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そして君は前を向く  作者: ユキノト
第17章 幸せと諦観
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17-13.暴露

 中央の白い大きな幕がユラリと動いた。天井から降り注ぐ光に、波打つ布が光沢を放つ。その様をフィルは緊張を露わに見つめた。周囲からの異様な注視も、もう気にする気になれない。

(あの幕が上がったら、全部決まる。いや、決めるのは私だ……)

 震え出しそうになるのを抑えるべく、こぶしをぐっと握り、意識して眦を上げた。いつの間にか口内に溜まっていた唾液を飲み込めば、その音がひどく大きく響いた。

(絶対に、絶対に失敗できない)

 何ひとつ、諦める気がないのだから――。


 

 あの晩、父と兄の真意を知ったフィルがアレックスに願ったのは、

『私は兄のことを諦められない。でも私のこと、アレックスのことも諦めたくない。どうにかしたいから、力を貸してほしい』


 あれもほしい、これもほしい、何も諦めたくない。なんてひどい我がままなんだろうと我ながら思った。しかもすべては自分の実家の事情ときている。それなのに、自分ひとりではうまく策を思いつけないから、助けてほしいだなんて、他力本願もいいところだった。

 だが、アレックスは、それを聞いて破顔してくれた。


 いや、一応自分なりの策もあるにはあった。あっちがその気なら、自分も毎夜毎夜ロンデール邸に忍び込んで、公爵を脅してやろうか、と。枕元にナイフを突き立てておくなりして、いつでも寝首をかけると行動で示してやれば、考え直さないかな?と思ったのだが、そう話したら、アレックスはしばらく無言でどこか遠い場所を見ていた。久々だった。つまりは論外ということだと思った。落ち込んだ。


 それはさておき、その後気を取り直したアレックスは、一つの案を話してくれた。

 正直、フィルからすると「そんなことで?」と思うようなものだったけれど、フィル自身がその案に納得でき、その上で実家、特に兄の了承を取ることができれば、そのための必要な条件は既に整っている、と彼は続けた。いつのまにか、アレックスのお父さんたちやフェルドリックなど王宮の方にも話を付けていたらしい。

 アレックスは「必要であれば、俺や父から伯爵たちに話す」とまで言ってくれたけれど、そこまで甘えることはできない、と思った。

 説明をちゃんと聞いていたら、成功する確率は高いと思える。けれど、失敗した場合に払う対価は、兄の命――私のわがままで、彼に命を賭けさせる事になるのだから、自分で父と兄に話をつけよう、そう思った。


 翌日、決意を胸にザルアナック邸を訪れたフィルは、予想に反してあっさりと父と兄に会うことができた。

「収穫祭にフィリシア・フェーナ・ザルアナックとして、そしてフィル・ディランとして出席します。苦情は聞きません」

 二人が現れるなりそう宣言したフィルに、兄は絶句する。その横で父は沈黙し、フィルをじっと見つめてきた。

「……」

 互いに無言のまま、見つめあい、短くはない時間が流れた。そして彼はフィルから目を逸らすことなく、おもむろに口を開いた――「私はお前が憎かった」と。


「お前も気付いていただろう。だから、こんな私やこの家に義理立てする必要は一切ない。父も母もそんなことは絶対に望まないはずだ」

 彼はそう続けた。これまで聞いたことがないような、静かな声だった。

「フィル、僕はそれを知っていて、何もしなかった。できなかった。君は何も悪くないと知っていたのに、だ。こんな僕のために、フィルがわざわざ窮屈な人生を選ぶ必要はない。フィルはフィルとして、生きていきなさい」

 悲愴に眉を寄せてその話を聞いていた兄は、怒っているようにも今にも泣き出しそうにも見える不思議な顔で、フィルに向けて頷いた。


 昔一度だけ触った父の髪に昔の鮮やかさはなく、艶すら失われていた。兄の顔も蒼褪めている。


「ラーナックは……愛せた。シンディが彼を慈しむ様を見ていたから、彼女の愛するものを守ることは、私にとって造作もないことだった。だが、お前を産むことで彼女は死んでしまった」

