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そして君は前を向く  作者: ユキノト
番外編【岐】
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1.錯誤

 ジュリアン・セント・ミレイヌは、前王朝の王家と縁の深い侯爵家の次男として生まれた。

 母はとても優しい人だったが、気が弱く、貴族社会でやっていけるだけの才覚がなかった。

 生まれを鼻にかけ、傲慢で野心家な父とは当然折り合いが付くはずもなく、元々政治的な理由のみで結ばれた二人は、ミレイヌが生まれた時点で、互いをひどく嫌悪していたようだ。

 間もなく別居することとなり、彼らは嫡男である兄と次男のミレイヌをそれぞれへと分けた。そして、ミレイヌはその母と共に、幼い頃のほとんどをミレイヌ家の領地で暮らすことになった。


 その頃は自由で、自分が誰なのかなんて気にしたことは当然なかった。

 こっそり邸を抜け出しては、領都の子たちと気楽に遊び、喧嘩して、泥だらけになって、怪我をして、それでも良く笑っていた。

 最初は眉を曇らせたり、おろおろしたりしていた母も、楽しかったとミレイヌが笑う度に何も言わなくなっていった。

 その地での大の仲良しは、町の子には珍しく、ミレイヌと同じ金色の髪をした一つ年上の男の子だった。

 自分は彼をひどく慕っていたように記憶している。世間知らずで、皆の話題についていけないミレイヌの面倒を見てくれたのも、そんなミレイヌをいじめる他の子供たちを戒めてくれたのも彼だ。

「騎士になりたいんだ」

 その子が目を輝かせながら棒切れを振るのを見て真似をして、じゃあ僕もそうなろうと思った。


「……ジュリアンか?」

 その子と一緒にいたある日、通りがかった立派な馬車の中から突然名を呼ばれた。その窓から目だけをのぞかせたのは、滅多に会ったことのなかった『父』という人。

 彼は付き添っていた者に不機嫌そうに何事か告げ、音を立ててその窓を閉めた。怪訝な顔をしているミレイヌたちの前に、その従者がやってきて、大事な友達の頬をいきなり殴り飛ばした。

「お前のような者がジュリアンさまのお側によるとは、身の程知らずにもほどがある。汚らわしい」

 驚きのあまり泣き出してしまったミレイヌの腕を引きずって、従者は馬車の中へと押し込んだ。そして、内部の父と共にそのまま領地の邸へと連れ戻された。

 それからミレイヌは、自分が『選ばれた者』であること、その他の者は『下賎』で『価値がない』のだから付き合ってはいけないと懇々と説教され、母とその子のいる領地から引き離されて王都へと連れていかれた。


 王都の邸は、田舎のそれとは比べ物にならないくらい大きくて、きらびやかで、珍しいものも高価なものも面白いものもなんでもあった。

 父はミレイヌが興味を持つ物、望む物をなんでもくれた。

 それだけじゃない、周囲の大人も子供もミレイヌに傅き、なんでも言うことを聞いてくれる。

 最初こそ驚いたものの、そんな扱いをされているうちに、心地いいそこに馴染んでいった。


 父は兄を「見た目も良くなければ、愚かで役立たずだ」と扱き下ろしていて、反対にミレイヌを「美しく賢い」と殊の外可愛がってくれる。自分を睨む兄の視線を最初こそ怖いと感じたものの、次第に優越感を覚えるようになっていった。

 そして、自分を『選ばれた者』だと言った父こそが正しいのだと思うようになった。

 貴族のそんなしきたりに馴染めなかった母を「出来損ない」と言われ、そう思うようになった。

 領地の『卑しい生まれ』の子と遊ぶことは自らを貶めることだと言われ、それを信じるようになった。

 そうして、田舎から華やかな王都へとミレイヌを連れ出した父を、盲目的に信じるようになった。



 徹底的に作法を叩き込まれて半年ぐらい経った頃だっただろうか。ある日着飾らされて、王城に連れて行かれた。そこで父に、「セルナディア殿下こそが特別な方なのだ」と吹き込まれ、そのお側に仕えるように言われた。

 そこで同じように『選ばれた』子供たちと友達になった。

 その子たちはミレイヌと同じ。家柄も血筋もよく、身奇麗で、礼儀がちゃんとしていて、顔形も整っている。

 こここそが『選ばれた』自分のあるべき場所なのだ、そう信じ、母と領地で知り合ったあの子のことを忘れていった。


「身を慎め。お前のような者がここに出入りできるだけでも身に余るだろうに」

 自分の家より格下の者を見下すのは日常。

「空気が悪くなってしまいました。このような場所においでになれる身の上か、お考えになっては? ああ、そんなことすらも難しいのでしょうか、下々の母をお持ちになると」

 自分より四つも年下の幼いナシュアナ王女が、寄ってたかって貶められ、静かに泣き出すのを見ても、何も感じなくなっていた。

 それどころか……愉快にすら感じていた。

「城からさっさと出て行くがいい。やはり所詮は平民、無能なのだな」

「ああ、いやだ。いかに高貴な血には限りがあるとはいえ、お前のような者と同じ空気を吸わねばならないなんて……」

「そ、そんな……」

「地に伏せ、這いつくばって許しを乞え。……なんだその顔は? わからないのか? お前の首など、私の一存でどうとでもできるのだ」

 平民出の侍女たちの些細なミスを取り立てて責める者たちの後ろで、その無様さを笑う。

 生きるため、家族のために、と歯を食いしばってこちらの要求を結局のむその行為も、卑しさの象徴にしか見えなかった。彼らの行動の本当の価値が、当時の愚かなミレイヌにはまったくわからなかった。


