20-1.噂
「あれ、今日フィル休みだよね? アレックスは仕事?」
「ううん、さっきまで一緒だったよ。実家から使いが来て、慌しく出ていった」
アレックスとのんびり休日を過ごしたフィルは、夕刻食事のために一人食堂ヘと降り、そこで出会ったヘンリックと、配膳を待つ列に並んだ。
「なんか最近そういうこと、多くない?」
「うーん、ここ半年くらいけっこうあるかも。よく知らないけど、実家のことを色々手伝っているんだって。夜とかも帰って来ないことあるし……って、これ、外では言わないようにって、アレックスに念を押されていたんだった、そういえば」
「……詳しいこと、訊いてないの?」
うん、俺以外の人には絶対に言っちゃダメだよ、と頷いたヘンリックは、そのあとでうかがうようにフィルを見た。
「ん? 訊いてないよ」
首を横に振れば、彼は「気にならないの」と今度は眉根を寄せた。フィルも負けずに、眉をひそめ返す。
「メアリーが、恋人は普通そういうふう、知らないことがあって当たり前って言ってたよ? あと、ジルさんも言いたくなさそうなことは無理に訊き出さないって、めんどくさいから」
そう告げると、ヘンリックは微妙な表情をした。
「浮気とか、疑わないんだなあ。そりゃ、アレックスはフィル以外眼中にないって露骨だけど、素直なのか自信があるのか……。てか、ジルさんってオッズの彼女だよな、ケーキ屋の……やっぱいい性格してるんだな。にしても、メアリー、そんなこと言ってる割りに、よく俺のこと知ってるような……あ!!」
ブツブツ呟き、最後にはっとした顔をしたヘンリックに、フィルは怪訝な目を向ける。
「うん、俺とメアリーは特別ってことだな、やっぱり」
「また変な妄想に入ったな……」
訳の分からない独り言の後で、幸せそうに鼻の下を伸ばした親友に、何を言うべきか、言わざるべきか。
(……ん?)
半眼で溜め息をついた直後、喧騒から気になる言葉が耳に飛び込んできた。
「西大陸に向けた隊商がドムスクスで襲われたらしい。積荷もすべて盗まれていた上、皆殺しだと」
会話の方向に視線を向ければ、フィルたちより十期ほど上の騎士たちが、既に食べ終えた夕飯のトレーを前に、顔をしかめていた。
「ドムスクス? 西大陸との交易は、アルマナック王国経由で南の海からだろう。なんだって西に隊商がいたんだ?」
「カザレナの交易商人たちが、新規ルートの開拓のために組んだ隊商らしい。はるばるミドガルドまで行って、ドムスクスのエディン港経由でこの大陸に戻ったらしいんだが、国境手前で全滅したそうだ」
「……カザックまであとちょっとってところで気の毒に……」
「イラー・デンが失脚しても王は弱いまま。中央の横行は無くなったが、その分地方には手が回らなくなって、治安が悪化しているようだ。今回も最寄りのガイゼの町じゃなくて、カザックのタウェル国境警備隊に救援要請を送ってきたそうだ。生憎と間に合わなかったみたいだが」
「有力な貴族や豪族が私軍を増強して、あちこちで台頭してるって話だし、ドムスクスの終わりはもうすぐそこだな……」
「うちにも余波が来ることを前提にものを考えといたほうがよさそうだなあ」
(西大陸との交易、しかもミドガルドって確か……)
フィルは眉間に深いしわを寄せた。
現実に迫りつつあるドムスクスの体制崩壊と、それによるカザックへの影響は、フィルを含めた騎士たちの目下の話題だ。だが、今の会話には、それ以上に気にかかる単語があった。
「あの、すみません。その襲われた隊商がどういったものだったか、詳しいことはご存知ですか? 例えば、誰が差し向けたとか、積荷の内容とか」
そのままドムスクス国境付近への派兵の可能性について論じ始めた先輩騎士たちの会話に、フィルは思い切って割って入った。
