、昨日のフィルの沈んだ表情を思い出して、顔を歪めた。
今フィルはアレックスを相手に、心底楽しそうに容赦なく剣を振るっていて、ああいう感じの方がフィルっぽいなあと思う。それとは対照的に、自分に憧れを抱いてそうな子が近寄ってきた時、そうとは見せないようにしているけど、フィルの空気はかなり張り詰めているし、別れた後、胃を抑えていることさえある。
「女だとばれないようにしてるってことかな」
ウェズが顎に手をやり軽く首を傾けた。ヘンリックはさらに顔を歪める。
「それもなくはないのかもしれませんけど……真剣に好きになられて実は同性だったとなったら傷付けるかもしれない、そんな風に考えてるみたいですよ」
ウェズはぽかんと口を開けた後、「その思考自体、男前だけどな……」と呻いた。
そうなのだ、フィルは変わっているけれど、ちゃんと優しい。
両親はいないみたいで、祖父母に育てられたようだけれど、フィルが話すのを聞くかぎりでもどちらもかなり変わっている。それでも愛されていたのだろうなあと思う。フィルはごく自然に他者の痛みに共感し、それを避けようと力を尽くすから。
メアリーのことでも仕事のことでもヘンリックが落ち込んでいる時、フィルはごく自然に横にいて話しかけてくる。いらついて八つ当たりしても、せいぜい眉を顰める程度だ。気晴らしに遊びに誘ってくれたりもして、そうしているうちに気付いたら結構元気になっている。
自分のことにはとことん無頓着だし、鈍いし、考えることもすることもずれていて変わっているけれど、誰かが助けを必要としている時にはちゃんと手を差し伸べてくれる。
「ヘンリック」
アレックスとの対戦を終えたそのフィルが、にっと笑って声をかけてきた。「さっきからずっとサボっているだろう」と。
(……こういうとこ、可愛いよなあ、メアリーには全然敵わないけど)
「久しぶりに俺の相手をしてくれないか?」
「も、もももちろんです」
その横、汗で額に張り付いた前髪をかき上げたアレックスに誘われて、ちょっと挙動不審気味になった。
(なんでだろう、ドキドキする……って、いや、メアリーっ、誤解しないでっ、そんな趣味に走ったわけじゃないっ)
心の中で言い訳しながら、ヘンリックは剣を手に取る。
「ある意味、フィルの方がアレックスより器用なのかもなあ」
呼吸を整えながらアレックスの方へと駆け出せば、背後からウェズのつぶやきが聞こえてきた。ヘンリックも同意する。
鈍いし、ずれているけど、誰かを傷付けそうな時は深く考えなくてもそれを回避できるフィルと、全身で好きだと表現しているのに、意中のフィルに全く気付いてもらえず、あまつさえそれゆえの色気で他の女性を引き寄せてしまって、そのフィルにそんな現場を目撃されまくっているアレックス。
『アレックス、すっごくもてるよ。私の比じゃないくらい。まあ、あれだけ性格いいから、当たり前だけど』
この前フィルがにこにこと笑いながら、そう話してくれた。それから、『そういう時は上手にいなくなるのが大変なんだ』と。
さすがにアレックスが気の毒になって、『そういうの見てどう思うの?』と訊いてみたら、フィルは首を傾げた。
『どう……? ……すごいなあ?』
そう言ってから、フィルは眉を顰めた。
『でも彼女が出来たら、私がアレックスとご飯を一緒したり、一緒に遊びに行ったりはなくなるって』
むぅっとそのまま黙り込んだフィルに、他人事なのにかなりほっとした。
『フィル、アレックス好き、だよね?』
『うん、大好き』
あっさり頷くあたりはお子さまのままかと思ったら、やはりフィルは『好き……うーん』と眉間に皺を寄せて考え込んだ。
(――大丈夫、アレックス、フィルはほんの少しだけど進歩してる)
「お願いします、アレックス」
剣を構えたヘンリックにそんな彼が微かに笑った。それでまた赤くなってしまったけれど、仕方がないことなのだと思おう。
これぐらいじゃなきゃ、あんな鈍いフィルを落とせないだろうからね。




