19-2.線
その後こっそりあったこんなやり取り――。
「誕生日の贈り物……?」
「まさか何も持ってこないつもり?」
「ロンデール副団長の時は何もなかったのに」
「僕、王太子なんだけど」
「……」
「一応言っておくけれど、ありきたりの物は当然いらない。僕、王太子だし」
「王子だの太子だの言われると嫌がるくせに、こんな時だけ……」
「何か言った?」
「……メッソウモゴザイマセン」
「まあ、無い知恵をせいぜい絞ってね。アレックス一年分とか」
それこそ生贄じゃ、と蒼くなった。フェルドリックが言うと、まったく洒落に聞こえない。いろんな意味で避けたい。
「ああ、そうだ。もう一つ――『君が』考えなよ」
「う」
ああ、そうだ、そのアレックスに訊けばいいだけだ、と思いついたまさにその瞬間に釘を刺されて、別の意味でも蒼褪める。
「くだらない物だったら酷い目に遭うと思ってね」
語尾にハートでもつきそうな言い様と笑顔でとどめを刺され……かくしてフィルの困難は続く。
* * *
「あれ、アレックス?」
「フィル」
夜の巡回が終わった後、ザルアナックを名乗って出席するのだから、一応断りを、と思って実家を訪ねれば、アレックスと鉢合わせた。
「わあ、来てたんですか」
(ふふふ、今日のお昼以来だ)
にこにこと笑いながら、彼に駆け寄る。所属する隊が分かれてからは、一緒に過ごす時間が減ったから、偶然会えるとかなり嬉しい。
「フィルは……ああ、例の話をしに来たのか」
一瞬目をみはった彼が、すぐ笑って応じてくれるのもすごく嬉しい。
「!!」
が、抱擁やキスは結構やめてほしい。
「……毎日顔を合わせているんだろうが」
大分ましになったものの、それでもまだちょっと緊張する父に露骨な呆れ顔とジト目で見られ、フィルは顔を引きつらせる。
「じゃあ、僕は久しぶりの妹に」
ちなみに、にっこり笑った兄が頬にキスしてくれるのは、ものすごく嬉しい。
用件だけ済ませて帰ろうと思ったのに、「せっかく帰っていらしたのだから」と、ターニャに言われて、父と兄、アレックスと一緒に夜のお茶をすることになった。
ここでもターニャは強かった。渋面を作った父に、フィルが顔を緊張させたのを見るなり、ぴしゃりと「どうせフィルさまとアレクサンダーさまの明日のご予定を気になさったんでしょうが、お二人とも都合が悪いならそう仰います」と言い放つ。
「若旦那さま、何度も何度も何度も申し上げたでしょう? 余計な気を回さない。いつもいつもそうやって余計なことを考えて気を使って、そのくせそれを口にも出さないから相手に誤解されるんですっ。もういい大人、って、ああ、その年になってもまだわからないんですか!」
そうまくし立てるターニャには、父ですら頭が上がらないらしい。
面白くてつい笑ってしまったら、睨まれた。昔なら怖くて逃げ出していたと思うけど……彼の顔が少し赤いことに気付いてしまえば、さらに笑う理由にしかならない。
横を見れば、兄もアレックスも笑いをかみ殺している。
先日ここに来て母の話をしてから、父は少し変わったように思う。
彼はいつも触れたら壊れそうなほどに張り詰めていて、周囲に見えない棘のようなものがあった。彼が側にいる時は、その緊張がフィルにも移っていたのだが、それがなくなった。
そうして改めて彼を見てみたら、こんなに小さな人だったのか、と思った。
自分の存在を丸ごと否定する力を持った圧倒的な存在だと思っていたその人は、フィルと同程度の体格の、フィルより老いた、ただの人だった。
そして……何かを後悔している人。
その後悔は母のことかもしれないし、フィルに関することかもしれない。
彼が後悔しているからと言って、彼に対するこれまでのわだかまりがなくなるかと言われれば、それも正直わからない。「普通」の父娘に今更なれるかどうかもまったく。
でも、彼が後悔を覚える人であってくれたことに、救われているとは思う。
情けない感じで息を吐き出し、父は「それなら、まあ……」とうかがうようにフィルを見た。
微妙に困りつつ、「ええと、じゃあ……そういうことなら、まあ?」と真似して返せば、彼は形容しがたい顔をした。
