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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第19章 贈り物
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19-17.定形外

「フィル」

 ざわめきの中に響いた低い声へと、フィルは顔を向けた。「失礼」という言葉と共に人垣が割れ、アレックスが現れる。

 黒髪の合間からのぞく青い瞳と視線が合って、フィルはにこりと笑った。色々、本っ当に色々妖しくなったけれど、あの瞳とその笑い方は、アレクの時のままだ。

 その横には、美しいとしか言い様のないフェルドリックの姿がある。

 彼らが近づくに連れて、自分たちを取り巻いていた囲いが緩んだからだろう。フィルの隣で、ミレイヌが長々と息を吐き出した。

「ミレイヌ、ありがとう」

 やっぱり庇ってくれていた、と悟って笑いかけると、ミレイヌは赤くなって、「べ、別に礼を言われるようなことは……」と口籠った。こういうところが、かわいい。


 彼の友人たちにもお礼を言い、アレックスのもとに行こうとしたところで、フィルは一つ思い出した。そして、「先ほどの件ですが、」と人々を振り返る。

「剣舞も歌も私自身がそうしたいと思う時に、そうしたいと思う人のためだけにします」

 祖父母もそれでいいと言ったので、と微笑み、今度こそアレックスたちの方へと駆け寄った。


「!?」

 ――が、なぜか奇妙な顔をしたフェルドリックに睨まれて、ぴたっと静止する。

(な、なんなんだ……)

 視線を泳がせれば、その先でアレックスが笑いを堪えている。

「アレックス、口を開くな」

 理由を訊こうとするも、不機嫌なフェルドリックに阻まれた。衆人の目があるにもかかわらず、猫を脱ぎ捨てたフェルドリックと、その彼についに吹き出したアレックス。

「また……」

 彼らの以心伝心な空気に、また仲間はずれだと落ち込んだ。周囲もそんな彼らを怪訝そうに見ている。


「わっ」

 やっと笑いを収めたアレックスに、いきなり抱き寄せられた。驚く間もなく、額に柔らかな感触が重なる。

「さて、そろそろ帰ろうか、フィル」

「……うー、また人前で」

 頬を染めて口づけられた場所を押さえるフィルにかまうことなく、それどころか幸せそうに笑いながら、彼はフィルの頭をわしわしと撫でた。

 それから、唖然とするミレイヌたちに、「フィルが世話になった。ありがとう」と艶やかに微笑みかける。

「……」

 その瞬間、彼らが真っ赤になったことは、見なかったことにしようと思う。 

 ついでに、今度は言い返さないミレイヌに、アレックスはアレックスでやはり何かがおかしいらしい、とフィルは確信した。


「――フィル」

「っ」

(しまった、すぐそこに魔王がいた、気を抜くなんて不覚にもほどがある……!)

 気の緩んだところに届いた、麗しくも恐ろしい呼び声。フィルは音を立ててアレックスから離れ、フェルドリックに対して身構える。

「名前」

「……へ?」

「許してやる」

 だが、彼は仏頂面でそう言い放つなり、踵を返した。

(……え、ええと、なまえ……って、フェルドリックの……?)

 再び猫を被って微笑を顔に貼りつけ、人々に紛れていく彼をひたすら放心したまま見送ったのは、それこそ剣士として失格と言っていいだろう。




 ぱっくり口を開けて、去っていくフェルドリックを見送っているフィル。その横で、アレックスも軽く目をみはった。

(名前? 許す? そういえば……)

「フィルはリックを名や愛称で呼ばないな」

 フィルから話しかける時は、「あの」とか「すみません」などと言って、フェルドリックの気を引いて、会話を始めている。

 アレックスは首を傾げながら、いまだ呆けるフィルの手を取り、自分の腕に絡ませて歩き始めた。もたもたしていれば、また誰か彼かに捕まる。


(それにしても意外だ)

 どんな想像をしているのか、今度は顔を引きつらせ始めたフィルを、アレックスは横目に眺める。

 彼らはそれぞれ互いのことを幼馴染だと認めているし、実際彼らは(本人たちの自覚はともかく)かなり親しい。

 文句を言いながらも気にかけていることからわかるように、リックはフィルを気に入っている。……あの気に入り方は人としてどうかと思うが。

 それに、フィルのほうもリックを嫌悪している様子はない。……魔物以上に怯えてはいるようだが。

 なんせ気心の知れた関係ではあるのだし、フィルの性格なら、躊躇なく名前だろうとなんだろうと呼びそうなものなのに、とアレックスは片眉をしかめた。現にナシュアナ王女だって、本人が最初にフィルに名乗ったとおり、『ナシア』のままだ。


「……なんでそんなに意外そうなんですか?」

 フィルはジト目でアレックスを見つめ返した後、焦点を遠く、天に移して身震いした。

「初めて彼に出会った時、名を呼んでひどい、そりゃあひどい目に遭ったので……」

「ひどい……?」

(何があったか、詳しく聞いてもいいのだろうか、それとも聞かない方が幸せか……)

