19-11.思惑
剣舞奉納者の控え室に向かったフィルと別れて広間に戻ったアレックスは、国王夫妻が既に会場に入ったことを遠目に知った。
彼らを中心とする人だかりを離れ、まっすぐにこちらに向かってくるのは、自らの両親とザルアナック伯爵、ラーナックさん、そして、
「アレックス、どういうことだ」
「今になってなぜフィルが演舞者に加わったの?」
笑顔でありながら、明らかにいらついているという奇妙な表情をした兄妹だった。
「……」
王族の彼らに、どういうことだと訊きたいのはむしろ俺だ、と言ってもいいだろうか……?
彼らの背後では、二人の後を追ってこようとしていた人々が異様な空気を察してか立ち止まり、うかがうようにこちらを見ている。
「……何それ? つまり騙されたってこと? あのバカ、あいっかわらず間抜けな……」
フィルが両陛下をはじめとする王族の前で剣舞を披露することになった経緯をアレックスから聞き取るなり、フェルドリックは毒づいた。
見知った者ばかりの中では猫を被る必要はないということだろう。ラーナックさんが片眉を跳ね上げつつ、頬をかく。
ザルアナック伯爵は、意識を別の場所に飛ばすかのように天を仰ぎ、「そっくりなのか? そっくりなんだな……」などと呟いていたが、次の瞬間「というか――本人はどこだ?」と顔を真っ青にした。そして、アレックスが返事する間もなく、「いや、いい。もうわかった……」と肩を落とす。
「……」
この辺は疎遠だったとはいえ、さすが親子と言っていいのかもしれない。
「まさか……フィルは引き受ける気なのか? ギルでもなんでも使ってやめさせられるんだぞ……」
「え、そうなの? そ、そんなに簡単にできるものではないのでしょう? なんとか止められないの?」
父はアレックスから話を聞いた瞬間に、フィルを出さなくてすむよう算段をつけ始めていたのだろう。伯爵の言葉に口をぱっくり開けた。その横で、母が心配で顔を曇らせる。
「無理」
「無理でしょうね」
「無理です」
両親の言葉にも、アレックスが応じる間はなかった。即座に、フェルドリックが憮然と、ナシュアナ王女は心配げに、ラーナックさんは苦笑しながら声をそろえる。
「どうしようもなく負けず嫌いだし」
「その上、頑固だもの。フィルが一度やると決めて、やめることって想像できないわ……」
「しかも祖父の名を持ち出されたのであれば、退くわけはないかと」
「いつだって脳天気で、本当に頭にくる」
「大体アレクサンダー、止めるどころかどうせ協力していたのでしょう?」
「甘やかしすぎだよねえ」
三人の息の合いように思わず吹き出せば、フェルドリックに「笑っている場合か」と睨まれた。
「アレクサンダーは心配じゃないの……」
小さな王女から憂い顔を向けられて、「心配ならしていますが」とアレックスは微笑んだ。
「なんとかするはずです」
剣舞奉納者の控え室へと呼ばれて部屋を出て行く時、フィルは部屋の入り口でアレックスを振り返り、にっと笑った。
――見ていて。
自信満々にそう告げるあの視線。あれを見た以上、心配する理由はない。
「……」
全員が口をつぐみ、追及は止んだ。アレックスまで呆れの視線を受けることになったのが、少々不本意ではあるが。
* * *
二人目の演舞が終了し、楽曲の音の余韻が空間に消えていく。同時に、広間に賑わいが戻った。
舞い終わった近衛騎士、メヌエール・ボード・サヴォンは自身満々に微笑み、その彼に周囲から賞賛の言葉と拍手が投げかけられる。
一段高い段上で、その様をカザック国王・王后夫妻と二人の異母妹と共に眺めているフェルドリックは相変わらずだ。微笑を顔に貼り付け、自らの誕生祝いに捧げられた舞いに、寛容に、慈悲深く労いの言葉をかける。が、その内実は推して知るべし。
願わくは、それを確実に感じ取るであろうフィルが固まらないことだ。
「……」
サヴォンと周囲の間で社交の意味を多分に含んだ、賛辞と謙遜のやり取りが続く中、次の演舞者が告げられた。
「フィリシア・フェーナ・ザルアナック」
その名に皆が呆気に取られる中、サヴォンを始めとする数名の近衛騎士たちだけがニヤニヤとした笑いをみせた。
「剣舞で名高かった、かのアル・ド・ザルアナックさまの孫なのですから、お声がけしないほうが失礼かと思いまして」
「まあ、ああいう方ですので、こういった場での振舞いは存じないかと心配したのですが、ご本人がどうしてもと仰るのを止めるのも、ねえ」
「……よく言う。御前剣舞がどういうものか、説明もしなかったくせに」
ミレイヌが素をさらして、ぎっとサヴォンらを睨んだ。
彼の周囲にいる、ザルアナック伯爵令嬢ではなく、『フィル・ディラン』と面識のある貴族たちの顔に、一様に憂いと非難の色が浮かぶ。
異様な気配の中、唐突に後方がどよめいた。すぐに沈黙に取ってかわる。
「……」
アレックスは小さく笑いを零す。姿が見えなくても間違えるはずがない。これは剣を握るフィルの気配だ――接する者の肌を刺してくる鮮烈な感覚。周囲をのみ込み、圧倒する。
振り返れば、その通り、彼女が案内を受けて、姿を現したところだった。凛と背を伸ばし、顔を上げて真っ直ぐ歩いてくる。さっき人々の視線を受けて、顔を赤くしていたなんて信じられないような堂々とした態度で。
ガラス灯火の明かりを受けて際立つ緑の瞳には、見る者の意識をとらえて離さない強さがある。姿態を包むのは騎士団の儀式用の正装で、シンプルなつくりの黒と金と銀の服が、彼女に近寄りがたさを添えていた。化粧も髪飾りもすべて落として、自然体そのもの。髪だって適当に流している。だが、その姿こそが彼女を美しく見せていた。
(ドレスもいいが、やはりフィルにはああいう格好が似合う)
誰もが呆けてフィルを見る中、彼女はアレックスと目を合わせて一瞬笑った。アレックスも笑って応じる。華やかに着飾って恥らっている姿も可愛いが、フィルはああやって何かに挑んでいく姿がやはり美しい。
そのフィルが向かった先――呆けていない数少ない一人、フェルドリックからは黒い気が溢れ出していた。さしずめ、『やる以上、絶っっ対に失敗するなよ? したらひどい目に遭わせてやるぞ? 覚悟はいいな? いいんだな?』というところだろう。
案の定フィルは顔を引きつらせたが、すぐに気を取り直したように笑い、その場に膝を落とした。朗々とした声で剣舞に当たっての口上を述べる。
「楽曲は?」
「不要です」
典礼官の問いに短く答えた彼女の声に、ざわめきが広がった。楽隊も困惑の色を露わにしている。彼女を憂える者たちの表情が陰り、彼女を疎む者たちの顔に嘲りの笑みが浮かんだ。
だが、それも一瞬だった。
フィルはすっと立ち上がり、よどみない仕草で模擬刀を抜いた。それを頭上に捧げ持った姿勢でぴたりと静止する。
誰一人声を出す者がいなくなったその数秒後、落ち着いた歌声が、フィルの口から流れ出た。