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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第19章 贈り物
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19-1.不可避

「……」

 仕事、そして夕飯を終えたフィルは、騎士団宿舎の東館三階にある自室の扉の前で、ぴたりと静止した。

 厚い木造の戸、この向こうは殺風景ながら居心地の良い、アレックスと共有の自室。ザルアから一人出てきたフィルの帰所となった、大切な、大切な場所だ。


 ――本来であれば。


 フィルは音を立ててつばを飲み込む。

 そう、鍛え上げた直感が告げるのだ。多分、いや間違いなく、今日はこの先に足を踏み入れないほうがいい。なぜなら、この先に感じる気配は間違いない――『奴』だ。

「……」

 フィルは目を眇め、深い森でグリフィスに一人相対する時のように気配を消した。

 呼吸を抑えて、全身の神経を周囲に同化させ、自分と他の意識の境を極限まで消す――生き延びるために。

「フィル……? 入らないのか?」

「!!」

 そのまま静かに後退するフィルの努力と緊張は、だが、アレックスによって台無しにされた。

 戦慄と共に振り返れば、夕飯を共にした後、第二十小隊の部屋に忘れ物を取りに行った彼が、薄闇に染まりつつある廊下の向こうで、怪訝な顔をしている。

「どうした?」

(――いや、待て)

 自分より高い位置にあるアレックスの、いつも安心を運んでくる青い瞳を見つめて、フィルはなんとか気を鎮めた。

(そうだ、アレックスにここで声をかけられたからと言って、計画を変更する必要はないはず。大体アレックスこそが原因なんだ。そういう意味では彼からも距離をとる方が賢明というもの……)

「フィル?」

 フィルは再び目を細め、今度は彼を避けるべくじりじりと遠ざかる。

 アレックスが顔を引きつらせたのは、大事の前の小事、この際無視だ。大切なのは長い眼で人生を考えることだと祖父も言っていたじゃないか。

「!? ……うぅ」

 だが、背にトンと壁が当たって、フィルは呻き声をあげた。なんだって廊下突き当たりなんかに、我が部屋はあるのだろう?


 そのフィルの目の前で、扉がカチャリと音を立てて内側から開く――。

「!!」

(ちょ、直感万歳ーっ)

 目の前に現れた『それ』に、フィルは自分の能力と、間一髪の幸運を亡き祖父に感謝する。

(あとは、奴がアレックスに気を取られて、扉のこちら側を見ないでくれれば……)

「何してるのさ、アレックス、さっさと入りなよ」

(誰の部屋だ……? いやそんな話はどうでもいい。そうです、アレックスさっさと入ってください)

 目で扉向こうのアレックスに必死に合図すれば、肝心のアレックスが頬を痙攣させた。

(っ、そんな表情をしたら……っ)

「!!」

 悪魔がゆっくりと振り返り、扉のこちら側へと世にも稀な色の双瞳を向ける。

「また失敗……」

 遠のいていく意識の中、フィルは近いうちにこの壁に穴を開けようと心に誓った。緊急脱出用だ。きっと許されるに違いない。



 * * *



「それで用件はなんだ」

 ここに王太子がいることに驚きもしなければ、自分の部屋の中から現れたことも気にしないアレックスは、いつもながらどうかと思う。

(そのくせ私には顔を引きつらせる、あれはなんなんだ……)

 窓際のテーブルで口を尖らせつつ、フィルは自ら淹れたお茶のカップに顔を伏せる。

「お茶を飲みに。フィルのこれだけは悪くない」

「飲んだら帰れ」

「冷たいなあ」

 こんなふうに、フェルドリックに応じるアレックスを見ていて思う。

(フェルドリックがアレックスを好きなだけじゃなくて、逆も然りなんだよな)

 見た目の冷たさとは裏腹に、アレックスは実はとても細かく周囲に気を使う人だ。こんなふうにポンポンと返事をすることはまずない。


 アレックスの『好き』はかなり分かりにくいけど、それでもよく見ていれば分かる。

 彼は彼の師でもあるポトマック副団長をとても慕っている。

 第一小隊の人たちのこともすごく好きなはずだ。中でもウェズ小隊長とイオニア補佐、オッズは特に。

 次に、第二十小隊の人たち。穏やかで思慮深いところが似ているせいかもしれない、ロデルセンは特に。よく睨み合ってはいるけれど、レンセム補佐も多分好きなタイプだ。

 あとは、気が合うのだろう、第十七小隊長のアイザックさんとヘンリック。

 リアニ亭の女将は何か通じるものがあるようだ。

 それから、自身の家族のことも(あんな不思議な雰囲気だけど)多分ものすごく好きだと思う。


「そういえば、アドクーガ・アロコックの新書、いる?」

「いる」

「だと思って手配しておいた。明日あたりにここに届くよ」

 フィルの存在を忘れたように進んでいく会話に、また仲間外れだ、と思う。だが、自分がフェルドリックの相手をすることを考えれば、何十倍もましだ。


(……待てよ?)