周囲の三人がそんなやり取りを前に、今度は声を立てて笑ってくれてほっとした。
「フェルドリック王太子の誕生祝賀会に? お前がか?」
「はい」
家名を名乗る責任を感じて、先日のフェルドリックからの招待について報告しに来たわけだが、ソファの対面に座った父は予想以上の渋面となった。「あれは確か反王太子派への牽制だろう」と眉を寄せる。
「うちにお前の招待状は来ていなかったはずだが」
「本人が押し付けにやってき、もとい、ご本人がわざわざ迷惑にも、じゃない、ご丁寧に持ってきやが……きてくださいました」
丁寧に言い直したはずなのに、余計棘が出たように聞こえたのは、きっと無意識のなせる業。
「お前が出てもろくなことにはならん。やめておけ」
「王子が直接……?」と呟いた後、ばっさりと言い切った父に、フィルは眉をひそめる。
自分でもそう思っているけれど、人に言われると「なにを?」と思ってしまうのが、人の性というもの。
(しかも、なんでだろう、父さまに言われると余計引っかかる……)
内心が伝わったらしい。父は父で顔をしかめた。
「いや、フィル、父さまはフィルが嫌な目に遭うかもしれないと心配をしているんだ。フィルがろくでもないことをすると言っているわけじゃ――」
「いや、どちらもあり得る。殿下にはこちらから話を通すから、お前は知らぬ顔をして……なんだ、その顔は?」
「『どちらもあり得る』……?」
フィル自身そう思うし、慌ててフォローした兄にも悪いと思う。
すべて承知の上で、フィルは右の頬を引くつかせる。
客観的で正直な人なんだろうと今わかったし、今回も一応心配してくれてはいるらしい。けど、物には言い方ってものがある。
(昔からそうだ。もう少し言葉を選んでくれたらいいのに……)
騎士たちがよく使う『このやろう……』という言葉に限りなく近い感情を父親に対して抱くと、フィルはその顔のまま彼を睨んだ。
その先で彼は心外そうな顔――『……なぜ怒る? 事実だろう?』と書いてある――をして、横に座る兄に目線を投げた。
(ん? 助けを求めてる?)
ため息をついた兄に、「いい加減懲りてください」とかわされてしまっているけれど、同じ光景を見ている横のアレックスが、カップを口につけたまま忍び笑った気配がした。
「いや、その、だから、私が言いたいのは、」
(……ああ、そういうことか。この辺は祖父さま似なんだ。細かいところに気付かず、言葉を選びきれなくて、しょっちゅう祖母さまを怒らせていた……)
いつも眉間にある皺をさらに深くして、微妙に困ったような、情けない顔をする父を見ていたら、不意に思い当たった。
横のアレックスがテーブルの下でぽんとひざを叩いてくれ、それにも助けられた。
フィルはこっそり深呼吸すると、父に向かって「大丈夫です」と口を開く。
「私はいまやザルアナックの娘として知られましたから、失敗した時はあなたも一蓮托生。父がそうしろと言ったと言いますから、責任は全部あなた持ちで」
(そうだ、彼の言葉を悪いほうに悪いほうにとらえたらこれまでと同じだ)
そう悟って、引きつった笑いを顔に浮かべてみれば、しかめっ面なのに困った顔という奇妙な表情をしていた父も、同じく顔を引きつらせた。
そのまま睨み合うことしばし。
「ならば監視がいるな」
父が「その晩のエスコートは、」と口にした直後、これまでずっと黙っていたアレックスが口を開いた。
「私がしたいと思いますが、お許しいただけますか? 私の両親には既に許可を得ております」
そう続けたアレックスに、父はすごい顔をした。
「そういうところはヒルディスそっくりだな……」
「ふふふ」
呻くように呟いてそのまま口をへの字に曲げた父と、その横でくすくす笑っている兄。怪訝に思ってアレックスを見れば、彼は苦笑している。
「それがいいよ、フィル」
むすっとして黙り込んだ父に代わって、兄が「父さまでは無理ですよ」とにこやかに笑った。
「どうせフィルは大人しくなんてできないでしょうから」
「む」
「どの道何かしでかすなら、フォローに慣れた人が一緒の方がいいでしょう?」
「むむ」
