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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第19章 贈り物
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19-5.魔窟

 ただいまフィルは、会場中央、本日の主役を囲む輪の中にいる。

 あれからフェルドリックは、あまりの衝撃に放心するフィルを放って、アレックスと楽しそうに話し始めた。それに付き合う形で立っていたら、いつの間にか人に包囲されていた。


 何度かアレックスが頭をなだめるように撫でてくれたことと、それで持ち直しそうになるたびに、「ふふふ、本当に仲がいいねえ」とフェルドリックが(フィル的に)すごい顔で笑っていた記憶だけはある。鮮烈だ。鮮烈過ぎて、呪いのごとく脳裏に焼きついた。

 最終的に、笑っているけど笑っていないという顔のアレックスが「――いい加減にしておけ、リック」とフェルドリックに小声で囁き、それでようやく呪縛から解放されたわけだが、その時にはフィルの周りは同年代の貴族の子女、正確には女性たちばかりになっていた。


 目の合った見知らぬ令嬢に話しかけられて、慌てて「初めまして」を返し、それを数え切れないぐらい繰り返す。その間なぜかしょっちゅうぶつかられそうになって、その度に避けていたら、これまたいつの間にかアレックスたちから離れてしまった。

 どうやら踵のついた靴が歩きにくいのは、フィルだけではないらしい。じゃあ、何だってみんなそんなものを好き好んで履くんだろう?というのが、フィルの目下の謎。


 もうひとつの謎は、フェルドリックとアレックスを引き続き取り囲んでいる彼女たちだ。

 美しく着飾り、丁寧な化粧をした彼女たちは、皆白磁のような肌をほんのり染めて、潤んだ瞳を向け、彼らの関心を惹こうと懸命になっている。もちろんかわいい。

 だが……。

(勇敢って言うべき? それとも知らないって怖いって言うべき?)

 アレックスはともかく、フェルドリックにそんな顔で見る彼女たちは、自殺願望でもあるのだろうかと本気で思う。それとも噂に聞く悪魔信仰と言うやつだろうか?


「おお」

 そのアレックスと目が合った。綺麗だけど綺麗以外の何物でもないという、彼には珍しい顔――フィルはあまり好きじゃない――で周りと会話していたのに、その瞬間彼はいつもの雰囲気に戻った。

 心配してくれていると伝わってきて、それでさらに嬉しくなって、『話そう!』と急いで一歩踏み出したのだけれど、彼の横からの『――分かっているな?』という脅迫の目線を受け取って、即断念した。

 彼はさきほどから色々謎な行動をしているけれど、今のは正真正銘、いつもの嫌がらせだ。またアレックスをフィルから取り上げる気なのだろう。


 アレックスをめぐる宿敵が、彼の従兄というのはどうなんだろう、とは思わないでもないけれど、それこそいつものことだ。フェルドリックがようやく元に戻ったことに、フィルは胸をなでおろす。

 よくよく考えれば、それこそどうなんだ?という気もするが、奴に常識は通じない。そんな彼の近くにいるより、知らない人の方がずっと安心できるし、離れていれば、贈り物の件を突っ込まれることもない。


 今の状況はそう悪くないのではないか、と思ったところで、フィルは目を瞬かせた。

(それってつまり……)

 フィルは、並んで立っているアレックスとフェルドリックをしげしげ眺める。

 長身に小さめの頭、長い四肢、整った顔と優雅な仕草、やはり二人ともとても絵になる。

「ふむ、今日はアレックスにも近寄らないほうがいいってことだ」

 そうすれば、誕生日のフェルドリックはアレックスと一緒に過ごせて幸せ。

 さっきの公爵の件みたいなので、アレックスがフィルに迷惑をかけられることもなくなる。

 その上フィルはフィルで、フェルドリックから逃げられるし、アレックスの周りの彼女たちに別人みたいな怖い顔で睨まれなくてもすむ、今みたいに。

(なんてことだ、いいことずくめじゃないか……!)

『私って賢い!』『ついでに、自立への一歩! 目指せ、しっかり者!』と胸を張り、アレックスへと『見ていてください!』とばかりに頷いて見せれば、なぜだろう、彼は少し顔を引きつらせた。

(なるほど、信用されていないのだな)

 ますます頑張らなくてはいけない。


「フィリシアさま、そのお召し物、素敵ですわね」

 そう決意を固めたフィルに、「どちらでお仕立てなさったの?」と、オンなんとか伯爵家のエアリアスさんが可愛らしく首を傾げて訊ねてきた。その拍子に、オレンジの花とオドルプの木香、あとは多分芳蛙の分泌物を混ぜた匂いが、周囲に漂う。

「ありがとうございます、綺麗な生地でしょう」

 フィルは青と緑の混ざった、つやのあるドレスの生地を指でつまんだ。その場所が天井高くから降り注ぐ光に鈍く光る。

 難点は木に登れないところと走れないところですが、と喉元まで出たけど、それはさすがにのみ込んだ。

「ええと、仕立てはアレックス、いえ、フォルデリークさまのご両親がくださった物なので……う゛」

 詳しくは知らない、と続けようとして息を止めた。

「まあ、そうでしたの」

 エアリアスさんは引き続き微笑んでいるけれど、気のせいだろうか、殺気を感じる……。

 はっとして周囲に気をやれば、彼女だけからじゃない。同じ気配がそこかしこから漂ってきていた。


(な、なんなんだ)

