3.観取
王太子殿下の視察の陪従として選ばれたのは、ミレイヌを入れて五名。
直々に殿下の供に選ばれた――恐ろしいほどの栄誉だが、そこにあるのは殿下のご意思、それだけだ。
なぜ自分が選ばれたのかまったくわからなくて、ミレイヌはひたすら戸惑った。
ご恩寵かもしれないし、なんとなくのご酔狂かもしれない。とにかくミレイヌ自身が何をしたわけでもなければ、何か変わったわけでもなかった。
「まあ、お兄さまの。私の騎士が認められて私も誇らしいわ」
「さすがだな。ジュリアンはやはり違うと思っていたんだ」
「よくやった、ジュリアン、さすが私の息子だ。これでフェルドリック王太子へと乗り換えることが出来る」
なのに周囲は再び手のひらを返した。その人たちを今度は冷めた目で見ることが出来た。
彼らは自分の何を見ているのだろう? 自分は一体なんなのだろう?
そう疑問を持つようになると、近衛騎士団でも王宮でも実家でも少しずつ浮いていった。だが、それを気にする気にももうなれなかった。
そうしてやってきた出発の日。
予定の訪問先で厄介な魔物が出たとの報を受け、その退治に向かう騎士団の人員とタンタールまでの旅程を急遽共にすることになった。
ロンデール副団長のその説明に、近衛騎士たちが不平を漏らす。
「ですが、彼らは平民の出では? そのような者たちが殿下や我々と?」
「あのような者たちと一緒に行動など、そもそも可能なのか?」
「野蛮な彼らがある種の役に立つことは確かでしょうが、一緒にというのは……前後を守らせるぐらいでいいのでは?」
「……」
なぜかはこれまたわからない。けれど、彼らに同調することが、ミレイヌにはもうできなかった。
「諸君、彼らを謂れなく貶めることは慎むように」
むしろ眉をひそめたロンデール副団長の言葉にこそ分があるように思ってしまった。
そうしてもやもやしたものを抱えた先で、ミレイヌは再び“あいつ”に出会った。
そいつは自分に目を留めると、露骨に嫌そうな顔をした。顔に『うわ、最悪だ……』と書いてあった。思わずむっとする。
(失礼な奴だ、俺を誰だと思って……)
「……」
そう思ってから眉根を寄せた。『俺』は『誰』なんだろう? その疑問に答えは出ていないじゃないか、と。
旅の間中、副団長以外の近衛騎士たちは、騎士団の騎士たちにあからさまな蔑みを向けていた。
対する騎士団の者たちは、基本的に鼻で笑って彼らを相手にしないものの、元はあまり気が長いほうではないのだろう、時折ひどく鬱陶しそうにしている。そんな時の彼らの気配は、ミレイヌであれば息を潜めたくなるようなものだった。あれに気付かない同僚たちの神経が信じられなかった。
どんどん悪化していきそうな空気を和らげていたのは、何を口にするわけではないのにうまく介入してくるアレクサンダー・エル・フォルデリークと、細かく気を回し、時には近衛騎士たちを厳しくたしなめていたロンデール副団長、そして、能天気そのものなあいつだった。
先の剣技大会で目立ちまくった上に、最も年若く、いまやロンデール家を追い落としたと言われているフォルデリーク家の彼と親しいそいつは、当然と言うべきか、近衛騎士たちの目の敵にされていた。
だが、その威圧的なフォルデリークが常に傍らにいるし、彼のいない隙を狙ってみたところで、見た目も挙措もそいつのほうが近衛騎士の誰より優れていて、突っかかりどころがない。生まれをあてこすってみたところで、不思議そうな顔をされて終わりだし、嫌みも見事に通じない。
そもそもいつも楽しげだから、気が抜けるのだ。
馬の背に揺られて明らかに上機嫌のそいつは、騎士団の連中はもちろん、身なりがいいとは言えない市井の人々、時には馬にすら話しかけ、能天気に歌なんかを歌っている。
「おばさん、その林檎一個ちょうだい。いくら?」
「あはは、こんだけ生ってんだからあんたらの分くらいタダでやるよ」
「いいの? うわあ、ありがとう」
「あんたら騎士だろ。代わりにちゃんとこの国まもんだよ」
「う、た、高い林檎……」
「あははは、けちけちすんじゃないよ。ほらよ、よろしく頼んだよっ」
王太子殿下がいらっしゃるというのにそれを気にする様子もなく、いつもやりたいようにやっていて、そいつを中心に騎士たちはみなげらげら笑っている。
あの沈着なフォルデリークもそうだったし、王太子殿下でさえ時折顔を俯けて小さくお笑いになっていた。
(俺はこんなお気楽なやつに、あんなにあっさり負けたのか……家のため、名誉のために、ずっと頑張ってきたのに)
そう思ったら、余計悔しくなった。
だからだろう、宿に着いてからあいつが剣を持ち、フォルデリークと一緒に外へ出て行くのを見て、つい跡を追ってしまった。
