19-15.追憶
「殿下はフィリシアさまにばかりおかまいになりますのね……妬けてしまいます」
「そういうつもりはないのだけれど、皆の目を楽しませてくれたことだし、先ほどの剣舞のお礼をしようかと」
降って湧いた災難、もとい、フェルドリックからのダンスの誘いに、息を殺すフィルの目の前。かわいらしい不満の声を上げた女性たちに、フェルドリックは「あなた方とはまた後でゆっくり」と作り物めいた綺麗な笑顔を見せ、彼女らを陶然とさせて黙らせた。
(……なんだってこんな胡散臭さしかない笑顔に騙されるんだ?)
真剣に疑問に思う。だが、できることなら、自分も生涯騙されていたかった、と切実に思う。どうせ退治できないなら、自分のすぐ傍らに魔王がいることになど、気付かないほうが人生は幸せだ。
その顔のままのフェルドリックに「さあ、フィル」と再び促されるが、あの手を取れば、すなわち魔界行き決定――。
「え、ええと、お礼などとんでもないです。ええ、とんでもない! まさにこの言葉につきます……! じゃ、なくて、そ、そう、そうです、そう仰っていただける栄誉だけでもう十ぶ――」
「ふふふ、君が謙虚なのは知っているけれど、遠慮することはないよ?」
なけなしの知恵を絞って必死の抵抗を試みるも、瘴気が一段と濃くなっただけ。それも問題だが……。
「ろくでもないことしか起きないとわかりきっている行為を避けることを、遠慮とは言わないような……」
「ふ、ふふ、ふふふふふ……」
ぼそりと本音を漏らしてしまったフィルに、フェルドリックは一歩歩近づいてきて、「相変わらず良い度胸じゃないか。いいから黙ってついてこい。でないと、もっとひどい目に遭わせるよ?」とどす黒い声を吐き出した。
そこかしこから「やはり親密な……」「幼馴染だと……」などという声が聞こえてくるが、彼らの目は節穴以下だと本気で思う。何か妄想が見えているらしい。
「ア、アレックス」
さ、最後の頼みの綱! とばかりに、横のアレックスを見上げてみたが、彼も苦笑している。
その上「大丈夫だ、死ぬことはない」と優しく、慰めだかなんだかわからない微妙なセリフを言ってのけた後、「……はずだ」なんて止めを刺してくれた。彼の客観性が今は最高に恨めしい。
もちろんフィルにもわかってはいるのだ。主賓の王太子さまから、さっきの舞の礼にダンスを、と誘われて、断れるわけがない。
(だが、お礼。お礼、お礼……お礼?)
「あのう、先ほどのお祝い、ひょっとしてお気に召さなかった、とか……?」
「うふ、ふふふふふふふふ、どうして気にいらなかった、なんて発想になるのかな? お礼に、とさっきから言っているのに」
「……わざわざ一緒に踊ろうなんて、嫌がらせ以外のなんだっていうんだ」
「――何か? フィリシア嬢?」
「っ、い、いいえ……っ」
ついに我慢の限界が来たらしい、フェルドリックが噴出させた毒煙の中から、「だから、なんでそういう余計なことを……」というアレックスの呻き声が聞こえてきた。
「で、ではよろしくお願いします……っ」
観念して一曲踊ってしまうほうが、どうやら長生きできるらしい――ようやくそう悟ったフィルは、ギギギギギギと音がしそうなくらい不自然に動き、フェルドリックの手をとった。
沈黙していた周囲がまたざわめいた気がしたが、フィルはもちろんそれどころじゃない。フェルドリックに触れた、まさにその指先から瘴気が広がって、全身がじわじわと蝕まれていく気がする。
おそるおそる視線をあげてみれば、そこにあるのはキラキラまばゆいのに、なぜか真っ黒にしか見えないという微笑。
(……そうか、眩しいのも過ぎると暗くなったっけ? ほら、お日さまを直接見たりするとそうなる……)
現実逃避を図りつつ、フィルはフェルドリックに手を引かれ、足を踏み出した。
