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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第3章 接近
31/311

3-5.訳

「呼び出し? アレックスが?」

 いつものようにざわついている騎士団の昼食時の食堂で、ヘンリックは驚きの声を上げた。


 アレックスことアレクサンダー・エル・フォルデリークは、ヘンリックの憧れの人だ。劣勢にあった紛争で戦功を挙げているとあって、王都出身じゃないヘンリックでも名を聞いたことがあったほどの若手のエリート騎士。

 一見してとっつきにくそうだし、大貴族ということで最初は線を引いていたけれど、よくよく聞いてみれば、貴族と言ったって先の内戦で建国王を支えた文官の一人がお祖父さんで、前王権で庶民を食い物にしていた鼻持ちならない貴族の家系ではないらしい。

 それに、彼は実は細かく周囲に気を使う人で、こちらが構えさえしなければ、ものすごく親切。現にこの間は、試験のことで泣きついた五十二期生たちにいちいち付き合ってくれた。

 まあ、その理由にはフィルを夜通し他の男達と一緒にしておきたくなかったこと、それから彼女が『迷惑かけてごめんなさい』と申し訳なさそうに言う、あれが可愛かったというのもあるんだろうけど。うん、アレックスの顔、見たこともないほど幸せそうに緩んでいたし、あれはかなり露骨だった。

 ――というのは、さておき。

 外見も完璧、腕も頭も性格もよくて、その上、男なのに色気(!)だってある――そう、彼はまさにヘンリックの理想そのものだ。


「呼び出し……アレックス、何かしたんですか?」

(その完璧な人が副団長に怒られるようなことを……?)

 ヘンリックはその情報を教えてくれた第一小隊員たちに再度確認する。


「正確にはフィルが、だ。アレックスはとばっちり」

 そう心から楽しそうに答えたのはアレックスと同期のオッズ。

「それでも呼び出しは呼び出し」

 やはりうきうきと歌うように答えたのは第一小隊のミルトさん。

「あの優等生がついに呼び出し…」

 小声で感慨深げに呟いたのはヘルセンさん。

「長い道のりでしたね…」

 遠い目でしみじみと嬉しそうに呟くのはザルク。

「これでやっと第一小隊全員分の始末書が副団長のファイルに並ぶ」

 そこは嬉しそうにするところじゃないんじゃないか、というヘンリックの突っ込みを無視して、イオニア第一小隊長補佐は上機嫌。


(……さすが変人の集まりと評判の第一小隊、全員始末書経験済みというのもすごいけど、それを仲間意識にしようということこそどうかと思う)

 ヘンリックは思わず半眼になる。


「長かったよなあ、アレックスは威圧感もありゃ、そつもねえからさあ。そもそも奴の周りにゃ揉め事が起こらないし、たまに起こってもなんか勝手にうまく収まっちまうし」

「フィル万歳だよなあ。揉め事吸引体質。しかも本人最善を尽くしているつもりで、悪化させることも珍しくないという」

「あのアレックスがついていてなお、始末書も呼び出しも記録更新中! さすが我らが期待の新人!」

 わはははは、いいコンビだ、などとお茶で乾杯している彼らははっきり言って、昼の食堂で浮いている。

(……これ、酒でないだけ良しとすべきなのだろうか)

 ヘンリックは顔を引きつらせた。

 機動力と攻撃的な戦闘力に長ける小隊の特徴どおり、その面子には腕が立ち、なおかつ攻撃的な気性の持ち主が多いのだが、それより何よりそれぞれの個性が強い。しかも“異様”に。

 必然的に彼らの担当地域は柄の悪い場所が多くなるというもので、他と比べた時の始末書の多さも仕方が無いとは思うのだが……。


「ええと、それでフィルは何をしたんですか?」

「あいつ、巡回の途中で、港湾北西区に迷い込んだんだ」

「ああ、また迷子ですか。でもそれぐらい……そりゃあ、頼られるべき騎士が迷子なんて格好がつかないですけど」

 最近ずっと「どの通りも同じに見える」とぶつぶつ言っている親友を思い出してヘンリックは眉を下げた。

「問題は迷子じゃない。いや、それも問題だが、あいつ、その辺りの柄の悪い連中が、そこに住む場所代とかって言って、住民を恫喝してるのを見かけて、そりゃあ派手にやったんだ」

