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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第18章 反応
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18-5.心慮

「いらっしゃい……おや、アレックスじゃないか、久しぶりだね」

 木戸を押し開いたアレックスへと、カウンター向こうからリアニ亭の女将の陽気な声が飛んできた。

(お客さんは……よし、いつもより少ない)

 久しぶりのリアニ亭の食堂は、混雑する時間帯もとうに過ぎ、落ち着いた雰囲気となっていた。女将やここの常連たちに直面する勇気が出ないフィルは、アレックスの体の影で息を潜めつつ、慎重に様子をうかがう。

「で、フィル、あんたはまた何してんだい?」

 ――生憎とすぐに見つかってしまったけれど。


「あー、その……」

 しおしおとアレックスの背から顔を出せば、食堂に残っていた客の目が一斉にフィルに向いた。顔が赤くなったのは、寒さ厳しい外から、温かい料理の湯気とストーブの熱気に満ちた店に入ったせいだけではない。

「……女将さん、」

 音を立ててつばを飲み込み、意を決して口を開く。

「ああ、そういや、あんた、アル・ド・ザルアナックの孫なんだって?」

「……っ」

 あまりにさらっと言われて、フィルは息を止めた。それから首と肩をがくっと落とし、頷く。

「? 一体全体なんだってのさ?」

 片眉を跳ね上げた女将の後ろから、彼女の子供のメイとラルクが顔をのぞかせ、「フィルとアレックスだ!」「久しぶりだ!」と歓声を上げた。

 そして、フィルが止める間もなく、「みんな呼んでくる!」と横を走り抜けていった。


 木戸の蝶番が軋む音と共に、冷気が流れ込んできた。

「お、噂の貴族だ」

 顔を強張らせるフィルに、からかいを向けてきたのがパン屋のジョゼだ。やってきて、パンをこねる力強い手でぺしっとフィルの額を叩く。

「本当、びっくりしたわ」

 遅れて食堂に入ってきた花屋のリンが、そう言いながら笑いかけてくれて、フィルは胸を撫で下ろした。彼女にいつものようにぎゅっと抱きしめられて、少し笑う。

「最初が女で、次が伯爵さまの娘かあ。次の隠し玉はなんだ?」

 その横でニヤニヤ笑っている、彼女の夫のジェットのセリフに、フィルは騎士団での嫌な記憶を連想して、顔を引きつらせた。同じことを思ったのだろう、アレックスがくつくつと笑い始めて、続々と集まってきた常連たちに怪訝な顔をされたわけだが、彼らの反応が「なんだ? またフィルがなんかしでかしたのか?」「今度はなんだ?」だったのは、さらにひどい。いや、怒られるとか無視されるとか、予想していたよりはよかったのだけれど……。


「英雄アル・ド・ザルアナックの孫に乾杯!」

「かんぱーい!!」

 言葉の上だけで乾杯の主役にされたフィルは、アレックスと共にポツンとカウンター。背後のテーブル席に十数人。

 隠し事をしていた、もうばれてしまっただろう、みんな怒っているかな、と怯えながらここに来たのに、結局のんで騒ぐ口実にしかならなかった――その事実にフィルは遠い目をする。


「な、大丈夫だっただろう?」

 アレックスがまだ笑い足りないというふうに、目元を弧の形にしたままフィルを見た。

「なんだい、フィル、ひょっとして私らが『騙された』って怒るとでも思ってたのかい?」

 カウンターの向こうで忙しなく動いているリアニ亭の女将の呆れたような声に、フィルは情けない顔で頷いた。

「あっはっはっはっ、あんたが人を騙そうとして騙すような子じゃないことぐらい、みんな知ってるさ」

「女将さん……」

 優しい言葉に、緊張していた分だけ目頭がジンと熱くなった。フィルが一番孤独だった時に文字通り助けてくれた人の、丸味のある顔を見つめる。

 祖父の葬儀を終えた後、王都からザルアに戻る時はまだ良かった。祖父の剣を祖母の墓に入れるという具体的な目的があったから。

 その後、ザルアから王都に来る時にこそ、孤独に苛まれた。行くつもりの場所は馴染みのないところで、自分の傍らにはもう誰もいない。この先どうなるかもわからない。やろうとしていることが、正しいのか、できるのか、まったくわからない。

