20-15.決着
試合開始から既に一時間近くが経とうとしていた。人々は息を詰めて勝負の行方を注視している。
憧れを乗せてかけられる声援も、賭けの行方を気にして飛ぶ罵声も、フィルとアレックスの生まれや恋仲をからかう声も、何もかもが消えた。
ただ、金属のぶつかる甲高い音が絶え間なく響き渡り、その合間に時折両者の息づかいが異様に大きく観衆の耳へと飛び込んでくる。
双方相手の剣尖が、容赦なく急所に迫る場面が絶え間なく続き、そのたびに会場から短い悲鳴が上がった。
アレックスは、先ほどフィルから受けた一撃をかわしきれず、左腕の力を失っている。また、黒と銀の制服は細かく切り裂かれて、既にぼろきれのようになっていた。合間からのぞく素肌のあちこちからは血が滲んでいる。
一方のフィルは、剣こそあてて致命傷を避けたものの左脇腹への攻撃を押し込まれ、あばら骨に手痛い打撲を負っている上、右足首を傷めていた。
誰が見ても一目瞭然、双方共に満身創痍だった。時折「なあ、あの二人、付き合ってるんじゃないのか……?」という囁きがそこかしこから響いてくる。
「くっ」
左から繰り出された剣を避けきれないと判断し、フィルは両手で細剣を握ってそれを正面から受け止めた。
とうに限界を超えた筋肉が悲鳴を上げ、先ほど脇にくらった一撃で傷めた脇腹が軋む。
フィルは力の加えられる方向へと剣を流し、わずかにアレックスの体勢を崩すと、生じた隙に乗じて剣を、彼の顔へと繰り出した。
「っ」
だが、アレックスは瞬時に体勢を整え、フィルの間合いの外へと跳び後退った。
フィルの剣の切っ先がアレックスの頬を掠めて、そこから赤い滴が滲み出す。
広がった間合いに、フィルは詰めていた息を吐き出した。
(まいった。体力に差がありすぎる……)
知っていたから一気に勝負をかけようとしたのに、完全な守勢に入ったアレックスに上手くかわされ切ってしまって、今では攻守が完全に逆転している。
こちらの動きを警戒しながら、額から流れ落ちる汗と頬から滴る血を、袖で乱暴に拭うアレックスを見て、フィルは苦く顔を歪めた。
(ああ、もう嫌になる、私の方が七年も長く剣を扱っているのに)
先ほどフィルが彼に加えた一撃は、狙いを違えこそしたものの、彼の左腕の篭手に直撃した。ゆえに左腕の力は落ちているはずなのだが、彼にとっては大した問題ではないらしい。そもそも彼が右手一本で振るった剣でも、フィルの手に余る力量なのだから、当然と言えば当然なのだが。
どう考えても窮地にいるのはフィルだった。
だが、不思議なくらい落ち着いていた。
全身の感覚が研ぎ澄まされ、早まった心臓が全身に送り出す血流の音すらも聞き取れる。
攻撃の間合いとタイミングを探るべく、フィルはじりじりと動きながら、アレックスと睨み合い続ける。
あの青い瞳に宿っているのは、攻撃を意図する、憎しみにほど近い、強い意志だ。
それが今こうして自分に向けられていることが、どうしようもなく心地いい。
基本を守勢にとるアレックスが、珍しく自分から仕掛けてきた。
喉元へと鋭く突き出される剣を、最小の間合いで左によけると、フィルはそのまま彼の右懐を狙う。
彼の長い腕が伸びたことによって、生じる隙は深いと踏んでいたが、彼はすぐに脇を締め、身を反転させた。還す剣で逆にフィルの効き手手首を狙ってくる。
即座にその意図を悟り、フィルは自らの攻撃を引くと間合いを取り直す。
「……」
「……」
そうして、剣を構えたまま、再び睨み合った。
アレックスのブーツが石盤を踏みしめて、軽く音が立った。
機先を制すべく、フィルから一気に間合いを詰める。そして、舌打ちしたアレックスの頭上へと一撃を繰り出す。
「……く」
両手に渾身の力を込めたそれを、アレックスが歯を食いしばって受け止めた。
押し合いになる前に、自らの剣を引くと、フィルは息をつかせない速さで、縦横にその剣を走らせた。
骨折こそ免れているものの、左の肋骨に加えられた打撲のダメージが徐々に響いてきている。
鈍く脳へと伝わってくる痛みに、フィルは歯を食いしばる。
(負けるわけにはいかない、諦めてなんてやらない……)
だが、彼の死角へと回り込もうと足を踏み出した瞬間、それまでなんとか小康を保っていた右足に、鋭い痛みが走った。
「っ」
意識が自分の足へと向いた一瞬に、剣が大きくはじかれた。
(しまった……っ)
体勢を崩したフィルへと、アレックスの剣が下方から迷いなく振り上げられる。
その一撃を受け止めようと、胸の前へと細剣を咄嗟に移動させる。
直後、鋭く響いたのは、張り詰めた会場の空気を切り裂くかのような硬質の音――。
「……」
剣は握力を失ったフィルの手から、脆くも弾かれ落ちていた。
観衆の叫び声が息を吹き返す。
審判が興奮を含んだ高い声で、勝者の名を呼ぶ。
その腕が指し示す先で、肩で息をしつつ、アレックスが剣をおろした。
(ウシナッタ……)
片膝を闘技場の盤面についたまま、それらすべてをどこか遠くに感じながら、フィルは自分の手から零れ落ちた剣を見つめた。
物心ついた頃からずっと人生を共にしてきたそれは、赤みを増した日の光を受けて、銀色に鈍く光っている。




