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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第19章 贈り物
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19-7.迷走

 ザルア山の麓、ロギア爺の暮らす山小屋の裾辺りに、『迷いの森』と呼ばれる古い森があった。地元の人たちの間で、入ったら生きて出られないと言われている森で、方位磁石を手に入れるまでの間、通い慣れているはずのフィルでも気を抜くと迷子になっていた。似たような見た目の、背の高い木が密に立ち並び、下草も単調。目標に向かっていたはずなのに、いつの間にか逸れてしまって、その場合最低でも一、二日の遭難と相成る。

 幸い豊かな森で、キノコも木の実も豊富、小川や泉もあって魚を取ったり狩りをしたりして飢えを凌ぎながら、なんとか帰宅するか、ロギア爺の小屋へ避難していた。

 本当にどうしようもなくなると、どこからともなくメルとネルがやってきて、フィルの頭を尻尾でべしべし叩きながら、フィルをロギア爺の小屋に連れて行ってくれていたのだが。


 ――今の状況はあれより大分ひどい。


 迎賓宮の広い会場で、慣れない格好のまま、ぽつんと……していることさえできず、見知らぬ人たちに次々声をかけられているフィルは、進むべき方向を定められないまま、あの樹海に迷い込んだ気分を思い出していた。

 もちろん周囲は木じゃなくて人だけど、どの人も同じに見える。なんと言ったらいいのか、姿形や服装ではなく、表情が同じに見えるのだ。同じように人で溢れていても、街でこういう錯覚を覚えたことないからとても不思議だ。


(って、不思議がってばかりいても埒が明かない……)

 というわけで、脱出のための目的地を定めてみることにした。


 まず目的地にしたいのは、当然アレックスだ。

 心配そうに自分を見てくれていて、隙ある毎にこっちに来ようとしてくれているのが嬉しい。

 一緒にいれたら絶対楽しい! とは思うけど、ここで甘えてしまっては、先ほどの決意が無駄になる。

 そう思って意思が揺らがないよう、彼がこちらに来ようとした瞬間に急いで逃げた。

 彼の後ろのフェルドリックの気配が、楽しそうになっていた。アレックスと好きなだけ会話できる状況を喜んでいるのだろう。感謝して、少しなりとフィルへの瘴気を減らしてくれ……ないだろうな、やっぱり。


 目的地候補その二、兄ラーナック。この際父でもいい。

「む」

 彼らは彼らで女の人に囲まれていて近寄れそうにない。兄はともかく父ももてるのか、世の中どうなっているんだ、などと半眼になる。

(って、ちょっと待て。今側にいる女の人、兄さまとあまり変わらない年なんじゃ? い、いいのですか、その人、悪い人ではないらしいと最近は思いますが、わかりづらくて、言葉のチョイスが最悪な上に、すっっっごく偏屈ですよ?)

 ……そう考えると、母は見た目ではなく、中身こそが女神だったのかもしれない。

(あ、ナシア)

 兄の側に彼女を見かけて、フィルは目を丸くする。そういえば知り合いだと言っていた。あそこに行けたらいいのに、と心底思ったところで……輪からはじき出されているアーサーに気付いた。存在感がゼロなのは、生気を失っているからだろうか。何が起きた、と思わずにはいられない。


 候補その三、アレックスのご両親。

 遠い、と口角を下げた瞬間、セフィアさんと目が合った。心配そうな顔をされて、嬉しくなる。

 だからこそあまり心配をかけてはいけない、とにっこり笑って手を振ってみたら、振り返してくれて、さらに幸せな気分になる。

 その後、彼女はにこにこ顔のまま、ヒルディスさんの袖を引いてアレックスを指差した。アレックスのことも心配している――お母さんっていいよなあ、と微笑ましくなった。


 候補その四、背に腹は代えられない――フェルドリック。

 だが、彼は相変わらずアレックスと一緒だ。ついでに、下手をすれば、いやしなくても、背も腹もなくなってしまう可能性があるので、もし行けたとしても行くかどうか。

 万が一生死が問われる状況になったら、決断しようと思う。


 候補その五、テラス。

 我ながら素晴らしい着眼点だ。近い。人がいない。金属臭も香水の匂いもしない。

 私って賢い!と自画自賛しつつ、フィルは近寄ってくる人々をするするかわして、窓辺に寄っていく。


 掃き出し窓に手をかけ、いざそこを開こうとした瞬間だった。

「っ」

 フィルは場違いな殺気を感じて、音を立てて背後を振り返った。

(……ロンデール公爵)

 楽隊のすぐ傍らに佇む彼から向けられる憎悪の塊のような目に、フィルは顔を強張らせる。

 それに促されて周囲に気を向ければ、似たような視線はそこかしこにあった。どれにも、先ほどホーセルン公爵から向けられた値踏みや、女性たちからの嫉妬などとは、桁の違う敵意がある。

『こちらのセリフだ――覚えていろ』

(まだ何か仕掛けてくる気があるのか……)

 先日、同じこの場所で、恐ろしい形相で睨んできた彼の言葉は、負け犬の遠吠えではなかったらしい。

 かの一族をフェルドリックが『執念深い』と評していたことを思い出して、フィルは最も激しい視線の主、ロンデール公爵を、同じく殺気を露わに睨み返した。すると、彼は忌々しいものでも見たかのような表情で視線を逸らした。