「巡回の時間じゃないからって奴らも悪さしてたんだろうけど、相手が悪いよなあ」

「ああ、なんか気になるもの見つけると、そっちにふらふら寄ってく習性だからな」

「しかも何のまねなんだか、気配を無意識に絶つみてえだし、狩りでもしてんのかって話だよ」

「ほんと動物っぽいよなあ」

 わはははは、と第一小隊の面子から笑い声が上がる。

 当たっているとは思う(ごめん、フィル。でも事じ…ごめんってば)けど、本当にこの人たちは容赦がない。


「で、そいつらは、金がないって呻いてる爺さんを、もう意識が怪しくなってるってのに執拗に嬲っていて、フィルはそれにブチっと来た、と」

「ブチっと……」

「八人。見る間に叩きのめして」

 淡々と説明するヘルセンさんの横で、彼の相方であるオッズがケラケラと笑った。彼らはフィルを探していたアレックスと偶然出会い、一緒にその場に駆けつけたらしい。

「最後にリーダー格の男がナイフを取り出して、フィルにかかっていったんだけどさあ。フィルはあっさりナイフをかわして、そいつの腕をつかんで、一瞬で腕の骨を捻り折って」

「それから痛いと騒ぐ男の顔面を容赦なく殴り飛ばしていた」

「……」

(ああ、食堂が静まり返った……)

 ヘンリックは思わず頬をひくつかせる。


「それでさらに悲鳴を上げた男の襟首をつかみ上げて、『人にあれだけのことをし、あまつさえナイフまで取り出しておきながら、自分の痛みは嫌などと虫の良い主張が許されるとでも?』って酷薄そうに笑ったんだよな」

「いやあ、あれは怖かった」

 そう言いながら笑えるオッズの神経がヘンリックにはほんっとうにわからない。多分黙って聞いている周りのほとんどの騎士もそう思っている。


「そいつがほんと馬鹿でなあ。フィルが俺たちに気をとられた隙に逃げ出そうとしたんだが、足をひっかけられて転んで」

「で、背を踏み押さえつけられた、と。激怒も激怒だったぞ、「仲間を見捨てて自分だけ逃げるのか」だってさ」

 なんせフィルを怒らせるのはやめよう、そうヘンリックは真剣に思う。いつだったか邪な先輩をぶっ飛ばした時もそう思ったけど、今度は心に誓った。多分黙って聞いている周りのほとんどの騎士もそう思っている。


「アレックスが止めるのがあと少し遅かったら、肋骨もいっていただろうな」

 冷静に分析するようにヘルセンさんが言っている。

 止めたのはアレックスで、やっぱりあなたたちじゃないんですね、と思っているのは多分ヘンリックだけじゃない。黙って聞いている周りのほとんどの騎士もそう思っている。


 それでも何が面白いかって、とイオニア補佐は上機嫌。

「そんな現場をポトマック副団長に見られる運の悪さだよなあ」

「少しぐらいやり過ぎたってああいう連中にはいい薬だしな。見られなきゃ問題なかったのに」

 そんな台詞を平気で吐く第一小隊に関わるのはやめよう、そうヘンリックは真剣に思う。多分黙って聞いている周りのほとんどの騎士もそう思っている。


「なんせ、全員始末書記念だ、今日は飲みに行くぞー」

「おおー、めでたい」

「祝いだ、祝い」

(……フィル、大変なところに所属してるね。まあ、でも君にはお似合いだよ、この変人さ具合。常識ある僕の憧れの人がここにいるのが、気の毒で仕方がない)

 ヘンリックは巻き込まれないよう、全力で気配を消すと、忍び足で彼らから距離をとった。



* * *



「ディラン、お前……反省してないな?」

(う。ばれた。なぜ)

 ぎくりと身体を硬直させたフィルの横で、ウェズ小隊長が顔を俯けて肩を震わせ、アレックスが笑いを堪えた妙な顔をしている。

「……」

 いいえ、と言えば解放されるかもしれない。大体先日からさほど間をおかずに、しかも九度目の呼び出しだ。いい加減まずいだろうとも思うのだが……。

(――だけど、嘘は嫌だ)

 フィルは唇を引き結ぶ。

 やりすぎは知っている。腕で十分で、それすらもやりすぎかもしれないとは思う。だから副団長の立場であれを見た以上、怒らなくてならないのはわかるのだ。

 でも、ああやって力を振りかざす連中は、力を向けられた者の痛みを一度自分で知るべきなのだとも思う。


(思うのだけど……)

