18-3.不可解
明るい日差しの差し込むフォルデリーク邸の客間は、よく使い込まれた家具で統一されていた。それらの風合いが柱や梁の材質と似ているのは、作られた年代が邸と同じだからなのかもしれない。ところどころに花が飾られていて、香りが心地いい。
「あらためまして、彼女がフィリシア・フェーナ・ザルナアック嬢、騎士としてはフィル・ディラン――私の大切な女性です。交際していただいています」
その部屋で、アレックスはフィルを自分の横に誘うなり、自らの両親にそう告げた。
不意打ちに驚くも、すぐに顔に血が集まってきた。嬉しいような、恨めしいような気分で、彼を見上げる。
「……あ」
だが、その表情がいつになく硬いことに気づいてしまって、肌の赤みは急速に引いていく。
「あの、」
「……聞いた、ヒルディス?」
「聞いたとも、セフィア」
不安になって彼の両親を見れば、彼らは彼らで渋い顔をしていた。
厳しい雰囲気に、フィルは音を立ててつばを飲み込む。どうしよう、やっぱり何か失礼をしてしまったのだろうか、とまた泣きたくなってきた。
「これでまともにフィルを紹介してくれないようなら、そんな礼儀知らずにフィルはあげられないって言う気満々だったのに、とても残念だわ、ヒルディス」
「そのために敢えてあんなふうに出迎えたというのに、引っかからなかったか。確かに残念だな、セフィア。まあ、息子も成長したということだ、及第点をやろうじゃないか」
「……ん?」
(い、や、怒られているわけじゃなさそうだけど……)
呆気にとられるフィルの横で、「言うだけじゃなくて、実際取り上げる気だったんだろう」とアレックスは呻くように呟いた。
「本当に可愛くなくなったわねえ」
「まったくだ」
「当たり前だ、誰がそんな手に引っかかるか」
「聞いた、ヒルディス? 喜ばしいことに、私たちの息子は成長しているようよ」
「そのようだね、セフィア。もっと巧妙な策を考えなくてはならないようだ」
「……暇なのか」
「忙しいとも。だが、息子をからか……成長を促すための時間ならいくらでもとれる、それが親というものだ」
「本音を隠す気があるなら、もう少しちゃんとやってくれ……」
「あら、そこはまだ甘いのね、アレックス。隠す気なんかあるわけないでしょう、わざとよ、それも」
(親子関係についてあれこれ言える身じゃないけど、な、なんか違ってるような……)
「フィリシアさまからの頂き物です。とてもよい香りですよ」
言い合い?を続ける親子を気にする様子なく、執事のホーランさんが茶を配り、フィルに「放っておいたらいいですよ」と微笑みかけてきた。
それはそれで何かが違う気がしないでもないが、何がどう違うのか、よくわからない。
「ところで、アレクサンダー、」
「断る。母さんがそんなふうに言い出す時は、ろくなことじゃない」
「あら、ばれてる」
(否定しないんだ……)
「私の出番だな――ところで、アレクサンダー、」
「父さんが厳しい顔をしている時は、大抵どうでもいいことだ」
「ご名答」
(言い切った……)
息ぴったりな気はするが、仲がいいのか悪いのかはわからない、そんな親子に入っていけるはずもなく、フィルはカップに顔を伏せ、目だけで恐る恐る彼らをうかがう。
ホーランさんはああ言ってくれたが、もちろん茶の味も香りもまったくわからない。飲んでいる気がしない。
そうこうする間に、アレックスの両親の二対の瞳がフィルに向いた。
「ああ、ほったらかしにしてしまってごめんなさい、フィル。この子があまりにあなたを出し惜しみしてくれるものだから、ちょっと嫌がらせをしていたの」
(嫌がらせって言った、今嫌がらせってはっきり言った……)
神々しいまでに美しい微笑と綺麗な声で、さらっと言われた言葉に、フィルは顔を引きつらせた。
その対象となっている、彼女の息子のはずのアレックスを横目でうかがえば、「だから嫌だったんだ……」とうんざりしたような顔をしている。
「それにしてもアル小父、ザルアナック老伯爵によく似ているね、フィル」
「でもシンディの面影もちゃんとあるわ。ふふ、どちらにせよ美人であることには変わりはないわね」
「え」
いきなり話題が飛んだ。
いやいや、世の中の人はみんな違うんだ、親子関係だって色々だろう、気を落ち着けよう、剣士たるもの常に平静でいなければ、と自分に言い聞かせている最中だったのに、それも全部吹っ飛んでしまった。
「え、えと、ありがとう、ございます」
赤くなって縮こまるフィルに、セフィアさんが「まあ、可愛い」と言い、余計羞恥を煽られる。
「……俺だけならいざ知らず、フィルまで困らせるようなら、このまま連れて帰るが?」
ため息をついたアレックスが身を乗り出し、背後に庇ってくれた。
正直『助かった』などと思ってしまったのだが、それが効く人たちではなかったらしい。
「なんと!!」
「なんてこと!!」
(い、息ぴったり……え、ええと、両親ってこういうものだっけ……?)
