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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第3章 接近
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3-4.居場所

 入団から既に三ヶ月が過ぎた。

 数ある試験を無事乗り越えたフィルと同期たちは、王都の巡回などようやく騎士っぽい仕事ができるようになった。

 中でもめでたいのは、五十二期生全員が何とか『生き残った』ということだ。大げさだけど、気分はまさにそんな感じ。ヘンリックなんて泣いていたし。

 やはりというか、全員合格というのは例年に無いことのようで、結果を伝える場でコレクト騎士団長が首を傾げていたけれど、それもこれもアレックスが試験勉強に付き合ってくれたおかげだ。


 フィルにとってさらに嬉しいのは、そんなこんなのうちに最初は彼を怖がっていた同期たちがアレックスに馴染んだことだ。

「アレックスのおかげです!」

「ありがとうございますっ」

「一生ついていきます!!」

「愛してますっ」

 試験結果を聞く度に、感激した各々がそんな感じにアレックスに抱きつき、彼をもみくちゃにしていた。中にはそれってどういう意味?というのもあったけれど。

 抱きつかれた彼の方はその都度固まってしまって、それを見ていた他の騎士が顔を引きつらせていたのもちょっと面白かった。


 そのせいもあるのかもしれない、最近ではフィルの同期たちだけでなく、他の先輩達も寄ってきて、フィルだけでなくアレックスとも話をしていったりする。

 そう、フィルは見た――昨日はあのスワットソンがアレックスに話しかけていた!

 嬉しくて、「仲良しになったんですか?」と訊いたら、顔を赤くしたスワットソンに頭をぽかりと殴られたけれど、それでも幸せだ。


 調子に乗ったフィルは、入団試験までの間お世話になっていた宿屋リアニ亭にアレックスを連れて行こうとこっそり計画している。女将さんも常連の皆も、まだ彼のことを誤解しているようだから。



「ん、いい天気」

 今日は入団以来十何回目かの休みだ。東から太陽が顔を出し、地平付近の空をオレンジに染めていた。上空には青空が広がりつつある。フィルは窓辺で伸びをしながら、お出かけ日和だ、とにっこり笑った。

 今日はアレックスと街に出る約束をしているのだ。もう半年近く暮らしているとはいえ、王都カザレナは広い。まだよく知らないところばかりなのでやはり楽しみだ。


「よっ」

 窓越しに差し込んでくる瑞々しい曙光に照らされたソファに目を止め、フィルは笑み崩れると、そこにボスッと音を立てて身をゆだねた。

「……ふふふ」

 すっぽり包まれる感触と優しい肌触りが好みで、フィルがこっそり気に入っていたアレックスの私物の一人がけソファ。それとおそろいの、この前届いたばかりの新しいものにクルンと丸まって座って、フィルは一人笑い声を漏らす。

 試験合格のお祝いだと言ってアレックスがくれたものだ。びっくりしたし、こんなことまでしてもらって申し訳ないとも思ったけれど、同時になんだかすごく嬉しくなった。

 それ以来、ここに座る度にへらへら笑ってしまって、アレックスに呆れられている。


 窓の外では街が動き出したようだ。

 小さく窓を開ければ、冷たい空気が流れ込んできた。挨拶の声や馬車のひづめの音が聞こえてくる。


「ここにきてもう三ヶ月かあ……」

 予想していたより平穏な、本当のことを言うとかなり楽しい毎日だ。

 あれほど気にしていた自分の素性も性別も今のところばれてはいない。同室のアレックスすら気づいた様子はないのだから、完璧も完璧だ。私ってすごいんじゃないかと密かに思っている。


 もちろんリアニ亭の女将が危惧してくれていた通り、世の中は相変わらずフィルには難しく出来ていて、『世間知らず』『常識知らず』と言われることも珍しくない。だが、世間知らずと言っても、いわゆる貴族のような類のものではないらしい。