フィルの半歩先にいるフェルドリックの目の前で、人垣が音を立てて割れる。灯火の光がきらびやかに降り注ぐ、会場中央への道が開かれた。
「もうちょっと嬉そうにできないわけ? 相っ変わらず無礼なやつだな」
踊り始めて縮まった距離と、動きによって遠ざかった周囲との距離のせいだろう、フェルドリックのきらきらした猫が剥がれた。
半眼で嫌味を言い始めたフェルドリックに、フィルはようやく息を吐き出す。
冷静に考えればそれもどうなんだという話だが、いかがわしさ全開の笑顔で、見え見えの薄ら寒い嘘(しかも瘴気混じり)を吐かれまくるより、よほどいい。
そんなふうであっても、フェルドリックの踊りは完璧そのものだ。曲の調べに乗って四肢を優雅に動かし、金の髪がそれにあわせて光を反射する。いつものことながら、完璧というしかないくらいに綺麗な人だと思う。見た目だけは。中身の暗黒さと対照的に。詐欺師そのものに。
彼の動きに応じて、フィルはフィルで決められているとおりに体を動かしていく。彼の身長はフィルとほぼ同じで、アレックスなどと踊るより少し動きにくいが、ドレス姿ではないのが救いといえば救いだ。
曲の調べに合わせて、くるりと体を回した瞬間、美しく着飾った女性たちが異様な目つきで自分たちを見ているのが目に入った。
(ぎらぎらと殺気立った視線で私を睨んでいる女性たちは、あれだろうか、フェルドリックと踊る私が、ひょっとしてもしかして羨ましかったりするのだろうか……?)
「……」
あとで誰か捕まえて、正気なのか確かめてみようと思う。
「――で、誰から聞いたの? アレックス?」
「……は?」
現実から、正確には目の前のフェルドリックから逃避していたフィルは、彼からの唐突な質問に我に返った。
「しらばっくれるな。ヌクレイヌ英雄譚のあの剣舞のことだ」
殊更にむすっとした顔で、しかも踊りならではの嫌過ぎる至近距離で、自分を睨む金と緑の斑の瞳にフィルは顔を引きつらせる。
「あ、あの、ヌクレイヌ英雄譚、お好きでしょう? 贈り物になりませんで、し……う゛」
ぎっと音が立ちそうなほどきつく睨まれて、フィルははしっと口をつぐんだ。
(そ、そこのお嬢さん、これでも私が羨ましいですか!? 冷静に見れば、黒々とした気配が漂っているのが見えるはずですっ。しかも悪夢にうなされること確実な、とっびきり性質の悪いやつ! そちらのお嬢さん、刺し殺しそうな目で私を見ないでくださいってばっ。冷静になりすれば、天敵が睨み合っているようにしか見えないはず……っ)
視線を泳がせれば、女性たちからフェルドリックとは別種の恐ろしい気配を向けられていることに気付いてしまった。
理不尽に次ぐ理不尽に、頭を掻きむしりたくなってくる。
アレックスや兄さまならともかく、なんだってこんな性格の悪いのがもてるのか、と思ったところで、フィルは小さく唸り声を漏らした。
「……王子だからか」
なんて恐ろしい職業なんだ、本当にろくでもない。
(とか、やってる場合じゃなかった)
フェルドリックは実は結構気が短いらしい。彼が微笑を深めたのを見て、フィルは生命の危機を感じとると、音を立てて唾を飲み込んだ。深呼吸して気を鎮め、口を開く。
「さっきの剣舞の話、は、ええと……あなたが昔飼っていらした犬の名前とその由来を、アレックスが教えてくれて、あ、タンタールの白岩村から信号弾を上げた時です。それでそういえば、昔、祖父が祖母と一緒に、あの辺の舞を一生懸命考えていたなあ、と。で、今日ミレイヌに御前剣舞の様式を教えてもらっていたら、同じ動きがその舞にいっぱいあることに気付いて……」
それから、当時の祖父の様子を思い出して、少し笑った。
「二つ目のあの剣舞、最初は祖父が踊っていたんです」
