20-13.覚悟
準決勝第一試合は、騎士団第一小隊員フィル・ディランと、その所属長である、騎士団第一小隊長ウェズ・シェイアスとの試合となった。
騎士団の花形で、数々の戦乱の解決に赴くことの多い第一小隊。それを率いるウェズの知名度はおそろしく高く、また彼はこれまでその知名度に見合うだけの働きをしてきた。
前回の御前試合での優勝者であることと、滅んだ少数民族の出である彼がカザックを新たな母国に定めた経緯、その特徴的な赤髪の容姿でも耳目を引いていて、いまやカザック国内で知らない者はいないだろうという騎士だ。
対するフィルは、同じく第一小隊に所属し、この数年でそれなりの実績を積んでいるものの、上官であるウェズには及ぶべくもない。
ただ、いまだ尊崇されてやまないアル・ド・ザルアナックの孫であるという出自に人々は興味を掻き立てられているようだった。英雄の孫とはいえ所詮は女、噂には尾ひれがついていると揶揄していた人々も、一、二回戦でのフィルの様子を見、とりあえずは口を噤むことにしたらしい。
会場はウェズへの切実感のある野太い声援が圧倒的で、フィルに対してはところどころから細く高い声が向けられるのみだった。
「ちったぁ動揺したらどうだ」
会場の空気は、完全にウェズの勝利を予期し、また期待するものといっていい。
そんな中、審判を間に挟んでフィルと対峙したウェズは、彼らしい陽気で癖のある笑いを向けてきた。
「……欲しいものがあるんです」
フィルは鞘から細剣を引き出しながら、無表情に答える。
その答えに、ウェズは先ほどの笑いを引っ込めた。同じく長剣を鞘から引き抜き、構える。
「それは、お前が西大陸に行くなんて馬鹿な考えを捨てりゃすむ話なんじゃないか」
「……」
痛いところを突かれて、フィルは唇を噛みしめる。
「――始め」
審判の開始の声が、熱気にあふれる場内に響いた。
「あの間には入りたくねえなあ」
「得物に違いがあるだけで、あの二人は実に良く似ている。両方とも才能に恵まれているし、比較的型にとらわれないから、気分によってその時々の実力に差が出る」
「で、実戦に強く、危機になればなるほど力を発揮するってか」
「訓練なら圧倒的にウェズだが、本気で殺すつもりでやり合ったら、実際どっちが強いと思う?」
「微妙だが……やはりウェズ、かな」
「いや、状況次第じゃないか? フィルの得物は細剣だけじゃないし、あいつの野性味は人知では量れない」
既に敗れた者を含め、御前試合に出場した騎士団の面々が、切り結び始めたフィルとウェズを見つつ、物騒な批評をかわしている。
その端に立ち、アレックスはともに手の内を知り尽くしている二人の試合を、じっと観察した。
素早く手数の多いフィルと、手数こそ劣るものの、厳しい場所ばかりを攻めるウェズ。フィルが細かくウェズの身を切り裂けば、ウェズはフィルが交わしきれない一撃を加えてその非力さを攻め立てる。
フィルは会場の予想をまたも裏切り、優勝候補筆頭のウェズ相手に伯仲した試合を見せている。
「……」
次の対戦相手となる者を見極めようと観戦していたはずが、時間の経過とともにそのうちの一人だけを目が追い始める。自覚して、アレックスは苦い笑いを零した。
共に攻撃的な両者の打ち合いは、熾烈なまま開始から一時間が経過した。
あれだけ元気に飛んでいた声援も野次もすっかり減り、たまに聞こえてくる声もかすれている。
「……っ」
体勢を崩したウェズに、フィルが頭上から繰り出した一手。今度こそ仕留められるはずだったのに、半身をひねった彼が死角からフィルの心臓へと剣を突き出してきたことで、また形勢を逆転されてしまう。
反撃を避けるために、フィルは音を立てて飛び後退り、ウェズから距離を取った。
(全然隙がない……)
肩で息をしながら、剣を構えなおす。
対するウェズのほうも、フィルほどでないにしても息が上がってきているようだ。
「最後まで好き勝手にやって辞めていこうってんだ。最後ぐらい上官の顔を立ててみようって殊勝さはねえのかよ」
再びかち合った剣を押し合う中、刃の向こうでウェズが楽しげに呟いた。
この状況でなお冗談を口にできる彼に、自分にはない余裕を感じ取って、フィルは顔を歪める。
「どうしても……どうしても欲しいんです」