フィルはアレックスの背からこそこそ顔を出し、声をそろえた二人を恐々とうかがう。
「ステファンはステファンで、いつまで経ってもフィルに会わせてくれんし、息子は息子でフィルが騎士団に入団して一年以上そのことを隠し続けていたし」
「アレクサンドラが教えてくれてからさらに一年。何十回と頼んでやっと頷いたと思ったら、お茶がまだ温かいうちに連れて帰るとか言い出すし」
「この間は私たちがいない間に、スペリオスまでグルになってこの家に連れてきたというのに」
それで「あ。す、すみませんでした、ご不在の間に」とフィルが急いで謝れば、夫婦は「「いいんだよ(のよ)、フィルは気にしなくて」」とまたも声をそろえる。
(あ、あれ、本当に両親ってこういう存在だっけ……?)
二人が同時に人の悪い笑いを顔に浮かべたことで、フィルは心持ち身を引く。が、二人は気にせず、アレックスへと視線を向け直した。
「気持ちは分からなくもないがな、なんせ八年も片思いしていた初恋の相手だ」
「っ、父さんっ」
「独り占めしたかったのよねえ」
「っ」
「去年の誕生日、私たちとの約束をいきなりキャンセルしてきたのは、フィルと一緒だったのだろう?」
「っ、ちょっと待っ――」
「あら、やっぱり図星みたい。てことは今年のもそうだったのね」
「ひっかかったな、アレックス」
「……っ」
「おかしいとは思っていたのよ、フィルが入団したぐらいから、全っ然帰ってこなくなるんですもの」
「……母さん」
「お前は昔からフィルのこととなると一切他が見えなくなるからなあ」
「本人の前で……」
「おや、どうした? 顔が赤いぞ、アレックス」
「あら、本当。顔が真っ赤だわ、アレックス」
「……」
額に手を当てて口を噤んだアレックスを前に、両親はこの上なく楽しそうに、にこにことしている――。
(あ、のアレックスが完全におもちゃに……第一小隊が束になってやっとの人なのに)
ここは、とてつもなく危険なところなんじゃないだろうか……?という疑念が生じた瞬間、フィルは培った習性のまま気配を殺した。脱出口を探る。
(前方と左手の窓、入り口の戸、いざとなれば、暖炉から煙突を這い登って――)
だが、素人の恐ろしさというべきか、それともアレックスの両親が恐ろしいのか、それもまったく通じなかった。
「さて、フィル」
「う」
セフィアさんの黒曜石の瞳が自分に向いて、フィルは背筋を凍らせた。
「アレクサンドラとスペリオスが来るまで、もう少し時間があるのよ……?」
「……っ」
彼女の微笑に蒼褪めつつ、フィルはアレックスを見上げた。そしてその顔に、『しまった』と書いてあるのを不幸にも見つけてしまった。
夫婦の息子であるアレックスが危惧する事態――も、ものすごく危険なんじゃ、とフィルは右頬の筋肉を痙攣させる。
「フィル、こっちへ」
「え、ええと」
立ち上がるなり、アレックスはフィルの腕を引いて、背後に隠した。そして、そのまま部屋の入口へと後退さっていく。それにあわせて、フィルもこそこそする。
「アレクサンダー」
そんな自分たちを目だけで追っていたセフィアさんがおもむろに、「……そう、帰ろうというの」とさっきまでが嘘のような重低音を出した。怖すぎる。
(え、ええと、お、お母さんって、こ、こういう感じだっけ……?)
