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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第3章 接近
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3-6.無自覚

 カザック王国の都カザレナは賑やかだ。身震いしたくなるような冷たい風が吹いているというのに、今日も通りは人でいっぱい。

 入団前はリアニ亭のみなと、入団後はアレックスやヘンリックと一緒に何度も街を歩いているが、いつも感動してしまう。


 フィルの王都巡回はこれで四回目。机に縛り付けられているかのように勉強漬けだったこれまで三ヶ月間を思うと、信じられないくらい幸せなのだが、フィルにはいまだ達成できていない課題がある――そう、今日こそは問題を起こさないようにしなくてはいけない。

 アレックスの横に並んで街を歩きながら、フィルは密かに決意する。


「おや、あんた見ない顔だねえ。さては、どっかから出て来た新人だね?」

「はい、ザルアからです。お見知りおきください」

 気さくに話しかけてきた花屋の主人に、笑顔で挨拶を返す。

「背があるばっかりで随分ガキ臭く見えるけど、やってけんのかい?」

「大丈夫です! 多分!」

「多分って」

 にっと笑ってみれば、彼女は豪快に声を立てて笑った。

 言葉は乱暴なことも多い――最初はお客さんがお店で値切っているのを見て喧嘩だと思った――けれど、言っている雰囲気は悪くない。


「ああ、そうか、そろそろ新入り騎士が見回りに出始める頃か。しっかりやれよー」

「もちろん」

「いい返事だ。あいさつ代わりだ、やるよ」

 隣の青物屋の主人からオレンジが投げて寄越された。

 ここの人たちは総じて騎士に好意的だ。


「どうぞ」

 半分こしたオレンジを差し出せば、相方のアレックスが怪訝そうな顔をする。

「一緒に食べましょう、その方が美味しいです」

 そう言えば、彼は声を立てて笑った。何がおかしいのかよくわからないけれど、楽しそうに笑ってくれるのは嬉しい。アレックスは実はかなりの笑い上戸かもしれない。


「あれ、あんたの相方は貴族のあの子なのかい……」

「はい、アレックスって言うんです、いい人でよくしてもらっています」

 別の店先からまた声がかかった。

 よく言われる言葉に今日も胸を張って答えるも、いつものように意外そうな顔を返された。

(宿のリアニ亭の人たちも信じてくれなかったし)

 微妙に口を尖らせる。


「すみません、お待たせして」

「いや」

 先でフィルを待ってくれていたアレックスに追いついて、肩を並べて歩き始める。

 その横顔を盗み見て、『ぱっと見とっつき難いだけなんだけどなあ』と軽く息を吐けば、目が合った。

「どうかしたか」

「いえ」

 慌てて首を横に振ったフィルに、彼は微かに笑顔を返してくれる。その顔は冷たく見える普段の顔と違って、ものすごく優しい。彼の中身そのものだと思う。

(私と街の人の会話にアレックスが入ってこないのだって、自分が入るとみんなが口を噤むと思って気を使っているからだと思うんだけど……)

 彼の本当の人となりを、みんな早くわかってくれるといい。


「フィル、こっちだ」

 道を間違えて、苦笑したアレックスに止められるのもいつものこと。

「……」

 結構情けないと思うので、早く何とかしなくてはいけない。


「あ、あの。こ、こんにちは。アレクサンダーさま」

 ――巡回開始から通算六回目。

「あの、お菓子を焼いたんですけど、よかったら」

 アレックスに話しかけてきた栗毛の可愛らしい女の子は、フィルがアレックスと街に出かけるたびに挨拶をしてくれていた、感じのいいあの子だった。王都の裕福な商家の人らしく、服装も洗練されていて、可愛いのにどこか大人っぽい。年はフィルと同じくらいだろうか。

 頬を染めてアレックスに話しかけるその子にチラッと目を向けられて、フィルはなんとなく自分が邪魔者であると察した。

「フィル」

 アレックスに名を呼ばれたけれど、顔をあげてはいけない気がして、フィルは余所見をしつつ、さりげなく二人から遠ざかる。


「……」

 ふとザルアの森の中で危険な魔物に遭遇している気分に陥った。相手が攻撃の意思を見せない時は気配を断ってそのまま速やかに逃げる、あの感じだ。

 似た状況の中で、冷たい空気に頬を撫でられ、フィルは故郷に思いを馳せる。

(ザルアはもう雪に埋もれている頃だ。屋敷の裏の山で例年冬眠している熊は、今年も同じ場所に来たのかな。今年の子は何頭だろう? 湖は氷が張って、スケート靴を持った子供達で賑わっている頃かもしれない。別邸は今もオットーとターニャが管理しているのかな。なら、オットーは雪かき、ターニャは暖炉の前で編み物でもしているかも……)

「フィル」

 そうやって現実逃避、もとい、遠くザルアを懐かしんでいたところに低い声で名を呼ばれ、フィルは意識をアレックスに戻した。

「……」

 目が合って、彼の困ったような顔ともの言いたげな視線に、なぜか少しだけほっとする。

(うん、アレックスだ)

