19-14.窮地
音楽が流れ出し、国王夫妻が踊り始めたのを機に、舞踏が始まった。
高い天井に掲げられた数多の灯火が、それを囲むガラスの細工に乱反射して人々に降り注ぎ、男性たちのリードにあわせて揺れる、女性たちのドレスや宝飾品がその光をきらびやかに照り返す。王宮の誇る楽隊の美しい調べとあいまって、迎賓宮の大広間は美しくもどこか非現実的に見えた。
「あー……もう一度着替えたほうがいいのでしょうか」
同じ光景を見ていたフィルが顔をしかめて呟いた。
「いや、そのままでいい」
個人的にはさっさとフィルを連れ帰りたいが、まだ無理だ。彼女に興味を持つ男たちがこれだけいる以上、ドレス姿より騎士の姿のほうがいい。
そう計算するなり、アレックスは、フィルににこやかに笑いかけた。
応じて彼女も嬉しそうに笑い返してくる。顔に『おお、これでドレスから解放! よかった!』と書いてあるのがかわいい。
「聞いた、ヒルディス?」
「聞いたとも、セフィア」
「私たちがフィルに贈ったドレスが、気に入らなかったのかしら」
「違うだろう、あれだけフィルにでれでれと見蕩れていたのだから」
――後ろでニヤニヤと呟く両親がいなければ、かまい倒してしまえるのに。
「……形容はもう少し選んでもらおうか?」
肩越しに背後を睨んでみても、彼らには効き目がない。それどころかさらに人の悪い顔で、「うふふふ、選んだ上でのことに決まっているじゃない、母を侮らないで頂戴」「なんて息子思いの親だと涙してくれて一向にかまわない」などと笑う。
「となると、あれね」
「あれだな、嫉――」
「間違えた、口自体閉じてくれ」
「……お前らは息子にもそんなふうなのか」
語気を強めるもこれもまた響かない。余裕綽々に含み笑いを見せる両親の横でラーナックが苦笑を漏らし、伯爵が呆れたように溜め息をついた。
気分的には伯爵と同じだが、この両親に付き合うときりがない。
ようやくそう思いついて、アレックスは彼らを無視することに決めると、不思議そうな顔で皆を順番に眺めていたフィルに向き合い、膝を落とした。
「フィリシア嬢、私と踊っていただけますか?」
「えっ、あ、いや、そんなことしなくても……ぅ」
手をとって甲に唇を落とし、アレックスは真っ赤になった彼女を広間の中心へと誘い出した。
「……最近、疑問、というか、その、おかしくないかなあと思うのですが」
「ん?」
アレックスとフィルが踊り始めるなり、人々の多くが逆に動きを止めた。
代わりに焼け付くような視線が集まってくるのを感じる。好意、悪意、妬み、興味、憧れ――今後を思えば、それぞれの主を確認しておくほうが良いと思うのに、神経は腕の中のフィルに集中してしまう。
付き合いの関係上、夜会に出ざるを得ないこともあれば、そこで女性と踊らなくてはいけないこともこれまで幾度となくあったが、フィル以外ならば考えられないことだ。
「その、ちょっと、ですね……」
腰に回した腕に力を込めれば、甘い香りが鼻腔に届く。それに促されてさらに強く彼女を抱き寄せ、息の触れ合うような距離での会話となる。
「っ」
「どうした?」
耳まで赤くして視線を左右に揺らすフィルを見て思わず笑えば、目の前の美しい緑の瞳に睨まれた。艶やかな唇から、「絶対からかってる……」という呻きが漏れる。
「どうしたも何も近すぎです、明らかですっ」
フィルが身体を離そうとするのを、音楽にあわせて足運びを謀り、押しとどめた。腰をすくい上げるようにして、しなやかな体を自分の胸へと抱き込む。
「わざと」
「っ!?」
耳元でそう囁けば、フィルのステップが乱れた。
「他の男がフィルに近寄れないように」
「そ、そんなこと、そうそう起こらないかと」
(……本気で言っているのだろうか?)
