17-16.贖罪
騎士団の本館の一角、夜明け前の広間でフィルは今、仲間であるはずの騎士たちに取り囲まれている。
「最初は、実は女でした、だったよなあ」
「……あー、そ、そういえば、そんなことも……」
「で、次は実はアル・ド・ザルアナックの孫、伯爵令嬢でした、か」
「え゛? な、なななんで知って……」
自分を包囲する騎士たちの厳しい顔つきに、フィルは顔を引きつらせた。
「で?」
「で……で、って……」
自分を見下ろしている、屈強な騎士たちの恐ろしい目に、額に汗がにじむ。
「この次はなんだ?」
そう、祖父への思慕とアレックスの人気、フィルに対して皆がくれた好意にあやかって、ロンデール公爵に無理やり兄への薬の提供を約束させた後――フィルにとっての次なる問題は騎士団だった。
勘当されていたのだから、貴族じゃありません、に嘘はなかったけれど、それが皆からすれば嘘と同じであるのはフィルにもわかる。騎士団の皆はそんな話にどう反応するだろう、と気になって仕方がなかった。
急ぎ王城から実家に戻ったフィルは、可能な限り素早く着替えをすませ、父と兄にロンデール公爵がすべて了承した旨のみを告げる。そして、お茶のお代わりを聞きにきたエリーさんに「もう大丈夫、色々ありがとう!」と言い残して、邸を飛び出した。
背後でターニャが、「お嬢さまっ、夜の王都で一人歩きなんて……っ」と叫んでいたけれど、オットーが「間違ってお嬢さまに絡んだ相手の身を心配して、という話なら妥当だな」とつぶやいて、矛先を引き受けてくれた。
ありがとう、オットー、これで私は残る課題に集中できる、と思わず拝んだ。
そうして騎士団に戻るまでの間、寒い寒い、深夜の冬風に身をすくめつつ、フィルが頭を悩ませていたのは、騎士団の皆に自分の生まれについてどう話すかという一点だった。
嘘つき呼ばわりならまだしも、下手すりゃ追い出されるかも、などと鬱々と考え、人目を避けるように宿舎に忍び入る。
静まった宿舎の中で、すっかり不審者だな、と思って一人苦笑した瞬間、廊下の先に人がいることに気づいてフィルは立ち止まった。暗がりの中、見知った騎士の横顔が、手持ちのランプの光に浮かび上がっている。
その目がフィルに留まり、すっと細められた。
「――いたぞ」
「へ?」
「戻ってきたっ、捕まえろっ!」
彼がそう叫んだ瞬間、頭が真っ白になった。
「捕まえ……ええええっ?」
追いかけられて、反射で背を向けて逃げ出す。そうこうするうちに、背後から、右から、左からランプを持った人たちの足音が大量に押し寄せてきた。
「あわ、あわわ、な、なんなんだ……!?」
横から飛び出してくる同僚を飛びのいてかわし、正面から走ってくる同期の頭を飛び越えて逃げる。
「どっちに行った!?」
「中庭は!?」
(ななななんで、な、何が起きてるんだ……!?)
焦りと混乱で全身から汗が吹き出した。追い詰められるたびに体が勝手に反撃に転じようとするのを必死に抑える。まさか仲間に手を上げるわけにも剣を向けるわけにもいかない。
寒い鍛錬場にこそこそ潜み、追い詰められて壁にぺとっと貼り付き、ムササビのように木々を伝って逃げ惑い、屋根にのぼって逃避気味に星を眺め、馬たちに迷惑そうな顔をされつつ、馬小屋のわらの中に潜み……数時間にわたって逃走を続ける。
「フィル、大丈夫か? こっちだ」
「オッズっ」
いい加減疲れてきた頃、白い息を吐いて建物の影から走り出てきたオッズに呼ばれて、泣きそうになった。ああ、さすがは仲間中の仲間、さすがアレックスの親友(多分)、と感激してフィルは急いで彼の元へ駆け寄る。
一際暗いその場所には、ウェズ小隊長はじめ、他の第一小隊員たちも揃っていて、口々に「大変だったな」とか、「もう心配いらないぞ」などと言ってくれる。
それにほっとした。入団したばかりの頃、不安だった時もこうやってみんな助けてくれた、と思い出して、目頭を熱くした瞬間――。
「!!」
その彼ら、第一小隊員たちにフィルは四肢をガシっと拘束された。
「おおい、ここだっ」
「……え゛」
唖然としたフィルに、皆は嬉しそうに、しかも人悪く笑っている。
(……う、裏切られた?)