 どうしようもなく不安で、耐えかねて時々こっそり泣いていた、そんな状況にいたフィルを救ってくれた人だ。

「違うだろ、ネリー。フィルの場合は、騙すなんてとこまで頭がまわらねえんだよ」

「そりゃ言えてるわ、あっはっはっ」

 が、その特別な人は、ジョゼの一言にそう即答した。

「自分でもちょっとそうかもと思いますけど、さすがにひどくないですか……」

 思わず呻けば、彼らはもっと笑う。

 さらに何が気に入らないって、彼女たちのやり取りを聞くなり、吹き出した横のアレックスだ。涙目になりつつ睨めば、彼は慌てて顔をそらしたけど、ちょっと見えている横顔はやっぱり笑っている。


「それにしてもフィルが貴族の娘ねえ。こんなおもしれえ話は中々ねえな」

「おもし……」

 ジェットの言葉にフィルが顔の片側をしかめれば、その妻となったリンも楽しげな笑い顔を向けてきた。

「正直、今でもちょっと信じられないわ」

「最初の最初、ほんっとうに最初の見た目だけは、そんな感じだったけどなあ」

「ずれてるのも、お人よしなのも、これでもかってほど田舎もんなことも、すぐ丸わかりになったし」

「そうそう。大体貴族の娘はチンピラに脅されて脅し返したり、暴行犯を返り討ちにして骨を折ったりしないって」

「屋根の上に上って、パンをかじったりもしねえし。何してんだって訊いたら、木がないから、ときた。じゃあ、木に登ってパン食うのは普通なのかって俺は思ったよ」

「女将さんに言い寄ってきたどっかの親父を、店から文字通り叩き出したこともあったっけね」

「というか、貴族じゃなくったって、大抵のやつはやんねえよな」

 全部事実だけど、やっぱり扱いがなんかひどくない? とフィルは口をへの字に曲げる。

「アレックスん時は最初から知ってたから、こっちも身構えたけど」

「まあ、蓋開けてみたら、結構変な奴だったけどなあ、笑い上戸だし」

「違いねえ」

 あちこちで笑いが起こった。

「……変、アレックスが……」

 横目で彼を見ると、彼は心外そうな顔をしている。滅多にないその表情に、フィルも吹き出した。今度は彼が恨めしそうにフィルを見てきたけれど、いい気味だと思う。人のことを笑った報いだ。


「だけど、親父さん――って伯爵さまかね、に勘当されてたって、またなんでさ?」

 皆の上機嫌な笑い声が響く中、女将がカウンター越しにつまみの料理を差し出してきた。その彼女に不意に問われて、フィルは目を瞬かせる。

「なんでって……父とその、喧嘩をして、言う通りにできないなら出ていけと言われて……」

「それがどうして勘当なんだい?」

「へ?」

 呆気に取られて、女将を見つめれば、その彼女も負けずに怪訝な顔をしている。

 それから彼女は「アレックスは事情知ってんのかい?」とアレックスに話を振った。

「……む」

(これ、『通訳』だ。小隊の皆が時々やる、「フィルの言うことはずれててわからん。アレックスに訊け」っていうやつ……)

 また少し落ち込んだところで、茶目っ気と柔らかさを含む青い目と視線が絡んだ。


 アレックスは「フィルの兄上の話なんですが」と、女将に向けて口を開いた。

(……兄さま? いつのまに……)

「言い争いの末、確かに伯爵は出て行けと仰ったらしいです。ですが、本当にいなくなるとは思っていなかったのではないかと」

 いなくなったと知らされて、真っ青になっていたそうです、と続ける。

「そりゃあ、気の毒に」

 女将が苦笑する後ろで、常連たちが「こいつ、素直だからなあ」「すぐ突っ走るし」と相槌を打つ。

(思っていなかった? 青くなっていた? あの父が?)

