19-6.表裏
「久しぶりだこと」
人垣の向こうからセルナディア第一王女がやってきた。苦手な人に、苦手な格好で出会い、フィルは顔の片側をしかめる。
どうやら彼女は目敏いらしい。そんなフィルに気付いて、目尻を微かにひくつかせた。
(……う)
以前そうだったように、彼女の気をフィルから逸らそうとしてくれているのだろう、硬い顔をしたナシアが彼女に寄っていくのが見えた。慌てて首を横に振れば、隣にいたアーサーが頷き、彼女を引きとめてくれた。
心配そうにフィルを見つめてくるナシアは今日も良い子で、最高にかわいい。
「どこを見ているのかしら、相変わらず無礼ね」
ぼそりとした呟きを耳が拾って、フィルは緩んでいた顔を引き締めると、急いでセルナディアに意識を戻した。
煌びやかな人々の中央をまっすぐ抜け、フィルへと近づいてくる彼女には、変わらない存在感があった。
薄い金色の髪には色とりどりの宝石がちりばめられていて、ドレスもひだやらレースやらで、とても華やかだ。赤色の瞳に似合っていて、とても美しい。
堂々とした佇まいといい、人目を完全に計算していると思しき仕草といい、人目を引く。
(でも、この人の笑い顔、なんか引っかかるんだよなあ)
なんでだろう、と思いつつ、フィルは型どおりの挨拶を述べた。そうしなくては、さらにあれこれ言われて長引くと学習済みだ。
「話は聞きました。宮中でよく声をかけてあげていたのに、その間ずっと平民のふりをして、わたくしをからかっていたの? ひどい人ね」
皮肉交じりに言われて、「はあ」と気の抜けた返事を返す。
(声をかけるって、ああいうのを言うんだっけ?)
と思わないでもないが、文字通り声をかけてきたというのであれば、事実だ。意味のわからないことだらけだったから、うまく応じられていなかったのも確かな気がする。が、からかっていたつもりはない。
「ええと、からかうとか、そういう意図はまったく」
ただ、名乗っていなかったことが貴族でないふりということになるのであれば、勘当されていたと言うべきだろうか。でもその場合、ひょっとして父までさらし者なるのだろうか。
(私が変だと言われるのはいいけど、そうなったら父まであれこれ言われるのかな……)
眉間の皺を深めつつ父の方向に目を向ければ、期せずして目が合った。祖母と同じ色の瞳だ。
(あの視線、心配してくれてる……? 顔、やっぱりしかめっ面だけど、あれは機嫌が悪いわけじゃなくて、ひょっとして標準なのかな)
こちらへと足を踏み出した父に、横から兄が苦笑して耳打ちする。父はさらに渋面になり、兄に何かを言い返し、それで兄が幸せそうに笑う。
「……」
なぜだろう、昔疎外感を覚えていたのと同じ光景だったのに、それを見ているうちに気恥ずかしいような、幸せなような、不思議な気分になった。
「身の上を隠して庶民に取り入るなど、私にはとても真似できません。さすがですねえ」
「あ」
しまった、今また完全に忘れていた――フィルは咳払いして、視線を王女たちに戻した。
セルナディア王女の斜め背後で鼻に皺を寄せているのが、声の主だ。いつもセルナディア王女にくっついている感じの悪い近衛騎士……の名前は忘れた。なんせ腕の悪い人だ。
「庶民などではなくアレクサンダー目当てでしょう。よく考えついたこと。彼を射止めるために平民のふりをして騎士団に入ろうだなんて、賢しらにもほどがあるもの」
王女は「わたくしにも真似できないわ」と鼻を鳴らした。
「そりゃあ、その体と身のこなしで騎士団は無理でしょ。……じゃないな。ええと、アレックス? のことは、入った時は知りませんでしたけど? 有名人だって後で聞かされまし……」
またもや沈黙が降りた。
誠実に答えたのに、どうやらまた何かやらかしたらしいと悟る。だが、フォローしようにもこれまた何がまずかったのか……。
そうか、きっと言葉が足りなかったのだ、と思いついて、言い足してみる。
「だから、騎士になったのは、団と騎士たちのことを祖父が楽しそうに話すのを聞いて、いいなとずっと思っていたからで、あとは寝る所と着る物に困らないという、のも……」
大きかった、と話を締めようとして、フィルは口を噤んだ。
「……」
……なぜだろう、周囲との間合いが広がった。
「……本当に何も知らなかった、そういうわけね」
不自然な沈黙を破ったのは、さすがは王族というべきなのだろうか、セルナディア王女だった。
彼女の頬がぴくぴくと痙攣しているのが気になると言えば気になるが、そのはるか向こうで、フェルドリックがニヤニヤしているのはもっと気にかかる。
横のアレックスはその彼を呆れたように見ているから、今の状況はとりあえずさほど深刻ではないらしいということだけは察知した。