体をほぐした後、二人は剣の切っ先を向け合う。その瞬間、さっきまでのやわらかい空気が嘘のように緊迫した。
それぞれが慎重に間合いをはかり、不意に打ち合いが始まる。
「……」
目の前の光景に、立ちすくんだ。剣技大会なんてレベルじゃないことは、ミレイヌの目にも明らかだった。
彼らの目つきは、本気で相手を殺す気なんじゃないかというぐらい鋭利で、声すらかけられないようなものだった。
動きの早さも鋭さも一歩間違えば大怪我、下手をすれば死ぬというもので、その上容赦なく急所を狙いあっている。しかも扱っているのは真剣だった。
(……誰が『選ばれている』って? 彼らの足元にも及ばないのに……)
自嘲と共に、自分という存在への疑問を再び突きつけられて、ひどく消沈した。
だから気付かなかった、剣をしまったそいつが首を傾げながら、自分へと近寄ってきていたことに。
「何してるんだ? ええと、ミレイヌ?」
「っ! の、覗いていたわけじゃないぞっ」
「……そんなこと言ってないけど……そうか、覗いてたのか」
「っ、違うって言ってるだろうっ」
誰にもこんなふうに怒鳴ったことなんてないのに、なぜかそいつには食って掛かってしまった。子供みたいじゃないか、そう思って咄嗟に冷静になろうとして……思い出した。
(違う。そういえば、大分昔、領地のあの子ともこんなふうに言い争ってた……)
「まあ、いいや。ええと、興味があるなら、一緒に稽古してみる? 移動ばかりだと体がなまるし、退屈でしょう?」
「……お前は退屈そうには見えない」
「む」
「くくっ、確かに」
「アレックスまで……そうかな? でも確かにそうかも。馬に乗るのも久しぶりだし」
まあ、いいや、またそう言って、そいつは剣を構えた。
「ほら、稽古」
「す、するとは、言ってないだろ」
「また負けるかもって気にしてる? まだまだなのは知ってるし、稽古だからちゃんと手加減するよ」
「っ、ぶ、無礼な奴だなっ。そりゃあ…………本当のことかもしれないけど」
「……妙に殊勝だな。なんか変なものでも食べた?」
「っ、お前ってやつはっ!」
いつの間にか完全にそいつのペースになっていて、気付いたら一緒に稽古をすることになっていた。
言葉どおり、そいつは手加減をしていた。
前なら侮辱だと怒ってさっさとその場を後にしていたかもしれない。けれど、彼の動きを見てしまった後では、とてもじゃないけれどそうは思えなかった。しかも彼の動きに馬鹿にする感じはなくて……それどころか真剣にこちらのことを考えての動きだった。
「へえ、誰かと思ったら、近衛のボンボンじゃないか」
「才能、なくはないんだな」
「でなきゃ、殿下だっていい加減やばいだろう」
そいつと剣を交えるうちに、いつの間にか周囲を騎士に囲まれ、彼らにも言いたいように言われ出した。
ほんの数ヶ月前なら考えられないことだった。下賎で役立たずだと、品性も、下手をすれば人間性がないとまで思っていたのに。
「違う違う、そこで踏み込むから、やられるんだ」
「刃が潰してありゃいいけどな、真剣ならその瞬間に手首が飛ぶぞ」
「喉が開いてる。実戦でそんな隙見せたら死ぬって」
「お、お前らなんかに教わることは何ひとつないっ」
かあっと頭に血が上って、そんなセリフが口を突いて出た。それこそ普段の自分ではありえない話だった。
「……っ」
それからその失態と内容の失礼さに蒼褪める。
「おーおー、えらそうに吼えてるぞ、このガキ」
「フィルにあれだけやられたってのに、まだ懲りてないらしいぞ」
「不意打ちまでしたのになあ、あははは」
「ぐ」
だが、気にする様子の一切ない、大分年上の騎士達に、さらにやり込められた。しかもずっと気にしていたことをニヤニヤと笑いながら突かれて、だがその時はするりと言葉が出た。
「あ、あれは、その、悪かった、と……その……ごめん」
顔から火が出るような思いで、ようやくそいつに謝ったのに……。
「……いいよ、あれぐらいハンデにもならない」
片眉を上げた後、そいつは小さく笑ってそう言い放った。
「っ、お前なんか大っ嫌いだっ」
「……許したのに、なんでまた怒るんだ……?」
げらげらと周囲が腹を抱えて笑う、その対象が自分だというのはきっと人生初の経験だっただろうと思う。
「大体道中に歌なんて歌うなっ、仕事中だろうっ」
「えー、仕事でもどうせなら楽しい方が良くない?」
「そういう問題じゃないっ。林檎だって洗いも拭きもしなかっただろうっ」
「む? それの何がいけないんだ?」
「き、汚いだろうっ」
「は、初耳だ……」
馬鹿みたいだ、そう思うのに、気付いたら今まで『下賎』と見下していた者達と一緒になって笑っていた。