 入団間もない頃、一部先輩たちのフィルへの嫌味にキレた(注:ヘンリック語録。堪忍袋の緒が切れたという言葉の省略形)同期のカイトが、「こんなおかしな貴族いる訳ねえだろっ、ただの田舎もんの典型だろうがっ」と怒鳴っていた。

 素性がばれる心配はなさそうだとは思ったが、それを聞いたロデルセンが「それ、全くフォローになってないよ、カイト」と真面目な顔で言ったこと、エドが「事実だ」と言ったこと、あれには傷ついた。そんな自分を慰めてくれたヘンリックはやっぱりいい奴だ。さすがアレク以来の親友(!)だ。


 所属している第一小隊のほうも順調、な気がする。歯切れが悪くなるのは、彼らはしょっちゅうフィルの悩みの種になるからだ。彼らは少し変わっている気がするのだが、それが彼らのせいなのかフィルがおかしいからなのか、判断がつかない。

 彼らはフィルが副団長に呼び出される度に大喜びし、怒られ終わって副団長室から出てくるのを、ウキウキ顔で廊下で待ち構えている。そこで始末書を食らったなどと言おうものなら、歓声を上げるのだ。しかもフィルが何かをしでかし、周囲の人たちが引く中でも、彼らだけはなぜか「最高!」とか言いながら、爆笑する。そして「おまえはそれでいい」と断言する。

 嫌な気配はまったくないし、それどころか温かいからまあいいのだけれど、アレックスが最近「この小隊の中で起きることを常識だと思わないように」と疲れたように言うようになったのは気にかかる。


「あとの問題はアレク……」

 それが今一番の課題だ。あのアレクはいまだに見つからない。

 大体知っている情報が、『アレク』という名とカザレナにいる貴族ということの二つだけなのだ。……間違えた、めちゃくちゃかわいいことを合わせて三つだった。

 八歳だったとはいえ、もっと何か聞いておけばよかった、と後悔した時には遅かった。祖父母に聞いても自分で探せ、その方が楽しいと笑うばかりだったし。

 アレクを知っていた、フィルが仲良しだった山守のロギア爺は『必ず会える』と言ってくれていたし、アレクも会いに行くと言っていたから、いつか会えるとは信じているけれど、だからと言って自分の努力を放棄するのは嫌だ。第一……、

「いい加減会いたいなあ」

 フィル自身が彼女にすごく会いたい。

「……」

 彼女がいるカザレナの空を眺めた後、フィルは背後でまだ眠っているアレックスへと視線を向けた。

(アレクへのヒントは、やはりアレックスだと思うんだけど……)

 フィルは強まっていく日差しに促されてソファから立ち上がり、忍び足でキッチンへと向かった。朝のお茶の支度を始める。

 当初一番の問題と思われた同室のアレックスは、フィルの性別とかに無関心そうだ。関心があったら、それこそおかしいだろうという話だが。

 ポットに沸かした湯を注げば、その拍子に昨日の練習でアレックスの剣を受け損なった時についた利き腕のあざが目に入った。フィルは口元をふよりと緩ませる。


 フィルは相方でもある彼と基本行動を共にしている。当然訓練も一緒で、よく手合わせするのだが、これがきついと言えばきつく、楽しいと言えばこの上なく楽しい。

 なんせアレックスの体力・力・体格はフィルより上。技術と速さはフィルが今のところ上だけど、それがなかったら正直厳しい相手だ。今まで同年代でこんなに強い相手に会ったことがなかったから嬉しくて仕方がない。

 その上、彼はたくさん笑ってくれる人だとも判明した。冷たく見えるだけで、実際はとても優しい人だというのはすぐに分かったが、これほど笑いかけてもらえるとは正直思っていなかった。