「いいの、そんなことをして」
「……どういう意味かわからない」
アレックスから背中越しに強い緊張が漂ってきて、フィルはごくりと音を立てて、唾液を飲み込んだ。
「あれやこれを言いふらされたくなかったら、大人しくフィルを母にお渡しなさい――そういう意味よ?」
(あ、あれやこれ……? わ、渡す? 私?)
「フィルに言われて困るような話は何も……」
「あら、そんなに清廉潔白かしら」
にっこり笑うその顔はなぜか恐ろしい。いや、美人は美人なのだが……。
(な、なななんか、お、おかしくない? えええええと、お母さんってこんなだっけ……?)
「そうねえ。例えば、あなたが十五になった春あたりに、小隊長さんに連れられて花ま――」
「っ、母さんっ」
(はなま? 小隊長ってウェズ小隊長?)
はなまという耳慣れない言葉と、フィルもよく知る上官がいきなり話に出てきたことで、フィルは目を白黒させる。
「ふふふふふふふふ、理解しているわよ、付き合いがあるってことも、「好きな子を前にした時恥をかく」的な言葉に惑わされたんだろうなってことも。ついでに言っておくと、あなたが今ものすごーく後悔していることもお見通しよ、ほほほほほほほほ」
「……っ」
(ええ、と……あ。アレックスの顔色が悪くなった)
「さあ、息子も快く了承してくれたことだし、こっちへいらっしゃい、フィル」
「え、あ、は、はい?」
(こ、快く? 了承? ってこういうことを言うんだっけ??)
頭の中に疑問が飛び交って瞬きを繰り返すも、ソファから立ち上がったセフィアさんがフィルに向ける笑顔には、さきほどのような背筋がぞくぞくするような感じはない。
でもアレックスの顔色は相変わらず悪い。それが不思議で、フィルは首を傾げた。
「……いい子ね、フィル」
近寄ってきた彼女に、優しく手を引かれた。驚きを覚えて彼女を見れば、泣きそうな顔をしていた。別の意味でさらに驚く。その隙にぎゅっと抱きしめられた。
「ああ、もう、会えて本当に嬉しい……あんなに小さかった子が、こんなに大きくなったのね……。色々話したいことがいっぱい、本当にいっぱいあるのよ……」
(……いい匂い)
女の人の柔らかい腕の感触と優しい声、それから仕草に祖母を思い出した。知らず息を吐き出せば、さっきまでの緊張が一気に解けていく。幸せな気分が全身に満ちていく。
そして、ホヤホヤした頭で、手を引かれるまま歩き出して……。
「フィル」
焦りを含んだアレックスの声に、はっとして振り返った。今完全に忘れていた。
「アレクサンダー、ここは大人しくする方がいいのではないかな。なに、彼女がシンディたちの娘であり、恩人でもあるフィルに無体を働くことはあるまい」
そのアレックスを宥めているのが、お父さんのヒルディスさんだ。低めの声と穏やかな物言いがとても心地いい。
「そこは心配していない、が……」
「自分の身よねー、心配してるのは」
「っ」
盛大に顔を引きつらせたアレックスを前に、ほほほほと高らかに笑っているのが、その彼のお母さんだ。
「まあ、セフィアも君の母だ。今ここでフィルを渡しておけば、滅多な話は彼女にしまい」
「あら、フィルが望めばするわよ」
「……セフィア、そういうことを言ってはだめだ。アレクサンダーがさすがに不憫だろう? 言わないでこっそりやればいいだけなのだから」
「……ん?」
(うちの父さまも変わってる気がするけど、こっちはこっちでちょっとおかしいような……)
なんだかとても楽しそうな両親、なぜか窮地に追い込まれたような顔をしているアレックス――双方に首を捻る間に、フィルは結局セフィアさんに伴われ、客間を後にすることになった。
「お?」
扉が閉まる寸前、隙間からちらっと見えたアレックスの表情が、悲愴さと第一小隊員たちが見れば大喜びしそうだなあという感じを混ぜたものだったこと――それをどう解釈すべきかが目下のフィルの謎。