 無事テラスに出、一人冷たい夜風に当たって、フィルは長々と息を吐き出した。

「ほんと不思議がいっぱいだ……」

 皆何が言いたいのか、したいのか、本当にわかりにくい。

 明らかな嘘を笑いながらつくのもとても奇妙だし、まったく楽しくなさそうなのに無理に笑う、あれもなんなんだろう。

 さっきのロンデール公爵にしたって、文句があるならそう言えばいいし、憎悪をあからさまにして睨んでくるくらいなら、決闘でも申し込んでくれればいい。

(…………まあ、いいか。害はなさそうだし)

 いずれにせよ、身の危険は感じない。


 フィルは頭上から降り注ぐ、青みを帯びた清冽な月光に促されて、夜空を見上げた。

 ここは確かに綺麗な場所だ。意匠を凝らした建物に内装、美しく着飾った人々――でも、同じ綺麗なのでも、フィルはやっぱりこっちのほうがずっといい。


「……ん?」

 風に乗って運ばれてきた声に、フィルは耳を澄ました。今、ザルアナック、とかいう声が聞こえた気がする。

 神経を凝らして、秋夜に鳴く虫の音の間に散発的に響いてくる声を拾っていく。


「『秘めたる華』がまさかあの騎士だとはな」

(秘めたる華に騎士……は、私のことだ)

 フィルはテラスの石造の柵に手を突き、身を乗り出して声の方向を見る。右斜め上、会場入口脇あたりにあるバルコニーだ。

 手のひらに触れる石の感触はひんやりしていた。


「噂に違わない容姿ではあるが、あれではな。__家も__家も婚姻の申し入れを撤回したらしい」

 あれ呼ばわりされて、フィルは顔の片側をしかめる。剣を持っているような娘は、結婚などできないと言ったのは父だった。

(なるほど、私がこうだと知って、それなら結婚なんか不可能となった、と)

「正直意外だったな。フォルデリーク公爵夫妻とあれほど親密だとは。ステファン・ド・ザルアナックとも仲違いしているという話だったのに」

「ザルアナックとの姻戚関係は魅力的だが、こうなると相手はフォルデリークと王家――失うものが大きすぎる」

(……あれ? 申し入れの撤回は、私がこんなふうだからじゃない?)

 フィルは目を瞬かせる。

 フォルデリークはアレックス、そしてご両親のことだろう。でも王家とは一体何のことだろう。

 王と聞いて、真っ先に祖父母の親友であるアドリオットを思い浮かべたが、今日彼はここにいない。

 何か困ったことが起これば、連絡するように、と離宮から手紙が届いていた。会いたかったのに、とも書いてあって、めちゃくちゃ幸せな気分にしてもらった。

 近々休みをもらって離宮に行こう、彼に会う手続きはわからないからこっそり忍び込んでびっくりさせよう、とウキウキで計画を立て始めて、ふと我に返った。そんな場合じゃない。

 

「大衆と第二王女の支持ぐらいならどうとでもできただろうが、まさか殿下がああまではっきり口になさるとは……」

「私的にはフォルデリークの次男の恋人、公的にはザルアナックの娘で、かつ王太子と建国王が認知している騎士団員。となれば、もはやあれに手は出せまい」


(ええと、「はっきり口になさるとは」って……)

『彼女は騎士団のあのフィル・ディランだ』

『我が祖父の親友にして、建国の英雄アル・ド・ザルアナックの孫。さらには我が従弟殿の最愛の恋人』

(……あのセリフのことだ)

 フィルは目をみはる。

『そういう集まりは好きではないだろうが、悪いことばかりでもない。なあ、リック』

『アレックス、それ以上しゃべる気なら、これ、破り捨てるけど?』

(そうか、じゃあ、あのやりとりもそういうことだったんだ……)

 彼がこの場にフィルを招待したのも、さっきあんなことを言い出したのも、フィルの立場を守るためだ――。


 呆気に取られるフィルの斜め上で、密談はなおも続いていく。

「それでもエクアートは懲りていないようだが、それこそ滅びの前兆なのかもしれん。だとすれば、後れを取ってはいるが、三家に近寄っていくほかないか。幸い、人の情だの正義だの、けったいなものを重視するやつらだ。善良なふりをしていれば、ロンデール一族よりは手玉に取りやすい」

「時期尚早だろう。狡猾なエクアートが勝算なしに動くとも思えん。嫡男が何やら始めたという噂もある。殿下に世継ぎができてからでも遅くはない」

「その前に結婚相手だ。ザルアナックの娘という線が消えた以上、力関係を乱してまで国内に相手を求めるとは思えん。国外だな」


「……」

 よくわからない内容であっても、言葉の端々に他者への見下しや嘲りがあることはわかった。心が冷たくなっていく。

(あの人、こんな空気の中にずっと身を置いてるのか……)

 フェルドリックを思って、フィルは眉尻を落とした。

 彼は性格最悪で、真っ黒で、性根もひん曲がっていて、そのくせ猫かぶりだけは上手という恐ろしさまで兼ね備えているけれど、それでもあんな嫌な笑い方はしないし、他者に悪意をぶつけて喜ぶことも絶対ないし、あの人たちみたいに人間を物と同じにみなすこともない。口はいっつも最悪なのに、行動は思いやりに満ちている。でも認めない。

「……変って人のことばっかり言うけど、彼こそ大概だよなあ」

 そして、その辺がアレックスが彼を好いている理由でもあるのだろう。

 冷たい風が外気に晒された首筋を撫でていく。でも、身体の芯は逆に温まった気がして、フィルは笑いをこぼした。



 背後のガラス戸から溢れ出る光が、そのフィルの背を闇の中に浮かび上がらせている。

 それをじっとうかがうのは三つの影――彼らは無言のままガラス扉を押し開くと、同じ場所へと足を踏み出した。


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