兄とアレックスが顔を見合わせて笑い出す。思わずむくれたフィルの目の前で、彼らに呆気に取られていた父までもが笑いの輪に加わっていく。
(……あ)
すぐ彼は顔を伏せてしまったけれど、その直前、彼が安堵したような、泣き出しそうな顔をしたことに気付いてしまったら、まあ、笑われても別にいいかと思えた。
「楽しそうですね。フィルお嬢さまがまた何かしでかしましたか? 笑っていられるということは、被害は少ないんですね?」
「……オットー」
お代わりのお茶を運んできたオットーがにこにこと、悪気なさそうに放った言葉はかなりひっかかったけど。
実家を出て、星と月が輝く空の下を歩いて宿舎へと向かう。夜は更けてきたが、街はまだ起きていて、そこかしこに人の往来が見えた。
「そういえば、父たちになんの用だったんですか?」
正面から吹いてきた風は冷たく、秋の深まりを感じさせる。なのに、頬が綻んでしまうのは、思い返した実家でのやりとりが少しくすぐったかったのと、彼と繋いでいる手が温かいから。
「実家の関係でちょっとした使いに」
横を歩いているアレックスが、目の端で笑った。
彼の向こうの街灯が、彼の姿の縁を淡く光らせている。
「実家の……」
「最近色々手伝っているんだ」
「大変、なんですね……」
静かにそう続けたアレックスに、フィルは眉根を寄せた。
第二十小隊の仕事も本来は殺人的な忙しさだそうで、あの量の仕事をあれだけ的確・迅速にこなせるのはすごいと、ロデルセンがいつも興奮しながら語っていることを思い出す。
(それに加えて、実家関連のことにまで手をつけているのか……)
努力しているつもりなのに、差が中々縮まらない、とフィルは視線を地に落とした。
「フィル? 何を考えている?」
「っ」
不意にアレックスが立ち止まった。つないだ手を引かれて体勢が傾ぐも、アレックスの体に支えられ、道の真ん中で抱きしめられる。彼の香りが一気に鼻腔に流れ込んでくる。
「ア、アレックス、」
「正直に言わないと、」
夜風が彼の体にさえぎられた。大きい手に頬を包まれ、四指が横髪に滑り入って後頭部を捕らえる。触れ合う場所から伝わってくる体温に意識を奪われる。
「――このままキスする」
直上から覆いかぶさるように近づいてくる、薄闇の中でなお鮮明な青に射すくめられる。
それもすぐに見えなくなって、彼の呼気が唇に触れた。彼の心音が、体に直で響いてくる。
「ア、レック……」
まっすぐな黒髪が額に触れた。やわらかくくすぐられる――。
「っ、言いますっ、言いますともっ」
その感触にようやく我に返った。
腕をつっぱって彼を引き離した時に、舌打ちが聞こえたのはもちろん気付かなかったことにする。
腕を彼の胸に押し当てて安全な距離を確保したまま、気を落ち着けると、フィルは顔を伏せた。
「その、なんというか、まだ全然追いつけていないなあと思って」
情けなさのあまり、眉尻が下がった。それでますます凹む。
「でも……でも絶対に諦めませんから、頑張って追いつきますから、呆れたり、ええと、その、いらない、とか言ったりしないでくださいね……?」
先の剣技大会で、二人でならもっと強くなれるとアレックスは言ってくれた。
あの言葉はフィルにとってこの上なく大事な宝物だ。だから、ちゃんと努力したい、し続けたい――。
上目遣いにアレックスをうかがった瞬間、目が合って、心臓が痛いほど収縮した。
「呆れないし、いらないなんて言わない――絶対に」
「……」
言い聞かせるように告げられた言葉には、甘やかすような響きがあった。
青い瞳から目を離せなくなり、四肢が麻痺したかのように動かなくなる。彼の親指が優しく頬をなでる。
「フィル……」
逆の手が顎にかかって、そこをゆるく持ち上げていく。そうしてフィルは彼の瞳に魅入られまま、結局……、
「愛している」
合間合間に名を囁かれながら、啄ばむような口付けを繰り返し受けた。
ちなみに、その後なんとか我を取り戻した時には、周囲に人だかりができていた。
穴があったら入りたいとはこういうことかと実感した。もちろん、アレックスの手を引いて、走って逃げた。
ヘンリックの言うところの公害の片棒を担いでしまったことは、切実に反省しようと思う……。