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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第18章 反応
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18-2.対面

 アレックスの実家であるフォルデリーク公爵家は王都の北東、喧騒から外れた静かな住宅街の中にある。

 先日、アレックスの兄であるスペリオスさんと従妹のサンドラに連れられて初めて訪れた時は真っ暗だったし、それどころではない心境だったから、その邸はフィルにとって初めて見るようなものだった。

 丁寧に整えられた庭園の中に、小ぢんまりとした、でも上品な感じの石造りの建物が立っている。こう言ってはなんだけど、名の知れた公爵さまのお屋敷というふうにも、王后陛下のご生家という感じにも見えない。けれど、ここがアレックスの育った場所と言われれば納得できてしまう、落ち着いた雰囲気だった。

「古いし、大きくもないだろう。爺さんの前の代までは、長く続いているだけの名ばかり伯爵家だったらしい」

 門番もいないようで、アレックスは自分で門扉を押し開き、敷地の中へと足を踏み入れる。奥の木の陰で作業していた庭師と思しき人が、その彼に向かって、ぺこりと頭を下げた。

「爺さんってヴァル、ヴァルアスさん……」

 祖父母からよく話を聞いていた、内戦時に彼らの戦友の一人だったという人だ。知的で優しくて、とても思慮深い人だったと聞いた。


 辛うじて文字が読めた祖父や彼の兄のマット大伯父はまだましな方で、反乱軍には文字の存在を認識しているかどうかすら怪しい、無学な民衆が集まっていたという。

 その人たちを見下げることなく、対等な立場で向き合い、時に教えを垂れ、時に教えを請い、たくさんぶつかって、自分が悪いと思えばまっすぐ謝り、相手が悪いと思えばまっすぐ謝罪を要求し、を繰り返して、ヴァルアス・ロッド・フォルデリークは反乱軍の全員から絶対的な信頼を得ていったそうだ。

『反乱を起こすこと自体はそう難しいことじゃなかった。旧王権には皆うんざりしていたから。問題は不平不満を持つその人たちをまとめ上げることだったの』

『俺たちと一緒になって戦をする傍らで、ヴァルはみんなの不満を丁寧に拾い上げていったんだ。俺たちみたいな奴隷階級の人間のものまで全部だ』

『彼はそれを新体制の構想に組み込んで、国の皆に新しい未来として提示した。建国王などと言われて私が持ち上げられてはいるが、本当に「建国」したのは、実は私じゃなくて、ヴァルなんだ』

 いつだったか、祖父母と彼らを訪ねてきた建国王アドリオット・シルニア・カザックが、彼を偲びつつ、フィルにそう話して聞かせてくれた。


「うちの爺さんのこと、知っているのか」

「祖父母とアド爺さまが話してくれたんです。穏やかで芯が強くて、頭が最高によくて、でも運動はからっきしで、って。彼について話す時、三人ともいつもすごく嬉しそうでした。でも寂しそうでもあって……」

 彼らは彼を大好きだったのだ、そうフィルにも如実に伝わってきた。

 フィルは改めて、フォルデリーク邸を眺める。

「ここが彼の育った家……」

 話の中でしか知らない、でもとても身近だったその人の家がここ。そして、アレックスは彼の孫。そう実感すると、なんだかとても不思議な気がした。


 アレックスの後についてゆっくりと、門から入り口までの小道を歩く。

 左右の庭には芝が広がっていて、そこかしこに枝振りのいい、背の高い木が植えられている。その下に据えられたベンチに、木漏れ日がきらきらと降り注ぐのを見ていたら、アレクが、そして同様に本好きだったというヴァルアスさんが並んでそこに座り、本のページを一緒にめくっている錯覚を起こしてしまった。


 そうして辿り着いた邸の吹き抜けの玄関ホールで、扉を開けてくれた執事さんの挨拶が終わるより、アレックスがただいまを言うより早くフィルを出迎えた声は――。

「いらっしゃい。ようやく会えたね」

「ようこそっ、ああ、もう、ずっと、ずっと会いたかったのよ……っ」

 早足というより最早駆け足でこちらにやってくる、アレックスの両親と思しき二人のものだった。


「え゛」

(い、いきなりですかー!?)