「オ、オッズ?」
頼みの綱、とばかりにアレックスの親友(とその時は思っていたかった)のオッズを見た。
が、その彼に楽しそうな笑顔を向けられて、きっちり理解した。
(裏切られた――)
今度は疑問形じゃない。
「ひ、ひどくないですか……」
「お前はそういう運命にあるんだ」
「それって、ますますひどいじゃないですか……」
抗議したフィルに、イオニア補佐が欠片の躊躇もなく返し、皆も揃って頷く。
フィルは先ほどとは別の意味で涙ぐむ。オッズにおいでおいでされて信用した自分を、第一小隊のこの面子の顔に安堵などを覚えた、どこまでも愚かな少し前の自分を、思いっきり蹴倒してやりたい。
そうして捕まったフィルは、深い深い嘆きと心の傷と共に、騎士団本館一階、儀式用の広間のど真ん中に鎮座させられて、何十名もの騎士たちに取り囲まれ、詰問されることになった。
眉と肩と口角を限界まで下げて、逃避がてら横の窓を見れば、東の空は既に白んできている。
「さあ、吐け。今更何を言われても驚かん」
「実は魔人の血を引いてます、とか」
「納得できる話だな」
「百年以上生きてます、とか」
「この世間知らずぶりでそれはないだろう」
「隠し子がいます、とか」
「それは洒落にならん。アレックスが壊れる」
「気合入れたら炎が吐けます、とか」
「ドラゴンかよ」
(……なんか色々言われてる……)
すごいことも含まれてた気がする、とフィルは右頬を痙攣させる。
だが、からかいを含んでいた空気が、アイザック第十七小隊長とボルト第五小隊長の言葉で一変した。
「俺たちは生死を共にする仲だ。そんなお前が、これほどの期間にわたって、これほど隠し事をしていたというのが、本当に悲しい」
「お前にも事情があったんだろう。だが、俺たちはそれほど信頼に値しない存在だったのか……?」
「……」
二人にしみじみと言われ、フィルは顔色を失った。
見渡せば、ヘンリックやカイトなど同期たちを含め、悲しそうな顔で頷いている人たちが他にもいて、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「フィル、これが最後のチャンスだ。女ということと、アル・ド・ザルアナックの孫ということ以外、他に隠し事はないか」
フィルはごくりと音を立てて唾液を飲み込むと、その言葉の意味を確認した。
「な、ないです。これで全部です」
「本当か?」
「はい」
緊張と共に、コクコクと頷く。
「誓えるか」
「は、はい」
厳かに確認を重ねられて、顔を強張らせながらまた首肯を返す。
「隠し事していたこと、反省しているよな」
助け舟を出すかのようなウェズ第一小隊長へと、必死に首を縦に振れば、怖い顔をしていた皆の顔が緩んで、ほっとした。
そんなフィルに彼からそっと手渡されたもの――。
「……これ」
「明日、というか、もう今日だな。朝、それを着て、朝食開始時間の十分前に食堂に来るように」
「え、いや、でも、」
「――反省、しているんじゃないのか……?」
国内有数の使い手、フィルが一対一でも厳しいという騎士たちの気配がまた尖って、フィルは蒼褪める。
空気に圧倒されるまま、ごくりとつばを飲み込み、また首を縦に振る。
それを認めた騎士たちは、念押しするように「剣士ならば、約束は守れ」と言い残して、広間から静かに出て行った。
* * *
「くくくくくくく」
「わっはははははは」
「ぶっ、ぷぷぷぷぷ、傑作だな」
「ひぃひひひ、笑っちゃ悪いだろう」
「あ、あれが、伯爵令嬢……」
「わははははははっ、はは、腹がいてえ……」
(そうだった、そうだった、こういう人たちだった……!)