 やはり、と思いながら、父が体の脇でこぶしを握り締めるのを視界の端に入れた。

「彼女の最後の瞬間に腕の中にいたのは、お前だった。最後の言葉は『幸せになって』だった。彼女の最後すら、お前が奪ったのだ、と……」

 父から初めて知らされた母の最期に、フィルは目をみはる。

「……愛そうとしたのだ」

 微かに顔を伏せた彼が発した、聞き取れるか取れないかの呟きは、ひどい後悔と激痛を含んでいるように聞こえた。でも、フィルに対して許しを請うているようには聞こえなかった。

(……そうか、母さまに対する懺悔なんだ)

 漠然とそう感じ取って、フィルは小さく笑みを零した。

 この人は本当に母を愛していたのだろう。そして母ゆえにフィルを愛そうとして、母ゆえにできなかった。


 あれこれ言い訳をされるより、遥かに納得がいった。この人はこの人なりに、フィルのことをずっと気にかけ、思うように愛せないことに苦しんできたのだろう。

 そして、許しを請うて許されることではないと自分を責めているから、言い訳のひとつもしない。


「そうして行き着いた結果はこれだ。私とラーナックはお前の家族ではない。私が断絶させたのだ。お前がそれでもラーナックが気にかかるというのなら、私が命と引き換えにしてでもなんとかする。お前が身を犠牲にして、好きでもない道を選ぶ必要はない」

「……」

 フィルはじっと父の茶の瞳を見つめる。ひどくわかりにくい人だ。だから、そうすることで、この人がもっとわかるようになればいい、と思った。

「ザルアナックの娘、伯爵家の令嬢として生きていくのは、窮屈極まりないはずだ。お前の性にそれが合うはずがない。すべてを忘れて勝手に生きて行け」

 気を取り直したように、轟然と言ってのけた父の顔は、以前と同じように憎々しいものだった。

「では、お言葉どおり勝手にします」

 なのに、以前と違って、それが作り物めいて見えるようになったこと。それこそがフィルに起きた変化だった。


 子供を持つ心境はわからない。親の子に対する愛情のあり方など、論じる資格があるとも思えない。けれど、自分を見つめる深い青色の瞳を想うことで、大事な人を失う痛みは想像できるようになった。

 その痛みゆえに父の行動を正当化できるか否かは、やはりフィルにはわからない。

 だけど、する必要もないように思う。

 ただ、彼はそれほど母が好きだった。それだけは確かな事実で……それがなぜかすごく嬉しい。

 憎かったと言われ、愛せなかったと言われた。面と向かってはっきり言われると、さすがに結構堪えた。

 だけど、『実は愛していた』より納得がいった。言い訳を重ねられるより、よほどいさぎよい。

 父は母ゆえにフィルを愛そうとし、母ゆえにできなかった。でも前者があったのであれば――父は何も言わないけれど、確実にあったのだと、そして今なおあるのだと感じる――フィルにはそれで十分だ。


「招待状は既に手配済みなので、出席で返答しま――」

「っ、いい加減にしないかっ」

「だって、勝手にしろってさっき言――」

「そういう意味じゃないっ」

 怒鳴りつけられ、フィルは祖母と同じ色の父の瞳を真っ直ぐ見返した。そこに明確な焦りと懇願が含まれていることに気付いたら、鼻の奥がつんとした。


「……父さま、どんな形であれ、私は幸せだったから、それがすべてなんです。あなたが私を愛していたかどうかも、私にとっては実はあまり問題じゃないんです」

 少し嘘だけど、と思いながらも、にっと笑ってみた。

「母さまのことはよくは知りません。でも……彼女はきっと私のことであなたを責めたりしない。だって彼女が願ってくれたとおり、私は今幸せなんですから」

 母の死や父の愛憎、祖父母の慈しみ、兄の思いやり、すべてがあって、私は私になって、アレックスに、みなに出会った――それでいいと思う。

 あれがなかった、これがなかった、私はなんて不幸なんだ、と不平を並べて生きるより、あれもあった、これもあった、私って結構幸せだ、そう思って生きていくほうがずっといい。


「だから、」

 父の目を見据えたまま、フィルははっきりと言い切る。

「この先も不幸になる気なんて、まったくないんです」

 私が不幸になると、悲しむ人がたくさんいるので、と微笑んでみせた。

「何かを諦めるのは最後の最後です。身を犠牲にして、悲劇に酔って生きるのも、生きさせるのも嫌です。死ぬのも、死なせるのも嫌です。可能性がある限り、私は全力で勝ちに行きます」