「……フォルデリーク、監督不行き届きだ」

 諦めたように溜息をついてから、ポトマックが今度はアレックスに向かって告げた。

「申し訳ありません」

 いつも通り穏やかにアレックスは答えたけれど、それにこそフィルは落ち込んだ。

(アレックスは悪くないのに――)


 始末書の記入用紙を持って、フィルはアレックスと共に副団長室を出る。

「……すみません、アレックス」

 小さく小さくなって斜め後ろから声を掛けたフィルを、その紙を物珍しそうに見ていたアレックスが振り返った。

「? フィル?」

「またもやふらふらと迷子になった挙句、こんなご迷惑まで…」

 役立たずどころか、足を引っ張りまくっている。まだ自分は見習いだから、その自分が外で起こしたことの責任は、アレックスが負うことになると知っていたのに、とフィルは自分の失態に眉根を寄せる。


 アレックスはいい人でいつも助けてくれるのに、自分は彼の役になんとかして立ちたいと真剣に思うのに、情けなくて涙が滲んでくる。

(どうしよう、本当に愛想を尽かされそうだ……)

「……」

 そこにポンポンと頭を叩かれて、フィルは視線を上げた。

「殴られていた老人のために怒ったんだろう」

 アレックスは低い声は、宥めるように響いた。

「ああでもしておかなければ、連中はまた彼や弱い人々を手加減すらなく嬲るだろうと思った、違うか?」

「……」

 まじまじと目の前の彼を見つめれば、「誰かを守るための力なんだろう」と静かな断定が続いた。


『フィル、誰かを守れるってすごい力だね』


 その言葉にもう何年も会っていない親友の声が蘇った。目を見開いたフィルに、「これで少しは懲りてくれるといいな」とアレックスは顔全体を緩ませると、ぐしゃぐしゃっとフィルの頭を撫で、また歩き出す。


「……」

(……本当に不思議)

 フィルは足を止めたまま、前を歩いて行く、背の高い後ろ姿を見つめた。

 知り合って三ヶ月半。何度も何度も助けられた。物理的に、だけじゃない。精神的に数え切れないくらいたくさん。

「フィル? さっさといかないと昼飯を食べ損ねるぞ」

 振り返って茶目っ気を見せて笑ったその人に、フィルはつられて笑みをこぼすと、走り寄る。


 最愛の祖父が亡くなって八ヶ月。同じように大好きだった祖母も、山守のロギア爺も、馬のジャンも随分昔にフィルの側を旅立った。もう兄にも、別邸の管理人をしていたオットーやターニャにも、ロギア爺のところにいたメルやネルにも会えない。会いたいとずっと思っている親友のアレクも未だに見つからない。ここが自分の居場所なのかも相変わらずわからない。

 それでも今フィルが結構元気に過ごせているのは、アレックスのおかげだ。

 アレックスも皆と同じようにフィルの本当を知らない。それでも側にいてくれると泣きたくなるくらいにほっとする。彼のくれる言葉で、仕草で、何度も救われている。この人が一緒にいてくれて良かった、と本当にそう思う。


(だから、ずっと側に――)

 そんなことを考えながら、アレックスとくぐった食堂の入り口の向こう。

「よっ、おめでとう、はみ出し者の仲間入り!」

「祝! 初始末書!」

「やあ、俺は嬉しい、おまえもついにここまで成長したかと思うと」

 そこには満面の笑みを湛えていたり、泣きまねをしていたりする仲間達。

「ええ、と……」

 ここに来い、と手招きされているあの中央の席に座っていいものかどうか……。アレックスは、と横を窺えば、どこか遠くを見ている。

「はみ出すのって、始末書って……ああ、そうか、おめでたいのか。考えてみれば、成長の機会ということだし。なるほど、だからみんな私が始末書を食らうと喜ぶんですね」

(……あれ? 顔が引き攣った)

「フィル、だからここで起こることを常識だと思わないほうがいいと何度も……」

 呻き声をあげたアレックスだったが、結局フィルと共にその席へと座らされて、話のネタになった。


 はるか向こうでは、ヘンリックが気の毒そうな視線をアレックスに送っている。

(……? 私には?)

 フィルには同情してくれないことがちょっと引っかかる。


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