 最初は客間などに通され、気を落ち着ける時間があるものだと思っていたフィルは、一瞬で硬直した。

 横ではアレックスが「父さん、母さん……」と呆れ声を出し、先日フィルがいきなりここを訪れた際にも親切にしてくれた執事の男性が、「旦那さま、奥さま、嬉しいというお気持ちはわかりますが」と苦笑している。


「……あ」

 だが、そのまま固まっているわけにはもちろんいかない。

 恩人、しかも大切なアレックスのご両親だ、ここでの失態は許されない――そう気づいてフィルは慌てて口を開いた。

「お、お招きありがとうございます。あ、初めまして、が先だった。ええと、そうじゃなくて、あ、これ、お土産です、お気に召したら嬉しいです……ってこれもなんか違う。そ、そうだ、自己紹介」

 だが、いつものことと言えばいつものこと、焦ったことで余計おかしくなった。

「落ち着け、フィル。紹介なら俺がす――」

「だ、大丈夫です、私だって剣士です……っ」

「……そこに剣士は関係ない。というか、一杯一杯になるといつもそれだな……」

 アレックスがなんか呻いているけれど、それどころじゃない。


「その、私がフィ――」

 失態を取り戻すべく、慌てて名乗ろうとするも、またも難問にぶつかった――正式名のフィリシアを名乗るべきか、いつものようにフィルと名乗るべきか?

(き、貴族同士ならフィリシア? みんな使わないのに? アレックスもそうだし、アド爺さまやフェルドリックだって……って、あらかじめ考えるなり、アレックスに確認するなりしておけば良かった、私の馬鹿!)

「フィ、フィ……」

 変な汗が出てきた。ご両親の印象を損ねたくなくて、フィルは必死に正解を探す。

「……リシア・フェーナ・ザルアナックだったり、フィル・ディランだったりします。でもほとんどフィルです」

 結果、口から出てきたのは、迷っていたことそのまま――考えてそれか、と内心で自分に突っ込んでしまったら、口元がひくついた。

「ほ、ほとんどと言っても、祖父母とか、アド爺さまとか、あと、騎士団のみんなとか、町の人たちとか、ああ、でも中にはディランと呼ぶ人もいて、ええと、他には……って、どうでもいいですね。つ、つまり……お、お好きなほうでお願いします、ということで」

 なんとか搾り出したフォローも墓穴を掘り下げただけ。

 いきなりの失敗に涙ぐんだフィルに、けれど、アレックスの両親は柔らかく笑ってくれた。

「ふふふ、でもどっちもあなたでしょう」

「そう、私たちは『君』に会えたことが、本当に嬉しいんだ」

「あ、りがとうございます……」

 言葉も優しくて、ようやくほっとできたけれど、アレックスが横で笑いをかみ殺しているのが、ちょっと恨めしい。


「じゃあ、私たちも自己紹介しなくてはね」

 そう言ってくれた、アレックスのお母さんの笑顔はとても明るい。

「私がアレクサンダーの母で、セフィア。こっちが父親のヒルディス。私たち、あなたのご両親ととても仲良くしていたのよ」

「あ、はい、祖父母がよく話してくれました。あ。あの、夏に頂いていた贈り物も毎年とても嬉しかったです。本当にありがとうございました」

 礼を口にしたフィルに、セフィアさんは「選んでいたのはそこの息子なのだけれど、喜んでもらえたなら、私たちも嬉しいわ。ありがとう」と微笑んでくれる。

(……そっくりかも)

 どうやらアレックスはセフィアさんことお母さん似らしい。髪の色や全体の印象が、二人は親子だと如実に告げている。思わず意識が吸い寄せられてしまうような、年齢不詳の艶やかな美人で、なるほどこの人がアレックスの源流か、と思って妙に納得した。


 その彼女の傍らに穏やかな表情で立っているのが、お父さんのヒルディスさんだ。

「……」

 フィルは目を見開き、礼儀をすっかり忘れて不躾に彼を見つめてしまった。

 濃い茶色の髪、アレックスと同じ色の瞳、笑った時に右頬に浮かぶえくぼ、上品で柔らかい物腰、整えられた髪と同じ色のひげ、銀縁のめがね。まるっきり……、

「ヴァルアス・ロッド・フォルデリークにそっくりかい?」

「っ、す、すみません。祖父たちがよく話をしていたものでつい」

 言い当てられて真っ赤になって俯くと、セフィアさんが声を立てて笑った。

「いいのよ、この人あなたが来るからってわざと眼鏡をかけたりしているのだから」

 これも偽物、とぺリッと音を立ててひげを剥がし、自前のひげをむしられたヒルディスさんがうめき声を上げた。

 そして「一回やってみたかっただけじゃないか……」「そんなこと言って、建国王陛下にもやっていたじゃない」と二人で言い合い、またからからと笑っている。

(あ、あれ? りょ、『両親』ってこういう感じだっけ……?)

 剥がした髭を今度は眉毛にくっつけたヒルディスさんに、セフィアさんが吹き出した。明るくも妙に軽い、楽しい雰囲気に、フィルは顔の片側をひきつらせる。


「さあ、いい加減あちらへどうぞ。フィリシアさまが困っておいでですよ。お茶をすぐにお持ちいたしますから」

 執事のホーランさん? がそう言って助け船を出してくれた。アレックスに背を押され、客間への移動を促される。

 背に感じる、温かく優しい感触に安堵するフィルの横で、そのアレックスがどこか遠い場所を見、そっと深呼吸したのが、なんだかものすごく気にかかる。


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