19-16.慮外
悪夢そのものの踊りがなんとか終わった。
フィルはぎこちない笑い顔のまま、フェルドリックに手を引かれて、アレックスへと近づく。そのアレックスは、やはりと言うか女性たちに囲まれていて、それがフィルが顔を引きつらせるもう一つの理由でもある。
(ああ、こっちはこっちで怖い。みんな睨んでる……)
「アレックス、君が長年にわたって熱烈に恋焦がれてきた、大事な、大事な想い人、確かにお返ししたよ」
(絶対わざとだ……)
フェルドリックがにこにこと笑いながら、火に油を注いだ。だが、アレックスは彼の邪悪な微笑みも、油を注がれた女性たちの恐ろしい空気も、フィルの内心の呻きも、意に介さないらしい。
「確かに」
さらりと肯定して、フェルドリックが差し出したフィルの手を受け取った彼は、当たり前のようにその手の甲に唇を落とす。そして、「おかえり、フィル」と優しく笑いかけてくれた。
瘴気圏から脱出可能となったところに受けた、アレクを髣髴とさせる微笑。ほやっとしかけたものの、周囲から「絶対殺意がある……!」と断言できる視線をざくざく受けて、フィルはすぐに現実に引き戻された。嬉しいけど、嬉しくない。
アレックスは、それからフェルドリックに視線を戻し、含み笑いを零した。
「一応断っておくが、俺じゃないぞ」
「うるさいな、聞いたよ」
「というか、別に隠さなくても良いだろうに」
「別に隠してるわけじゃない」
「割に顔が赤い」
「うるさいって言ってる」
少し赤くなったフェルドリックに、アレックスが低く笑う。
「まあ、なんのお話ですの、殿下、アレクサンダーさま」
「フィリシアさまだけでなく、私たちも混ぜてくださいな」
従兄弟である彼らの親密な空気は、フェルドリックと話したいなどという命知らずな願望を持ち、彼とそのお気に入りのアレックスの会話を邪魔するなどという、果敢な行為を実行する女性たちによって失われた。
「もちろん」
そうしてフェルドリックは、再び『理想の王子さま』に戻った。
距離を詰めてくる女性たちの中には、純粋な憧れ以外の目的を持った、妙な気配の人もいるのに、彼は彼女たちにもにこやかに笑い、細かく気を使って、けれど決して本心を見せず、場を上手く支配していく。
「……あの、フィリシアさま、よろしいですか?」
フェルドリックのそんな器用さが、ちょっと悲しいものに思えたのは、彼には秘密にしておこう――そう決めて、フィルは自分にかけられた可愛らしい声へと、振り向いた。
* * *
騎士の正装に身を包んだままのフィルの元に集まってきたのは、顔を赤くした少女たちだった。
「以前ナシュアナさまと踊っていらした時からずっと憧れていて……」
「その、あまりダンスが得意ではないのですが、もしよろしければ、私もいいですか……」
などと申し込まれるまま踊っていたフィルは、一区切りついたところで、仏頂面の同僚を見つけて、そちらに向かった。
「ミレイヌ、さっきはありがとう」
彼の側には同じ年頃の青年が二人いて、フィルを認めるなり息を止めた。が、ミレイヌだけは、一人歩いてきたフィルに顔をしかめ、小言を言い放った。
「お前はまた……! エスコートもなしにほいほいうろつくんじゃないっ。って、制服の袖! まくるんじゃないっ」
(細かい……)
フィルよりよほどちゃんとしていると言えば、その通りなのだろうが、いちいち説教になるこの性格。見た目は悪くないし、出会いも多いのに、先に進めないと騎士団で評判、ぶっちゃけ笑いの種にされているのは、たぶんこの辺が理由だ、と妙に納得する。
「エスコートって言うけど、もうドレスじゃないぞ?」
男装の私を女性にするようにエスコートするのは、アレックスぐらいだ。そう思って、フィルは騎士団の制服を指でつまんで見せた。
「それでもだ」
「なんでだ」