 フィルは異様な雰囲気に、ごくりとつばを飲み込んだ。

 人垣の向こうに、ナシアを見つけた。輪の中に入ってこようとしているが、あえなくはじかれた。

 落ち込んでいるみたい(多分「私、王女って言っても地味だし……」とか思っている)でアーサーに慰められているけど、入ってこられなくてむしろよかったんじゃないかと思う。


「そう、本当にアレクサンダーさまと親しくていらっしゃる、そういうこと……」

 ナシアへと逸れていた意識は、低い声で目の前に戻った。

「ついでに、ご両親も公認の仲、そう暗に自慢なさっているのかしら……?」

「え? あ、と……こ、こうに……ぐっ」

 公認って、と赤くなってから、すぐに蒼褪めた。

 向けられている、多くの顔から一斉に微笑が消えた。無表情の中にある目が、とてつもなく怖い。

(……いや、待て)

 剣士たる者、常に冷静でいなければ――フィルはなんとか気を落ち着け、一人一人の気配を読み直す。

 大丈夫だ、彼女たちに戦闘力はない。そもそもこの気配は殺気に似ているが、そうじゃない。そう、この肌をちりちり刺すような感覚は、嫉妬というやつ――

(って、この人たち全部……?)

 右頬がぴくぴくと痙攣する。わかっている、アレックスが悪い訳じゃない。でも、ちょっと恨んでいいような気もしてきた。


「あら、こんなところに汚れが――」

 フィルの隣にいた女性が、唐突に露出している右の上腕を指した。

「まあ、額にも」

(汚れ? ……ああ)

 くるりと目を動かして彼女の灰褐色の目の先を追って、得心した。

「違います。どちらも傷の痕です」

「まあ、大変」

 大仰に驚かれて、フィルも目を丸くする。

「さすがに野ば……一味違っていらっしゃるのね、騎士などになられる方は」

「本当に大変ですこと、そんな傷物になってしまわれるなんて」

「ふふ、傷物――本当に」

「ねえ」

 クスクスという笑い声が周囲から巻き起こった。見渡せば、皆口元を手や扇で隠し、同じ目つきで笑っている。鈴を転がしたような声は可憐な響きで……けど、なぜか奇妙な感じがした。

 困った時はいつもそうするように、アレックスを見れば、眉を寄せている。

「傷痕にいいという薬、私知っていましてよ?」

「あら、ちょうどいいわ。教えて差し上げたら? アレクサンダーさまが悲しまれたら大変だもの」

「本当にもったいないわ。綺麗なお肌なのだから、少しぐらい気を使ってはいかが?」

「私ならいくらアレクサンダーさまのお側にいられるとしても耐えられないです。さすが騎士、図太……強くていらっしゃるのね、すごいわ」

 好意的で親切な言葉が、次々に飛んでくる。だが、彼女たちに感じる違和感は増すばかり。アレックスが不快げにしている理由も気になった。

(ええと、話題は傷…………ああ、そうか、アレックスは気にしないけど、私が気にするんじゃないかということは気にするんだっけ?)

 以前、アレクサンドラとの一件で彼が気にしていたことを思い出すと、フィルはにっこり笑った。

「悪くないですよ」

 そのままにこにこ笑いながら、フィルは額の傷を撫でる。

「全部、大事なものを守った代償なんです。あ、この前腕のはちょっと変わった友情の証らしいんですけど」

 それから離れた場所で、こちらを気遣わしげに見ているアレックスに笑いかけた。

「これがなかったら、あの人が泣いていた、傷ついていた、死んでしまっていた――それに比べたら、まったく問題ではないんです」

 だってこれがなかったら、今こうしてアレックスを見ていることすらできなかったかもしれないんだから――。

「こんな傷の1つや2つや3つで誰かが生きて笑っていてくれるなら、そんな嬉しいことなんてありません」

 それにアレックスは全部含めて私だと言ってくれた。だから私はこれでいいんだって思う。

 言いきってアレックスへと笑ってみせれば、一瞬彼は唇を引き結び、何かに耐えるような顔をした。

 直後にあの青い瞳を包む目が、フィルを見つめたまま弧を形作っていく。柔らかく緩む。

(ほら、やっぱり私はこれでいい)


「……? どうかしましたか?」

「本当に変な人ね」

 静まった周りの女性たちへと視線を戻せば、フィルと同じくらいの年の女性が、ぼそりと呟いた。

「あ、よく言われます。騎士団でも街でもしょっちゅうです」

 美しい化粧を施した可愛らしい顔にこくりと頷く。

(……ん?)

 そこでふと気づいた。あっちでも変、こっちでも変。となると、どこにいても私は変、そういうことじゃないか。

「……」

 新たな、けれど全然嬉しくない発見に落ち込むフィルにつられたのか、みんなもまた黙ってしまった。心なし顔が引きつっているようにも見えなくない。

(そういえば、王都に出てきたばかりの頃や騎士団に入った頃は、毎日こんなふうだった……)

 あまり楽しくない記憶に目の前の光景を重ねて、フィルも彼女たちに負けず顔を引きつらせる。

 その向こうでは、顔を伏せたアレックスが肩を震わせ、フェルドリックが口元を小刻みに痙攣させながら明後日の方向を向いている。


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