19-13.企図
剣舞を終えたフィルは、フェルドリックの前で音もなく跪き、そのまま停止した。
髪が遅れて背に舞い降りる。運動の余韻だろう、頬はほのかに上気し、瞳も潤んでいた。
誰もが陶酔したように彼女を見つめている。いつも泰然と微笑んでいる王后ですら、何かを堪えるように唇を引き結んでいて、国王は国王で彼には珍しいまでに硬い顔をしていた。周りから彼女に向けられる視線の中に、異性への興味も少なからず含まれていることに気づき、アレックスは望まない注視に眉をひそめた。
そんな中ただ一人、舞を捧げられたフェルドリックだけが、平静そのものの顔をしている。
「……確かに受け取った」
沈黙の中、彼がようやく発した言葉は、先ほどサヴォンなどに与えたものよりはるかにそっけなかった。
皆フィルに気を取られていて、その異常に気づかないようだが、フィル曰くの胡散臭い笑顔すらない。
(どこまでも捻くれている)
それこそが本当に喜んでいる時のフェルドリックの顔と知っているアレックスは、思わず苦笑を漏らす。
感情、特に嬉しさを隠そうと試みる、素の彼そのもの――フィルもそれがわかったのだろう、目をみはった後、破顔一笑した。
フィルの「やった!!」というその顔と、それで微妙に面白くなさそう顔をしたフェルドリックを見たら、まあ偶にはこんなのもありか、と思ってしまったが。
「下がっていい」
膝を落としていたフィルは、フェルドリックの許可を得て勢いよく立ち上がった。くるりとアレックスを振り返って微笑む彼女に、アレックスは意識を奪われる。
同時にフィルとの間にいる人々が、彼女を目指して一斉に動き出した。
小さく舌打ちを零し、けん制のために口を開く。
「アレックスっ」
だが、目的とされているフィルは、まるで障害物のように彼らをひょいひょいとよけ、勢いよくアレックスの腕の中に飛び込んできた。
「っ、……フィル」
まだほてりの残る体を抱き止めれば、彼女は満面の笑みでアレックスを見上げてくる。
その顔に『がんばった! 褒めて!』とはっきり書いてあるのを見て、アレックスは吹き出した。
(そういえば、人前に出た後はいつもこんなふうだったな)
フィルはフィルなりに緊張していたということだろう。
「よくやった」
ねぎらいつつ頭を撫でれば、彼女はさらに嬉しそうに笑う。先ほどまでの凛とした姿や艶やかな姿からは想像もつかない、子供そのものという笑顔にアレックスは笑いを深めた。
(……わざわざ圧力をかける必要もなくなった)
それから、呆気にとられる周囲に人の悪い笑いを零し、薄く染まったままのフィルの頬に軽くキスを落とした。
が、蜜月は一瞬――。
「何を考えているんだ、この馬鹿娘」
「む」
つかつかとやってきたザルアナック伯爵が、そのフィルの首根っこを猫のごとく掴み、アレックスから引き離した。
「大衆の面前で何をやっている」
「むむ」
「咎めているのは、魅惑的な剣舞を披露したことか、それともアレックスに抱きついたことか」
睨み合う父娘に並んだアレックスの父が、ニヤニヤと声をかければ、伯爵は眉間に皺を刻んだ。その隙に、横の母がフィルを奪い取る。
「ステファンは放っておきなさい。心配した後はいっつも小言魔と化すの。シンディ曰く右から左で大丈夫だそうよ。それより……心配して損しちゃった、本当にかっこよかったわ、フィル」
母に微笑みかけられたフィルは、睨み合っていた自らの父親を一瞬で意識から消したらしい。ふにゃりと笑い、母に抱きしめられるままになっている。
幸せそうなのはいい。が、気のせいだろうか、さっきアレックスが抱きしめていた時より幸せそうに見えるのは?
(というか、俺も一緒に意識から消されているような……)
アレックスは疑念に頬をひくつかせる。
「うんうん、アル小父を思い出して鳥肌が立ったぞ。なあ、ラーナック?」
続いてフィルは父に頭を撫でられ、照れたようにはにかんだ。もちろんかわいい――が、少しおもしろくないと感じてしまう自分は、狭量なのだろうか?