力負けして、上から剣が押しこまれる。歯を食いしばって圧力に耐えながら、フィルは言葉を返し、言い終わると同時にその剣を弾いた。
一気に間合いを詰める。
剣を握る手の握力が大分落ちてきている。これで決められなければ、多分もうフィルには勝機がない。
舌打ちしたウェズが乱れた体勢から剣を繰り出すのを視界の端に捕らえつつ、フィルは賭けに出た。
目論見通りに、ウェズの重心を崩した。だから、フィルの次の攻撃は確実に決まる、相手がウェズでなければ。
だが、攻撃と同時に下段ががら明きになる。ウェズほどの剣士であれば、こちらの一撃をかわしながら、その下段へと攻撃を加えてくることも可能かもしれない。それどころか、戦闘中のシビアな判断に長けている彼のことだ、こちらの攻撃をかわし切れないとしても、リスクをとってなお勝機があると判断すれば、躊躇わずその隙をついてくる。
『フィル、目先の勝利にとらわれて、その先の人生を台無しにするな』
相手に隙があれば、深く考えないまま反射で手を出してしまうフィルに、何度も諭していた祖父の厳しい顔が思い浮かんだ。
わかっている、こんな攻撃をして得られるのはわずかな勝利の可能性だけで、それと引き換えに大怪我だ。
ミドガルドに行くのを第一に考えるならこんな手は絶対に避けるべきだ。
でも、どうしても勝ちたい、そのための最後の可能性だ――。
怒号と悲鳴、歓声と奇声が混ざって、鼓膜が破れるような喚声が会場に轟く。
誰の耳にも届かない中、審判の興奮を含んだ声がフィルの勝利を告げた。
「お前、西大陸に行くんだろう」
控え室に戻る途中、背後からやってきたウェズに「片足で行くつもりだったのか」と話しかけられて、フィルは顔を硬くした。
(やっぱり……)
「……すみません」
泣きそうになるのを堪えつつ振り返れば、「あほう」と言いながらウェズはフィルの頭を小突いた。
「おまえ、思ってたより欲が深いよなあ。あれも欲しいこれも欲しいとは」
そして、大仰に溜め息をついてみせる。
「……」
鼻の奥がつんとしてくる。
決定打となったあの攻撃の際フィルに生じていた隙に、ウェズはやはり気づいていた。
彼はその隙をわざと見逃した――勝負の行方はともかく、そうしなければ、フィルが大怪我することだけは確実だったから。
(私の西大陸行きと退団を、あんなに反対して怒ってたのに……)
視界がにじみ始めた。見られまいと顔を伏せる。
「おまえは自分の気持ちも土壇場にならんと気がつかん出来の悪い部下だし、もう一人の頭がいいのになんでだか不器用な元部下も放っておけないからな」
だが、それも上官の彼にはお見通しだったのかもしれない。
「知ってたか、俺、けっこうお人よしなんだぞ」
もう一度大仰に息を吐き出して、ウェズはフィルの頭に手を置き、その髪をワシャワシャと乱暴に乱した。
* * *
準決勝第二試合を迎えた会場の様子は、先ほどの試合に比べて、がらりと雰囲気が変わった。
対戦者の一方、副近衛騎士団長アンドリュー・バロック・ロンデールが公爵家の出であることはその制服の色を見れば明らかで、そのためだろう、前回の準優勝者であっても、大きな声援となるには至らないらしい。
もう一方の騎士団第二十小隊長アレクサンダー・エル・フォルデリークについても、ロンデールと同じく貴族の出であることがそれなりに知られている。数々の実績を積み、騎士団の新星と言われていても、事前の勝利を見込む者がさほど多くなかったとあってか、やはり応援の声は控えめだった。
代わりに目立つのが、若い女性たちからの甲高い声で、会場のあちらこちらで、耳を抑える者の姿が多く見られる。
アレックスは闘技盤の下で、長引いた第一試合で落ちた汗などの清掃の終了を待っていた。
「彼女が西へ行こうとしているというのは本当ですか」
「……」
背後からかけられた声に、アレックスはゆっくりと振り向く。
白い制服をまとったロンデールは、薄暗い通路の中で浮き上がって見えた。その表情には、声と同様に悲愴さが見える。
無言を通したが、ロンデールはそれを肯定ととらえたらしい。「私のせいだ」と呟いて唇を噛みしめ、首を横に振った。
「あなたのせいなどではない、絶対に――」
アレックスは目を眇めて冷たく返し、再び闘技盤へと向き直る。