「あーもーっ、なんでも、だっ、特に今は駄目だっ。……なんだその顔は」
「だってアレックス、人気者だし」
フィルは、自分を囲んでいた少女たちとは明らかに別種の女性たちに囲まれているアレックスを指さし、口を尖らせる。
あそこから彼を連れ出すなんて無理だと思う。やろうものなら、きっと女性たちから目だけで殺されるに違いない。
フィルに寄ってくるのは、社交の場に出始めと思しき、まだ少女と呼べる年頃の子たちだが、アレックスの周囲の空間は平均年齢でおそらく五~十ほど上。微笑みつつ、所々で刺すような目を向けてくる人が多くて……率直に言ってかなり怖い。今もまたこっちを睨んでいる人がいる。
「本当、あれだけもてるのに、なんでフィルなんだろうな」
(いや、自分でもそう思うけど)
同じ方向を見たミレイヌが、しみじみ呟いたのを見て、フィルは右の口角だけを吊り上げる。
「ジュリアン、失礼だろう。いくら気心が知れているからって」
「気にしないでください。どうせ僻みなんです。な、ミレイヌ、彼女の方が、女性たちの気を惹いているから、気に入らないんだろ?」
「ば、ばらすな!」
「あ、やっぱあたってるんだ」
「ぐっ」
ミレイヌをからかって笑った、彼の友人二人と目が合って、フィルはにっこり笑った。どうやら良い友達らしい。
「初めまして、フィル・ディランです。もうひとつの名はフィリシアですが、フィルと呼んでください」
その二人に挨拶すれば、その辺はさすがと言うか、ミレイヌは仏頂面ながらも彼らをフィルに紹介してくれた。
「言っておくけど、フィルは顔を赤らめる様な相手じゃないぞ。見た目に騙されるなよ?」
そう言って悪態をつくことも忘れなかったが。
「それはそうと、ミレイヌ、演舞の件、改めてありがとう」
「それだ、それ。心配したってのに、なんだよ、お前、御前剣舞やったことがないなんて嘘だろう」
「――本当に騙されました」
応えを返す前に会話に割り込んできたのは、近衛のサヴォンともう一人、誰だっけ? あの、腕が悪くて、そのくせもっと嫌な奴だ。
「騙すも何も剣舞は得意です――仰る通り『アル・ド・ザルアナックの孫ですから当然』に」
騙したのはどっちだ、と思いながら、フィルはにこりと笑った。
「もっとも御前での経験はありませんでしたし、細かいルールも知りませんでしたが、そこはミレイヌがきっちり教えてくれました。となれば、舞の一つや二つ、即興でどうとでも」
彼らの顔が盛大に歪んだのを見て、フィルは内心で舌を出す。
(大事な祖父を使って、私を陥れようとした罰だ)
極上の腹黒に付き合っていたせいで人が悪くなったかもしれない、と少しだけ反省はした。
だが、フィルが話を振ったせいだろうか。一瞬黙ったサヴォンは、鼻を鳴らすと、ミレイヌに絡み出した。
「騎士団でうまくやっていらっしゃるようですね。近衛に馴染めなくなったあなたには居心地がよろしいようで」
「噂でも随分馴染んでいらっしゃると。やはり鄙育ちでいらしたことが大きいのでしょうか。そういえばそちらのザルアナックの方もザル――」
「そうですね、出自や追従などというものにかまける必要がなく、問われるのは実力のみですから――近衛騎士団と違って」
「……?」
近衛騎士たちに嫌われているフィルが、ミレイヌのおかげだと言ったのが悪かったのだろうか。それとも近衛騎士団を抜けたのは、穏やかなことではなかったのだろうか。
近衛騎士たちからミレイヌに向けられている嫌な空気に、フィルは眉をしかめた。ミレイヌはミレイヌで、笑顔を湛えたまま、負けずにやり返している。
「成り上がり、例えば、『祖が下民であった』などの家であればいざ知らず、由緒正しきミレイヌ家の出であると言うのに、下々に混じってそれをよしとするとは……高貴であるべき貴族仲間としてはいやはや」