「本当にすごく綺麗だったよ、フィル。爺さまと婆さまと一緒に考えていたものだったね」
「本当? 兄さまがそう言ってくれるとすごく嬉しいな。エデン記もいいかなと思ったんだけど」
「エデン記のガーナベル讃歌とか?」
「おお、さすが兄さま」
そうしてにこにこと微笑みあい、楽しそうに会話をする、よく似た容貌の兄妹――これも気のせいだろうか、母は微笑ましそうに彼らを見ているが、彼らの間に立ち入り禁止の雰囲気が立ち込めている気がするのは。
なんせフィルは、アレックスの元に帰って来る気が欠片もなくなったようだ。
彼女を抱きしめた態勢のままの自分がむなしくて、なんとなく目を横へと走らせれば、「奪われたなー、自業自得だなー」と父につつかれて、顔を引きつらせているザルアナック伯爵と目が合った。
「……」
「……」
なぜだろう、彼とは仲良くなれるかもしれないと思ってしまった。
「あら、髪が少し乱れちゃったわね、こっちにいらっしゃい――ああ、髪質はステファンそっくりね」
「……」
母がフィルにかまってはしゃぐ中、アレックスは後頭部に視線を感じて振り返った。
「嫌なものだな。せっかくの気分が台無しだ」
父が同じ方向を見て苦々しく呟き、伯爵にいたっては、厳しい顔つきでその先――こちらへと近寄る機会をうかがっている人垣の向こうに佇むロンデール公爵と、その親族達を睨む。
「『天敵』だからな。父も厄介な男に見込まれてくれたものだ。その父にそっくりの馬鹿娘はそれをさらに煽るし」
低い声で唸った伯爵は、公爵のフィルへの視線を間に身を入れて遮った。ラーナックの顔が曇る。
「まあ、刺激があって悪くない、そう考えるか」
父が伯爵の肩を叩いて笑い、「なあ」とラーナックに同意を求める。返事をせぬまま、彼は悲しそうに笑った。その表情に胸が痛む。
収穫祭が終わってしばらく経った日の午後、アレックスはデラウェール図書館近くでラーナックに出会った。その際、彼が語ったフィルとの話を思い出す。
『僕はあの子が憎かった。僕にとって彼女は妹ではなく、“僕の家族”を壊した存在だったんだ』
君に取り繕っても仕方ないから正直に言うけど、と前置きして彼が始めた話は、長じてからの彼らしか知らないアレックスにとって驚くべきものだった。
『それなのに、あの子はそれに気づかず、僕の中にごく自然に入ってきた。そして、僕はそれに救われた。誰にも関わってはいけないと思う中で、あの子だけが例外になった。僕はあの子に何もしてやらなかったのに、あの子は僕にたくさん、本当にたくさんものをくれたんだ』
「……」
フィルへと視線を走らせれば、彼女は母に向かって無防備に笑っている。
ラーナックは妹である彼女のために、自分の命を諦めても良いと思い切った。そして妹の彼女は、だからこそ彼を絶対にあきらめたくないと言った。
推測だが、ラーナックとフィルの間には罪の意識や遠慮など、普通の兄妹としての情以外の複雑な感情があるのだろう。
だが、互いを思い合っているのは確かだ。彼のこんな表情をフィルが見れば、また悲しむ。
「……『勝てる可能性があるかぎり、勝ちに行く』『絶対に諦めさせてやらない』――でしたか」
いつかのフィルのセリフを声にすれば、ラーナックは目を見開いた――美しい、美しい紫の瞳。それを包む目は、あの日、彼が特別な存在だと言った彼の妹とまったく同じ形をしている。
自分にとっても特別なその彼女を敢えて真似て、アレックスはにっと笑ってみた。
「この面子で可能性がない訳はないのですから、何がなんでも勝たなくては」
「……呆れられてしまうなあ、あの子に」
アレックスに続いてそう父が不敵な笑みを見せ、伯爵は伯爵で「確かに」と苦笑を零した。
「……」
アレックスをじっと見ていたラーナックはおもむろにフィルを見、それから彼を見つめて自信満々に笑う三人へと視線を戻す。そして、引きずられるように小さな微笑をみせた。