穏やかに晴れた冬の朝、ほぼ徹夜したフィルはふてくされつつ、大口を開けて朝食のパンにかぶりつく。
真っ青になって、真っ赤になって、泣きそうになって、それでなお周囲は喜ぶ。そんなことを繰り返していれば、人間ひん曲がりもするのだ、と今まさに実感している最中だ。
騎士団の創設者だ、英雄だなんだと言われるが、孫の自分はそのせいでこの扱い――祖父さまのバカ、祖父さまが祖父さまだったせいで、私はこんな目に遭うんだ、と八つ当たりもしてみる。
フィルを晒し者にした首謀者たちは、朝食をとうに終えたというのに、食堂の入り口あたりに留まり、ニヤニヤしながら飽きずにフィルと周囲を眺めている。
「……くっ」
その中心はやはりと言うべきか、我が呪わしの第一小隊――。
(そりゃあ、黙ってて悪かったとは思うけど、この仕打ちはあんまりだ……っ)
「フィル?」
「う」
手にしていたパンを握り締めて球状にしつつも、なんとか屈辱に耐えていたフィルだったが、背後から響いたアレックスの声に、ついに硬直した。
「アレックス、ナイス! 最高にいいタイミングだっ」
ケラケラ笑っているオッズに真剣に殺意を覚える。今間合いに彼がいれば、確実に剣を抜き放っている。
(ああ、でも今はそんな場合じゃない……っ)
ギシギシと音がなりそうな不自然な動きで立ち上がると、フィルは正面を向いたまま、席を立とうと腰を浮かす。
「だめだぞー、フィル、時間いっぱいそこにいろよー」
(……ウェズ小隊長、上官であるあなたに殺意を覚えたのは、さすがに初めてです)
すかさず阻まれて、眉間に青筋が立った。
「約束は守んなきゃねー、フィル」
(……ヘンリック、覚えてろ。近々必ず仕返ししてやる)
親友をぎろりと睨むも、懲りた様子なくへらへらと笑われた。即時の復讐を果たすべく、フィルは懐の投げナイフに指を伸ばす。
「フィルー、俺はお前が貴族だったことより、ずっと秘密にしてたことの方が悲しいぞー」
「……そ、の言い方はずるい……」
が、基本貴族嫌いなはずのスワットソンにまでそんなふうに言われて、机に突っ伏した。
「貴族……皆にもう話したのか。だが、約束?」
戸惑いを露わに近づいてくるアレックスの視線が、自分の背中に落ちたのを感じて、フィルは呻き声を上げた。
「? 『隠しててごめんなさい』……?」
「……」
さすがアレックスというべきだろう、彼はきっちり異常に気付いた。
だが、そんな彼の鋭さが今は最悪にありがたくない。声に出して読むのもなしにしていただきたい。
「あそこの小隊長たちといい、スワットソンといい、その背中の文字といい、今度はなんだ? 大丈夫か?」
「……」
アレックスの心配声に、ちょっとだけ良心が疼いた。だが、フィルはその彼に後ろから左肩を捕まれ、咄嗟に右へと顔をそらす。
「フィル?」
「……」
逆側から顔を覗き込まれて、今度は左へ。
「一体なんなんだ」
露骨に避けられて、さすがにむっとしたらしい。が、フィルはそれでも頑なにアレックスから顔を背ける。
(もういい、怒りたかったら怒ったらいいんだ。人が大変な目に遭っている時に、実家に泊まって宿舎に戻ってこなかった薄情な人に怒られようがなんだろうが、それがなんだっていうんだ!?)