 残すところ三か月の見習い騎士生活の後、正騎士になってもペアはあまり変わらないそうだから、フィルはいい相方にめぐり合ったと言えるだろう。


 温めたポットに茶葉を入れ、改めて湯を注いだ。

「……ありがたい」

 蓋をし終えた後、フィルはキッチンから顔を出し、まだ寝ている彼をこっそり拝んでみる。


 だから、フィルはそんな彼に迷惑をかけまいと、また、彼付きの見習い騎士なのだから少しは役に立てるようにと、色々やってみてはいる。が、そこは公私共にあまりうまくいっていない。

 いつだったかは先輩騎士の肋骨を折ったところを庇ってもらった。その次は片付かない課題を助けてもらった。その後は祖父たちのことを考えて落ち込んでいたところを元気にしてもらって、この間は同期共々試験勉強に付き合ってもらった。さらに最初の巡回では迷子になった。……自分で言っていて悲しくなるが、本当に迷惑ばかりだ。

 そんな時、アレックスは苦笑したり困ったように笑ったり遠い目をしたりしても怒らない。それどころかいっつも助けてくれるし、みんなが首を傾げるフィルなりの理由というのをちゃんと聞いてくれて、フィルの知識不足や勘違いを丁寧に教えてくれる。

 休みの日には今日のようにいろんな場所に誘ってくれて、たくさんのものを見せてくれる。なにが不思議かといって、案内先が投擲用具や弓など扱い手が少ない武器を取り扱う店や、毒のある動植物や魔物の解説書などを取り扱う専門書店など、フィルが好きになるようなものばかりだということだろう。


 ――そう、最初の頃に抱いた予感どおり、フィルはすっかりきっぱりアレックスが大好きになった。アレクと同じように。

「……同じ?」

(ちょっと違う? …………まあ、好きには違いないんだし、いっか)

 首をひねった後、今度はカップに湯を注ぎ、温める。


 アレクへのヒント――そうなのだ、アレクとそんなアレックスは、近い親戚なのかもしれないとフィルは思っている。

 最初は兄妹かと思って、彼に『妹さんいますか?』と訊いてみたけれど、否定された。じゃあ、親戚?と疑い、彼に訊ねてみようと思ったことも一度や二度じゃない。だが、できないままだ。

(親戚となると、こちらの事情を説明せずに詳しいことを聞き出すのはちょっと難しいからなあ……)

「会いたいなあ」

 茶器を盆の上に移しながら、フィルは再度口にする。


 剣を握る自分を見てそれでいいと笑ってくれた人たちは、もうみんないなくなってしまった。

 王都に出て来て知り合った人たちはみんないい人たちだけど、誰も“私”を知らない――女であることも、本当はフィリシアという名であることも、ザルアナックという家に生まれたことも。

 ふとした拍子にそれを思い出して、その度に寂しくなって、同じ空の下にいるだろう彼女を思う。

 だが、彼女に辿り着くために、アレックスに事情を話せば? もしかしたら自分はここにいられなくなるかもしれない――そう考えてしまって、フィルはアレックスに話せないまま、こうして時間を過ごしている。


 ちなみに、ばれなきゃいいかと、彼に女性の面会人が来るたびに、外壁に張り付き、窓越しに面会室をこっそり覗いてみたりはしている。目は良いし、気配を消すのもお手の物だし。

 だが、これまで見た三人は美人で身なりが良さそうだという点以外でアレクとは似ても似つかず、その度に落胆した。見た目もだが、仕草や雰囲気が違うのだ。もう何年も会っていないけれど、相手に媚びるように微笑みかけたり、ベタベタしたりしたかと思うと、いきなり怒り出したり泣き出したりするアレクは、ちょっと想像できない。

 それにしても、アレックスには騎士団にまで差し入れに来てくれる悩み事の多い女性の知り合いがたくさんいるらしい。それってますますアレクが見つかりにくいってことじゃないか、と密かに呻いている。