 ただ、同情の視線は送った。あのフェルドリックがした『ひどい』ことなら、筆舌に尽くしがたいものであろうことは分かる。

 当時のことを思い出しでもしたのか、フィルは呻き声をあげながら、眉間に深いしわを寄せた。

「そういえば、あの頃から天敵だった……ああ、そうか、アレックスだけじゃない、爺さまもだったのだな」

 そして、独り言のようにブツブツ呟く。


「でも、だからって『殿下』と呼ばれても嬉しくなさそうだし」

「それで尊称でも呼んでいなかったのか」

「だって、どちらの道も危険があれば、道なき道を行くしかないでしょう?」

「そう、か……?」

 普通は道ではない道の方が、危険な気がするし、事実そうなっていると思う。

(だが、それはつまり……――)

「初めて会った時から、リックはフィルに猫を被っていなかった……?」

 アレックスは露骨に眉をひそめた。

「最初からあんな感じで邪悪でしたよ」

 フィルも同じ顔をして、「侍女さんたちの子供相手の時ですら、完璧に猫を被って、良い人ぶっていたのに」と漏らした。



 会場を後にしようと、フィルの身内であるザルアナック伯爵とラーナック、自らの両親などに声をかけてまわる間中、アレックスの頭の中を占めていたのは、一つのことだった。

(なぜリックはフィルには素でいたのだろう……? 俺の時ですら、最初は『王子さま』を演じていた。それがなぜ彼女にだけ?)

 知らず手が汗ばんでいく。ひょっとして、リックにとってもフィルは特別だったのだろうか、と。


「アレックス」

 待たせてある馬車に向かって迎賓宮の長い階段を軽快に、そしていつもの調子でエスコートを忘れて、先に先に降っていたフィルが、途中で楽しそうに笑いかけてきた。

 今は自由になった髪がふわりと舞い、周囲の炎を照り返して光った。

「来る時は余裕がなくて気づきませんでしたけど、ここ、昼間みたいですね」

 どれだけ篝火を燃やしているんだろう、と灯りの数を数え出し、途中で今日知り合ったと思しき少女に声をかけられて中止。手を振って別れの挨拶をしている。

「……しまった、忘れた」

「二十三」

「……」

 目をまん丸にしたフィルに、つい笑いを漏らした。顔に『なんで篝火のことだって分かった? というより、ちゃんとどこまで数えたか覚えてるんだ、すごい!』と書いてある。

(そうだった、フィルはいつだってこんなだった。俺だって、フェルドリックほどじゃないにせよ、自分を演じる。それなのにフィルには最初からそんな気がまったく起こらなかった)


「なあ、フィル、知っていたか?」

 振り返ったフィルに、アレックスは「随分昔から、フェルドリックの婚約の話は出ていたんだが、」と告げる。

 階下から見上げてくる森の緑の瞳は、周囲にゆらぐ赤い炎とアレックスの姿を鮮やかに映している。

「その中の最有力候補が、『フィリシア・フェーナ・ザルアナック』」

「ぅえ゛」

 奇怪な声を立ててフィルは固まり、それから盛大に顔を引きつらせた。

 やっぱり知らなかったのか、とアレックスはその顔に吹き出した。他に何人の娘が、自分が王太子の婚約者候補だと聞いて、こんな反応をするだろう?


 彼女のいる段の一段上にまで近づくと、彼女の手を取って引き寄せ、抱きしめた。

「『王妃さま』になりたかった?」

「一日で禿げます」

 腕の中で全力で首が振られ、色気の欠片もない返事が返ってきた。アレックスはそれでますます笑うと、彼女の顎に手を掛けて上を向かせた。

 覆いかぶさるようにその唇に自らのそれを重ねる。

(――そう、フィルは特別)

 甘い、柔らかな感触と、唇に感じるかすかな吐息の熱に、ようやく心が落ち着きを取り戻した。

 首まで赤く染めた彼女が抗議を口にする前に、その腕を引いて再び階段を下り始める。


「せっかくだから、散歩がてら歩いて帰るか」

「……その格好で?」

 拗ねているらしい、と声から悟って、また口元が緩んだ。

「騎士団のフィル・ディランが護衛だから、平気だろう」

 からかうようにその顔を覗き込めば、彼女は一瞬目を見開いてからアレックスを睨み……次いで、蕾を綻ばせるかのように微笑んだ。


 怪訝な顔をする御者に挨拶と断りをいれ、既に静まりつつある王都の通りを二人で歩き出す。

 月に照らされて白く光る石畳に、長い影が二つ伸びている。


 何かが少し違っていたら、フェルドリックは今頃アレックスの恋敵だったのかもしれない。フィルは今頃彼の傍らで笑っていたのかもしれない。

 だが、現に彼女はここに、アレックスの横にいる。そして、アレックスを見てその顔に幸せを浮かべる。

 その奇跡に心からの感謝を捧げよう。


「それにしても、名前を呼んでいいってあの話、」

 月光の下でフィルが眉を寄せ、深刻な表情を向けてくる。

「やっぱり新しい罠でしょうか」

 神妙な気持ちには即、笑いが混じってしまったが。


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