 フィルは一人眉をひそめた。

 でも、父は確かに「出て行け」「今後名乗るな」と言った。それで言われた通りにしたのだが……。

「それって勘当じゃないんですか? それでも普通は出て行かないものなのですか?」

 問われて、鍛冶屋のマックス爺が頭を搔きながら、フィルを見た。ふさふさのグレーの眉が困ったように少し寄っている。

「こっちだって腹が立ちゃあ、そんなセリフを言っちまうことだってあるさ。売り言葉に買い言葉ってやつでなあ……」

「それで子供も家出しちゃうのよね、一晩かそこら」

 リンが「私もしょっちゅうやったわ」と笑った。

「それでお互い頭が冷える頃、親は心配し出して、子供は子供で困って戻ってきて、仕方なくまた話して、なんとなく仲直りみたいになって、でも、結局また喧嘩するんだよな」

と苦笑しているのはジェットだ。


 この間、父と話をした。だから、まったく気に掛けられていなかった訳ではなかったことは知っている。ザルアナックの名に煩わされず、好きに生きたらいいと思ってくれたことも、それが彼なりの思いやりだったことも。

 でも、彼は「役に立たない」とも言った。事実、貴族の娘として、フィルが何かの役に立つかと言われれば、多分無理だと思う。なんせ何をしたら役に足るのか、そもそもわからないのだから。

「いらないから、役に立たないから、出て行けと言うのでは? 本当に出て行ってしまっても何も困らないから……」

「そういう関係も世の中にはそりゃああるにはあるけど、そうじゃないのも多いと思うぞ」

「ただの親子喧嘩ってやつな」

 みんなが苦笑している。

「おやこ、げんか、ただの……」

(本当に? いらないから、好きにしていいと言ったわけではなく?)

 混乱した時はいつもそうするように、アレックスへと目を向ければ、彼は穏やかに頷いた。

(……もし、もしそうだったとしたら、あの時、ちゃんと話をすべきだったのかも……)

 フィルは唇を引き結ぶ。

 そうじゃない、私はこう生きていきたい、と。勘当された、父はそういう人なのだ、と見切りをつけて、出て行ってしまうのではなく、理解して欲しいと、理解しようと努力すべきだった――。


「心配しただろうよ、あの時あんた、十六になったばっかりだったろう?」

 幼かったもんねえ、とリアニ亭の女将がカウンター越しに手を伸ばしてきた。フィルの頭を撫でる。

「心配なんて父は私には……」

 反射的にそう返してしまう。父が元気な自分の心配をするなど有り得ない。

 だが、女将はフィルの頬を柔らかくつねり、「悪い娘だねえ」と呆れたように言った。

「金髪に白髪の混ざった、明るい茶色の瞳の人だろう? あんたと同じくらいの背でさ、眉間に深い縦じわの寄ってる、厳しい顔の」

「え……あ、いえ、確かにそんな人、ですけど……」

「あんたがここで給仕してる時にさ、あんたの休みの日に一回来たよ」

「え……」

「服装とかは普通だったけど、明らかにこの辺の人じゃないし、仕草も顔立ちもなんか上品だし、何より雰囲気がまわりから浮きまくってたからねえ」

「……来た? ここに?」

(あの人、父、が……?)

「会計の時に恐ろしげな表情のまんま、ぼそっと呟くんだよ、『新しく入った給仕は元気か』って、なんの脈絡も無く」

 くすっと女将が笑うのを、フィルは口を開けて眺める。

「それがあんまり怖い顔だったんで、なんか言葉にする前に思わず頷いちまってねえ。そしたらその人さっさと店から出てっちまって」

 でも口元、ほっとしたみたいに緩んでたよ、と。


「……」

 どういう顔をすべきか分からなくて、再度アレックスを見れば、青い双瞳は優しく弧を描いている。

「最初の剣技大会の日、俺も『ちゃんとやれているのか』と訊かれた」

 ほらやっぱり、と女将が言うのを呆然と聞いた。

(それが本当、なら、アレクサンドラの件の時、『フィリシアっ』と邸から私の名を呼んだのは……)


「大変だねえ、伯爵も」

「喧嘩して泣いて謝ってくるわけでもなく、訴えてくるわけでもなく、じゃあってあっさりいなくなるなんてなあ」

「それで十六の娘が王都とザルアの一人旅ときた」

「ほんで行き着く先が騎士団だろう? 理解の範疇超えてるよなあ」

(……ん?)