 当たり前のことを思ってにこりと笑うと、彼は少し微妙な顔をしたけれど。


「そういえばあの子は?」

 首を傾げつつ、「あれ、お菓子は?」と訊ねると、アレックスは一瞬息を止めた。彼のそんな反応は珍しい。

(ひょっとして……)

「彼女が噂の“本命さん”でしたか」

 では、お邪魔してしまったのだろうか? 都会に暮らしているせいで、気配を殺す方法を忘れてしまったのかもしれない――大恩があり、先輩でもあるアレックスの邪魔をまたしてもしてしまったのか、と自己嫌悪に眉尻を下げたフィルに、アレックスは口元をヒクつかせた。

「……本命? 噂の……?」

「あ、はい。小隊のみながアレックスには長く想い続けている方がいらっしゃる、と…………あの、何か……ええと、怒ってらっしゃいます、か……?」



 * * *



「おー、戻ったか、アレックス、フィル」

 巡回から戻るなり、二人は鍛錬場にいたウェズ小隊長に呼び止められた。周囲には小隊のメンバーが集まっている。

 報告のためにアレックスがウェズと向かい合う間に、無言で来い来いと手招きされて、フィルは隊の仲間たちの中へと入っていった。


「で、フィル、今日はどうだった?」

「ええと、今日もお一人……」

 アレックスの不機嫌な顔を思い出して、眉根を寄せつつ答えた。

 人の気分を害するのは出来るだけ避けるべきだ。ましてやそれが大好きなアレックスならなおのこと。が、さっきの彼はかなり様子がおかしかったように思う。

(一応、何でもないって言ってたけれど、あれ、何だったんだろう……)

 悩むフィルの目の前で、「おお」と歓声が上がった。そこで初めてフィルは疑問を持った。


『アレックスの本命(注:ウェズ語録。一番好きな人のこと)を探って来い、社会勉強になるから』とウェズ小隊長を始め、みなに言われたのは、初めて巡回に出る前日のことだった。

 以来こうして街から戻るたびに色々聞かれているわけだが……。

(……社会勉強?)

 フィルは眉を強くひそめて、目の前の先輩たちを見つめる。


「やっぱりなー、フィルと一緒になって声かけやすくなったんだよ」

「フィルは愛想がいいからな。それにアレックスもフィルといると雰囲気がかなり柔らかい」

「まるで俺が悪かったみたいな言いようじゃねえか」

「イオニア補佐、妻子持ちですし、厳ついですし、アレックスの近寄りがたさを倍増させてたんじゃないですか」

「それにしても六人目って、すごい速さで増えていってますよね。誰かがやり出したから焦って、なのかなあ」

「なに? 手作りの菓子!? 勿体ねえ、断ったのか」


(――寒い)

「一体、何の話、ですか?」

 仲間達の背後に立ったアレックスを見、フィルは鳥肌を立てた。

 笑顔なのに、目がぜんっぜん笑ってない――殺気と言って差し支えないほどの、冬の凍気を上回る何かはあそこから出ている。

「いや、その、なんだ、ちょっと、フィルに社会勉強をさせてやろうと……」

 さすが騎士。殺気にはみな敏感だ。フィル同様、誰もが危険を前に口をつぐむ中、これまたさすがというべきなのだろうか、周囲に肘で突付かれたイオニア補佐――アレックスの以前の相方で、隊の最年長――が目を泳がせながらも、なんとか答えた。

 その彼であっても一歩後退さっているのは、この際きっと仕方がないことだと、既に二歩ほどアレックスから遠ざかっているフィルは思う。


「!?」

(ず、ずるくないですか、言い出したの、小隊長じゃないですか……っ。ああ、オッズ、こんなところでも要領がいい。知らん顔して距離をとった、ひ、卑怯なっ)

 ウェズ小隊長とアレックスの同期で一際仲のいいオッズが、こっそり気配を絶ちながら逃げて行くのを見て、フィルは顔を引きつらせる。


「ほほほほら、フィルは女の子慣れしていないから」

(あ、ああある意味慣れてますけど……いいいい一応、たた確か女の子なはずですし……)

 増していく寒さの中で、フィルは眼前の恐怖に怯える。

「そそそそうそう、お、お前の側でよーく観察していれば慣れるかなと」

「俺の、本命、がそれとどう関係すると……?」

(こ、これ、まずいやつだ……)

 低い、地を這うような声に、フィルは総毛立つ。頭の中で警鐘が鳴り響いている。即ち、生命の危機――どうする? 踵を返して走り去る? それとも剣を抜く?