「はて、普段成り上がりと蔑む家の者の足を臆面もなく引っ張る行為が、『高貴』さにあたるものだったかどうか。舞一つとりましても、ね」
(……ミレイヌがミレイヌらしくない)
フィルは今度は口をへの字に曲げた。
ミレイヌからは、はっきりとした怒気が流れ出ている。だが、彼はフィルにしたり、騎士団でしたりするように、感情をそのまま出したりしていない。直情的なはずなのに、布で何枚も包んだみたいな物言いをしている。
「これ、ひょっとして嫌味の言い合い……?」
首を傾げたフィルに、ミレイヌの友人たちが、「ええ、まあ……いつもの話ですけどね」「あなたが絡むから余計怒ってるんです」と苦笑した。
私? 絡んでたっけ? とさらに首を傾ければ、「見事な剣舞でした」ともう一人の近衛騎士に話しかけられた。
「……」
褒めてくれてはいるけれど、とフィルはその顔をじぃっと見つめた。
この人は以前、王宮でフィルや家族に害をなすと脅した人だ。目の前の顔は笑っているのに目が笑っていなくて、嫌な感じに歪んでいる。
(嫌な感じだなあ、さっきだってサヴォンと一緒になって引っ掛けようとしたくせに)
「フィル」
「?」
ミレイヌが微笑んだまま、でも目は真剣そのものという顔で、こちらを見ている。彼は一歩手前に出ると、その近衛騎士へと向き直り、心持ちフィルに背を向けて、今度は彼と話し始めた。結果、フィルとその近衛騎士の距離が開いた。
(……ひょっとして、嫌だって思ったのに気付いて庇ってくれたんだろうか)
「フィリシア嬢、先ほどの舞、老伯爵に瓜二つでしたな」
「もちろん前半ですよ。後半の演舞は女性らしくて実に美しかった。まさに目の保養でした」
そこに他の人も加わってきて、ミレイヌは堪え切れなくなったらしい。眉をひそめた。
「……」
つられてフィルは唇を引き結ぶ。よくわからないが、あまり良い状況ではないらしい。
実際、皆口々に賛辞を送ってくれているのだか、なぜか嬉しくない。
まったく褒められもしなかったのに、それどころかむかつくと言われ、足まで踏まれたのに、フェルドリックの複雑な顔のほうが、ずっと嬉しかった。
「あの後半の演舞は、あなたの創作ですか?」
「いえ、合作と申しますか……祖母が詩に合わせた歌を作り、それに応じて祖父と一緒に考えたものです。少しアレンジはしましたが……」
それでも律儀に答えてしまうのは、その祖父母の教育の賜物だ。
「まあ、芸事に長けていらっしゃるのね。お爺さまのご影響かしら。いっそご専門になさってはいかが」
「そういえば、市井にはそういう家業がありましたね。うちでも招いたことがありますよ」
(褒められている、のだろうか……)
向けられているのは笑顔なのに、やはり好きになれないし、声には嘲笑がある気がする。フィルは目を眇める。
「神代の言葉を古王国時代の調べに乗せて練られた格調高き芸術を、市井の見世物と同列に語るとは、いやはや、教養深くていらっしゃる」
フィルに代わって、くすりと笑ったミレイヌの友人が応対してくれる。その陰でミレイヌが「フィル」と呼んで、飲み物のグラスを渡してくれた。
彼とその友人が間に入ってくれて、周囲の人との間に少し距離ができたのはきっと気のせいじゃない。
「剣舞は他にもおありなのでは」
「え、あ、はい」
ミレイヌたちの体越しに響いた声に、つい頷いてしまった。その瞬間、形容しがたい笑みがその人の顔に広がった。意味深な目配せを周囲と交わし、にじり寄ってくる。
「では、せっかくですし、舞っていただけませんか」
「なれておいでのようですし、もう一つ二つ、簡単なものでしょう」
「本当にお美しかった」
「そういえば、ナシュアナ殿下への忠誠の儀も見事で」
にやにやしながら言われて、フィルは疑念に眉根を寄せる。
すぐ脇にいるミレイヌが、嫌悪と警戒の気配を漂わせて彼らを睨んでいるのも気にかかる。




