20-12.諦められない
一回戦は、一般予選通過者が騎士団員と近衛騎士団員と対戦することになっていて、今年も番狂わせなく、八名の騎士たちが勝ち残った。
続く二回戦の第一試合は、騎士団第一小隊員フィル・ディランと騎士団第三小隊長サミュエル・カーランの組み合わせとなった。
カーランの徹底した防御に責めあぐねていたフィルだったが、それでも長時間にわたる息をつかせない討ち合いの末、見事勝利を飾った。
カーランの勝利を予想していた者が多く、恨みの声が上がる一方で、それを上回る熱狂が会場に満ちた。
第二試合は、優勝候補筆頭の騎士団第一小隊長ウェズ・シェイアス対近衛騎士団員アーサー・ベル・ジオール。
アーサーは得意の槍を活かした攻撃で奮闘したものの、実戦経験において勝るウェズに攻撃・防御の双方において敗北。ウェズに賭けている者たちが、観客席で胸を撫で下ろしていた。
そして、第三試合。
自らの試合で流した汗を拭きながら、フィルは見学のために闘技盤脇へと足を運んでいた。
目的は、騎士団第十七小隊長アイザック・キシリアと対戦する副近衛騎士団長アンドリュー・バロック・ロンデールだった。
訓練で見知っている騎士団員でないとあってか、そこにはウェズをはじめとする他の騎士たちもいたが、次に対戦を控えているアレックスの姿はなかった。
「……」
久しぶりにアンドリュー・バロック・ロンデールを見た気がした。
後方の通路から風が吹いてきて、フィルの髪を揺らしていく。同じ風が、闘技盤上の二人の黒と銀、白と金の制服をはためかせている。
彼は少し痩せたように見えた。
フィルは彼の姿をじっと見つめる。先ほど一瞬だけ絡んだ視線は、今回も彼が先に逸らした。
彼はフィルの兄の命を弄ぶ、フィルが最も嫌う男の息子だ。だが、彼自身は悪い人じゃないと思う。
フィルやナシア、ウェズを始めとする騎士団員たちへのふるまい、王宮で働く身分が高いとは言えない人々への態度、人嫌いのフェルドリックが彼には気を許していること、フィルの出自や性別を黙っていてくれたこと……。慎重に思い返してみても、引っかかるところはまったくない。
その彼がなぜ兄の命を盾にフィルに婚約を迫ったのか――。
(こういうことだったんだよね……)
理解したいともできるとも思っていなかったのに、今のフィルはそれが理解できるようになってしまった。
我がままだと、傲慢だと知っていても、自分にその資格がないと分かっていても、それでも誰かを諦められない――そんな気持ちはフィルの中にもあった。
先ほど出てきた控え室で見た、次の試合に備えて剣を調べているアレックスの姿を脳裏に浮かべ、フィルは息を吐き出した。
審判の声を合図に二人が動き始める。
場内の声援が、鼓膜を強く揺らす。
ダガーを用いたアイザックの二刀流は、かなり変則的なものだ。数多い長剣の型の中でも正統派中の正統派の使い手であるロンデールは、かなりの苦戦を強いられている。
ロンデールの腕が切り裂かれて、近衛の白い制服に血が滲んだ。同時に、観客席から黄色い悲鳴と、太い罵声が上がった。
だが、ロンデールは動揺することもなく、冷静にアイザックに対処し続けた。
両刀であるがゆえに手数の多いアイザックに対し、ロンデールは守りを固くして慎重に隙を見極める。
左下から喉元めがけて振り上げられたアイザックの一刀を、ロンデールは身を反らしてかろうじて避ける。即座に膝を落とすと、その反動を活かして、アイザックの開いた懐へと飛び込む。
迎え撃つアイザックの二刀目を剣の横腹で軽くはじき、ロンデールはその勢いのまま剣尖をアイザックの心臓へと突きつけ、勝利を収めた。
二回戦の最後、第四試合は、騎士団第二十小隊長アレクサンダー・エル・フォルデリーク対騎士団第五小隊長ボルト・ゴルギア――長剣を操り、攻撃を得意とする者同士の対戦は伯仲した。
観戦を続けていたフィルは、その様子に息を詰めた。
ウェズほどでないにしても、ボルトは凄まじく強い。中背だが、鍛えられた筋肉の塊のような人で、力も体力もある。加えてその剣技は、騎士の模範と呼べるようなもので、一片の癖も隙も無い、とてもやりにくい相手だ。
だが、開始後しばらくして、アレックスはその彼を目に見えて押し始めた。
一瞬の隙を決して見逃さず、狙いを寸分と違えない。
彼の剣の早さは、フィルとほぼ同じになってきている。だが、その一撃一撃は比較にならないほど重いようだ。長所となる反面、無駄な動きがあれば、欠点になりかねない長い手足を見事に操り、ボルトを追い込んでいく。
どうみても、彼が第一小隊にいてフィルと組んでいた時より、格段に強くなっているようだった。
フィルの周囲で観戦している騎士たちも、口々に似たような感想を漏らしている。
(……アレク、なんだよね、十一年前の春、ザルアで出会った、可憐そのもののあの子……)
なんだか、あの日々からひどく遠い場所まで来てしまった気がする。
観衆のざわめきの中で、フィルの耳には彼の息遣いだけが鮮明に届く。
美しいザルアの山と森の中で共に過ごした日々と、二年半前フィルが入団してからの日々が、浮かんでは消えていった。
観客の誰もが手に汗握った試合は、優勢を保ち続けたアレックスの勝利で終わった。
「勝者、アレクサンダー・エル・フォルデリーク」
審判が高らかに彼の名を呼ぶ。
「……」
試合終了の礼を終えたアレックスは、地が揺れんばかりの声援の中で、静かにフィルを見た。
「……」
そう、この人だ。フィルがずっと憧れ続けてきた、大事な人。外見じゃなくて中身こそ美しい。
失いたくない――フィルのこの想いは、あの頃からまったく変わっていないけれど。
欲しい――そんなふうに思うようにまでなってしまった。
(絶対に負けない)
そのために、どうしても勝ち抜きたい。
彼の青い瞳をじっと見返し、フィルは小さく息を吐き出すと、静かに踵を返した。
次の試合は、休憩をはさんで半時間後――上官でもあるウェズ小隊長が相手だ。
フィルの今の実力でウェズに対する勝機がもしあるとするなら、刹那のものだろう。
(厳しいけど、やるしかない)
冷静に自分と彼の力を推し量りながら、フィルは口を引き結ぶ。
午後の日差しで明るい会場から入った通路は驚くぐらい薄暗く、先がまったく見えなかった。