 フィルは寝室兼居間に入り、二つのベッドの間をすり抜けると、窓際のテーブルに茶器をおろした。

 冬の柔らかい日差しが窓の外の樹の緑を照らしている。あと数分したらベッド脇の小さな窓からアレックスの顔に光が差し込んで、それを合図に彼は起きるのだ。


「うーん……」

 フィルは気配を消してアレックスに忍び寄り、じぃっとその寝顔を覗き込んだ。

「やっぱり似てるよね……」

 寝ている時は、起きている時の周囲を圧倒するような気配がないせいで、特にそう見える。


 もしアレクがアレックスと親戚なら、アレクも有力貴族の一員ということになるのだろう。アレクのザルア滞在がそういう一族の病弱な娘の療養だったと考えれば、あの父がうちの別荘を貸した理由も頷ける。

(父さまは当然アレクが誰か知っているのだろうけれど……)

 訊きたくはないし、訊けるとも思えないし、訊いたところで彼がフィルに教えてくれるとも思えない。


 茶葉が開き、茶の香りが部屋に立ち込めてきた。

 窓の外では、梢での日向ぼっこを終えた小鳥たちがさえずりながら飛び立っていく。


 もし私がアレクを探していると知ったら? その理由を知られて、素性や性別が彼にばれたら? アレックスは、騎士団の今は親切なみんなは、フィルにここから出て行けというだろうか?

 もし彼らに知られたと父が気付けば? 露骨に自分へと嫌悪を向けてくるあの父は一体何をするだろう? 以前のように恥さらしを見る目つきで、目につかないところへ行けとでも言うだろうか……?

「……」

 父の視線を思い出すと、陽だまりの中にいるというのに、体が冷えてくる気がした。フィルは知らず視線を落とし、下唇を噛んだ。

(言うだけならまだいい――あの人なら私がそうせざるを得ないように仕向けてくるかもしれない)

 彼にとってフィルは、価値がないどころの存在ではない。あの人は兄のためならばなんだってする人だ。

 自分へと向けられる彼の顔や冷たい目を思い出す度に、顔が歪む。あの人が兄に見せる表情や目線との落差に体の芯が凍えていく。

「ばれないようにしなくては……」

 フィルがここにいることをそんな彼に気取られてはいけない。まして彼との関係を周囲に悟られる事だけは絶対に避けなくてはいけない。初めて自分で決めたこの場所の足場は、あの人の意思次第でどうとでもなる程度には十分もろい。


「……訊けない、よね」

 何度考えてもそういう結論になるのだ。たとえアレックスであっても、アレクのことを訊ねられない。

 アレクの親戚なら黙っていてくれる気がしなくもないけれど、それにアレックス自身だってすごく優しいけど、やはり怖い。だってここにいれなくなったら、次に行く場所の当てなんてないし、それより何より、自分はここに、この場所に居たい。

「やっぱりここがいいな……」

 アレックスの、アレクに似た整った顔へと視線を戻しながら、改めて思う。


「ぅ……」

 光が顔に当たって、アレックスは顔をしかめた。ひどく大人びた顔が、この時ばかりは幼く、子供みたいに見えるから不思議だ。


「おはようございます」

 アレックスの深い青色の瞳が細く開き、それを見つめてフィルは朝の挨拶をする。明るい日の光の下で、その色はさらに美しく見える。

「……」

 返事の代わりに、アレックスの目が笑みを帯びて細まった。

 それからゆっくり起き上がって小さなあくびをしながら、顔を洗いに洗面室へ向かう彼を見遣って思う――毎日、ここで、こうして朝を迎えたい。それが叶えば、どんなに嬉しいだろう……?


「おはよう、フィル」

 前髪を水に滴らせた彼が部屋に戻ってきて、自分の横のソファに座ってまた微笑んだ。それを見て思う――ここに私の居場所を見つけたい。そう出来れば、どんなに幸せだろう……?


 じっとアレックスの瞳を見つめれば、そこに怪訝な色が宿った。ふと泣きたくなって、それを誤魔化そうと笑い、フィルは茶をカップに注いだ。

 きっと今日も温かい、楽しい日になるのだろう。そんな予感とともに。



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