「アルが? それは、また……」
「はい、違和感しかなくて」
眉を跳ね上げた後、なんとも言えない顔をしたフェルドリックの言いたいことがわかって、フィルは即座に同意した。
あの剣舞は、戦女神を想定した動きだ。いくら優雅な人だったといっても、威風堂々という系統だ。鍛えられた武人そのものの筋肉質な体格と性格をしていた祖父に似合うわけがない。
フェルドリックが小さく吹き出した。そのまま笑い続ける彼の顔がなんだか幼く見えて、フィルもさらに笑う。
フェルドリックは祖父を本当に好いてくれていた、そう伝わってきて、とても嬉しい。
「似合わない、おかしいと笑う私と祖母に、祖父がむくれながら言ったんです。『期待してくれているから、普段ちゃんと笑わない子だから、喜ばせたいんだ』って」
「……」
フェルドリックがその美しい目をみはった。
「その時は祖父が誰のことを言っているのか、わからなかったけれど、アレックスを見ていたら、わかるようになったので」
離れた場所にいるアレックスへと顔を向ければ、気付いてくれた彼はいつものように目元を綻ばせた。それから彼はフェルドリックへと視線を向ける。その空気が優しい。
そう、今アレックスがそうであるように、爺さまもフェルドリックが好きだったのだろう。だからこそ彼は、フェルドリックの好きなヌクレイヌ英雄譚の詩に沿った剣舞を一生懸命考えていたのだ。いつか彼に見せてあげるつもりで。
その理由も今のフィルには理解できる。わかりにくいだけで、フェルドリックは実はすごくいいやつだ。すっごく邪悪で陰険で狡猾で最悪にひねくれていて、そのくせ猫被りだけは上手いという恐ろしさまで兼ね揃えているのが難点だが、それが王子さまなんて面倒な立場にいるせいだというのも、最近はわかるようになった。
だから、祖父もアレックスも、本当は悪い奴じゃないのに、中々素を見せない、というか、見せられない状況にいるフェルドリックを心配していたのだろう、しているのだろう。
「……」
視線を目の前のフェルドリックに戻せば、彼は鼻を鳴らして、フィルから顔を背けた。
「……どこまでもむかつくやつ」
その言葉が文字通りじゃないのもなんとなく分かってきたし、実は顔がちょっと赤くなっているのにも気付いているし、とフィルは、毒づくフェルドリックににっと笑った。
「っ!」
フィルは、殺気を感じて考えるより早く足を引く。
一瞬前までフィルの足のあった場所にどすっと音を立てて落ちたのは、
「……わざと、ですよね」
――上等のブーツに包まれた、フェルドリックの長い足。
「ちっ、避けやがったか」
顔の右頬を痙攣させつつ、咎めの視線を向けたフィルに、気まずそうな顔をするどころか、「避けるなんて生意気」と睨んでくる金と緑の瞳をフィルも睨み返す。
(相変わらず最悪だ……!)
懲りずにフェルドリックが繰り出してきた二回目、三回目を、踊りにしては不自然な動きで躱し、二人は笑ったまま睨み合う。
「……ふ、ふふふふふ、その程度の動きで人の足を踏めるとお思いで、殿下?」
「……ふ、ふふふふふ、言うようになったね、フィルの分際で」
「ふふふふふ、ええ、私も成長しているので」
そうだ、昔は気付けなかったフェルドリックの一面に気付けるようになったのだ。そうそう彼の思い通りになりはしない、と胸を張る。
「なるほどねえ……あ、アレックス、他の子と踊るみたいだよ」
「え゛っ……い゛だっ」
勝ち誇ったフェルドリックと、まだ成長が足りないことを思い知らされて、涙目になったフィル――その遥か背後では、アレックスが「結局そうなるのか……」ともう何度目かわからない溜め息をつき、無駄に想像たくましくしていた者たちが、逆に顔を引きつらせている。