だが、その顔見知りの騎士は、瞬きを繰り返した後、「いや、その隊商については、俺もそれ以上知らないんだ、すまんな」と首を横に振った。
「新しく組まれた隊商……」
フィルは、浮かない顔で先輩騎士らに礼を述べ、先に待っていたヘンリックの横へと食事のトレーを置いて座った。
「なに? フィル、交易に興味でもあるの?」
ヘンリックは空想の世界から帰って来ていたらしい。意外そうな顔で、シチューを口に運ぶ。
「うーん、無いわけじゃないけど……」
スープ皿にやはり匙を突っ込み、フィルは白いシチューをぐるぐるとかき回した。ミルクの香りと湯気が周囲に広がる。
気になるのは、ミドガルドという国だ――確か兄の薬は、その国のものではなかったか。
そう告げると、ヘンリックは「ああ、あのお兄さんの」と呟いて匙を置き、代わりにパンを手に取った。
「その隊商の話なら、一昨日だったかな、こっちに来てた一番上の兄貴もしていたよ」
(ああ、そうか、ヘンリックの実家は、この国有数の豪商だった)
フィルは動かしていた手を止めると、親友の横顔へと視線を向けた。
「イラー・デンが失脚して、独裁と恐怖政治が終わったと言っても、国王はあんなふうで、力も求心力もなくて不安定極まりない。そんな国で商売をするのは、イラー・デンの時代とは別の意味で難しいよ。たとえそれがただの交易ルート上の一国のことであってもね」
ヘンリックは、ちぎったパンを飲み込んで頷いた。
「そもそも隊商の新規ルートの開発って、リスクがとても高いんだ。隊員と荷の安全が行程のすべてにおいて恒常的に保証されなきゃいけない。当然距離が伸びれば伸びるほど、難しくなる。今のドムスクスのような地域を通ったりしなくちゃいけなくなるわけだから。その分上手くいけば、利益も大きいんだけど」
すらすらと語る親友に、フィルは目を丸くする。
「兄貴も気の毒がってたけど、ほんと、海を越えてはるばる隣の大陸の、しかもど真ん中の国まで行って帰ってきたのに、カザックまであとちょっとのところで襲われるなんて、ついてないよなあ」
「……うん、もう少しだったのにね」
故国を目前に、異国で亡くなった商人たち――フィルは彼らを思って、口を引き結んだ。
「お兄さん、その隊商のこと、なにか言ってた?」
「出資者がいて組まれた隊商だ、聞きそびれて話に乗り損ねたけど、こうなるんだったら、不謹慎ながら乗り損ねてラッキーだったって言ってたけど……あ、そういえば、珍しい鉱石のサンプルを積んでたらしくて、兄貴はそれに興味を持ってたみたいだ。なんなら詳しい話、もっと聞いてみる? あと数日、兄貴こっちにいるらしいから」
「悪いけど、頼んでいいか?」
西大陸との貿易は、先ほどの騎士たちが言っていたとおり、今現在は南方経由のルートしかなく、ロンデール公爵家の独占状態にあるという。それゆえ、フィルの兄はロンデール家に生殺を握られるような状況にいたわけだ。
(でも、問題は解決したはずだ)
ロンデール家は、彼らの目的であったザルアナック家の娘、つまりフィルが、実は彼らにとって価値がないどころか、害にすらなりかねないと去年の収穫祭に悟って、その件から手を引いたはずなのだ。
(ひょっとして『はず』じゃなかった、のかな……)
フィルは手にしていた匙を置き、視線を伏せた。
数ヶ月ほど前に開かれたフェルドリックの誕生祝賀会。そこで見たロンデール公爵の憎悪と悪意に満ちた顔が脳裏にちらつく。
「フィル?」
――いやな感じがする。
そう思ってフィルは、今度は顔全体を歪めた。
ありがたくないことに、これまでフィルがそう思った時は、結構な確率であたってきた。
西大陸との交易、ミドガルドなどの言葉で、単にあの男を思い出した、それだけのことであって欲しいのだが……。