「……」

 フィルは青ざめたまま、知らず剣の柄の感触を確かめる。


「お、お前に彼女が出来るのを見ていれば、フィルもどうやって彼女を作ったらいいかわかるじゃないか」

「かかか可愛い後輩のためだろう、アレックス?」

「そ、そそそそそう、すべてはフィルのためなんだ、アレックス、お、お前だってフィルは可愛いだろう?」

「彼女の一人や二人いてもおかしくないくらいもてるのに浮いた噂一つないから、想い続ける真実の愛とは何たるかをフィルに見せてやるいい機会かと……」

「フィルのため、フィルのためっ」

 気のせいだろうか、彼らが言い訳すればするほど、アレックスの怒りが強まっていく気がする。

 同じように感じているらしい、引き攣った顔の男たちに「なあ、フィル」と話をふられて、フィルはびくりと体を震わせた。

(や、やめて欲しい、切実に。ああ、冷気がこっちを向いた……っ)

「……」

 フィルはゴクリと音を立てて唾を飲み込んだ。

 大事で、しかも大恩あるアレックスに剣を向けるなどという恩知らずな行為は言語道断。

 逃げるなどという選択肢も多分ダメだ。大体逃げたところで帰る部屋が一緒だし、何となくだがアレックスからはうまく逃げられない気がする。なんだか知らないが絶対捕まる気がする。

(な、なら、何とか上手く脱出する、それしか道はない……っ)

と心を決めて探し出した決死の言葉――まさかそれが致命傷をもたらそうとは。


「ええと、そ、そうです、だだだだから、本命を探して彼女を作るのに協力しよ、う、と……」

「――へえ」

「う゛っ」

(……な、なんでだ……)



「……彼女、いないはずだよなあ」

「俺、すっげえショックだ……」

「あーあ、アレックスに彼女が出来たら、その友達でも紹介してもらおうってあてにしてたのに」

「まあ、気持ちはわからんでもないけどな、フィルはあれだ、世間知らずで間抜けだけど、見た目はいいから。それにべらぼうに強いし」

「性格も悪くないですしね、同じ部屋で生活してれば、コロッといっても不思議はない気はしますけど」

「あの剣を握った時と普段のギャップは結構くるしな」

「それにしても、その本命がまさか男とはなあ、選り取り見取りだってのに、もったいねえ」

「まあ、よしとしようぜ、フィルだけじゃなくって、アレックスでも遊べることが四年経った今やっと判明した訳だし」

「命がけですけどね」

「おー、遊びも命がけ。それでこそ栄えあるカザック王国騎士団第一小隊!」

 やるぜ、野郎ども――奇妙な掛け声と盛り上がりと共に、極寒の只中にいる二名を除いた第一小隊の夜は今日も更けていく。



 * * *



 そんな翌日。

「おお、フィル、生きてたか」

「……誰のせいだと」

 ウェズの無責任な言葉にフィルは顔を歪めた。

「真剣に死ぬかと思いました……」


 そう、あの後アレックスが機嫌を直すまで、フィルはものすごく大変だった。寒いなんてものじゃなかった。

 部屋に戻るまでも戻った後も彼は終始無言。なのに滲み出る威圧感――産卵前の魔物や子連れの熊なんて目じゃないくらいだった。あんな風に生命の危機だと本能がびりびり訴えかけてくる状況なんてそうそうない。

『実は本命はいない、上手くいきたくない、手伝われたくない……』

 彼の怒りの原因を考えるものの、いまいちわからないから状況を打開しようにもどうにもならなかった。

 それでも機嫌を直して欲しくて決死の思いで話しかけたのだが、効果はなく、アレックスは全然笑ってくれなかった。

 お詫びのつもりでお茶を淹れてみたものの、その視線に茶から立ち上る湯気がそのまま霜になって足元に降り積もっていくような気がした。

 結局どうしたらいいかわからなくなって、自分の駄目さ加減に泣きそうになっていたら、アレックスは呻くような声をあげて天井を仰いだ。

「……フィルは悪くはないんだよな……悪かった、不機嫌になったりして」

 それから話をしてくれるようになって、しばらくしてやっと何とかなったのだ。


「けど機嫌、直ったんだな、アレックス」

 ウェズの視線の先には、オッズと剣をつき合わせているアレックスの姿がある。長い手足を駆使して動くその様は今日も驚くぐらい力強く、フィルとしてはちょっと羨ましい。

「みたいです」

「……なあ、お前、あいつにあれから何言った?」

「? えと、色々……?」

 そのフィルにウェズは眉を寄せ、溜め息をついた。訊き方が悪かった、と。

「あいつが機嫌直す直前、お前、何言われた?」

「ええと……」

 その時のことを思い出して、フィルはしゅんとする。

「彼女ができたら、休みとかは一緒にいられないって……」

 アレックスの機嫌が直ったのは良かったけれど、その会話は嬉しくなかった。

「……で、お前はそんな顔してた訳か」

 再びずーんと落ち込んだフィルとは対照的に、ウェズは「なるほどな、そういうことか……よくよく見りゃそうだな」と一人納得した顔で頷いた。

「まあ、そんな顔すんな、あいつに彼“女”が出来んのはもっとずっと、かなり先の話だ。どうやらかなり手強い相手みたいだから」

「……はあ」

 ずっと先でもちょっと嫌かも、と思ってしまった私はやっぱり恩知らずなのだろうか、とフィルは眉を顰める。


 そんなやりとりする二人の背後を、ポトマック副騎士団長が通り過ぎていく。いつもの彼の鉄面皮が愛弟子への同情で少し歪んでいることには、あいにくと誰も気づかなかったが。


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