「っ、なぜそう冷静でいられるのですかっ」
いらだちを含んだ声が近づいてくる。浴びせられた言葉の内容に、アレックスは皮肉気に口元を歪めた。
「なぜ止めないのですか? 彼女をみすみす死なせる気ですか?」
「あなたは私と違って彼女の涙を望まないと言ったのに」
「父ならば私がなんとかします。彼女を止めてください」
矢継ぎ早に繰り出されるロンデールの糾弾を聞き流し、アレックスは両目を瞑る。
「っ、なぜ何もしないっ、あなたが止めれば彼女はきっと、」
「――あなたが口を出す筋のことではない」
低い声でロンデールを強く遮ると、アレックスは審判の合図を受けて、闘技盤に続く階段へと足を踏み出した。
「……」
闘技盤の所定の位置まで行き、天を仰げば、四方を取り囲む観覧席に満ちた観客たちの顔が否応なく目に入った。どの顔も高揚している。
静かに踵を返し、審判、そして対戦相手であるロンデールに意識を移すと、アレックスは剣を引き抜く。
審判が試合開始の合図を出すために、右手を挙げた。構える。
「あなたがそうなのであれば、」
応じて正眼に構えたロンデールが、銀色に光る切っ先の向こうで、緑灰色の瞳に決意の色を浮かべた。
先ほどの激昂が嘘のように凪いだ声で呟く。
「私は勝利の暁に、王に願い出、彼女を貰い受けます」
「あー、うるせえ」
二人が闘技盤に姿を見せると同時に、悲鳴のような声が会場中に響き渡った。闘技盤横で見物を決め込んでいたウェズは、耐え切れなくなって耳を塞ぐ。
「女性ファンばっか、凄まじい数だな。ま、二人とも容姿端麗、性格よし、いいところの貴族の出、独身。人気がないほうがおかしいとは思うが」
第十七小隊のアイザックが感心とも呆れともつかない声を漏らしながら、やってきた。
「フィルは?」
「瞑想中。勝つのはアレックスだと断言していた」
苦笑して、アイザックが横に並ぶ。
「もしそうなら、決勝は会場中フィルの敵かねえ」
「フィルにも女のファンは多いけどな。俺らより圧倒的に」
複雑そうに唸ったのは、先ほどアレックスに敗れたボルトだ。
「まあ、いいじゃねえか。ウェズよりましだ。こいつの応援は野太い男のばっかで、しかも励ましなんだか脅しなんだか分かんねえようなものばっかだったから」
「なのに、フィルに負けちまって……明日からどんな目に遭うんだか。ほんと楽しみだな」
そう言って楽しそうに肩やら背やらを叩いてくる同僚たちに、ウェズはかくりと肩を落とす。
「……なんだ?」
「アレックス? どうしたんだ、あれ?」
だが、漂ってきたただならぬ殺気に、騎士たちは表情を改めると、闘技盤の二人へと注意を向け直した。
「――始め!」
審判が試合開始を告げると同時に、両者が動き出す。
「まさに因縁の対決だよねえ」
その様子を貴賓席の最前列から眺め、フェルドリックは上機嫌に呟いた。
「お兄さま、まさか……このためにフィルのことをロンデールにお話しになったのですか……?」
引き気味に確認してくる末の妹に、にやりと笑う。
「チャンスは平等にあげなくてはいけないと思って。でなければ、諦められるものも諦められなくなるだろう」
フェルドリックの傍らには、護衛として新たに選ばれた男爵家の近衛騎士がいる。主君らの会話にも王太子の人の悪い微笑にも顔色一つ変えることなく、油断なく周囲に気を配っている。
「物語にありがちな展開じゃない? お姫さまの奪い合いってやつ」
激しく剣を突き合わせる二人を見つめ、フェルドリックは喉の奥で低く笑った。
「物語では、勝者が当のお姫さまと戦ったりはしません」
ナシュアナは「しかも、きっとフィルが勝つわ」と長息を吐き出した。
「いや、アレックスが勝つ」
「?」
「勝ってもらわなきゃ困るしね――だって僕は二人を手放す気は無いんだから」
笑いを完全に消し、フェルドリックは眼下の従弟を見据える。
そして、いつになく攻撃的に試合を運ぶ彼の様子に、秀麗な微笑を顔に浮かべた。
「お兄さま、その紙……」
「ああ、うん、あたったら二十万六千キムリ」
絶句するナシュアナに、フェルドリックは賭け券をひらひらとさせる。
「上々だろう? 城からの脱走の小遣いにもってこい」
「……」
幼い妹からの呆れの眼差しに、フェルドリックはくつくつと笑いを零した。