同じく初体験なことに宿の者に騒ぐなと怒られて、めいめいが部屋に戻る途中、アレクサンダー・エル・フォルデリークと目が合った。
「悪くないだろう」
「……」
そう笑った彼の顔に、やはり含みはどこにもなくて、綺麗に見えて……あんな顔になりたいと思った。
そうしてようやく悟った。
『下賎』だったのは、生まれや見た目で人を、自分を判断していた自分の方だ。似たような生まれであってもフォルデリークは、人にも自分自身にもちゃんと向き合っている。
(だから俺と違って、彼の顔に醜悪な傲慢さは見えないんだ……)
それからは、他の近衛騎士にあからさまに顔をしかめられながら、騎士団の彼らと話をするようになり、稽古相手を頼むようになった。
彼らは厳しくて乱暴で、でも温かかった。完全に子ども扱いされていると思うことも少なくなかったけれど、彼らはミレイヌの失敗や無知を上手く教えてくれる。そして許してくれる。
その空気にやはり幼い頃を思い出した。
間違えたのはきっとあそこからだ。自分と同じものを見て一緒に笑ってくれた母や友達を、一生懸命生きている優しい人たちを、人に言われるまま『下』だと思い込んで、優越感に浸って快感を覚えるようになった時から。自分は特別だと思い上がって、真実を見ようともしなくなった時から。
しばらくして、今までどれだけつっかかっても完全に自分を無視していた、アレクサンダー・エル・フォルデリークが「愛称で呼べ」と小さく笑った。
「フィル」と緊張しながら呼んだら、あいつは「何、ミレイヌ?」と何でもないことのように振り返った。
騎士団のみなに「ミレイヌ」と呼ばれ、頭を時に撫でられ、時に小突かれる。それは数ヶ月前にはありえない出来事だった。
彼らは彼らで、自分は自分――それ以下でも以上でもなかった。上も下もなかった。その発見は、泣きたくなるような安堵をミレイヌに運んできた。
そして、こうありたいと望んで、そうなるための努力と我慢を重ねて『自分』になっていくんだ、と悟った。
そんな旅は、恐ろしい形で終わることとなった。
タンタールにほど近い、深い森の中で、一行は魔物の襲撃を受ける。
ミレイヌが足がすくんで動けなくなった、巨大な魔物三体にフィルとアレックスはたった二人で突っ込んでいった。
危険性が分かっていないはずはないのに、必要だからとその彼らに場を任せて冷静に退く騎士たちは、続いて現れた別の個体を前にやはり怯まなかった。
非礼を尽くしていた、近衛騎士の一人をとっさにかばってくれて、そのせいで怪我をした者までいた。
タンタールの要塞についてからは、休むことも労苦や恐怖を訴えて騒ぎ立てることもなく、各々情報の収集や、魔物に備えるための要塞の防御強化に散っていく。
翌日、足手まといだっただろう小さな子供を抱えて、ボロボロになって戻ってきたフィルとアレックスを、ほとんど寝ていないはずのその騎士たちは、盛大な安堵と共に破顔して迎える。
「じゃあ、白岩村はあの子たちを除いて全滅……」
「惨いことを……」
「……とりあえず安心させてやろう。ゆっくり休ませて……話はそれからだ」
「俺、警護隊の副隊長に白岩村出身者がいないか聞いてくるわ」
そして、働き通しの彼らは、その合間に孤児となった子供の行く末を真剣に憂える。
後ろ盾どころか、親もいなくなったちっぽけな存在なのに。彼女たちに親切にしたって、何も返ってこないのに。
「グ、グリフィスが集団で門の外に……あいつらです、あの異常なほど大きい……」
「俺たちが片付ける。あ、そうだ、あの子らの耳には絶対入らないようにしてくれ」
「で、ですが、たった十人では……」
「そう蒼い顔すんなって。大丈夫大丈夫、それが俺たちの仕事なんだから」
「図太くて、極めつきに魔物に慣れた田舎者もいるしなあ」
「……それって私のことですよね?」
「それ以外いないだろー」
彼らは顔色一つ変えずに、時に笑いさえ交えながら、率先して危険に身をさらす。危難の中にあっても常に冷静で、他者への思いやりも失わない。
何か守るべきものがあれば、彼らは最後の最後まで命を懸けて戦うのだろう、その姿にそう思わされた。
強くて、温かくて、余裕があって、凛としていて――格好いいと素直に思って、昔領都のあの子が騎士に憧れていた理由を知った。
カザック王国騎士団が、近衛騎士団と違って人々から絶対的な信頼を受けていることについても、当たり前だと思えるようになった。だって彼らが考えているのは、近衛騎士たちと違って、自分のこと、自分たちのことじゃない。
そうしてミレイヌは、自分もこんなふうになりたい、と心底思うようになった。