 これは逃げるが勝……間違えた、友情(と信じたい)の邪魔をしてはいけない、という状況ではないだろうか。

 フィルは新たな思いつきに、目を輝かせ、そっとカップを置いた。

(そうだ、お茶も出した。おもてなしはもう十分……)

 被害が及ぶ前に、じゃなかった、二人が楽しく気兼ねなく寛げるよう、どこかに避難、もとい、遊びに行こう。


「用事を思い出したので、私は御前を失礼して……、っ」

 素晴らしい思いつきに、駆け出しそうになるのを抑えつつ立ち上がれば、フェルドリックの目がフィルをとらえた。

 ひっと叫びそうになったが、咄嗟に手で口を押さえて堪える。

 剣士のプライドゆえというより、生存本能ゆえの反射――骨身に染みて知っているのだ、この悪魔に隙を見せてはいけない、と。

「この僕がわざわざ遊びに来てあげたのに、どこに行こうと……?」

「来て『あげた』って、招待されたわけでもないのに……な、なんでもありません! ええと、そうじゃなくて……そう、アレックス! アレックスがいれば、十分! 私にはどうか切実におかまいなく……っ」

 ぱっとアレックスを腕で指し示せば、「……売る気か」と彼は心外そうな顔をした。

 が、それは誤解というものだ。

 アレックスなら悪魔に差し出されてもきっと切り抜けられると信じている――そう、つまりこれは信頼なのだ。決して悪魔に好かれた責任は自分一人で取れ、などと思っているわけではない。多分。時々自信がなくなるけど。


「ふ、ふふふふ、それは君ごときが決めることじゃないんだ。畏れ多くも王太子殿下の御前だよ。退出は許可を得てからにするのが常識というものだろう」

「じ、自分で畏れ多くもとか言います? いや、恐ろしいって意味合いならその通りだけど……うっ」

「相変わらず懲りないね」

 くすくすと暗く笑うフェルドリックに悲鳴を上げない自分は、別に根性が据わっているわけじゃない。人間、本当の恐怖に見えた時は、声が出ないのだ。

「……」

 額に脂汗を滲ませながら、じりじりとフェルドリックから後退るフィルの膝裏にベッドが当たった。よろけて倒れ込む。

「ふむ、好きにしていいと?」

「!!」

(魔王への生贄!?)

「――訳はない。冗談は選べ、無事に帰りたければな」

 邪悪な微笑と共にフィルへと踏み出してきたフェルドリックだったが、さっきまでとは別人のような冷たい顔をしたアレックスに首根っこをつかまれ、テーブルへと引き摺り戻された。

「……王太子なんだけど、僕」

「それがどうした」

 不満を露わにするフェルドリックを歯牙にもかけない、アレックスのあの不遜さが切実にほしい。



「へ? 誕生祝賀会?」

 泣く泣くテーブルに戻ったフィルは、フェルドリックが切り出した話題に目を瞬かせた。

 大人もするのか、いやそれは今更か、と思った直後、大いなる疑問を抱いて、片眉をひそめる。

(フェルドリックの誕生、しゅくがって祝う……祝う?)