アレックスは長々と息を吐き出した。
会場に入ってから、男女問わず人目を惹いていたところに、先ほどの剣舞だ。彼女への注目はいまやすさまじいものになっている。注がれている視線は、アレックスに対するものだけじゃないし、政治的な意図ばかりでもないのに、まったく気にならないのだろうか。
大体、好きでも彼女に言えないだけ、そんな男は多い。それを乗り越えてフィルに告白するだけの根性があった者だけ数えても、結構な数だろう、とアレックスはフィルを半眼で見つめる。
「ミック、ロンデール、」
「……」
「それからカイト」
「っ」
びきりと音を立てるんじゃないかという様相で固まったフィルの顔には、『ばれてるっ、なんで?』と書いてある。
(……ふうん、知られていないと思っていたのか……)
ジト目を向ければ、フィルはさらに硬直した。足運びがまた乱れる。
「あ、ああああの、こここ断りましたよ?」
「……当たり前だ」
つい不愛想に返してしまった。
アレックスがどれだけ妬いているか、フィルはおそらく知らない。他の男に奪われるのではないかとおそれていることなど、多分想像したことすらない。
フィルはそんなことはないのだろうと思う。だから牽制なんてきっと彼女の頭の中にはない。こうして踊っていれば、今自分たちを眺めている他の女性が、俺を諦めるかもしれない、そんなふうにも考えない。
正直に言えば、それが少し寂しい。
いまだに片思いをしているみたいだ、と思わず苦笑すると、フィルはじぃっとこちらを見つめて眉をひそめた。そして、視線を落とし、徐々に赤くなっていきながら小声で呟いた。
「その、好き、なのは……アレックス、ですから」
「っ」
金の髪の間から覗く耳朶までが真っ赤に染まっているのも、緑の双瞳を隠す金の睫が震えているのも、声に恥じらいが含まれているのも、すべて卑怯に思える。
(……こうやって毎回毎回やられるんだ)
「フィル」
アレックスは内心で盛大に嘆いた後、フィルの名を呼んだ。思わずというように顔をあげた彼女に口付ける。
「!!」
これぐらいの仕返しは勘弁してもらうことにする。
* * *
いつものことではあるのだが、アレックスとの踊りは試練だ。というか、そうでも思わないとやっていられない。
気持ちが嬉しくないわけではないのだけれど、あの妖しい空気を人前で発するのは、非道徳にも程があると思う。やっていることは爺さまも同じだったけれど、あんなに妖しくはなかった。あれを公害という親友はやはり正しい。
さらにいえば、彼の姿形も問題だ。フィルは人の容姿は、その人がどんな動きをしそうかとか、どれだけ強そうかとか、どんな得物が似合いそうかとかは気になるけれど、それ以外は結構どうでもいい。
だが、彼は例外だ。髪や目の色といい、目の動きといい、笑い方といい、仕草といい、彼はフィルの憧れ中の憧れ、大好きなアレクにそっくりだ。いや、本人なのだから当たり前だけど、その彼にあんな空気で寄ってこられると本当に落ち着かない。可憐なアレクがいまやあんなふう……人生は中々残酷だ。
羞恥で死にそうになって、なんとか距離をとろうと試みても、なぜかやぶへびになるだけ。ごく偶に成功しても、アレクそっくりの顔で微妙に落ち込まれるとほだされてしまい、結局ドツボにはまることになる。
ついでに、周囲からの殺気は、彼がそうであればあるほど怖いものになっていく。
そんなこんなで、色んな意味でよれよれになりつつも、なんとか彼との踊りを終えたフィルだったが……。
――本当の試練はそこからだった。
そう、フィルが今迎えようとしているのは、人生最大のピンチ。
「というわけで、共に一曲」
そんな言葉を発してフィルの前に立っているのは、再び本日の主役、暗黒の御使いこと我が国の王太子さまだ。
フィルの額に吹き出した汗も、周囲の人々の興味の視線も、彼は当然意に介さない。胡散くささ絶好調な、輝かしくも禍々しい微笑とともに、恐ろしいことにこちらへと手を差し延べていらっしゃる。
「……」
目の前に死地が広がっている――ように見えるのは、不幸なことに多分気のせいじゃない。