 みんなの発言に父への同情を嗅ぎ取って、フィルは片眉をしかめる。

「あの、私は私で結構かわいそうだったような……」

「でも、結局フィルは無事じゃないか。騎士団でも十分やってけてるし、実家や伯爵の心配をしてたわけでもないんだろ?」

 おずおずと抗議してみたのに、「ほら、やっぱ伯爵の方がかわいそうだ」とみんな口を揃える。

(……そりゃあ、話をしようとしなかったのは悪いかもしれないけれど、向こうだってそうだったし、祖母さまも祖父さまも亡くなって、アレクも見つからない、そんな時に縋る剣まで否定されて本当に苦しかったのに)

 思わず口を尖らせる。


 ぶすくれて背を向けたフィルにみんなはまた笑い、アレックスを自分たちのテーブルへと呼んだ。

 空いたその席に、代わりにリンがやってきて座る。

「いいじゃない」

 酒のせいだろうか、ほのかに頬を上気させたリンは、にこりと笑いながらフィルの顔を覗き込んできた。

「それであんないい男、見つけたんだし」

「っ」

 だよねえ、とアレックスを見て頷いた女将は、赤くなったフィルへと目を向けると、にっと笑いかけてきた。

「フィル、アレックスがここであんたの兄さんの話をしたの、あれ、多分計算してのことだよ」

「?」

 フィルは赤い目元のまま、女将を見上げた。リンが怪訝そうに「どういうこと?」と訊ねるのにあわせて、フィルも頷く。

「あんた、もしアレックスがあんたにだけあんな話をしたらどう思ってた?」

 父の「出て行け」という発言が本気ではなかったのではないかということ、その後、父がフィルの心配をしていたということ。

(それを二人きりの時に聞いていたら……)

「信じてなかった、です」

 慰めてくれているだけ、そう思って多分もっと惨めに、頑なになった――。


 向こうでジェットとジョゼに絡まれながら酒をのみ始めたアレックスを、唖然として振り返る。

(だから? ここでなら、親子というものがどんなものなのか、みんなが話してくれるだろうと思ったから? 今なら私も受け入れるかもしれない、そう思った……?)

「……本当、どこまでも愛されてるわよねえ。ジェットにも見習わせたいわ」

 リンが呆れ半分に呟いた。


 フィルは眉根を寄せ、顔をしかめる。

「ちょっと、フィル」

「……なんでそんな顔になるんだい?」

「負けているなと」

 悔しいんです、と続けたら二人に呆れられてしまったけれど、いつもそうだ。アレックスはフィル自身が気づかないところまで気づいて、守ろうとしてくれる。

(なのに、私はアレックスにそうできてない……)

 視線を感じたのかもしれない。アレックスがふとこちらを見た。刹那、深い青の瞳を包む、涼しげな目の端が緩んだ。柔らかい笑みが口元にも広がっていく。

「……」

 彼が折々に見せてくれるあの表情が大好きで、でも見ていると、なぜだろう、時々泣きたくなる。

「ほんと、目の保養よねえ」

「同意するけどね、リン、ジェットの前ではせめて目の毒ぐらいしておきなよ」

 それのどこがどう違うのか、フィルにはいまいち理解できないけれど、そんなアレックスがくれたチャンスなのだから、少し頑張って、もうちょっとだけでも父と話をしてみようかと思う。

 思惑通りみたいで悔しいから、しばらくアレックスには秘密にして、こっそりと……。

 それでいつか、父と仲良くなれたと言うことができたら、彼は一体どんな顔をみせてくれるだろう……?


 視線の先で、アレックスはジェットに肩を叩かれ、彼へと顔を向けた。鋭利な造りの横顔は楽しげで、ジェットに笑いながら何かを言い返している。


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