「ふ、ふふふ、なんだってそんなものを祝わなきゃならないんだ? と顔に書いてある気がするのは、僕の気のせいかな」

「っ!」

 またばれた!と戦慄するも、剣士たるもの、せめて、せめて一矢報いたい――。

「こ、心あたりがあるから、そう見えるのではない、か、と…………お、もいません、はい、ぜんっぜん思いませんっ」

 目の前から吹き出した真っ黒な瘴気に恐怖して、アレックスの背後に飛び込めば、彼は「二人とも本当に飽きないな……」と疲れたような息を吐き出した。


「まあ、いい。本当はよくないけど、君に常識を期待するだけ無駄というのも知っている」

 フィルを睨んでいたフェルドリックは、気を取り直したようだ。おもむろに懐から封筒を取り出した。

「この僕が自ら招待状持ってきてあげたんだ、感謝しなよ」

「招待状? ナシアの付き添いにわざわざ?」

 差し出された、赤い封蝋と透かし彫りの施された白い封筒を見つめ、思わず首を傾げた。

「……」

「……せめて口に出してください」

 フェルドリックから『本気で馬鹿だな』という視線を浴びせられて、言葉にされないほうが悲しいことってあるのだ、と辛くも悟る。


「フィリシア・フェーナ・ザルアナック……」

「え? あ、ほんとだ。つまり…………騎士として、じゃない?」

 同じ招待状を見ていたアレックスの呟きに、フィルは目を丸くする。彼は考えこむような顔をしている。首を動かした拍子に、黒くてまっすぐな横髪が落ちて頬にかかった。


「そう。せっかく『病弱な』『秘めたる』『華』がお出ましになったんだから、僕も一つ祝ってもらおうかと」

(……嫌がらせだ)

 彼が無邪気に笑う時は、逆に邪気しかない。相変わらず最悪な性格をしている、とフィルは顔を引きつらせる。


 ただでさえ苦手なああいう集まり、そこに貴族の娘として、しかも招待主はフェルドリック……――ろくなことにならない。

 そう判断するなり、フィルはなんとか笑顔を顔に貼り付けた。

「せっかくですが、病弱でも秘めてもいないの――」

「断るなんていうのは却下」

「……お祝いなら個人的に別途――」

「僕にアレックスに殺されろって言うの?」

 なんでそうなる?と思ったのも一瞬、真横から事実冷気を感じて、フィルはその案を秒で放棄する。

「そ、そうです、その日は予定があっ――」

「封も切らないで開催日が分かるとでも?」

 うまい言い訳だ、しかも大人っぽい、私って賢い!と思ったのに、詰めが甘くてこれまたダメ。

「ええと、その、会いたくない人もいるし……」

「大丈夫、ロンデールなら当日会場の警備で参加しない」

「な、なんでばれ……う」

 窮地に追い込まれて、本音を漏らした瞬間、横の冷気が増した。しかも、「ふうん、まだ気にかけているのか……へえ?」とか呟いている……っ!

「びょ、病弱なもので……」

「さっきと話が変わってる。そもそも君のどこに病なんて存在し得るのさ」

「……う」

 ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。「頭を除いて、だけど」と神々しい微笑を見せるフェルドリックの後ろに、フィルは禍々しい暗雲の幻影を見る。

「つ、謹んで拝領いたします……」

 受け取らねば、死ぬ気がした。


「フィル」

 アレックスに呼ばれて顔をあげると、よほど情けない顔をしていたのだろう、彼は目をみはった後、苦笑を零した。

「そういう集まりは好きではないだろうが、悪いことばかりでもない」

 アレックスが「なあ、リック」とフェルドリックにやわらかく笑いかけた。それを受けたフェルドリックが微妙に動揺する。

「ええと、それはどういう……」

「誕生会となっているが、目的は」

「――アレックス」

 口を開いたアレックスを、ひどく低い声でフェルドリックが遮った。ひらひらと、フィルが受け取ったのと同じ封筒を掲げる。

「それ以上しゃべる気なら、これ、破り捨てるけど?」

「アレクサンダー・エル……って、アレックスの招待状?」

「……っ」

 口を閉じたアレックスに、フェルドリックはふふんと笑った。

「フィルを狙っているのは、男も女も多いと思うけど? 話題のフィルをそんな場所に一人放り込もうって?」

「狙う? 私? 剣士なのに?」

 結構強いはずなのに、と眉根を寄せたフィルを尻目に、顔をしかめたアレックスが呻くように「わかったから、さっさと寄越せ」と言った。

 満足そうに頷いたフェルドリックが、「わかればいいんだ、わかれば」と封筒を彼に手渡す。


「どこまでひねくれているんだ、お前は」

「どこまでも。何か悪い?」

 ため息をつきつつ招待状を確かめたアレックスに、フェルドリックは「わかっているなら、余計なことをするな」ときかんきの強い子供のように言い返す。


(また以心伝心)

 二人の様子を眺めてフィルも負けずに顔をしかめる。自分にはわからない会話が、今回も二人の間では通じている。

 仲良しにもほどがある、とむくれつつ、窓を眺めれば、空には既に夜の帳が下りてきていた。

 涼気を含んだ秋の空気が揺らいで、一番星をきらきらと瞬かせている。


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