「うっ」
八つ当たりだとは、わかってるけど、と己の理不尽さに顔をしかめたところで、大きな手にガシっと頭の両サイドをつかまれた。ぐぐぐっと頭を持ち上げられる。
「ち、力技とは卑怯な……っ」
「人の心配を無碍にするからだろう」
必死も必死、フィルはもがきつつ、首の血管が切れそうなくらい抵抗する。
「ぅわっ」
不意にその力が消え、フィルは顔からテーブルへと突っ込んだ。そして、背後――身をかがめて、目に涙を浮かべて笑い始めたアレックスを振り返って、盛大に顔を引き攣らせる。
『反省』
その額に大きく黒々と。
『実はアル・ド・ザルアナックの孫です!』『隠しててごめんなさい!』
白地のシャツの前後に赤い文字。
――その後、フィルはアレックスと丸一日口をきかなかった。
* * *
数日後、食堂の隅のテーブルで、片手にフォークを握り締め、フィルはアレックスを恨めしげに見上げた。
「ほんっとうに、アレックスがみんなに話したんじゃないんですか?」
いい加減忘れてくれればいいのに、食堂にいるフィルを見かけるたびに騎士の誰か彼かが、フィルの顔を見て笑ったり、からかったりするのだ。
しかも、あの日のあの後、騒ぎを聞きつけてコメカミに青筋を立ててやってきたポトマック副団長まで、フィルを見るなり吹き出した。声を立てて笑う副団長なんて初めてだ、お前はやっぱりすごいとか、今も声をかけられまくってもいるけれど、まったく嬉しくない。
「違う。だが、いずれ知られることだったんだから、誰が話したんでもいいだろう?」
しつこいぞ、という視線と共にアレックスが応じる。
「良くないです。心の準備をして、って思ってたんです! それをあんな……」
思い出してか、またも吹き出したアレックスを、フィルは涙目で睨み付ける。
「ああ、それ俺だわ」
「へ? ウェズ小隊長……」
昼食のトレーをもって、目の前の席に座った所属先の小隊長に、フィルはぱっくりと口を開けた。
「いや、実は元々知ってたんだけどな」
「……はい?」
「いや、副団長もお前がザルアナック師の孫って言ってたし」
「……」
「年かさの連中も気付いてたみたいだけどな。やつらは現役のアル・ド・ザルアナックを知ってるわけだし。お前、そっくりって話だぞ」
呆気に取られて、赤毛の自分の上官を見つめれば、彼は肩をすくめた。
視界のそこかしこにいる年配の騎士たちが、ある者は目元を緩め、ある者は口元を手で隠して、そそくさと食堂を後にしていく。
「オッズと俺もなんとなく知ってたぞ」
「ほら、斎姫襲撃の時に世話になったザルアナック家の跡継ぎの兄さん、フィルによく似てるよなあってミルトと話してたんだよ」
「……」
テーブルの横に並ぶ、同じ小隊の仲間ふたりが、スープを口に運びつつ、なんでもないことのように言い放った。
「そしたらこの間、フェルドリック殿下が騎士団にやってきて、お前が実家の勘当を解かれるみたいだって、教えてくれたからさー」
「フェ、ルド……」
フィルは、ぴくぴくと目元の筋肉を痙攣させた。
(またか、またここにもやつの影が……ああ、でも、今の問題は……)
「知ってた、のに、なんであの日あんなことをさせたんですか……?」
「「「そりゃあ、面白いからに決まってるだろう」」」
押し殺したような声で問うフィルに応じた彼らは、どこまでも楽しそうだった。
その日の午後の訓練、フィルの周囲が苛烈な目に遭ったことは言うまでもない。
「おま、本気でやってるだろうっ!?」と文句を言われたけど、ウェズには捨て身で一撃見舞ってやったし、あのオッズが対戦中に顔を引きつらせていたことには、かなり胸がすいた。
真剣を使おうとしたら、アレックスに「さすがにやめておけ……っ」と必死に止められたことだけが心残りだ。
ちなみに、その後、騎士団の宿舎にわざわざフィルを訪ねてきた上、人の顔を見るなり「は・ん・せ・い」とのたまった王太子の頭を、フィルが思わずはたいてしまったのは罪にならないと思う。
万が一罪に問われることになったら、アド爺さまを使ってでも、断固として訴え返してやる。