「ずぅっと田舎、しかも、ザルア、にいらしたんですって? あれほど鄙びた地の出であれば、それだけ世間に疎いのも頷けると言うものね。ああ、そうだわ、であれば、このように華やかな場所もさぞ辛いでしょう。こう言ってはなんだけれど、あなた、似合っていないもの。この上なく場ちが――」
「おお、ザルア、ご存知なんですか?」
思わぬ言葉が、思いもかけない人の口から出てきて、フィルは目を丸くした。それから、嬉しくなった。
「はい、田舎で美しくて、ものすごくいいところです。今頃は雪に覆われているかもしれないです。青と白、銀に染まる世界も美しいですが、春になったら色とりどりの花が一斉に咲き出して、動物たちや魔物たちでいっぱいになります。山は青々としていて森は緑で、湖もあって……って、あとはなんの話でしたっけ? ええと、そう、この場所は、はい、居心地、ものすごく悪いです。ドレスも何もかも窮屈で、ダメな感じしかしないです。あく……じゃない、王太子殿下におどさ……お祝いを申し上げるためでなければ、参加しておりません――絶対に」
最後の言葉に力が篭ったのは、無意識のなせる業だが、そこはとりあえず脇に置いておく。
(うん、綺麗なところだし、最高に楽しいし、知っていれば、そりゃあ、褒めたくもなるよなあ。ふふふふ、ザルア、結構有名なのかも)
嫌われているとばかり思っていたが、セルナディアはザルアのこともフィルのことも理解してくれていたわけだ。
仲良くなれるかも!と笑いかけるも、当の王女は今度は顔全体を引きつらせた。
再び首を傾げれば、その拍子に髪飾りがしゃらりとなった。「あの細工、西大陸のミスルのものでは?」という囁き声がどこからか聞こえてくる。
「……本当に、アレクサンダーはあなたの何が気に入ったのかしら……」
「本当に不思議ですよね」
絞り出すように言われて、しみじみ頷いた。フィル自身そう思う。
みんなが言う『常識』も一から根気よく教えてもらわねばわからず、迷惑をかけたことは数え切れない。彼はその度に(顔を引きつらせたり、遠い目をしたりはするけど)助けてくれるいい人だ。
優しいし、アレク似なのを差し引いてもかっこいい人だと思うし、引く手数多だろうに、なぜ私?ともう何度目かわからない疑問と共に、アレックスを見れば、彼は今もこっちを見て、幸せそうに笑ってくれる。
(ああいうところも優し……ん?)
感動も束の間、セルナディア王女は顔を歪め、口元をわなわなと震わせ始めた。
(ど、同意したのに、なんで)
頭の中を疑問が飛び交う。
「何もかもが『違う』ような気が……」
「セルナディアさまでもああなのであれば、もう何を言っても……」
そんな囁き声がどこからか聞こえてきたのもこれまた別の謎。
「?」
(あれ、今、無理やり表情を……)
「そう、ね……あなた、のお話、楽しそうだわ。色々聞かせてくれない?」
小首を傾げ、周囲に「皆もそう思うでしょう」と同意を求めている様はすごく可愛いのだけど、その顔はどう見たって作ったものだ。しかも、「そう、ね」のところでめちゃくちゃ頑張った感じがした。頬の筋肉がギギッと音を立てそうなくらいに。
「……」
何かがおかしいと感じて、混乱した時の習慣で三度アレックスを見れば、今は笑っていなかった。目を眇めている。
どうやらよくない状況になったらしい、と判断する。彼のあの顔は、心配もさることながら、何かを不快に思っている時のものだ。
(そういえば、ついこの間もあんな顔を見た気が……ええと、あの時のアレックスは、そうだ、ロンデール家の話をしていたんだった)
フィルの祖父を激しく嫌うロンデール家が、その孫であるフィルと嫡男との縁組を考えたのは、今なお影響力のある祖父の名を利用するためだと説明してくれた。
「あなたがザルアナック伯爵家の出とわかった今は、仲良くできると思うの。同じ年なのだし」
「……」
(つまり今のこれも同じ……)
セルナディア王女も何かの理由で、ザルアナックという家の名を気にしていて、だから、フィル個人への嫌悪を隠した――。
自分にはこれまで決して向けられなかった親しげな笑みを浮かべているセルナディア王女を見て、フィルは口を引き結んだ。
これは間違っても好意じゃない。深く関わってはいけない。
「申し訳ありません、お騒がせしてしまいまして」
ゆっくり息を吸い込むと、フィルも顔の筋肉を計算して動かした。
「身に余るお言葉をいただきましたが、仰る通り本当に世情に疎いのです。そのような身の私が殿下と語らうなど恐れ多くてとても。お言葉だけありがたく拝領いたします」
「……」
そして祖母の言う、『人を黙らせるための笑顔(男の子仕様)』で王女に微笑みかけると、彼女が放心した隙にその場を逃げ出した。