 何年か後に母が流行り病で死んだと連絡が来たときも、ミレイヌを最後まで心配していたと聞いたときも、自分のようになれなかった彼女を哀れに思っただけで、父同様、涙の一つも流さなかった。

 今思えば、なぜそんな残酷なことができたのだろう。『特別』さや貴族らしさなどではなく、ミレイヌがただ幸せそうに笑っているだけで微笑んでくれた人だったのに。彼女のその顔が大好きだったのに。



 * * *



 再び転機が訪れたのは、十六の時。父がもたらした最初のそれから、十年近く経っていた。


 そいつは実のところ、最初は視界にすら入っていなかった。黒と銀の制服を見た瞬間に認識する必要のない者だと思ったから。

 そんな身分卑しい者よりも問題だったのは、そいつと一緒にいた、ミレイヌより家柄がよくて見た目もいい、三つ年上のアレクサンダー・エル・フォルデリークだった。

 近衛にいるべきなのに、何を考えているのか、騎士団などという野蛮な集団に身を置き、そのくせミレイヌたちが敬愛するセルナディア王女の関心を一身に集めている。

 いくら絡んでも、感情一つ篭らない目で冷徹にこちらを見るだけで、相手にしようともしない。

 家柄や容姿、剣の腕、いずれかに不足のある他の者であればまだしも、ミレイヌをも明らかに軽んじている――ふざけるなと思うのに、彼の前に出るとなぜか気圧されてしまって、思い知らせてやることもできない。それが本当におもしろくない相手だった。


 そのフォルデリークが、その日一緒にいたそいつを無理やりミレイヌの視界に入れてきた。

「……」

 あってはならないことだと思うのに、あり得ないことだと思っていたのに、正面からそいつを見た瞬間、呆然としてしまった。

 ミレイヌのものより鮮やかな、日の光そのもののような金の髪と、今まで見たどんな宝石より印象的な緑の瞳、完璧としか言いようのない体型。

 美しく整った顔に艶やかな笑みを浮かべ、自分たちに気後れすることもなく言葉を返してくる。所作も優雅で、欠片の乱れもない。

 思わず見蕩れてしまってから、それに気付いて歯軋りした。下等な存在の分際で、と。


 だが、そんなことすら些細なことだったと後に思い知ることになった。

 それだけはありえないと思っていたことが、数日後の剣技大会で現に起きた。

 容姿も、家柄も、騎士としての才能も、自分は『選ばれた者』の中でも特に抜きん出ていたはずだったのに、決勝で対戦したそいつにそんな驕りを完膚なきまでに砕かれた。

 三本勝負のすべてにおいてあっさりミレイヌを降したそいつは、優越感に浸るわけでもなく当然という顔をしていた。

 大歓声に会場全体が揺れる中、そいつは洗練された仕草で、這いつくばったままのミレイヌへと試合終了の礼をとり、続いて観衆に向かって手を振った。それに観衆はさらに熱狂していく。

「……っ」

 どうしようもなく惨めだった。

 騎士にあるまじき不意打ちをしてまで守ろうとしたのは、一体なんだったのだろうと、手から零れ落ちた自分の華美な剣を見つめて、初めて疑問に思った。

 ぐっと力を込めれば、闘技場についたままの手から爪がはがれて、じわじわと血がにじんでいった。


 衝撃は容赦なく続いた。

 そいつはその後、あの汚れた血のナシュアナ第二王女に、王都中が話題にするほど派手に忠誠を誓った。

 身分の別なく、皆が興奮を交えてその場面を語り合い、特に女性は目を潤ませて、まるっきり物語の一場面のようだと誉めそやす。

 必然的に、そいつと第二王女への注目はすさまじいものとなり、それに比例してミレイヌへの風当たりも強まっていった。

「お前のような者、目にするのも不快です。しばらくわたくしの視界に入らないようになさい」

 気に入られていると思っていた第一王女からの言葉。

「いいざまだな、ミレイヌ」

 友人だと思っていた者たちからの嘲笑。

「あのような下衆に負けるとは……恥をかかせおって。顔をしばらく見せるな」

 自慢の息子だと、自分のことを散々世間に吹聴していた父の見せた怒り。

「いい気になっているからだ」

 皆が兄より優秀だとミレイヌを褒めるせいで、鬱屈した感情を持っていた兄はここぞとばかりにミレイヌを蔑んだ。

 フォルデリークならともかく、どこの馬の骨ともわからない相手に負けた。そうしたら、自分をちやほやしていた全員が手のひらを返した。身分の貴賎関係なく、誰も彼もが嘲笑を含んでミレイヌを見ている。いや、それどころか嫌悪している。

 ――自分は一体なんなのだろう……? 特別なんじゃなかったのか……?

 疑問は決定的になり、ひどく不安定になった。いらいらした。


 そうして、剣技大会以降は家にも居場所がなく、さりとて誰かに会うのも苦痛で、ミレイヌは人目を避けつつ王宮内をうろつくようになった。


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