 最後の最後まで、絶対に戦いを放棄しない――決意を込めてフィルは父の隣に座る兄に視線を移した。

「あっさりその命を『私のため』なんて、諦めさせてなんてやらない」

 そう宣言して、不敵に見えるように笑う。

「兄さま、その命、私に預けてください。傲慢と言われようとなんだろうと、私は私の幸せのために、あなたにも生きて、幸せになって欲しい」



 日がまさに変わろうとしている。暦の上で冬が来る。

 厳かな音楽が流れ始めた。幕は、向こう側にいる男性たちの足が見えるところまで上がっている。


「大丈夫よ、フィル。アレックスも私もスペリオスもいるんだから、何があったって助けるわ」

 アレクサンドラが少し硬い顔をしながらもそう笑ってくれた。

「フィル、私、フィルを信じているわ」

 唇を引き結び、自分を見上げてくるナシアの揺らぎない視線に、フィルはついに微笑を顔に浮かべた。

(うん、大丈夫)

「ありがとう」

 彼女たちにお礼を述べると、フィルはまっすぐ顔を上げる。


 ゆっくりと上がっていく中央の幕の向こうに、浮かれた男性たちの姿が現れた。

 彼らは彼らで、意中の女性を探しているらしい。忙しなくこちら側へと視線を走らせていたが、彼らに応じようとしない、それどころか目を自分たちに向けもしない女性たちに、一様に困惑の表情を浮かべた。

 そして、目当ての女性が注視する方向を怪訝そうに見遣り、彼女たちと同様に、フィルへと驚愕と困惑の混ざった視線を送ってきた。


(――いた)

 彼もこちらを見ている。

 フィルは喉を鳴らして唾液を飲み込むと、ゆっくりと彼に向かって歩き出した。

 足元で細いヒールが小さく音を立てる。

 金色の長くした髪は、真珠の髪止めと共に、地毛に絡めて結わえあげられ、先は背に垂らされている。それが歩みにあわせて左右に揺れるのがわかった。金と真珠、翠玉でできた髪飾りと、耳につるした房状の真珠と金鎖の飾りが呼応するように音を奏でる。

 首を長く引き立てる造りの立襟からは、胸元に至るまでスリットが入っていて、その場所を大粒の翠玉の首飾りが彩る。

 身体のラインにぴたりと添った夜会服は黒色で、金と銀で刺繍が施してある。ぱっと見、騎士団の制服に見えるよう、敢えて似せて。

 そして、腰に愛用の剣。


「あれ、は、どう見ても騎士団の……」

「だが、あの格好、殿下の護衛ではないのでは……」

 静まり返った会場に生じた囁き声が、鮮明に耳に飛び込んできた。


 彼の前でまで来て立ち止まると、フィルは緊張を隠そうと微笑みかける。

「お相手、お願いできますか、」

 踵のある靴を履いている自分より、なお背の高い人。

 その人は、フィルのものとよく似た制服――こちらは本物だ――に身を包み、柔らかい目線を向けてくれている。優しい空気に、フィルはひそかに安堵の息を漏らした。

「――アレクサンダー・エル・フォルデリークさま?」

 先ほどまでの静寂が嘘のように、ざわめきが広がった。

 目の前の彼の顔に、茶目っ気を帯びた笑みが広がる。つられて、フィルも顔を綻ばせた。

「よろこんで――フィリシア・フェーナ・ザルアナック嬢」

 そうしてアレックスは、フィルの手をとり、甲に口付けた。


「やっぱ、り……」

「嘘、でしょう……」

「どうなってるんだ!?」

 抑えられていた動揺が、会場全体を揺らすようなどよめきに変わった。一部の女性たちから悲鳴が上がる。


 そんな中、人垣向こうから「フィル・ディランっ! お、おま、フィ、フィリシア・フェーナ・ザルアナックって、なんだよ、それっ!? おい、アレックス、どういうことだっ!?」と馴染みの声が上がった。

「……さすがミレイヌって言うべき?」

「ほんと、物怖じしないな」

 フィルはアレックスと顔を見合わせ、「「助かったけど」」と声をそろえて笑い合った。


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